1-3 前世の記憶(後半)
物質化能力を得てから1週間後、今度は魔物が現れた。
最初に現れたのは、犬ほどの大きさの黒い化け物だった。鋭い牙と爪を持ち、口からは臭いよだれを垂らしている。そして、人間を見つけると襲いかかってくる。
教授の一人が最初の犠牲者になった。高齢で動きが鈍いその教授は、魔物に首を噛み切られ、みんなの目の前で絶命した。
血の匂いがグラウンドに広がり、女子学生たちの悲鳴が響く。俺は恐怖で足がすくんでしまった。こんな化け物が現れるなんて。
そして、その時、体格がいい長身の学生が立ち上がった。
「俺が物質化に選んだのは日本刀だ」
彼は日本刀を抜き、魔物を切り殺した。刃が魔物の首を切断する音が響き、黒い血が飛び散る。俺は吐きそうになったが、なんとか我慢した。
「すげぇ! やったぞ!」
「かっこいい~ 頼りになるわ!」
周りの学生たちがその学生を囃し立てる。
彼は地元ヤクザの組長の息子と噂されていた後輩だ。普段から威圧的で、俺のような大人しい学生は近づくことも憚られる存在だった。
そして、それから、すべてが変わった。
戦える者が支配者となり、戦えない者は奴隷となった。
日本刀を持った学生──瀬川は、自分の仲間を集めて、暴力で支配体制を築いた。サッカー部の副キャプテン、柔道部の主将、ボクシング部のエース。みんな体格が良く、気性が荒い連中ばかりだった。
恐ろしい魔物に対しては、食料より武器の方が有用で価値が高かった。俺のように 「米」 を選んだ人間は14人もいたが、米は生では食べられない。調理が必要で、しかも1人当たり日に1㎥つまり750キロも出てくる。大学に避難している300人には過剰すぎる量だった。そうなると自然と最底辺の扱いになっていった。
その一方で、みんなと違う物質化能力を持った人がいた。
セクハラで有名だったある教授は、 「水、ビール、ウイスキー」 の3種類を物質化できるようになった。飲み物がいいと漠然と考えて、具体的な種類を思い浮かべていたら時間切れで複数選択できるようになっていたらしいと噂で聞いた。教授の手の甲には、物質化が始まって以降は淡い文様が光っていて、いつもそれを見せびらかしていた。手の甲が見えるように髪をかき上げながら、 「俺は、選ばれた人間だ」 と言うのが口癖だった。
瀬川の暴力グループは、そのセクハラ教授を重宝した。アルコールは貴重品だったからだ。
「おい、米野郎! 魔物の囮になれ!」
瀬川が俺を蹴飛ばした。もはや先輩後輩なんて全く関係ない。
「嫌だよ」
俺は抵抗しようとした。でも、体格差は歴然としている。
「嫌だと? じゃあ、お前は魔物を倒せるのか? 行ってこいよ」
「物質化は1㎥できるんだから、全員分の日本刀を出してくれればいいだろ!」
俺は理屈で対抗しようとした。
「は? 甘えんな、さっさと囮になれ。それとも、ここで切り殺されたいか?」
瀬川の仲間たちが俺を囲む。逃げ場はない。
戦える能力を持つ者が絶対的な権力を握る世界。大学に避難している人々は、瀬川とその仲間たち数人が支配する最悪の集団になっていた。
俺たち武器を持たない人間は、常に大学の外周の見回りをさせられ、毎日のように魔物の囮として使われた。素手で大学構内に侵入した魔物から逃げ回りながら、瀬川たちが隠れている倉庫の中へと誘導し、運良く生き残れば褒められる。失敗すれば 「使えない奴だ」 と罵られて殴られた。
学長をはじめとする規律を守ろうとしていた教授や職員は、狭い地下倉庫に閉じ込められ、出られないように入口を塞がれたと聞いた。中がどうなっているのか、誰にもわからない。助けようとした学生もいたが、察知した瀬川グループに連れていかれ、戻ってくることはなかった。
食料の配給でも差別が始まった。
「米野郎どもは最後だ」
配給の列で、俺たちは一番後ろに並ばされる。それでも文句を言えば、次の日は配給をもらえない。
「今日はお前の分は無しだ」
「え、なんでだよ。物質化で食料は十分にあるだろ!」
「囮任務で動きが悪かったからだ。俺たちを10分も待たせやがって!」
瀬川の機嫌次第で、食事を抜かれることもあった。
それでも俺は反抗できなかった。体力もない、戦う技術もない、頭が特別良いわけでもない。何の取り柄もない俺に、彼らに対抗する手段はなかった。
特権階級となったセクハラ教授は、アルコール類を独占的に物質化できることで瀬川チームに重宝され、女子学生たちを好きに玩具にするようになった。
「おい、今夜は学祭で準ミスになった三島を俺の部屋に来させろ」
「はい、わかりました」
女子学生たちは抵抗しようものなら食料を断たれたり、魔物の前に置き去りにされたりするため、誰も止めることはできなかった。
俺は見ているしかできなかった。助けたい気持ちはあっても、俺に何ができるというのか。
仲間が一人ずつ死んでいった。
田中は囮になって魔物から逃げきれずに死んだ。
「誰か、おい! 助けてくれぇぇ!」
倉庫の中から聞こえる田中の叫び声が今も耳に残っている。俺は怖くて、助けに行くことができなかった。
優しかった大学院の先輩──イケメンで、いつも後輩の面倒を見てくれていた先輩は、女子人気を僻んだ瀬川チームに食料を隠していたという理由で殺された。もちろん冤罪だった。彼が隠していたのは、体調を崩した後輩のために取っておいた薬だけだった。
女子学生たちは……考えたくもない。瀬川の彼女だったリナという女子学生がカーストトップになり、その取り巻きや彼女が気に入った女子学生だけは守られ、それ以外には陰湿な嫌がらせが行われていた。女子部屋は、男子入室禁止だったので詳しくはわからないが、かわいらしい顔立ちの女子は次々と顔に火傷や傷を負っていた。
胸が見えそうな破れた服で配給をさせられている女性は、運動部で全国大会でも活躍していた女子だったし、 「私は便器です」 と書かれた服を着せられていた女性は、卒業後にお金持ちの彼氏と結婚すると噂になっていた女子だった。
人間性なんてものは、あっという間に消え失せた。
最初は正義感を持って行動していた人たちも、次第に諦めるか、支配者側に取り入るようになった。
「神崎、お前も少しは空気を読めよ」
同じクラスの友人だった川北が、ある日そう言ってきた。
「どういう意味だよ」
「瀬川たちに逆らわないで、素直に従ってればいいんだよ。そうすれば殴られることもないし」
川北は瀬川グループの雑用係として取り入ることで、自分の身を守っていた。
「それは……」
「生きるためだよ。プライドなんてどうでもいいだろ」
そう言う川北の目は、もう死んでいた。川北がずっと片思いしていた女の子は、セクハラ教授に玩具にされ、最初に自殺した女の子だった。
俺も次第に抵抗する気力を失っていった。毎日魔物の囮をやらされ、食事も満足に与えられず、理不尽な暴力を受け続ける日々。
「こんな世界で生きていく意味があるのかな……」
そんなことを考えるようになった。
一時は300人いた避難者は次第に減っていき、一年後には80人くらいになっていた。
病気になっても治療ができない。最初は魔物に噛まれた者だけが死んでいたが、半年ほどで魔物のウイルスが変異し、ヒトーヒト感染するようになった。体力が無い者から次々と死んでいった。
俺も何度か死を考えた。でも、死ぬ勇気もなかった。
最期の日のことは、鮮明に覚えている。大災害から1年くらいたった初夏だった。
俺は教室の中で、数人の鬱憤晴らしにされていた。
「この役立たず! 米しか作れないくせに先輩面すんな!」
拳が顔面に飛んできて、俺は後ろによろめいた。
「もうすぐ世界政府ができるとかなんとか言われてっけどよぉ、そこまで生き延びたいなら、土下座して俺らに従うんだな」
瀬川グループは、面白半分で殴ったり、足を引っかけたりしてニヤニヤ笑っていた。
その時、瀬川の仲間が駆け込んできた。
「やばいぞ! サブマシンガンを持った集団がやってきた!!」
外で、銃撃の音が聞こえる。重くて激しい 「ダダダダッ!」 という連射音だった。
「は? マジかよ。食料だけ持って裏山へ逃げるぞ」
「女を漁りにきたみたいだ。男はみんな殺されている!」
「よし、リナたちを置いていこう」
あれだけ贔屓していた自分たちの彼女ですら置き去りにして、瀬川たち数人だけで逃げようとしていたが、建物を出た瞬間にやられたようだ。
外から叫び声と笑い声が聞こえる中、俺もさっき殴られた時に倒れて強打した部分がまるで心臓のようにドクンドクンと脈打っていた。
「あ、死ぬな……やっとか、ふふ」
俺は校舎の窓から見える曇り空を見上げた。火山灰でずっと薄暗かった空が、最近は少し明るくなっていた。やっと死ねる。そう思うと、自然と微笑んでしまった。それほどまでに、この1年は過酷だった。
意識が遠のき始めた、と思った瞬間だった。
突然、数kmにもわたる巨大な黒い線が空に現れた。そして、その線はまるで大きな目のように開き、その中には何万という赤い目玉があった。
それは瞬きの間のほんの数秒の出来事だった。
俺はその中の1つと、目が合った気がした。その赤い目は、確かに俺を見ていた。
遠くで鳴る、軽やかな鐘の音が聞こえる気がした。
そこで意識はなくなった。
しかし、次に目を覚ました時、俺は3年前の自分の部屋のベッドの上にいた。
── 死に戻り ──
最初は夢だと思った。しかし、記憶があまりにも鮮明すぎる。そして、テレビをつけると、確かに見たことがある番組で、出演者の次のセリフも記憶通りだった。信じられないが、現実だった。俺は前世の記憶を全て持ったまま、過去に戻ってきたとしか思えなかった。
それならば、今度は違う。
前世の経験は無駄にしない。必ず生き延びてやる。
俺は、そう決心した。
後味が悪いシリアス回終了。
次からウキウキ拠点整備と備蓄祭りが始まります。