1-27 物質化
物質化能力付与の翌日の朝。
俺はジムで田村さんと汗を流してから、温室で水耕栽培の調整をしていた。
そこへ、荷物を抱えた桐島親子がやってきた。
「神崎さん、おはようございます。よろしかったら、朝ご飯をご一緒しませんか?」
「「一緒に食べよー!」」
温室のところどころに置かれているガーデンテーブルに、4人分の朝ご飯がセットされていく。
「ありがとうございます。美味しそうですね~」
急いで手を洗ってきて、テーブルにつく。きれいに盛られたワンプレートモーニングだった。水とアイスコーヒーも用意されている。温室には野菜の成長促進実験のためのクラシック音楽が流れていて、災害前よりよっぽど優雅な朝食だった。
「神崎さん、レタスの苗が少し成長してきましたね。いつ頃、栽培装置に移動させるんですか?」
桐島博士が、シートをめくって発芽したての苗を見て微笑む。
「本来なら10日後くらいですけど、1週間後には魔物が出るので早めに定植するつもりです。少し成長が遅れてしまうかもしれませんけどね」
「ママ、早く美味しいトマト食べたいね~!」
莉子ちゃんが、ドライトマトと冷凍温野菜のサラダを頬張りながら言う。その無邪気な笑顔を見ていると、この子たちの穏やかな生活を守らなければという決意が新たに湧いてくる。
俺は、昨日のことを思い出した。
物質化能力付与のアナウンスが、俺の記憶と違っていて、みっともなく動揺してしまった。18時の登録が終わるまで、かなりの醜態を晒していただろう。
何も言わないが、きっと桐島博士は、俺を心配して朝ご飯に誘ってくれたんだと思う。
朝から、温かい何かが胸を満たしてくれた。
9時。
大会議室にみんなが集まった。
大きなミーティングテーブルを囲んで、7人全員が着席する。
レオさんがみんなに飲み物を配ってくれる。桐島博士には紅茶、子供たちにはリンゴジュース、残りの4人はホットコーヒーだ。
カップに注ぐコーヒーの香りが会議室に広がる。いくつかの種類の豆をレオさんがブレンドした午前用コーヒーらしい。
「陽菜乃ちゃん、世界の様子はどう?」
俺が聞くと、陽菜乃ちゃんがタブレットを確認しながら答える。
「どんどん報告が増えてるよ~。アクセス数は5万を超えた! 世界中で物質化を実際に試してるみたい」
陽菜乃ちゃんが壁のディスプレイに掲示板の内容を映し出す。
「えっと、ピックアップした新情報を見せるね。まず、子供の物質化について~」
画面には世界各地からの報告が表示された。
『ミラノより。2歳の娘がパンの物質化に成功!』
『福岡県。4歳の子が保育園で覚えた「おにぎり」で成功』
「すごいね。2歳でもできたんだ」
俺は驚いた。前世では、子供が避難所にいなかったので知らなかった情報だ。
「でも、今回の選択を逃した子供や新しく生まれた子供は、いつ次のチャンスがあるのかわからないって書き込みもあるよ~」
「それは気になりますね。継続的な確認が必要でしょう」
レオさんが真剣な表情で頷く。
陽菜乃ちゃんが次の情報を表示する。
「次は、物質化される形態についてだよ~」
『シドニー郊外、364人コミュニティより。りんごを選択した仲間が2名。一人は青りんご、一人は赤りんごでした。選択時に思い浮かべた品種になるようです』
『ドイツより。水を選択した結果報告。500mlペットボトル、1Lガラス瓶、さらに水瓶に注ぐ方式など、登録時に思い浮かべた形態での出現を確認』
「やはり選択時に想定した状態なのですね。それなら医薬品も問題ないわ」
桐島博士が安心したように頷く。
「変更はできないって、検証した人が言ってたよ~」
陽菜乃ちゃんが付け足す。
「あとは、時間の報告ね。現地時間で0時から物質化できたって、世界中から書き込まれてるよ~」
レオさんが、手を上げる。
「つまり、時差を利用すれば、理論的には何回か物質化できるってことでしょうか。現地時間という表現が曖昧ですが、国境付近だと国境を跨げば時間が変わりますから」
「え! 面白い~ 誰か検証してくれないか提案しとくね!」
陽菜乃ちゃんがすぐにスレッドを立ち上げていた。
「他になんか、面白そうな報告はなかったか?」
田村さんが質問する。
「それならねぇ……」
陽菜乃ちゃんがニヤニヤしながら、新しい画面を表示する。
『スイス・アルプス山間部より。37人のコミュニティです。物質化の分担を「ハイジ方式」で決定しました。おじいさん役がチーズ、ペーター役がヤギのミルク、ハイジ役が白パン、クララ役がスープという具合に、国民的文学の登場人物の役割で分担。子供たちにも分かりやすく、楽しく取り組めています』
「ハイジ方式? なんか可愛い名前~」
莉子ちゃんと悠真くんが手を叩いて笑っている。
『中国・雲南省でも300人の村で「三国志方式」を採用。劉備軍は農業担当、曹操軍は工業担当、孫権軍は漁業担当に分かれて物質化を分担。みんな自分の好きな武将の軍に入って楽しんでいます』
「ははは、歴史好きにはたまんねぇ分担方法だな」
田村さんが豪快に笑っている。
「大変な状況なのに、工夫して楽しもうとしてるんですね。大変、興味深いです」
レオさんが感心している。
「では、我々も物質化してみましょうか」
俺が声をかけると、みんなが頷いた。緊張というより、期待と興味に満ちている顔だ。
「昨日の順番で、莉子ちゃんからやってみる?」
「うん!」
莉子ちゃんが手を前にかざして、大きな声で言った。
「卵!」
すると、莉子ちゃんの手の前に微かな光が集まり、10個入りの卵パックが2つ現れた。
「わあ! 本当に出たね。莉子ね、このくらいの量が出たらいいなって思ったの。おじさんが3人もいるから」
「「え! おじさん!?」」
ショックを受ける俺とレオさんの横で、田村さんだけは苦笑いしている。
「あ、卵の上になんか数字が出てるよ。次はね、牛乳!」
真っ白で何も印刷されていないが、見慣れた1リットルの紙パックが3本現れる。
「牛肉!」
1キロほどのブロック肉がラップに覆われた状態で現れる。これは、桐島博士が使いやすさや美味しさで吟味し、備蓄の肉から莉子ちゃんに触らせた「A5ランクの肩ロース」だ。
「キャベツ!」
丸々1個のキャベツが現れる。
「最後に、シイタケ!」
莉子ちゃんの大好物のシイタケが、紙袋に山盛り入った状態で現れた。
「やったー!!」
莉子ちゃんが目をキラキラさせながら、シイタケをギュッと胸に抱えた。あまりにも嬉しそうで、見ているみんなが笑顔になる。
「ママ~、きのこパスタ作ってね!」
「ふふ、わかったわ」
桐島博士も嬉しそうに娘の頭を撫でていた。
続いて、悠真くんだ。
悠真くんは、勢いよく、次々と叫んでいる。
「白米! 塩! 小麦粉! 砂糖! 小豆!」
どれも紙袋に入った状態で、次々と物質化される。
悠真くんは、最後の小豆にニッコニコだ。他は1袋なのに、小豆だけ3袋なところが、悠真君の気持ちが溢れていて微笑ましい。
「小豆いっぱい! あんこー! 苺大福なくなっちゃったもん」
子供たちの物質化選択には、それぞれの好物を1つだけ入れていた。計算された選択の中に、子供の気持ちを大事にした選択を入れる。とても桐島博士らしいなと感じる選択だった。
みんな、嬉しそうにしている二人に癒されて、少々表情を緩めながらも順番に物質化を試していく。
桐島博士は医薬品を、陽菜乃ちゃんは特殊電子機器を、レオさんは化学物質を物質化した。それぞれ5種類全てを出して、品質を確認していく。
最初に莉子ちゃんが言っていた物質化したものの上に出る数字は、残りの量だということがわかった。物質化する度に、その数値が減っていき、ゼロになるまで物質化が可能なようだ。
掲示板の報告には無かったと陽菜乃ちゃんが言っているので、複数選択者だけに現れる現象なのかもしれない。
「本物ですね。純度も申し分ありません」
褐色の遮光ガラス瓶や白いポリ容器、半透明のボトルなどの形態で出した化学物質を、一つ一つレオさんが頷きながら確認している。
桐島博士も陽菜乃ちゃんも問題ないようだ。
みんな、自分が物質化した物を眺めてニコニコしているのが面白かった。
ここからは、移動して物質化だ。
桐島親子は残ってお昼ご飯を作ってくれるというので、4人で1階に降りる。
確かに、銃火器や揮発性燃料などの危険物は、子供たちにはまだ早いだろう。
ロビー奥の武器庫に入ってから、田村さんが物質化する。
「グロック19! 9mmパラベラム弾! うん、記憶通りだ。この拳銃は、悪環境でも動作不良が少ないことで有名なんだ。日本でも特殊部隊のSATや要人警護のSPなんかが使ってる。17より弾数はちょい減るけど、小型で携帯しやすいし護身用にピッタリだ。あまり気は進まねえが、女性や子供でも扱えるだろう」
黒々とした拳銃を握らせてもらう。700g弱だと田村さんが教えてくれたけど、初めて手にした拳銃はズシリと重く、とても頼もしい反面、少し怖く感じた。
「よし、次だ。レミントンM870! 12ゲージ散弾!」
今度は、1mくらいの長さの猟銃のような銃が現れた。
「こいつは、ショットガンと言われるものだ。頑丈だし、これも悪環境でも確実に作動するから信頼性が高いんだ。アメリカではパトカーに標準装備されている州もあるくらいだ。散弾は、一発で複数の鉛球が扇状に広がるから、命中率が高い。ただし、有効射程は20-30メートル程度だがな」
田村さんが、ど素人の俺たちにもわかりやすく説明してくれる。
「拳銃は対人や足止めの護身用、ショットガンは対魔物用で想定している。早速、午後から射撃練習を始めるか」
「ありがとうございます。でも、俺に扱えるかどう──」
「私ね、ハワイのオフ会で射撃場に行ったことあるよ! けっこう当たって、センスあるねってほめられたんだ~」
俺がしり込みするなか、陽菜乃ちゃんはまさかの経験者だった。でも、ハワイのオフ会って……いや、気にしたら負けだ。
「私も経験あります。ラスベガスでショットガンの実弾射撃もしました。反動がきついですよね」
「え……みんな経験者ですか……素人は俺だけ?」
追い打ちをかけるレオさんの言葉に、ちょっとショックを受けていると田村さんが優しく励ましてくれた。
「大丈夫、教えますよ。基本をマスターすれば誰でも撃てます」
地下の火薬保管庫に移動する。
ここは、色々な用途に使えるかと思って用意していた精密空調管理室4室のうちの1室だ。もう1室はレオさんの化学薬品保管庫になっている。
「RDX爆薬!」
爆弾のようなものが出てくるかと思ったら、直径15cm、高さ20cmほどの黒い金属の缶が現れた。
「中身は粉末なんだ。C4爆薬以外にも、金属片と混ぜて手榴弾っぽくしたり、地雷風にしたり、用途に応じて加工できるから便利なはずだ。まぁ、やったことはないんだけどな、ははは」
「大丈夫だよ。ここのサーバーには、どんな情報でも入ってるもん! 探しとくね~」
陽菜乃ちゃんが笑顔で請け負う。
木製ラックに静電気防止の導電性マットを敷き、さらにアース線で接地した、田村さん手作り火薬用ラックに金属缶を置く。
「田村さん、ここは温湿度異常警報があるので、何か異常があれば全館放送されるようにセットしておきました」
田村さんはニカッと笑って、すぐに金属缶に日付ラベルを貼っていた。
次は、俺のエネルギー類の物質化だ。みんなで4WD車に乗って、事務棟から少し港寄りに下った貯蔵タンクエリアに移動する。
車の中では、田村さんの説明に陽菜乃ちゃんが食いついていた。
「あの爆薬の缶はな、見た目はペンキ缶みたいだが、内部には防湿材が仕込まれてて、蓋には圧力逃がし弁がついてるんだぜ。万が一の爆発でも被害を最小限に抑える設計なんだ。すげぇよくできてるよな」
「え、待って! それって……私の電子機器のカバーにも使えるじゃん! 特に屋外設置用の監視機器とか、ちょーっと改造すれば、完璧な防水・防塵・耐衝撃ケースになるはず!」
「ふむ、なるほど。圧力逃がし弁は内部の熱膨張対策にもなりますね」
レオさんも参戦する。
「そうそう! レオさんわかってるじゃん。それに静電気防止コーティングも電子機器には必須だし。田村さん、爆薬缶の設計図を探すから作ってよ~」
「なぁ神崎君……この子、島に連れてきて、本当に大丈夫だったのか?」
田村さんが訴えかけてくるけど、俺は聞こえないふりでスルーさせてもらった。
燃料貯蔵タンクエリアに到着し、地中に埋設した備蓄燃料倉庫に向かった。
「軽油!」
タンクの中の液面の高さが少し増えた……ような気がしなくもない。よく見えないけど。
みんなの物質化に比べて、何とも地味だ。
「ここから、インフラ施設までパイプラインを引いているんですか?」
レオさんが、写真を撮りながら質問してくる。
久しぶりの施設案内で、俺はウキウキしながら答えた。任せてください、現場監督!
「ここからSUS316ステンレス鋼の二重配管構造にしたパイプラインをインフラ施設と、事務棟近くの給油スタンドまで引いてあります。漏洩検知は光ファイバーで、1滴でも漏れたら瞬時に分かります。緊急時は遠隔で全バルブを遮断可能で、消火システムも──」
「つまり、石油会社レベルの施設と言うことですね。さすがですね」
穏やかな笑顔で遮られ、俺はしょんぼりした。