1-26 長い一日(後半)
本日、2話目の投稿になります。
そして午後6時。
突然、頭の中に機械的な声が響いた。
『全人類ヨ......注目セヨ......』
俺は椅子から立ち上がった。ついに来たのだ。世界で最後の物質化能力付与のアナウンス。
その声は、どこか違う世界から響いてくるような、非人間的で機械的な音だった。会議室の全員が、同時にその声を聞いているのがわかる。みんなで目配せして頷きあう。莉子ちゃんと悠真くんは、驚いたような顔で桐島博士を見上げる。
『コレヨリ......能力......ヲ......付与スル......期限ハ10分......一日一度......一種類ヲ......一立方メートル容量......物質化デキル......能力デアル』
陽菜乃ちゃんが小さく「すごい......」と呟いたのが聞こえた。
田村さんは拳を握りしめ、レオさんは冷静な表情を保っている。
『タダシ......ヨク知ル具体的ナ物質限定ダ......水ニスルカ?......小麦カ?......石油カ?......今スグ......何ニスルカ......考エロ......ヒトツダケ選ベ......早急ニ決定セヨ......カウントダウンスタート......600、599、598──』
機械的な声がカウントダウンを始める。
「皆さん、聞こえましたね?」
俺の声が、会議室に響く。全員の顔に、現実を受け入れようとする表情が浮かんでいる。
「ええ、確かに聞こえました。本当に物質化能力が与えられるなんて......」
桐島博士が戸惑い気味に答える。理系研究者として、この現象を理論的に説明することは不可能だと理解しているのだろう。
「ママ、これが練習した声なのね? 莉子からやるのよね?」
「そうよ、莉子。みんな一緒にいるから心配しないで大丈夫よ」
レオさんが冷静に言う。
「カウントダウンが始まっていますね。568、567、566......」
確かに、頭の中で数字が刻まれていく。その機械的なリズムが、俺たちの運命が刻一刻と決定されていく現実を突きつけてくる。
「じゃあまずは、莉子ちゃんから! 失敗しても大丈夫だから、気楽にね~」
俺は、明るく元気な声を意識して出す。引きつってるかもしれないけど、頑張って笑顔を作る。
桐島博士と莉子ちゃんが頷いた。
「莉子、頑張って!」
悠真くんが、莉子ちゃんの手を握って励ましている。
「莉子、覚えてる? 最初は、なんていうのかしら?」
「食品!」
莉子ちゃんが元気よく叫んだ。そして、キョトンとした顔をした。
「あれ? なんかカチッて音がしたよ」
続けて、桐島博士が莉子ちゃんの隣にしゃがんで、一つずつ印刷した写真を指差しながら名前を言わせた。子供たちが抱えていた書類だ。意識が集中するようにちゃんと工夫している。さすが桐島博士だ。
「卵!」「牛乳!」「牛肉!」「キャベツ!」「生椎茸!」
5個を言い終わると、莉子ちゃんの手の甲が光って、何かの文様が浮かんできた。
「あ! キンコーンって音がした。とーろくかんりょーだって~」
莉子ちゃんの言葉にホッとした。
「これは......5種類選べたということなのかしら」
桐島博士は困惑気味だ。でも、シイタケ大好きな莉子ちゃんはニコニコだ。
「登録完了ならそうなのでしょうね。さぁ、次は悠真くんだね」
悠真くんは、自分で目の前に食材の写真を並べる。
「ママ、僕もできる!」
「悠真、最初は、なんていうのかしら?」
「食品!」
悠真くんも元気よく叫んで、一つずつ指を差しながら続けた。
「米!」「塩!」「小麦粉!」「砂糖!」「小豆!」
5個を言い終わると、悠真くんが桐島博士に抱きつく。
「とうろくかんりょー! できたー!!」
笑顔で報告する悠真くんの手の甲も文様が光っていた。
「よし、早く我々も登録しましょう」
俺は急いで「エネルギー!」と叫んだ。
何かのスイッチが入るような、歯車がハマったような、かすかな「カチッ」という音が頭の中に響いた。
「ガソリン!」「軽油!」「灯油!」「カセットガス!」「電解液!」
5つを言い終わった後、頭の中でキンコーンという音が響いた。続いて、機械音の「トウロクカンリョウ」という声が聞こえて、カウントダウンが止まった。手の甲を見ると、俺にも文様が浮かんでいた。触っても消えない。痛くも痒くもない。前世でセクハラ教授の手の甲にも浮かんでいた覚えがある。ということは、これは複数選択者の印のようだ。
「できました。大分類から具体的な品目の順で間違っていないようです」
田村さんが続いた。緊張した顔で印刷した資料を見ている。
「銃火器だ!」
「RDX爆薬!」「グロック19!」「9mmパラベラム弾!」「レミントンM870!」「12ゲージ散弾!」
次は桐島博士の番だ。
「医薬品をお願いします」
「輸血用血液O型」「モルヒネ」「全身麻酔薬」「免疫グロブリン」「培養細胞株」
陽菜乃ちゃんが少し緊張しながら続いた。
「特殊電子機器~!」
「パッシブレーダー受信機!」「AIS受信機!」「RF信号ジャマー!」「隠しカメラ検出器!」「ソフトウェア無線機!」
最後にレオさんが冷静に発言した。
「化学物質を」
「アンモニア」「硫酸」「過酸化水素」「グリセリン」「水酸化ナトリウム」
全員の登録が無事に終わったようだ。
会議室に静寂が戻る。全員の手の甲には、淡く光る文様が浮かんでいた。
「たぶんですけど、この光っている文様は複数選択ができた人にだけ出るんだと思います」
俺は説明した。莉子ちゃんと悠真くんは、どっちの文様がピカピカしているかという、かわいらしいケンカを小声で始めた。
その微笑ましい光景を見ながら、俺は深く息を吐いた。第一段階は成功だ。明日、実際に物質化が可能かどうか確認する必要があるが、とりあえず全員が能力を獲得できたようだ。
6時10分に「明日カラ......能力......使用可能」とだけ再度、頭の中に響き、物質化能力の登録は終了した。
田村さんが、首をひねりながら呟く。
「なんか、つられて大声で叫んじまったけど、これって心の中で言っても大丈夫って言ってたよな? 神崎君」
「あ......前世では、心の中で決めたヤツもちゃんと物質化できてました」
「え! ちょっと、しっかりしてよ魔王様~! みんな真似して叫んじゃったじゃん~あはは」
子供たちにつられて、みんな大声で叫んだことを思い出し、緊張から解放された俺たちはしばらく笑い続けた。
「陽菜乃ちゃん、世界の様子は?」
俺が聞くと、陽菜乃ちゃんが急いでタブレットを起動する。
「うわあ、すごいことになってる! 最後の報告は東アジアやオーストラリアからで、他にもいろんな書き込みがあるよ」
壁のディスプレイには、次々と投稿が流れ始めた。
『スイス37人コミュニティ、全員登録完了! 自給自足の目処がたっているため、医薬品重視で成功』
『中国300人、バランス型分担で全員成功。素晴らしいチームワークを発揮できた。信じて良かった』
『ドイツ技術者集団120人。100人で基礎物資を分担し、残りの20人は工業系重視で登録完了』
『オーストラリア農場45人、食料・燃料重視で成功。早速、明日から農場再開予定』
『アメリカ大学研究チーム、科学的検証予定。とりあえず登録完了』
『うちの娘の手の甲に不思議な模様が光り始めました。神への感謝の祈りを続けます』
『私は色々考えていたら、途中でカチッて音がして模様が光り始めました。添付写真参照してね』
「みんな成功してるんだな。よかったよ」
田村さんが安堵の表情を浮かべる。
「私たちの情報発信が本当に役に立ったようですね」
レオさんも満足そうだ。
だが、やはりと言うか、まだ信じられない人たちからの投稿もある。
『デマだ。何も起こるわけがない。時間の無駄だ。』
『あれは集団ヒステリーだ。騙されるな』
『登録したら代償を要求されるぞ』
しかし、信じて行動した人たちからは続々と成功報告が届いている。
「ざっと5000人くらいが登録完了の書き込みをしてるね。平均すると1コミュニティ80人ぐらい。書き込んでない登録者も多いと思うから、100万人は計画的に分担登録したんじゃないかな~」
陽菜乃ちゃんが集計結果を報告する。
「十分すぎる数です。その人たちが明日の物質化で証明してくれれば、今後の発信を信じる人が増えるでしょう」
窓の外には、夕暮れの海が広がっている。火山灰で霞んではいるが、うっすらと柔らかいオレンジ色に染まっている。昨日と変わらない風景だ。
しかし、俺たちの世界は確実に変わった。
明日はついに、実際の物質化を試すことになる。本当に複数選択の能力が機能するのか、俺たちの準備は正しかったのか。
すべての答えが明らかになる。
みんなで、1台のタブレットを覗き込んでいるのが見える。悠真くんがふくれっ面で莉子ちゃんを叩こうとして、笑っているみんなに止められている。
この素晴らしい仲間と一緒にいられることが、物質化能力より大切なことだと、俺は長い一日で知ったのだった。