1-25 長い一日(前半)
大災害から8日目の早朝5時。
俺は深い眠りから突然引き戻された。
「神崎君! 起きろ! 海外から物質化の報告が来てるぞ!」
ドアを激しく叩く音と共に、田村さんの興奮した声が響く。
「え......何? 物質化?」
俺は慌ててベッドから飛び起きた。頭がまだぼんやりしているが、田村さんの声の緊迫感で一気に目が覚める。
「早く! 陽菜乃ちゃんにもレオ君にも声はかけた」
俺は急いで服を着て部屋を出た。廊下では田村さんが待っていて、一緒に大会議室へ向かう。
「まさか、もう始まったってことですか?」
「どうやらそうらしい。俺もさっき起きてサイトの書き込みに気付いたんだ」
会議室に入ると、陽菜乃ちゃんがタブレットとノートPCを複数並べて、次々と情報をチェックしていた。画面には世界地図が表示され、各地からの投稿が流れている。
「神崎さん! すごいことになってる! アメリカ西部とハワイで始まったみたい!」
陽菜乃ちゃんが手を動かしながら興奮して報告する。
『ロサンゼルス、物質化アナウンス確認! 登録完了!』
『ハワイ、朝のビーチで神秘的な体験をしました』
『サンフランシスコ、我々のコミュニティ45人全員成功!』
レオさんも、駆けつけてきた。
「時差を考えると、向こうは昨日の午前中ですね」
レオさんがノートPCを開きながら言う。
陽菜乃ちゃんが報告があった地域を世界地図上に赤いマークを入れてくれ、地域の偏りがハッキリとわかるようになった。
「うわ~キレイに西経180度から120度の間じゃん。日本時間の午前3時にアナウンスがあったみたいだよ~」
「興味深いですね。地球を複数の地域に分けて、段階的に能力付与を行っていくということでしょうか?」
俺は焦っていた。
「待ってください。前世の海外の情報はわからないけど、正午だったのは確かです。この経度60度ずつの分割だと、正午に日本が入るとは思えないのですが……」
「確かに、6分割で日本が正午になるなら、9時間後に東から西へ地域が移動するか、1時間半後に西から東へ移動するかになります。ですが、4時半の報告は入っていませんね」
レオさんが素早くに計算してくれる。
「様子を見るしかないな。桐島博士たちには、7時を過ぎてから声をかけよう。子供たちを起こすのはかわいそうだ」
田村さんは、世界地図を睨んでいた。
朝6時。
「きた! 第2段だよ!」
陽菜乃ちゃんが新しい報告を読み上げる。
『デンバー、アナウンスキャッチ! ロッキー山脈のコミュニティで成功!』
『メキシコシティ、神の声を聞きました』
『ニューヨーク、高層ビル上部生き残り組で歴史的瞬間を目撃』
『マイアミ、荒れ果てたビーチリゾートで全員登録完了』
「西経120度から60度の地域になったね~この辺は人が多いみたい」
陽菜乃ちゃんが地図を更新する。
やはり時間が合わない。今世は正午じゃないということなのか。
レオさん情報で、魔物を倒すと物質化の容量が増えるというのも、前世では無かった。フォッサマグナの地溝もそうだ。二日目はまだスマホが使えて、各地のSNSをのんきに友人の山田たちと見ていた頃だ。あんな大きな地溝の情報を見落とすわけがない。前世と今世で違いが出ている。それが致命的にならないだろうか。不安が足元から忍び寄ってくる。
朝9時。
「第3段! 今度は南米東部!」
ブラジル、アイスランド、そしてロンドンより西のイギリス。
「この規則性からいくと、私たちは午後6時になりそうですね」
レオさんが、入ってきた桐島博士たちに飲み物を渡しながらも、冷静な意見を言う。
状況を知った桐島博士が、不思議そうに尋ねる。
「神崎さんの記憶では正午だったんですよね?」
「ええ、確かに昼の12時でした。いったい、どうなっているのか……」
正午12時。
会議室には少し緊張した空気が流れる。俺たちは時計を見つめていた。
「12時になったぞ」
田村さんが呟く。
しかし、何も起こらない。頭の中で何も響かない。
「やはり、何も聞こえないな」
「第4段の報告は?」
陽菜乃ちゃんがタブレットを確認する。
「んっと、午前4時のパリ、ナイル川、トルコ、ドイツ、中東も北欧も。ここのグループはこのサイトのおかげで寝ずに備えることができたって感謝してる人が多いよ」
「子供を寝せないように、皆さん苦労されたみたいですね。苦労自慢のスレッドが立ちました」
「ヨーロッパとアフリカ、中東......」
12時なのに、何故、始まらないのか。俺の記憶がおかしいのだろうか? これから、魔物もウイルスも広がるのに記憶が違ってたらどうしたらいいのだろう。みんなの書き込みを読もうとしても目が滑って読めない。
指先は震え始めていた。
だって、俺には責任がある。
みんなをここに連れてきたのは俺だ。
これからの展開を偉そうに断言していたくせに、大事な物質化の情報が間違っているなんて……
俺はじっとしていられずに立ち上がる。
「俺、あの、ちょっと、外を見回ってきます」
「まぁまぁ、落ち着いてください、神崎君」
レオさんが、俺の肩に手をかけて穏やかに椅子に座らせる。
「日本はきっと18時ですよ。もし違ってても、私たちには神崎君のおかげで十分な備蓄があります。例え燃料が物質化できなくても、ソーラーと風力発電で省エネ生活すればいいだけですよ」
「うんうん、そうだよ~! 今が贅沢すぎるんだって、えへへ」
「そうですよ。医療品が足りなくても、みんながケガと病気に気を付ければいいだけです」
「桐島博士それはちょっと……だが武器だって、銃火器なんざなくても何とでもなる。ちゃんと考えてるから安心してくれ」
みんなが温かい声をかけてくれる。
レオさんが、温かい飲み物を入れてくれた。
「はい、鎮静効果があるカモミールティーです。皆さんもお昼ご飯にしましょう」
「あ、私、倉庫でめっちゃ高級そうなレトルトのビーフシチューを見つけたんだ~! 莉子ちゃん、悠真君、一緒に取りに行こう~。ついでにおやつも!」
「行こう~! 莉子ね、ヨーグルトチーズケーキ食べたい~」
「僕はアンコを探す。絶対に見つけるんだ~」
3人が仲良く手を繋いで会議室を出ていく。
俺は、温かいハーブティーをゆっくり飲んだ。
指の震えは止まっていた。
午後3時。
「第5段! うん、やっぱりインド、中央ロシア、東南アジア、中国だね」
「ということは、俺たちは......」
「最後ですね」
レオさんが確信を持って言う。
「次が日本の番でしょう」
17時半過ぎに、一度、コテージに戻っていた桐島博士と子供たちが、再度、会議室に入ってきた。
莉子ちゃんと悠真君は、大事そうに書類を抱えている。
「ふふふ、莉子と悠真の秘密兵器を持ってきました」
桐島博士が双子の手を握りながら言う。
午後6時が近づく。
「皆さん、準備はいいですか?」
俺が確認すると、全員が頷く。それぞれが用意した資料やデータを見返している。
午後5時55分。
「世界中が俺たちを見てるような気がするな」
田村さんが呟く。
「実際、そうかもしれませんね」
レオさんがノートPCを閉じる。
「莉子、悠真、大丈夫?」
桐島博士が優しく声をかける。
「うん! ママと練習したから大丈夫!」
「僕も覚えてるよ。ミニカーって言っちゃダメなんだよね~」
子供たちの無邪気な返事に、俺たちは少し肩の力が抜けた。いつも、彼らの純真さが、俺たちに明るい未来を見せてくれる。
午後5時58分。
桐島博士が深呼吸をする音が聞こえた。陽菜乃ちゃんがタブレットを伏せる。田村さんが背筋を正して拳を握りしめる。
午後5時59分。
会議室が静寂に包まれる。時計の秒針の音だけが、規則正しく時を刻んでいる。
カチ、カチ、カチ......
全員が時計を見つめている。運命の瞬間まで、あと数十秒。
そして午後6時。
突然、頭の中に機械的な声が響いた。
『全人類ヨ......注目セヨ......』
長すぎるので分割しました。
すぐに続きを投稿します。