1-24 前世からの宿題
大災害から7日目の朝。
大会議室は明るい雰囲気に包まれていた。
「神崎さん、すごいよ! 世界中から感謝のメッセージが届いてる!」
陽菜乃ちゃんがタブレットを見ながら興奮して報告する。
「昨夜から今朝にかけて、準備完了の報告がどんどん増えてるんだ。アクセス数も2万を超えてる!」
レオさんがコーヒーを淹れながら穏やかに言う。
「世界各地のコミュニティが、懐疑的ながらも具体的な行動を始めているようですね。素晴らしい成果です」
田村さんも上機嫌だった。
「例のサバゲーガチ勢の知り合いと連絡がとれたんだ。ステラネットのアンテナを背負って、やっと自家発電できる避難所にたどり着いたってさ。『田村の教えてくれたサイト、マジでウケるな』って言うから、騙されたと思って役割分担しとけって言っといたぜ」
なるほど。災害前に1000万人が衛星通信の契約をしていても、生き残って、さらにアンテナ設備や電力が使える環境にいる生存者は10万人もいないかもしれないな。
桐島博士が子供たちと一緒に会議室に入ってくる。
「おはようございます。莉子も悠真も、お勉強前に皆さんに挨拶したいんですって」
「「おはようございまーす!」」
「ねぇねぇ、みんなで世界を助けてるんでしょ? すごいねー!」
莉子ちゃんの無邪気な言葉に、顔がほころぶ。
「じゃあ、みんな元気になるね~。僕もここに来てからずっとママと一緒で楽しいもん!」
俺は笑顔の悠真君の頭を撫でながら、心の奥では複雑な思いがあった。
子供たちが、会議室から出て行った後、俺は話を切り出した。
「皆さん、今日は追加で情報を発信したいと思います。でも、昨日とは少し違うアプローチです」
みんなが注目する。
「いよいよ明日、物質化能力付与のアナウンスが流れます。物質化能力は、望んだものが手に入る、一見、素晴らしい恩恵に見えると思います。ですが、それは厄災にもなります。俺の前世の経験を聞いてください」
俺は前世の記憶を詳しく話し始めた。今まで災害の話はしてきたが、大学での悲惨な避難生活の話は詳しくし話してなかったので、みんなは真剣に聞いてくれた。
「最初はみんなで協力していました。『米を選ぶやつ、水を選ぶやつ、肉を選ぶやつ、分担しようぜ』って感じで、同じ教室にいた20人ほどで食料の分担を決めたんです」
「素晴らしい判断力ですね」
レオさんが感心する。
「ですが、魔物が現れるようになると、すべてが変わりました」
俺は暴力的な後輩チームのことを話した。体格のいい運動部の学生が中心で、日本刀を物質化して魔物を倒し、その後は暴力で支配体制を築いた話。
「彼らは最初、『魔物から皆を守る』という大義名分を掲げていました。確かに魔物を倒してくれるし、頼もしく見えたんです。でも、日本刀という武器を持った人間が絶対的な権力を握ると、それ以外の一般人は徐々に奴隷扱いされるようになりました」
田村さんが表情を曇らせる。
「そいつは……ひでぇ話だな」
「俺のような人間は、休みなく見回りをさせられ、魔物の囮として使われ、鬱憤晴らしに殴られたりもしました。文句を言えば『じゃあ、自分で魔物を狩ってみろ』と言われて、反論できない。奴らは武器を独占し、決してみんなと分け合おうとはしませんでした。そして、武器を持たない者に発言権はありませんでした」
「食料の配給でも差別が始まりました。『米野郎は最後だ』と言われて、最後尾に追いやられる。文句を言えば、次の日は配給をもらえない。食料の物質化は必ず監視の下でさせられ、全て奴らに取り上げられました」
桐島博士が震え声で呟く。
「そんな……同じ学生同士でそこまで残酷になるなんて」
「避難所のヒエラルキーを決めたのは、武器だけじゃありません。アルコールを物質化に選んだ教授がいました。セクハラで有名だったその教授は、酒の独占供給で奴らに気に入られて、次第に権力を持ち……女子学生を好きに玩具にするようになったんです」
陽菜乃ちゃんが低い声を出す。
「エロオヤジ、最っ低……」
俺は、拳を握りしめた。
「仲間が一人ずつ死んでいきました。人間性なんてものは、あっという間に消え失せました。最初は正義感を持って行動していた人たちも、次第に諦めるか、支配者側に取り入るようになっていきました」
田村さんも両手を握りしめている。
「戦場では聞く話だが、まさか食料が十分にある避難所でそんな状態になるとは……」
「最後は、日本刀よりもっと強い武器を持った武装集団に、遊び半分で皆殺しにされました。俺もその時に死んだんです。凄惨な弱肉強食の世界でした」
会議室は重い沈黙に包まれた。
田村さんが立ち上がった。
「神崎君、俺は絶対にそんなことはしない。約束する」
「私も、恩を仇で返すような真似はしませんよ」
レオさんも真剣な表情で頷く。
「ありがとうございます。でも、俺が言いたいのは個人の問題ではないんです」
俺は全員を見回した。
「力の差が生まれると、必ず支配構造が生まれる。これは人間の本能的な部分です。有名な『スタンフォード監獄実験』をご存じですか?」
「20世紀に、普通の大学生たちを、くじ引きで『看守役』と『囚人役』に分けて観察した実験ですね。看守役の学生たちが、囚人役の学生たちに対して、暴力的な支配をエスカレートさせていき、6日で中止になった有名な心理学実験です」
桐島博士がわかりやすく説明してくれた。
「その実験は、『人は立場や環境によって、簡単に残酷になれる』という結論でした。俺は、死に戻ってからの2年間、ずっと前世の避難生活のことを考え続けてきました。色々と調べる中で、『どうしてこんな目に遭うんだ』って嘆くだけで傍観していた俺も加害者だったと気付きました。これは俺の前世からの宿題でした」
「前世からの宿題……」
レオさんが呟く。
「死に戻ってから目にした、いじめ、パワハラ、忖度、SNSでの集団叩き。どれも根っこは同じで、監獄実験のような役割の支配や、同調圧力、傍観者効果みたいな、本人が意識していない集団心理が大きく働いていると思いました」
田村さんが、座り込んで呟く。
「つまり『俺は絶対にそんなことはしない』という言葉じゃ……」
「そうですね。田村さんの言葉に嘘がないことはわかります。でも、その考え自体は危ういと思います。状況によって『絶対にしない』とは限りません。自分の判断に自信を持ちすぎるのは良い面と悪い面があります」
「だよなぁ……」
「俺が考え抜いて出した答えは、『常に自分を疑い続ける』ということです。自分も状況によっては危険な心理状態になるかもしれないと認めたうえで、自分を観察し続けることが大事だと思います。渦中にいると、なかなか難しいでしょうけど」
「なるほど。シンプルですが、本質的な抵抗ですね」
レオさんが何度も頷く。
陽菜乃ちゃんが、手元のキーボードを見つめたまま話し出した。
「私ね、小5で東京から引っ越してきて、こっちの方言に馴染めなくて、何がきっかけかわかんないけどボス女子に目をつけられて、イジメが始まったんだよね。でもさぁ、たまに話すと一人一人はいい子だったりするから、なんか、それが余計に苦しかったんだよね。だって、委員会では仲良くおしゃべりしたのに、教室に入ったとたん無視しだすんだよ? 不登校になって、ネットの世界に潜り込んで、やっと息するのがラクになった。今は、もう何とも思ってないし、今なら10倍返ししちゃうけどね~」
顔をあげて、にっこり笑う。それは、乗り越えてきた自信に満ちた笑顔だった。
「それも有効な方法だと思います。視点を増やすのは、状況の打破には効果的です。いわゆる『外の空気』に触れることです。集団から離れると目が覚めることがありますから」
「なるほどな。つまり、物質化付与が歪んだ集団心理のきっかけになるってことか。恩恵になるか厄災になるかは自分たち次第だと」
「そうです。今日で災害から7日。避難している人々は、外部の助けがなくて、手持ちの食料が乏しくなって疲れているはずです。そこに急に余裕や武力が生まれると、トラブらない方がおかしい。物質化は巧妙な罠と考えても間違いじゃないと思います」
誰ともなく、ため息が会議室に広がった。
「とりあえず我々のチーム内の対策としては、『武力の分散』と『意見をいいやすい空気の維持』をみんなで心がけたいと思います。俺が独善的になっている時は、遠慮せずに指摘してくださいね」
「そうすれば、誰か一人が権力を握ることはできませんね」
レオさんが理解してくれる。
「では、今日中に集団心理の危険性を警告するコンテンツを作成したいと思います」
すぐに、俺たちは作業に取りかかった。
桐島博士が心理学実験を、田村さんが歴史的事例を洗い出す。俺は前世の体験をベースに注意点を考えた。レオさんが全体構成を作ってくれて、陽菜乃ちゃんはAIアリスに何かを作らせている。
夕方、再び会議室に集まった時には、新しいページが完成していた。
『【警告】災害時の集団心理と権力構造の危険性』
『◆心理学的根拠:
スタンフォード監獄実験(1971年):普通の学生が看守役で残酷に変貌
ミルグラム服従実験(1961年):権威への盲目的服従の危険性
アッシュ同調実験(1951年):集団圧力による判断力の歪み
傍観者効果:集団になると個人の責任感が希薄化』
『◆歴史的事例:
ルワンダ大虐殺:隣人同士が殺し合う集団心理
ナチス政権下:一般市民の段階的な価値観変化
カルト集団:閉鎖環境での支配構造の形成
文化大革命:集団的熱狂による理性の麻痺』
『◆災害時の危険なパターン:
武器独占による支配:「守ってやる」という名目での権力掌握
食料配給権の独占:生殺与奪権を握ることで絶対的支配を確立
情報の独占:物質化の詳細や外部情報を一部の人間が囲い込み
段階的なエスカレート:最初は小さな特権から始まり徐々に拡大』
『◆対策(コミュニティ運営の原則):
権力の分散:武器・食料・情報を複数人で分担管理
透明性の確保:すべての決定過程を公開・記録
相互監視体制:権力集中の兆候を早期発見する仕組み
定期的な役割交代:固定化を防ぎ、権力の蓄積を阻止
外部視点の維持:第三者による定期的な評価』
『個人レベルでの心構え:
「自分は大丈夫」と思わない:状況は人を変える
常に自分を疑う:自分の判断や動機を客観視
異論を尊重する:反対意見を封じ込めない
段階的変化に警戒:小さな変化の積み重ねに注意』
そして、最後にいくつかの4コマ漫画。
「アリスが作った四コマ漫画も載せたよ〜」
陽菜乃ちゃんがタブレットを操作しながら嬉しそうに言う。
「子猫が主人公の可愛い絵柄なんだけど、ちゃんと教訓も込めてあるの。例えば、『みんなで決めようね』っていうタイトルで、魚大臣になりたがった子猫が一人で魚を独り占めしたら、狼に襲われちゃって、最後はみんなで協力して狼をやっつけて魚はちゃんと分け合うの」
2コマ目のえらそうな子猫は、「フハハ!俺様が魚大臣になって全部管理してやろう!」とドヤ顔している。背景にバラの花とキラキラエフェクトまである。コミカルなシーンもあることで、教訓が説教臭くない。
「他にも『強い子猫の勘違い』とか『秘密はダメダメ』とか、全部で6本作ったんだ〜。子供向けっぽく見えるけど、大人が読んでも『あー、確かにそうだよね』って思える内容にしたつもり。ちゃんとレオさんにチェックしてもらったよ。だって、硬い心理学の話だけじゃ読んでもらえないかもしれないけど、可愛い漫画があれば子供も大人も見てくれるでしょ? で、なんとなく頭に残ってくれたらいいなって思うんだ」
陽菜乃ちゃんもアリスもすごい。もちろん、科学的根拠がある警告は必要だ。でも、まずは読もうかなと目を留めてもらうのが大事だ。
「よし、公開するよ~!」
陽菜乃ちゃんがエンターキーを押す。
今日の反応は、昨日よりもはるかに激しく早かった。
『これは根拠がしっかりしてる。物質化より信憑性が高いな』(中国語)
『心理学の実験結果は説得力がある』(ドイツ語)
『歴史的教訓は、常に我々に語りかける』(フランス語)
『権力の分散、透明性の確保を徹底します』(スペイン語)
『学術的根拠があるのでコミュニティのリーダーを説得できました』(日本語)
『昨日の物質化はクレイジーだが、今日の警告はクールだ!』(英語)
もちろん、一部の反発もあった。
『人間不信を煽りすぎ』
『過度な警戒は協力を阻害する』
『優秀な人間が決定権を持つ方がトラブルが少ない』
だが、建設的な議論が多く生まれていた。
『我々は輪番制のリーダーシップを採用することにした』
『武器の管理は複数人で行い、定期的に担当者を変更する』
『透明性確保のため、全ての物資を記録・公開する』
『4コマ漫画を印刷して、避難所の子供たちに読ませます』
『個人の心構えを写して、壁に貼ります』
「昨日より反応がすげぇな」
田村さんが感心している。
「根拠がしっかりしていると、公的な集団でも採用してもらいやすいですね」
レオさんも満足そうだ。
彼は、個人的なネットワークを使って、世界各国の研究者、ジャーナリスト、政府関係者に情報を送ってくれていた。昨日の物質化能力の時は「半分は無視、3割は懐疑的、残り2割は『念のため準備する』という感じでした」と苦笑していたが、今日の集団心理に関する警告は、反応が良いようだ。
桐島博士は、4コマ漫画を印刷して、子供たちに塗り絵をさせていた。
「母の日前のスーパーみたいに、塗り絵投稿ページもありかも~」と、陽菜乃ちゃんが博士に話しかけていた。
夜が更けると、アクセス数はさらに増加し、3万を超えていた。
「神崎さん、これで前世の宿題の一歩目は完了だね~あはは」
陽菜乃ちゃんがあっけらかんと笑う。
いよいよ明日は、物質化能力のアナウンスだ。
すみません。ちょっと長くなりました。汗




