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1-21【閑話】お悩み相談会その1

 大災害から5日目の朝。


「それでは、皆さんの健康診断を始めますね」


 桐島博士が医務室に簡易検査キットを丁寧に並べながら言った。尿検査試験紙、血圧計、体温計、パルスオキシメーター、そして簡易血液検査キット。心電図や胸部レントゲンを撮る設備も完備されている。


「神崎さんが準備されていた医療用品で、一通りの簡易検査ができます。離島という環境ですし、これからは2ヶ月に1回程度は診察させていただきますね」


 博士は一人ずつ丁寧に検査を進めていく。


 *


「田村さん、血圧は正常値ですね。血液検査も問題ありません。何かお困りのことはありますか?」


「実は昔、左足の膝を痛めたことがあって……たまに違和感があるんです」


「では、確認させていただきますね」


 桐島博士が医療用手袋をはめて、田村の膝をズボンの上から丁寧に触診し始める。


 田村の頬が微かに赤くなる。普段は男ばかりの環境で、こんなに近距離で女性に触れられることなど滅多にない。博士の手つきは完全に医療従事者のそれだが、田村の心臓は少し早鐘を打っていた。


(うわ、女性に触られてる……いい匂いだ。ちょっと待て、よく考えたら密室に女性と二人きりだぞ。いかん、落ち着け、悪名高いL85A1のメンテ手順を思い出すんだ。目の前にあるのは鉄と樹脂の塊だ。まず、弾倉(煩悩)を外すんだ)


 一方、桐島博士の頭の中は完全に研究者モードだった。


(ウイルスと違って、本人が状態を自己申告してくれるから便利ね。田村さんは、いつも明るい態度でチームの雰囲気をよくしてくださるわ。「感染力は高いけど弱毒性」タイプのウイルスみたいなものね。日和見感染だけ注意しておけば大丈夫)


「関節の可動域は良好ですが、軽い炎症の兆候がありますね。違和感がある時は、関節が冷えないようにサポーターを着用することをお勧めします」


「あ、はい……確かに、朝方、違和感を感じることが多いです」


 田村は顔を赤くしたまま返事をする。


「あら、少し顔が赤いかしら。発熱の自覚症状はないですか?」


「ないです、ないです、大丈夫です、失礼します!」


 田村は急いで診察室を後にした。


 *


「レオさんは……」


 博士が検査結果を確認しながら微笑む。


「全ての数値が理想的ですね。これだけ全てが標準値なのも珍しいくらいです。何かお困りのことはありますか?」


「特にありませんね」


 レオは穏やかに答える。内心では、あまりにも完璧すぎる検査結果に少し物足りなさを感じていた。


(次の検診までに、何か面白い相談でも作ってみようか。扁平足なんてどうだろう。いや、冷静な彼女のことだ。「土踏まずがないですね」と淡々と記録されるだけだな)


 桐島博士はレオの体格を観察しながら考えていた。


(骨格も標本にしたいような美しさだわ。でもウイルスの場合、こういう標準的なタイプが変異すると逆に怖いのよね。完璧すぎる免疫システムが暴走する可能性もありそうだわ)


「この調子で健康管理を続けてください。模範的な数値です」


 お互いの内心は知らずに、穏やかに微笑む二人だった。


 *


「神崎さんは……」


 博士の表情が少し心配そうになる。


 神崎はビクビクしながら椅子に座っていた。カップ麺とコンビニ弁当ばかりの食生活を怒られるに違いない。きっと説教が始まるだろう。教師と母親は、怒らせると説教が長いのだ。


「血圧がやや高めで、胃腸の調子が良くないようですね。ストレスの影響だと思われます」


「そうですよね……すみません、食生活がちょっと……気を付けます」


 神崎は緊張しながら謝罪していたが、桐島博士は全く違うことを考えていた。


(神崎さんって、この年齢でこれだけ多岐にわたる準備を成し遂げるなんて、どういう思考プロセスなのかしら。常に変異し続ける新型ウイルスみたいなものかしら。こちらの免疫(対応力)も強化して追いつかないといけないわね)


「無理もありません。これだけの責任を一人で背負ってらっしゃったんですから。でも、これからは、みんなで助け合いましょう。一人で抱え込まないでくださいね。それから、規則正しい食事と十分な休息を心がけてくださいね」


 神崎は拍子抜けした。怒られるどころか、優しく労われてしまった。


(じゃあ、お昼はカップ麺のカレーうどんにしよう。冷凍いなり寿司もあったよな? 炭水化物on炭水化物だけど……まぁいっか)


 テストの直前には「次こそちゃんと計画的に試験勉強しよう」と反省するが、終わった瞬間、遊びの計画しか立てないタイプの神崎だった。そして、問題の最後の一文を読み飛ばしてミスするタイプでもあった。


 *


「陽菜乃さんは……血液検査の結果、少し貧血気味ですね」


「え、貧血? なんともないけどな~」


 陽菜乃は桐島博士を見上げながら答える。内心では、こんなママがいたらよかったなあ、と憧れの気持ちでいっぱいだった。


(ご家庭がネグレクト気味だったみたいだから、とにかく感情を受け止めてあげないと。この子は脂質二重膜エンベロープ付きのウイルスみたいだわ。膜に包まれて今は強く見えるけれど、繊細な膜が剝がれたら脆いはず。そっと見守ってあげなきゃ)


 桐島博士は陽菜乃の境遇を察して、独特な人間観察を続けていた。


「軽度ですが、鉄分不足のようです。成長期の女性にはよくあることですが、この環境では、意識して栄養バランスに気を付ける必要があります。鉄分の多い食材を摂るように心掛けましょう。鉄分サプリも併用しますが、胃に負担をかけないよう食後に服用してくださいね」


「わかった~! ありがとう、桐島ママ!」


 陽菜乃は嬉しそうに返事をする。今は亡き実母にこんな風に気遣ってもらったことは、ほとんどなかった。そもそも実母は、会話が成り立たないタイプだった。桐島博士のために、アリスを早く成長させて、画像診断や疾病リスク予想できるようにしようと決心する陽菜乃だった。


 *


「莉子、悠真、二人ともとても元気よ」


 博士が優しく声をかける。


「「はーい!」」


 二人が元気よく返事をする。


「身長も体重も、年齢相応に成長してるし、何も問題ないわ。この調子で、好き嫌いせずに元気に過ごしてちょうだいね」


「ママ、莉子、お野菜もちゃんと食べてるでしょ?」


「僕もちゃんと食べてるよ~! だって納豆ないもん」


「あら、そう言えば、納豆菌はあったわね。免疫力アップにもいいし、神崎さんに、納豆づくりを相談してみようかしら」


 悠真は、口を押えて涙目でフルフルと顔をふっている。マイペースでのんびりしているが、莉子と張り合うと墓穴を掘ることが多い悠真であった。

横で幼い弟を見るような温かい目で、双子の莉子から見られていることには気付かなかった。






「皆さん、全体的には良好な健康状態です。何か気になることがあれば、遠慮なく相談してくださいね。それから、申し訳ないけど歯科治療はできません。虫歯にはくれぐれも気を付けてください」


 数人の虫歯経験者が頬を押さえた。


「では、2か月後に、またよろしくお願いしますね」


「「「「ありがとうございました!」」」」


 博士の丁寧な診察に、チーム全員が安心感を覚えた朝だった。博士の人間観察は、知らぬが花である。



本日は、もう1話、閑話を更新します。

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