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1-20 平和な島の朝

 大災害から4日目の朝。


 俺は6時に起床し、軽く身体を動かそうと娯楽棟のジムに向かった。

 設備は完璧で、トレッドミル、ベンチプレス、ダンベルなど一通り揃っている。


「おはよう」


 ジムのドアを開けると、田村さんが汗を流しながら声をかけてくる。シャツを脱いだ上半身は、筋肉質で引き締まった体つきだった。


「早いですね、田村さん」


「習慣なんだよ。建設現場は準備だなんだで朝が早いから。それにこの状況だし、体力維持はしねぇとな」


 確かにその通りだ。これから魔物との戦いも控えているし、体力は生死を分ける要素になる。

 俺が何から始めようかと迷っていたら、田村さんが声をかけてきた。


「よかったら、筋トレの指導をしようか?」


「え、いいんですか? ぜひ、お願いします!」


 大災害までに、魔物と戦える身体を作ろうと考えていた時期もあったが、備蓄や施設計画やその他いろいろな忙しさにかまけて、筋トレすらほとんどしていなかった。さらにここ数カ月は、拳銃が手に入るからと完全に怠けていた。


 田村さんは親切に基本的なフォームから教えてくれた。


「ベンチプレスは、こうやって肩甲骨を寄せて……足はしっかり地面につけるんだ」

「腹筋は、反動を使わずにゆっくりと……息を吐きながら上げて、吸いながら戻す」


 30分ほど丁寧な指導を受けながら、俺は疑問に思っていたことを尋ねた。


「最初に説明したように、物質化って触れたことがあるような具体的に知っているもの限定なんですよ。田村さんは銃火器に触れたことはあるんですか?」


 田村さんが笑いながら答える。


「仲間とアメリカや東欧のミリタリーツアーに参加して、実弾射撃の経験があるんだ。爆弾も触ってるから物質化できるぜ?」


「それは頼もしいですね。そんなにお好きなら、自衛隊に入ろうと思わなかったんですか?」


 田村さんの表情がほんの少しだけ曇った。


「俺は入りたかったんだけど、家業の後継者だったから諦めたんだよ。まぁ結局、後継者にもなれなかったけどな」


 何か複雑な事情があるんだろうと察して、話を変えた。


「ありがとうございました。パーソナルトレーニングみたいで、得した気分です。おかげで正しいフォームを覚えられたし、俺も田村さんみたいな引き締まった身体を目指しますね!」


 田村さんの表情が明るくなった。


「ひと段落したら、外のBBQ広場で宴会をしたいですね。ここの工事中も、よくBBQ大会をやってたんですよ。子供たちは焼きマシュマロなんて喜んでくれそうじゃないですか?」


「神崎君、それいいな! 俺、アウトドア料理は得意なんだ。燻製を作ろうぜ。焚火で炙ったチーズも旨いんだよな」


 ご機嫌の田村さんとはジムで別れた。これからマスクとゴーグルを付けて森林を一周走ってくるらしい。昨日の午後、森林の中の道路までは火山灰の清掃をしたけど、まだ道以外の部分には、火山灰が残っている。それに森林の外周道路は8kmあるんだけど……体力どうなってるんだろう。






 ジムを出て温室へ向かう途中、ちょうど、朝からあちこち撮影しているレオさんや、カートに乗って散歩している桐島親子に出会った。


「おはようございます」

「「おはよー!!」」

「おはようございます。いい朝ですね」


 レオさんは撮影を中断して、爽やかに挨拶してくれる。マスクをしていても、どこか雑誌のモデルのような独特の雰囲気がある。イケメンなだけではなく、小顔でスタイルがいい。腰や膝の位置が、根本的に日本人とは違うのだ。正直に羨ましい。


「レオさん、桐島博士、これから温室の確認に行くところです。一緒にどうですか?」


「ぜひ、ご一緒させてください」


「「行きたーい!!」」


 みんなでのんびりと温室へ向かった。


 朝の空気は澄んでいて、鳥のさえずりが響いている。火山灰の影響で空は霞んでいるが、少し灰色がかった島の自然も美しかった。




「これは立派な施設ですね」


 桐島博士が見渡して感心している。昨日は、車の中からしか案内していなかった。

 温室のガラス屋根にも火山灰が積もっているから、早めに高圧洗浄できれいにしておきたいところだ。田村さんに相談してみよう。


「ここは、観光の目玉にすると言って作ってもらったんですよ。本当は災害後にハウス栽培するためなんですけどね。ははは」


「もう、何を聞いても驚かないわ。ふふふ」


 桐島博士は、笑うと少し幼いかわいらしい顔になるようだ。


「あっちのエリアがハーブガーデンで、向こうの方に水耕栽培エリアがあります。奥の方には果樹園エリアも。サクランボがそろそろ収穫できるかもしれません」


「私、サクランボ大好き! ママ、見てくるね~」


 元気に莉子ちゃんが走っていく。さくらんぼは、暖地桜桃という初心者向きで人工受粉が不要なものを植樹してもらった。できるだけ手間がかからないものを選んで、この温室を作っている。


「これだけ大規模な温室だと、管理も電気代も大変じゃないですか?」


 レオさんが、撮影しながら質問してくる。


「ここは、太陽光や地中熱、自然換気や雨水などを利用して効率化を徹底しています。大型のわりに、かなり省エネなんですよ。まだ、全体の30%くらいしか稼働させていません。これから水耕栽培や土耕栽培エリアを拡大していく予定です」


「新鮮なサラダを、早くあの子たちに食べさせたいですね。この状況で贅沢だけど、ビタミン剤じゃ食育はできないわ。神崎さん、落ち着いたら田植えや稲刈りも経験させたいので、少し使わせてもらってもいいかしら」


 桐島博士が遠くで飛び跳ねている子供たちを見ながら、珍しく要望を口にした。今まで、あまり意見を主張せず、冷静に全体を俯瞰している感じだったけれど、子供の事になると違うようだ。やはり親は偉大で強い。


「すぐに栽培を始められるように準備済みです。とりあえず、レタス、小松菜、ルッコラ、ミニトマト、キュウリ、ピーマンあたりを作りましょう」


 俺は水耕栽培設備を説明した。水道の元栓を開け、タンクに肥料を溶かした養液を満たす。タイマーをセットして循環や養液を自動供給する準備をした。


「こっちのドリップ方式はトマトやキュウリ、ピーマンなんかの実がなる野菜に適しているらしいです。収穫まで2~3か月かかりますけど、このロックウールの穴に一粒ずつ種を蒔きます」


「あっちの2段になってる方は葉野菜用で、1か月くらいで収穫できるはずです。葉野菜はスポンジ培地の切れ込みに種を1~2粒蒔いて、カバーで覆って発芽させてからパイプの穴にセットします」



 農業資材店のフランチャイズ担当者が、一生懸命に教えてくれた内容を思い出す。彼は、日本の農業を活性化させたいという夢を持っていて、素人の俺が聞く質問に、いつも丁寧に答えてくれた。そして、フットワークが軽く、知り合いのハウス栽培事業者の所にも連れて行ってくれた。果樹も全て彼が選んでくれたものだ。病害虫の対策は、何度も聞かされた。日本中、出張で飛び回っていたからどこかで災害を逃れていたらいいのだが。



「神崎さんは、ほんとに万全の準備をされたのね」


「いえ、俺も実は初めてなんですよ。みんなで種蒔きをしませんか?」


「いいですね。やりましょう。私は動画を撮影しますよ」


 レオさんが賛成してくれる。

 作業を始めると、「サクランボまだだった」としょんぼりして帰ってきた子供たちも張り切ってお手伝いしてくれた。


「莉子がレタスの面倒をみる!」


「僕はトマト!」


 子供たちが元気よく主張する。

 確かトマトは支柱が必要になるし、間引きが必要な野菜もあったはずだ。フランチャイズ担当者からもらった水耕栽培の手引書を、もう一度しっかり読んでおかないといけないな。


 桐島博士は、生活科の勉強のために、朝顔の種蒔きも子供たちとしていた。

 懐かしい。来年はヒマワリかな。


 種蒔きが一段落すると、桐島博士と子供たちは、朝顔の鉢を抱えてコテージの方へ戻っていった。莉子ちゃんが「またね~!」と手を振っている。レオさんも「島内を散歩してきます」と言って、カメラを持ったまま歩いていった。






 もう10時過ぎだ。俺は一人、事務棟に戻って自分のご飯を用意することにした。朝から水分しかとっていない。キッチンで冷蔵庫を開けて材料を確認していると、床を引きずるような足音が聞こえてきた。


「魔王しゃまぁ、おはよ〜」


 現れたのは陽菜乃ちゃんだった。髪は寝癖でぼさぼさ、パジャマ姿でスリッパを引きずっている。目は完全に寝ぼけていて、まっすぐ歩けていない。


「おはよう、陽菜乃ちゃん。徹夜だったの?」


「うん……朝の6時くらいまでアリスと格闘してたぁ……」


 陽菜乃ちゃんがキッチンの椅子にどさりと座り込む。


「何か食べる? 作るよ」


「フレンチトースト食べたいぃ……甘いやつぅ……」


 完全にお疲れモードだ。きっとAIアリスだけじゃなくて、掲示板サイトの管理や便利アプリを作ったりしてくれていたのだろう。俺は冷凍庫から食パンと冷凍フルーツを取り出した。


「材料は冷凍食品ばかりだけど、けっこう美味しくできるから待っててね」


 レンジで半解凍した食パンを、長期保存できるUHTクリームを入れた卵液に漬け込む。生クリームっぽいので濃厚さが出るのだ。フライパンに発酵バターを溶かして、弱火でじっくりと両面を焼く。焼けたパンにグラニュー糖をまぶして、更にトースターで軽く焦げ目をつける。冷凍のミックスベリーとバナナとマンゴーも半解凍して、アイスクリームと一緒に盛り付ける。最後にメープルシロップとクラッシュアーモンドを散らせば完成だ。


 これは、業務用スーパーのフランチャイズの担当者に教えてもらった料理だ。彼は、食材と一緒にカセットコンロやバーナーをいつも車に積んでいて、ササッと美味しいご飯やデザートを作ってくれた。その魔法のような手際に、「じゃあ、そのシロップと冷凍フルーツを5ケース追加しようかな」と呟くと、「こちらをどうぞ」と社印を押すだけになっている注文書をすぐに差し出してくるような有能な人だった。彼なら、どこかに避難していても、毎食、工夫した美味しいご飯を食べていそうな気がする。



「うわぁ、カフェみたい。神崎さんのイメージと違いすぎ! んぐっ。うんま~いぃ! カリっとしてフワッとして幸せぇ~」


 失礼なことを言いながらも、陽菜乃ちゃんの顔は蕩けそうに緩んでいる。


「作業の方はどんな感じ?」


「あのね〜、アリスがすっごい成長したの!」


 陽菜乃ちゃんの目が急に輝いた。疲れていても、好きなことの話になると元気になるタイプだ。


「ここのサーバー環境がめっちゃ良いから、普通なら数ヶ月かかる学習を三日でやっちゃった。自然言語処理が一気に向上して、今までできなかった複雑な検索クエリも理解できるようになったよ!」


「よくわからないけど、なんかすごそうだね」


 俺は自分用の甘さ控えめフレンチトーストをひっくり返しながら相槌を打つ。


「それでね、GPS連動の地図アプリも作ってるの。リアルタイムで位置情報が確認できるやつができそう。もちろんオフラインでも動くよ~」


「地図アプリ?」


「うん! G社の地図アプリとか全部使えなくなっちゃったじゃん? でも無いと不便だからさ。まずは、この島の分だけお試しで作ってるんだ~。工事の時の測量データもサーバーにあったから、建物の位置も道路も、全部正確に表示できてるよ」


 陽菜乃ちゃんがタブレットで画面を見せてくれる。確かに島の地形が細かく表示されていた。3Dモードにすると、ちゃんと高低もわかる。


「これにいろんな機能を追加する予定なんだ~。備蓄管理システムと連動したり、みんなの位置情報を共有したり……サーバーにGmapのデータもちゃんと保存してたから、島の地図がうまく動いたら、世界中の地図も作れるよ~」


「それは便利そうだね。みんなのスマホにもインストールできるの?」


「もちろん! 島の地図は、今日中にはベータ版を配布できると思う」


「無理しちゃダメだよ。ちゃんと睡眠も取らないと」


「大丈夫大丈夫〜。徹夜なんて日常茶飯事だし、今はアドレナリンが出まくってるから全然平気! あ、そっか。ってことはひまわりの生データに直アクセスできれば、リアルタイムの画像を処理して……地図に変換するスクリプト組んで……ビフォーアフターをアリスに処理させて……」


 そう言いながらも、陽菜乃ちゃんは少しずつ眠そうになってきている。


「食べ終わったら、少し仮眠した方がいいんじゃない? 今日は夕方まで会議は無いよ」


「う〜ん、二度寝しよかな……アリスは勝手に成長するし……」


 俺は、陽菜乃ちゃんの技術力の高さに改めて感心した。彼女が作っている地図アプリは、きっと今後の魔物対策でも重要な役割を果たすことになるはずだ。


 よし、俺は俺のできることを。とりあえず、森林部の道路の火山灰清掃を終わらせようかな。


やっとタグの「時々スローライフ」の片鱗が……いや、陽菜乃ちゃんはスローライフをぶった切ってますが(笑)


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