1-2 前世の記憶(前半)
※ 津波の描写があります。苦手な方はご注意ください。
前世、俺はここ──北陸地方の大学に通う、ごく普通の大学生だった。彼女もいないし、特別な才能があるわけでもない。バイトをして、たまに友達と遊んで、単位を取って、来春卒業したら地元の就職が決まっている、そんな平凡な毎日だった。両親は大学に入った直後に事故で死んでいたが、生活費と学費には十分な生命保険も入り、たいして不自由のない毎日をのんびりと送っていた。
その日も、いつものように午後の講義に出席していた。経済学の授業で、教授が株式投資の話をしている最中だった。
「みなさんに1年前から続けてもらっている仮想の株式投資シミュレーションと、過去の値動きに関するレポートは──」
いつものように眠くなる授業だったが、いつもと違うのは、学生たちがスマホを見て、メッセージアプリのクラスグループで騒いでいることだった。
12時過ぎに空のあちこちが、一瞬、見たことがないほど眩しく光ったと数人が書き込み、 「核戦争だったら、やばくね?」 「宇宙人だよ笑笑」 「前期試験がなくなるかも!?」 と盛り上がっていたのだ。
そして、突然、学内放送が響いた。
『学内にいる人は、今すぐ、グランドに集合してください』
教授も学生たちも、一斉にざわめき始めた。
「何だろう? 火災訓練じゃないよね?」
「でも、緊急放送だよ」
俺たちは講義を中断して、慌ててグランドに向かった。外に出ると、すでに多くの学生と教職員が集まっていた。ノートPCを抱えた職員の周りを囲み、何やら深刻そうに話し合っているのが見えた。
「東京と一切、連絡が取れない」
「ほとんどのテレビが映らない」
「何が起こっているんでしょうか?」
「NASAから隕石落下の情報が出ているらしいですよ」
そんな声が聞こえてくる。
その時、友人の田中が血相を変えて駆け寄ってきた。
「おい、これ見ろよ」
田中がスマホの画面を俺に向ける。SNSに投稿された動画が流れていた。
画面には信じられない現実離れした光景が映っていた。高層ビルよりも高い巨大な津波が、テレビで見たことがある渋谷の街を飲み込んでいる。人や車やビルが波の中に消えていく。
「嘘だろ……映画のティザーじゃないのか?」
周りでも学生たちがスマホを見ながら絶句している。
「関東も関西も、ってか、太平洋側はどこも大津波で全滅らしいぞ」
誰かが不穏な情報を、ささやくような声で言った。俺たちは現実を受け入れることができずに、ただ茫然としていた。
大学は休校になり、津波警報が鳴らないので大丈夫だと判断した多くの生徒や職員はとりあえず家に帰っていった。俺は帰っても誰もいないから、一人暮らしの友人たちと学食にでも行こうかと話しながらグラウンドに残っていた。一人でいたくなかったのだ。
「念のため裏山に避難しよう」
大学は高台にあったが、学長の一言で、自宅に帰らずにグラウンドに残っていた300人近くの学生と教職員は、裏山に登ることになった。
「さっさと帰ればよかったな」
「避難訓練で単位くれねぇかな、ははは」
どこか遠足のように笑いながら話していた俺たちは、それから30分後に、水の巨大な壁がせまってきて、町を黒く呑み込んでいく姿をただただ眺めていた。星と月の明かりしか見えない裏山で一夜をあかし、電気も水も止まった大学で避難生活を続けることになった。
その日から、俺たちの平凡な生活は一変した。
二日目には、さらに恐ろしい情報が回ってきた。
「昨日の大津波は、隕石の落下のせいだったらしいぞ」
「今日はあちこちで火山が噴火してるらしい」
「九州から順番に北に向かって、次々と噴火してるって」
「京都で大規模な地面陥没があったってよ。フェイクニュースか?」
「昨日は海岸沿い、今日は内陸なんて出来すぎだろ!!」
大学まで津波はこなかったが、大学へのアクセス道路は瓦礫が散乱していて、車は通れなくなっていた。歩いて街まで下りようとした学生たちが、土砂崩れで道が塞がっていて通れないと引き返してきた。どちらにしろ、建物の屋上から見ても、港から町にかけては壊滅状態だ。大学で避難生活を続けるしかなくなった。
避難倉庫にあったワンセグチューナーの小さなテレビによると、太平洋や東シナ海で起きた津波が回り込んで、25mの第一波と30mの第二波が日本海側を襲ったのではないかと推測していた。テレビはローカル放送の1局しかやっていない。そこも同じ映像を繰り返し流しながら、注意を呼び掛けるだけだった。そして、明日には非常時用の自家発電設備の燃料が切れるので、放送ができなくなると頭を下げていた。
火山灰でそれからずっと空が曇っている。太陽が見えない薄暗い日々が始まった。
三日目には、俺たちのスマホは繋がらなくなった。完全に外界から孤立した状態になってしまったのだ。情報は、衛星インターネットサービス契約をしていて、アンテナやルーターといった部の備品を持っていた登山部員3名のスマホと、アマチュア無線サークルが拾ってくる情報に限られ、それすらわずかなものだった。インターネットは一部しか繋がらず、大手サイトやSNSは完全に見られなくなった。どうやら全世界規模で大津波や火山の噴火、地形崩壊が起きたらしく、各地のデータセンターが停電や倒壊で使用不能になったのではないかと教授が話していた。
最初のうちは、まだ希望があった。
「自衛隊が助けに来る」
「政府が何とかしてくれる」
みんなそう信じていた。備蓄倉庫の食料と水を分け合い、夜は頑丈な建物の教室で眠った。教授たちが中心になって、規律を保とうとしていた。
陸の孤島となったが、グラウンドに「SOS」の形に椅子を並べたりして、励まし合いながら助けを待った。
しかし、5日経っても救助は来なかった。救助どころか、日本中が同じような状態で政府も自衛隊も機能していないようだとアマチュア無線サークルの学生が絶望的な情報をみんなに伝えた。
火山灰で太陽が霞んでいる。電気は非常用の小さなソーラーパネルだけ。それも火山灰で出力が落ちている。水もいつ止まるかわからない。
俺は何もできない自分が情けなかった。
避難生活が始まってから、俺は完全に無力だった。体力もないし、特別な技術もない。サバイバル知識もない。みんなの役に立てることが何もなかった。そんな風に落ち込んでいる時だった。
「先輩、手伝ってくださーい!」
同じ学科の後輩が、遠くから俺を呼んだ。体育会系の部活に入って寮生活をしていた彼は、集団生活に慣れていて、縦飲みの時も率先して色々な裏方の手伝いをしていた。俺は自分も役に立てることが嬉しくて、すぐに彼のもとに走っていった。
「任せて! 何を手伝えばいい?」
「食料の配給の列を整理してください。女子の前に割り込むやつがいるから、見かけたら注意してほしいんです」
俺は指示された場所に向かったが……結局何もできなかった。体格のいい男子学生グループが列に割り込もうとして、俺が 「ちゃんと並んでください」 と言ったところで、無視されて終わりだった。ニヤニヤしている彼らに、厳しく注意する勇気もなかった。
「使えないやつだな」
後輩たちが馬鹿にしている声が聞こえてきた。
そして、運命の日がやってきた。
大災害から1週間後の午前12時、突然、頭の中に機械のような声が響いた。
『全人類ヨ……注目セヨ……コレヨリ……能力……ヲ……付与スル……期限ハ10分……一日一度……一種類ヲ ……一立方メートル……容量……物質化デキル……能力デアル』
最初はみんな、集団幻覚を疑った。疲労がたまっていたのだ。しかし、周りの人間が同じことを聞いているのがわかると、これが現実だということを受け入れざるを得なかった。
『タダシ……ヨク知ル具体的ナ物質限定ダ……水ニスルカ?……小麦カ?……石油カ?……今スグ……何ニスルカ……考エロ……ヒトツダケ選ベ……早急ニ決定セヨ……カウントダウンスタート……600、599、598──』
カウントダウンが進む中、みんな必死に考えた。何を選べばいいのか。
1日に1回、1種類を1㎥まで物質化。
俺は手に持っていたおにぎりを見つめていた。これからの一番の不安は食べ物だ。
同じ教室を使っていた男子大学生20人ほどで、慌てて相談する。
「おい、みんなで分担しようぜ」
「俺は米にする!」
俺は迷わずそう決めた。
「じゃあ俺は水だ」
「肉は俺がやる」
「塩にするよ。絶対に必要だろ?」
水を選択するもの、鯖缶を選択するもの、牛肉を選択するもの、キャベツ、トマト、塩、砂糖と、みんなで分担をさっと決める。食料があれば生きていける。そう思ったのだ。
物質化能力を得た瞬間、俺は希望を感じた。これで食べ物に困ることはない。みんなで協力すれば、きっと乗り越えられる。
しかし、それは大きな間違いだった。