1-14 騎士団長と宰相
「おい、ちょっと待ってくれ! 少し風があるし、これじゃ危なっかしい。俺がスリングを固定しなおすよ」
迷彩服の男性が声をかけてきた。30代半ばぐらいで、少し無精髭がはえて日焼けした顔をしている。
俺は少し呼吸が早くなった。指先が冷たくなっていくのがわかる。
前世で俺を支配した暴力的な奴らと同じような体格だ。がっしりとした肩幅、鍛え上げられた腕。しかも迷彩服。
こういう男が権力を握ると、俺のような人間は奴隷になるしかない。
「どちらさまですか?」
俺は警戒心を隠しながら尋ねた。
「田村だ。俺は建設現場で働いてんだ。ちょっと見せてくれ。この船を吊るんだな?」
田村と名乗った男性が、慣れた手つきでクルーザーのスリング固定をやり直している。俺よりも技術があることは一目瞭然だった。手際よく、安全確認を行いながら、的確にスリングを調整していく。
「田村さんに任せた方がいいですよ。船を失うわけにはいかないでしょう?」
もう一人の男性も近づいてきた。こちらは20代後半くらいで、対照的にスリムで整った顔立ちをしている。全体的に色素が薄い容貌、こぎれいな登山スタイルの服装、雑誌のモデルのような洗練された印象だ。
「私は如月レオナルドです。科学技術系のWEBライターをしています。皆さん、レオと呼んでください」
少し馴れ馴れしくレオと名乗った男性は、名刺を配りながら子供たちにまで丁寧に挨拶している。
陽菜乃ちゃんが、目を見開いて 「熱血おせっかい真面目騎士団長とイケメン腹黒冷徹宰相キタコレ……」 と呟いている。この子、ブレないな。おかげで、少し気持ちが落ち着いた。
「立派な施設ですね。まるで津波がくることを予想していたかのようです。それに、この状況で、やけに冷静に海に出ようとしている。津波がこれ以上来ないことを知っているかのように。非常に興味深いですね」
レオさんは、声や話し方は柔らかいが、観察力が鋭いタイプのようだ。迷彩服とは別の意味で警戒が必要だ。
田村さんがクルーザーを固定しなおした後、クレーンの操縦席を覗き込んでいる。
「俺が操作しようか? クレーン・デリックの免許も持ってるし、このタイプは現場で使ってるから慣れてるぜ」
人懐っこい笑顔で話しかけてくる。確かに、俺の未熟な操作でクルーザーを海に落としてしまったら元も子もない。
「あ、やべっ! 免許持ってきてないな……不携帯になっちまうけど、状況が状況だし、まぁいいよな?」
慌てて財布を確認している田村さんに、俺は一瞬迷ったが、任せることにした。こんな非常時に、免許不携帯を気にする真面目さに、少し気持ちが和らいだのもある。そして、田村さんの雰囲気が、俺が信頼していた工事現場の人たちと似ている気がしたのだ。
嶺守島の厳しくも大らかな年配の現場監督、産業団地の3交替突貫工事を見事に指揮してくれた頼もしい若手の現場監督、呆れ顔をしながらも俺の細かな要求をビシッと形にしてくれる職人さんたち──オープニング記念パーティーに招待していた、あの人たちと同じような雰囲気を感じる。
「お願いします。助かります」
俺は素直にお願いした。とりあえずクルーザーの安全が最優先だ。
田村さんはキビキビと周囲の確認を始めた。崖下を覗き込み、クルーザーの重量を確かめ、クレーンの安全装置をチェックする。そして操作に入る前にクルーザーとクレーンの周りの地面にロープで線を引いた。それから、子供たちに向かって優しく注意した。
「二人とも、このロープからこっちには絶対に入っちゃダメだよ。クレーンが動いてる時はとっても危険だからね」
「はーい! 莉子だよ」
「わかったー! 僕、悠真」
子供たちが素直に返事をする。この光景を見て、俺の警戒心が更に和らいだ。前世の暴力的な奴らなら、子供など邪魔者扱いしただろう。この人は違う。
田村さんの操作で、クルーザーは慎重に崖下の係留デッキまで降ろされた。その手際の良さは、まさにプロだった。俺も、崖下が見える位置に移動し、講習で覚えた手信号で指示を出した。と言っても、崖下が見えていないはずなのに、田村さんの操作は俺の指示など不要なくらい完璧だったが。
「「おじちゃん、すっごくじょうずーっ!!」」
莉子ちゃんと悠真君が、田村さんを見上げて拍手している。田村さんは照れたような笑顔を見せた。
「いや、たいしたことないよ。それより、二人とも約束を守ってくれてありがとな」
しゃがみこんで、にこやかに子供たちの頭を撫でる田村さんの姿を見て、俺は複雑な気持ちになった。
ついさっきまでは、何か用事を頼んで二人を置き去りにしようと、考えていたのだ。力が強そうな成人男性は、前世のトラウマからできるだけ避けたい存在だ。しかも、まだ知り合って30分もたってない。
だが、田村さんの子供たちに対する態度は温かいし、俺の未熟なクルーザーの固定を馬鹿にする素振りも一切なかった。そういう人柄は信用していいのだろうか? 世の中には、怒ると豹変する人もいるし、家庭内DVする人は外面がいいとも聞く。島に連れて行ってそういう人だったら目も当てられない。
レオさんについても、まだ判断がつかない。クルーザーの降下作業の時は、さっさと階段を降りて、着水したクルーザーを崖下の簡易デッキに係留してくれた。気が利くタイプなのは間違いない。だが、戻ってきてからは施設の設備をあちこち見て回って、写真を撮ってもいいかと聞いてくる。ライターだから好奇心旺盛なのかもしれないが、どこか掴みどころがない。
「お二人はどちらから来られたんですか?」
俺は、素直そうな田村さんに探りを入れることにした。
「俺たちは山に登ってたんだ。で、下山中に津波を見たんだよ」
「向こうの海岸沿いの国道や鉄道の在来線が、津波に飲み込まれて破壊されてました。家に帰る交通手段がなくなってどうしようかと相談していたんですよ」
いつの間にか近寄ってきたレオさんが続ける。確かに、レオさんの服装は登山用のウェアだった。
「それで、ちょうど通りかかったときに、クレーンのブームが伸びているところを見つけてな。つい、仕事柄、気になっちまって。もし、誰かの救助なら手伝おうかと思って見に来たんだ」
「その迷彩服で登山ですか?」
「え? あっ!! 違う違う、いや違わないけど。えっと、俺は趣味でサバゲーをやってんだ。今日は会場候補の下見をしてたんだよ。山の中腹にいい感じの林があるって聞いたからさ」
頭をかきながら、田村さんが説明する。サバゲーをするなら迷彩服も納得だ。それに、そういった趣味なら魔物と戦うときに、頼りになるかもしれない。
問題は、レオさんだ。今度は桐島博士に、足元に置いていたクーラーボックスの中身や、クルーザーに積んだ荷物の中身を聞いている。なんとなく色々と探られているようで、気分が悪い。とは言っても、ここにじっとしているわけにはいかない。
「田村さん、レオさん、お二人ともありがとうございました。そこの車を使ってください。後で乗り捨てた場所をコミュニケーションアプリで送ってくれれば大丈夫ですから」
判断がつかないなら安全策だ。田村さんはかなり惜しいけど、やはり二人は追い払おうと思って提案した時、レオさんがクーラーボックスを肩にかけながら聞いてきた。
「神崎君、クルーザーまで荷物を運ぶのを手伝いますよ。急な階段で女性には危なそうだ。ところで、海に下ろしたクルーザーでどちらに向かわれるんですか?」
「あ、えっと、知り合いのところに避難しようと思っています」
俺は詳細を説明するのを避けた。
「図々しいお願いですが、安全な場所に避難するなら、私と田村さんも連れて行ってもらえませんか? 登山のための予備食料もそれなりに持ってますし、後ほど、ちゃんと謝礼をさせていただきますから」
レオさんが丁寧に頼んできた。
田村さんは遠慮がちな表情を見せていたが、やはり一緒に来たそうな素振りをしている。
「迷惑でなければ、俺も頼む。自宅は隣県でこの辺のことは知らないんだ。道路か線路が回復するまでは帰れそうもない。状況が落ち着く数日の間だけでも助かるよ」
「おじちゃんたちも、莉子と一緒にくるのー?」
「お友達が増えるねー、ママ」
子供たちの言葉に俺は決断した。というより、ここで断るために悠長に争っている暇はない。暗くなる前に、今日中に島へ移動したい。
「分かりました。ご一緒しましょう。ただし、行き先は離島です。状況によっては、しばらく戻ってこられませんが、よろしいですか?」
「構わんよ。どうせ、仕事は中止だ」
田村さんが即答する。
「私も問題ありません。どこででもできる仕事だし、今は締め切りも抱えてませんし」
レオさんも同意した。
これからは、今の仕事なんて続けられないんだけどなと、俺は心の中で呟いた。
俺たちは崖下の係留デッキに降りて、クルーザーに乗り込んだ。
田村さんが俺の手元を覗き込んで、操船の手伝いを申し出てくれる。
「船の操作も変わろうか?」
「こっちは慣れてるので大丈夫ですよ。ありがとうございます」
どうも、頼りなく思われていそうだが、俺は素直にお礼を言うことにした。
熱血おせっかい真面目騎士団長か。陽菜乃ちゃんは、人を見る目がありそうだ。イケメン腹黒冷徹宰相は、是非、外れていてほしい。
予定外の人物も含め、総勢7人で嶺守島へと向かうことになった。
数時間前、凶器のような巨大な津波を運んできたこの海が、沖に出ると何もなかったかのように、今は穏やかに美しい夕日を映している。水平線に沈みゆく大きな夕日の光が海面に反射して、金色に輝く航跡を描いていた。薔薇色に染まった雲が空に広がり、水色の空との対比が美しい。
「怖いくらい映えすぎ⋯⋯」
陽菜乃ちゃんの呟きとスマホ撮影する音が、かすかに聞こえた。
島に近づくと、道沿いのソーラー街灯が、ちょうど点灯し始めていた。
港から高台の建物まで、温かな光の道が浮かび上がる。
「わあ、きれい! 宝石みたい!」
莉子ちゃんが手を叩いて喜んでいる。
悠真君も笑顔で島を見つめながら言った。
「お城みたいだね、莉子」
「ちがうよ、遊園地だよ!」
「ううん、お城だもん」
「遊園地だもん!」
双子のかわいい言い争いが始まった。
沈む夕日、島に灯る温かな光、無邪気に言い争う双子の声──。
想定とは全く違う、避難生活の始まりだ。
これも運命なのだろうか。
明日から美しい夕日が見られなくなることは、俺だけが知っていた。
ちなみに桐島博士は、絶対に怒らせたらいけない薬師の聖女様。