1-11 博士と双子
1-1の続きになります。
「バカな! 大災害の日まで、まだ1ヶ月あるはずじゃ!?」
俺の前世の記憶によれば、大災害は梅雨時の来月のはずだ。なぜ1ヶ月も早く起きてしまったのか。万全の準備の予定が狂ってしまう。
そして何より──
「まだ、みんな島に来てないのに……」
昨夜、招待状の最終チェックをしていた時に思い浮かべた、一人一人の顔。明日発送予定だった招待状は、もう彼らに届くことはないだろう。信じられない。信じたくない。
俺は急いでヘルメットを被り、バイクにまたがった。エンジンをかけながら、心臓が激しく鼓動しているのを感じた。
落ち着け、まずはSilentKeyに連絡だ。きっと、明け方まで起きていて、今は寝ている時間だろう。イライラしながら起きるまでしつこく電話を鳴らした。事前に決めていた緊急時の行動だ。
「もしもし、予定より早く大災害が来たんだ。第二波が終わったら岬に来てくれ」
「えぇぇ、マジでぇ? わかったー」
「落ち着いて行動してくれ。無理はしないで」
「ん-、りょーかーい」
寝ぼけ声のSilentKeyとの電話を切って、俺はすぐにバイクを発進した。
前世の記憶では、閃光から約2時間後に、この地方にも最初の津波が到達する。想定外の25メートル級の第一波だ。この地方は15m程度の津波しか想定されていないから、防潮設備は役に立たないだろう。
津波到達までに博士を捕まえないと、二度と会えないかもしれない。とりあえず研究所まで行き、博士に会ってみよう。
バイクのアクセルを開けて、山道を駆け上がる。研究所まではあと5キロ。
俺は歯を食いしばって、走り続けた。思い出すな。悲しむのは後だ。
山道のカーブを抜けると、研究所の建物が見えてきた。3階建ての白い建物の周りで、職員たちが何やら慌ただしく動き回っている。
「着いたか。騒がしいけど、まだ避難はしてなさそうだな」
俺はほっと安堵のため息をついた。博士はまだ研究所にいるだろう。
少し離れた来客用スペースにバイクを停めて、俺は急いで建物に向かった。
3階建ての研究施設の周りでは、職員たちが慌ただしく動き回っている。携帯電話で誰かと話している研究者、資料を抱えて小走りに移動する事務員、外に出て空を見上げている人たち。
異常事態が起こっていることを、みんな薄々感じ取っているようだった。
「すみません」
受付のガラス窓を開けて、奥に声をかけると、事務員の女性が振り返った。
「桐島博士とお約束をいただいている神崎と申します」
「あ、はい。3階の研究室にいらっしゃいます」
女性の表情は険しかった。すぐに事務長らしき人から指示を受けている。
俺は階段に向かった。各階の廊下でも職員たちがざわめいている。
「太平洋側は全滅らしい」
「政府からの発表が一切ない」
「厚労省と連絡が取れないぞ」
そんな断片的な会話が聞こえてくる。すでに情報は入り始めているようだ。
3階まで駆け上がり、桐島博士の研究室をノックした。
「どうぞ」
中から女性の声が聞こえる。
ドアを開けると、40代前半と思われる女性が眉間にしわを寄せてPCの画面を見つめていた。白衣の胸元に付けられた名札を見ると、確かに今日会う予定だった桐島博士の名前が書かれている。ショートボブで知的な印象だ。疲れた表情を浮かべているが、美しい横顔だった。
「お忙しいところ、ありがとうございます。神崎と申します」
「あら、ごめんなさい。メールでやり取りしていた方ですね」
博士は、来客者が職員ではないと気づき、画面からチラッと目を離して答えた。だが、すぐに画面に視線を戻してマウスを操作する。
「隕石が太平洋沿岸にいくつも落ちたみたいなんです」
博士がPCの画面を俺に向ける。英語のニュースサイトが表示されており、太平洋各地での隕石落下と津波発生を報じている。
衛星画像には、巨大な津波が沿岸部を襲う様子が映っていた。渋谷のスクランブル交差点が、黒い水に飲み込まれていく映像も流れている。
「いくつも……ですか。やはり、関東だけではないのですね」
俺は画面を見つめながら答えた。
前世では詳細な隕石の情報は手に入っていなかった。NASAの発表なんて聞いた覚えが無いし、みんな、隕石よりも津波被害にばかり気を取られていた。
「えぇ、先ほどNASA(アメリカ航空宇宙局)の緊急発表が出ました。太平洋中央部に向かう隕石が成層圏へ突入後に分裂し、各国の太平洋沿岸に落下したようです。分裂した欠片とはいえ、かなりの質量と容積で、各国の沿岸部に甚大な被害をもたらしているようね。日本では房総半島沖や室戸岬沖に大きな欠片が落ちたみたいです」
「NASAのデータを保存しておいてください。この後、アメリカと連絡がとれなくなるはずです」
俺の言葉に、博士がハッとして顔をあげた。
「あなたのメールでは、6月に大津波と火山の連鎖噴火が起こるという話でしたよね? まさか、このことなんですか?」
「はい。自分の知っている情報より1か月早く大災害が来たようです」
俺は正直に答えた。
博士の表情が急変した。立ち上がって、研究室の窓から外を見る。
「ということは、この後、大津波がここ日本海側にも到達するのですか!?」
博士が白衣の胸元をギュッと握りしめる。
「子供たちを助けに行かないと」
「今、どちらにいるんですか?」
「莉子、悠真……今の時間だと小学校よね? 車、行かないと、でも」
博士がパニック状態になり始めている。NASAの情報を見ている研究者としては冷静沈着だったが、母親としてはそうもいかないのだろう。
「あの子たちのスマホに電話を、いや学校はスマホ禁止だったわね、えっと、学校に電話してみます」
博士が慌ててスマホを手にする。
「ダメだわ。話し中で繋がらない。ねぇ、あなた、津波は何分後に来るの? 早く、助けに行かなきゃ」
俺は博士の肩に手を置いた。冷静になってもらう必要がある。
「第一波の到達は14時頃のはずです。続く第二波が16時前後。まだ猶予があります。お子さんの小学校はどちらですか?」
「山の西側の麓の町にあります。車で30分くらいの場所です」
俺はスマホの時間を見た。第一波到達まであと1時間半はある。
「まだ時間の余裕はあります。迎えに行きましょう」
「でも……車が……」
博士は窓から駐車場を見下ろした。なぜか事務員たちが、駐車場の出入り口のゲートを閉め、ガラス扉の正面入り口のシャッターを降ろし始めている。
「この研究所は危険なウイルスも扱っている関係で、バイオハザードを起こさないように、緊急時は閉鎖する決まりなんです」
「わかりました。俺のバイクで行きましょう。西側の町だったら、途中で車に乗り換えることができます」
俺は博士に説明した。西側の岬の施設には、緊急時用の車両を用意してある。
「まず小学校の状況を確認して、お子さんを連れてここに戻ってきましょう」
博士は少し迷うそぶりを見せてから頷いた。
「分かりました。お願いします」
俺たちは急いで裏口から建物を出た。桐島博士は白衣のまま、研究室からスマホだけを持って、バイクに向かう。
「しっかりつかまっていてください」
博士を後ろに乗せて、エンジンをかける。ヘルメットは博士に渡したので、俺はノーヘルだ。安全運転を心がけなければならない。腰に回された博士の手は震えていた。
30分後、町の手前の岬にある建物にバイクを停め、ガレージに駐車していた4WD車のエンジンをかける。
「ここは何の施設ですか?」
博士が周囲を見回しながら尋ねる。
「緊急時用の施設です。詳しくは後で説明します」
ここは、大津波で港湾施設が使えなくなることを想定して作ってもらった、島への脱出用の基地だ。SilentKeyとも、ここで待ち合わせている。後で戻ってくる予定だ。
青ざめたままの博士を助手席に乗せ、小学校まで道案内してもらう。10分ほどで町の小学校が見えてきた。
平屋建ての校舎に被害はないようだが、校庭では多くの児童と教職員、そして迎えに来た保護者でざわついていた。みんな不安そうな表情を浮かべている。
「莉子! 悠真!」
博士が車から飛び降りて、校庭に向かって走る。
俺も後を追った。校庭では、クラス毎に子供たちが並んで座ってるようだった。
「莉子ちゃん、悠真くん! お母さんが来たよ。二人ともよかったね」
若い女性教師が博士を見つけ、子供たちのところへ連れていく。
手をつないで座っていた、女の子と男の子が嬉しそうに立ち上がった。
「「ママ!」」
ツインテールの女の子──莉子ちゃんが博士の元に駆け寄ってくる。元気いっぱいで人懐っこそうな子だ。
「莉子! よかったわ」
博士が娘さんを強く抱きしめる。
男の子の悠真くんは、莉子ちゃんの荷物も持って、のんびりと歩いてくる。こちらはマイペースな性格のようだ。少し垂れ目で、優しい顔立ちをしている。双子でも容姿はかなり違っていたが、ママを見て安心した時の笑顔はそっくりだった。
俺は時計を見た。津波到達まで40分。ここから研究所まで戻るのは、慎重に運転して30分くらいか。
「博士、すぐに研究所まで戻ります」
そして、俺は教師に向かって警告した。
「大津波が来ます。高台に避難してください」
「大津波? でも、ここは内陸ですし、津波が発生しているのは太平洋側ですよね」
「25mの津波がきます。この辺りまで到達する可能性が高いです。隕石が引き起こした津波なので津波警報は出ないんです」
今世で調べて知ったことだが、津波警報は地震が原因の時しか出ないようだ。地震の規模や強さ、位置などで津波の予想をしているかららしい。
教師は困惑した表情を見せたが、俺の真剣な様子を見て頷いた。研究者の桐島博士のツレということで信憑性が増したのかもしれない。
「分かりました。校長に伝えます」
「そして、これからくる第一波の2時間後に30mの第二波がきます。第一波が落ち着いても、すぐに降りてこないでくださいね。では、失礼します」
俺は言い捨てて、博士と子供たちを急かして車に向かった。
「二人は後ろに乗って。しっかりとシートベルトをしめてね」
双子は素直に後部座席に座った。莉子ちゃんは興奮気味で、悠真くんは少し眠そうだった。俺は慎重にハンドルを握った。
予定通り30分後に、研究所に到着した。少し手前の道に停めて、歩いて研究所へ向かう。
「間に合いましたね」
俺は安堵のため息をついた。津波到達まで、あと10分の余裕があった。山奥の研究所に津波の被害はないとわかってはいたが、途中で2か所ほど海抜が低い川沿いを通るので、時間までに研究所にたどりつきたかったのだ。
「本当にありがとうございました」
博士が深々と頭を下げる。
「お礼はまだ早いです。これからですから」
裏口から研究所に入り、4人で研究所の屋上に上がった。そこから木々の間に海の方向を見渡すことができる。
「あれを見てください」
俺が指差した方向に、博士と子供たちが目を向ける。
水平線の向こうから、巨大な水の壁がゆっくりと近づいてきていた。
ここからが、やっと本編スタートです。
少しづつ賑やかになりますので、引き続きお楽しみください。
ブクマ、評価、リアクション、感想がとっても励みになっています。本当にどうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします!