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七の巻

 船に帰ると、先生に悪者たちに襲われたことと冬次郎さまに助けてもらったことをお知らせします。先生にとって意外だったのは悪者たちではなく、冬次郎さまでした。

「今日はエリザベスに出かけていると思ったんじゃが」

 エリザベスはカンウ地区の隣のアッペル地区のそのまた隣にあるイングランド人の居住区です。ということは冬次郎さまはわたしの後ろをこっそりついてきていたということです。心配してくれていたんですねー。てへてへ。

 ちなみに冬次郎さまは当時、ジュベレで便利屋のようなことをしていました。腕っぷしの強さを買われて、いろいろな荒事にも頼られているという、やはり殿方は強くないとですね。便利屋をしているからか、あちこちの地区に顔がききます。ジュベレは出身ごとに地区に集まっていて、ピゴナ人は全ての地区に住んでいて、カンウと湾を挟んで、向かい合うスロッペンヴァークは非常に治安の悪い街になっていて、冬次郎さまもそこを歩くときは特に用心する、などなど。

 さて、しばらくは冬次郎さまは寄りつかなくなりました。寂しいです。孫楽先生はあちこちの壺を開けて、足りない足りないとぶつぶつつぶやいています。

「冠獄草も狼草もオンラン茸も足りない。炭くん。炭くん。帆を張る手伝いをするんじゃ。薬草を採りにいくぞい」

 ボロボロの帆を孫楽先生に教わりながら、何とか張って(素人の張った帆で海に出るなんて、いまのわたしなら絶対にごめんです)、櫂をこぎ、風を捕まえると、軋みを上げながら水を切り、ホーン岬をまわって、ウールゼンハール山の向こう、東の海岸へと向かいます。そこには陸路ではいけないバルバロッサという小さな村があります。引退した海賊たちの住処で、そこに住んでいるのは「おれをなめるんじゃねえ」と目つきをギラギラさせた老人だけです。そこにはオランダ人以外の引退海賊が住んでいる国際隠居村ですが(オランダ人の海賊はもっと市内に住んでいます)、老人と侮るなかれ、みなさん筋骨たくましく、酔っ払って海に出て、クジラをとってきたことのある伝説があります。明国人街ではあれだけ見た竹の家が一軒もなく、あるのは赤い石造りの平屋ばかり。口さがない人はあれはこれまで殺してきた人間の血を漆喰に混ぜたのだと言いますが、バルバロッサの家の赤はもっと鮮やかできれいな赤です。斜面を覆い尽くした叢林に押し出されたようにして、老人たちは海岸に集まって、暇つぶしをしていました。短いロープの端をくわえてナイフで決闘ごっこをしたり、釣り上げた鮫を棍棒で殴ったりしていた老人たちに孫楽先生は「やあやあ」と挨拶し、幾ばくかの火酒を配って、船をもやってもらうのを手伝ってもらいます。バルバロッサは一本道がひいてあって、その道が谷間へ伸びていて、そこから大きく曲がって、先生がいつも薬草や化石を採るサオヤオ高原に通じています。そこは一万頭の馬を一年間養ってもなくならない野草の宝庫で、どこにいても小川の瀬音がきこえるので、涼しく、葉には朝露の玉が消えずに残っています。高原は青い岩棚の走った崖まで続いていて、そのあいだには丸い葉をつけるイナゴ豆の木、燃えるような鳳凰樹ほうおうぼく、わたしの手のひら二枚分はあるハイビスカスの花、切り通しを下るくすんだ色のカズラ蔓、柔らかい穂をつけた海のようなクサヨシの原があります。

 先生は草を払った跡のある地面にこすれた模様の麻布を広げて、三つの葉がついた青い花を見せました。朝顔の縁が丸くそっくりかえった奇妙な花でしたが、先生はこの花を広げた布に山となるほど集めるようわたしに言いました。そこでわたしは肩から荒布の袋を吊り下げ、この朝顔もどきを探すべく高原へと旅立ちます。

 風で植物がそよぐたびに、どこかで種の詰まった鞘が弾ける音が混じります。高原は遠くまで緑で埋め尽され、ちょっとしゃがんで、目当ての花を摘むと、くぼんだ溝が見つかって、そこには皺だらけのこぶみたいな茸がズラッと並んでいます。どうも食べたら死にそうな気がします。ただ、一日、ここで花を集めて見かけた茸は 紫と黄色のまだら模様や椎茸そっくりなのにちょっと突いたらじゅくと水が染み出して指がヒリヒリした茸など、体に悪そうなものばかりです。孫楽先生が言うには、これらの茸は全部採集対象で、確かに毒だけど正しいやり方で処理して正しい分量を使えば、非常に有用な生薬になるとのことでした。景色はなかなかです。東と北は崖で塞がっていて、南はどこまでも広がる海原を遮るものがありません。ときどき木陰で休んで、小川で喉を潤していると、野生の黒豚が親子で飛び出してきて、別の草むらへと走って見えなくなりました。なんだか心がほぐれてくる気がします。家族皆殺しにあって、まだ三か月も経過していませんが、いつまでもそれに囚われると生きていけないことに気づき始めたのです。思い出は人を生かす糧になりますが、枷になるべきではありません。まあ、これはいまに至って得た教訓ですが。

 袋を花でいっぱいにし、広げた布に中身を空ける。だんだん山は大きく盛り上がり、平地がこぶに、こぶが丘に、そして、夕暮れごろに大きな山になりました。

「ほう、ほう。やはりふたりで集めると手際がよいわい」

 わたしは先生がほとんど何もせず寝転がっていたのを見ていましたが、何も言わずにしておきました。

 先生は花の山を包んで風呂敷包みにするとわたしにそれを背負わせて、吹き上げる風に舞い上がる長衣の裾を叩きながら、下る道を取りました。

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