六の巻
来た道を戻ろうとすると、荷車が止まっていて通れなくなっていました。それをひく駄馬もいなければ、馬借もいません。でも、まあ、反対側から別の雛壇通りに出て、海へ下ればよいことです。そう思って、まわれ右しテクテク歩いていきます。豚肉屋の前を通り過ぎて、細い道を歩いていくと、竹の建物が二階建てになって、さらに暗くなります。そして、またもや荷車が道を塞いでいました。どうしたものかと思っていたら、このあたりでは珍しい築地塀の壁が右側にあって、随意路过――ご自由にお通りください、と小さな屋根付き門の扉に書いてありました。
そこは母屋のない、小さな庭園らしい場所です。手入れのしていない野花が白と紫に咲き敷かれていて、まばらな竹林に細く切られた光のなかに、細かい埃が控えめに明滅していました。輪切りにされた丸太には竹を割るのに使うらしい鉈が刺してあって、物干し竿くらいの長さに切りそろえた竹が束になって置いてあります。ただ、竹を切るためだけにこの広さは、このあたりの町の土地事情を考えると贅沢な気もしますが、そういう贅沢があってもいいじゃないかと思う自分もいるわけで。
そのとき、後ろの扉がバタンとしまり、もう、目つきからして悪い意図を有しているのが丸わかりな男の人がふたり(便宜上、これを悪者一号、悪者二号と呼びましょう)、さらに出口のほうの扉が開いて、やはり悪意ある男性がふたり(悪者三号、悪者四号です)、にやにやしながらあらわれました。奴隷船での経験が何かに役立つかときかれたら、まあ、何かあっても「あのときよりはマシ」と思えることでしょうか。
色あせた頭巾を巻いて、なめしていない革の板を胸に当てた、無精髭の男たちは「これから僕らは武装強盗をするけれど、きみにも協力してほしいな」という意味が込められている微笑みを交わしてきます。このときのわたしは自分の命を惜しむという気合が少々抜けていました。それどころかこの命の危機を面倒だなあくらいにしか思っていなかったのです。死んだら死んだでそのときはそのとき。こんなこと冬次郎さまが知ったら往復ビンタされてもおかしくありません……いえ、往復ビンタはしないでしょう。なぜなら冬次郎さまは冬次郎さまだからです。
さて、盗賊たちはわたしの持ち物のなかに何か欲しいものがあって、そのために横町の両端を荷車で塞いだわけです。何が欲しいのかくらいきいておきましょう。
「クスリだ。よこせ」
そう言って、伸ばされる手はまさにあの豚肉屋で見たのと同じ、ただ、こちらの悪党一号の手は毛むくじゃらです。
「クスリはありません。もう、渡しました」
「じゃ、じゃあ、カネをよこせ!」悪党三号がそう言ってきます。薬の鎮痛作用はこの人が一番欲しいのではないかと言えるほど、震えていて、食べ尽くした手羽先みたいに痩せています。額に汗の玉を噴出させては、それが平らな顔に転がり落ちるたびに痛みが増すらしく、どんどん顔が歪んでいきます。
「あなたたちに渡す理由がありません」
少し心配りのない言葉でした。十三歳の小娘にこんなこと言われたら普通の大人は激昂します。ただ、わたしはついこのあいだまでは大名のお姫さまだったのです。
一遍に襲いかかってきましたが、最初に間合いに入ったのは悪者三号、一番体調の悪そうな人でした。この人は動きが単純な真っ直ぐ走りで、しかも腕を無駄にふり上げていたので、その脇を抜けるのは簡単でしたし、ちょっと挨拶がわりに脇腹に肘を食らわすくらいの余裕がありました。
「げぶう!」
ひどい呻きです。わたしも肘で脇腹をもろに打たれたとき、「きゃあ!」とか「ああん!」と言えるよう日々精進しましょう。人間、本当に咄嗟の攻撃を受けたときは予想もしない声を上げますから。
悪者一号と二号、それに四号は場所の広さを生かして、わたしを常に囲み続け、拳と蹴りを雨あられと降らせます。ときどき攻撃が当たることがありましたが、完全にやられるほどのものでもなく、そのときに発した言葉も「ああん!」とはいきませんでしたが、「いっつぅ!」くらいにまでは抑えられました。
しかし、こっちは劣勢です。このまま囲まれ続けたら、じり貧でこちらがタコ殴りにされます。
そのとき、束ねてあった竹の一本に足が引っかかって倒れました。これで戦いは新たな段階に入りました。つまり、邪悪な足踏みです。
しかし、安心してください。戦いはすぐにまた新たな段階へと移行します。わたしが細い竹をつかんだ瞬間から。
わたしはその竹材を手に取ると、それを手首のひねりで三分の一周まわしました。それで十分です。悪党一号の足首をしたたかに打ちつけます。たぶん、骨にヒビですね。
「ギャッ」
そのとき、竹が足首にまきつくようにしなったので、そのはね返りをそのまま遊ばせて、ちょっとこちらからも勢いをつけてあげると、竹の先端は左斜め下から右斜め上へ夢のような曲線を描きながら、悪党四号の顎を打ち上げます。悪党四号は真っ直ぐ空を見上げたまま、棒のように倒れました。
そのまま、身をめぐらせて、右の踵を土にめり込ませて回転を止めると、悪者二号と一騎打ちの構え。相手はそばの鉈を手に取っていて、それで竹を切ってしまおうとしました。でも、斜めに切れれば、そのまま竹やりです。お腹にぶすりと食らわせようかと思いましたが、悪者一号は鉈を捨てて、声にならない叫び声を上げながら、逃げていきました。ぶん投げて竹やりが当たるかどうかを試してもよかったのですが、背後でカチカチと金属音がしたのでふり返ると、最初に倒したはずの悪者三号が脇腹を押さえながら、短筒を手にしていました。
天津炭姫、遠い異国の地で風穴開けられて倒れるのかと覚悟極めたそのときでした。石礫が真っ直ぐ飛んできて、男の手からピストルを落としたのです。もちろん、投げてくださったのは冬次郎さまです。きゃー、かっこいい! その後、冬次郎さまの肘と足払いで倒れた悪者三号にご退場してもらうと、
「どうして?」
「たまたま近くを通りがかった」
冬次郎さまはピストルを手に取りました。日本にいたころに見た、火縄銃とは違って、火縄はついていません。ホイールロック・ピストルという、ギザギザの歯車を回転させて火花を出して、それで炸薬に火をつけて弾丸を発射する、火縄と比べるとずっと使い勝手のいい(そしてずっと高額で作る手間がかかる)短筒です。それを冬次郎さまがわたしに投げてきました。
「持っていないなら、それを使え」
こ、こ、これは、冬次郎さまからの贈り物! たまりません! ピストルは思ったより重かったですが、これは愛の重さなのです。
「ありがとう……」
む、と言って、その場を後にする冬次郎さま。本当はわたしのこと、親の仇とボコボコにして、馬車にくくりつけて、ニーウ・ナッサウ地区をぐるりと一周引きずりまわした後、四肢を馬車の車輪にくくりつけて、どろどろに溶けた硫黄と鉛の混合物をかけたいはずなのに、そうはせず、葛藤しているのです。ああ、冬次郎さま。
さて、初めての贈り物をじっくり見てみましょう。口径は三匁玉くらいで、銃口の下と込め矢の先端に象牙の葉模様が象眼されています。機関部は非常に複雑で細かいギザギザの歯車を納めた円盤や着火に使う黄鉄鉱を挟んだ腕のような金具、他に二枚バネやネジがはめ込んであって、で――。
この銃、全体が黒いんです。
冬次郎さまのいつもお召しになっているものも黒装束。そして、初めての贈り物の色が黒。
これはもう、わたしと冬次郎さまは結ばれる運命なのです。いろいろ障害はありますが、それを乗り越えて、ふたりは……きゃー!
え? その銃は悪者三号の持ち物で、冬次郎さまが選んだものではない? 甘いですね。この世の神羅万象を司る何かがわたしと冬次郎さまを結びつけるために悪者三号にこのピストルを持たせたということです。そのくらいの反論でわたしと冬次郎さまの愛はぐらついたりしないのです。
それと、これを読んでいる人はわたしが冬次郎さま冬次郎さまと言い続けるのをしつこいと感じ、うんざりしてもいるでしょうが、安心してください、これからも言い続けます。ただ、わたしはこのとき、まだ、こう、冬次郎さまを恋愛対象として見ていないというか、まだそこまで目覚めていないというか、それどころじゃなかったというか、もったいないというか、まあ、そんな状況でした。その反動がいまのわたしなのです。
しかし、物心つくころから振っていた薙刀の技がいまだ体に染みついていたのは意外でした。体がまだ弱っているので、技のキレが落ちていましたが、それでもわたしの斬撃を食らえば、骨にヒビです。ただ、初めての実戦で竹をふるって思ったのは、少し長すぎるかなと。薙刀という武器がすたれてきたのも理由があってのことのようです。馬に乗った武将を叩き落すのに使えても、徒歩での戦いでは懐に飛び込まれる危険性があります。十三の小娘が取っ組み合いになったら、負けは必定。そこでわたしはひとり、竹の庭に残り、理想の長さを探求しました。鉈でひと節ずつ切り落とし、斬ったり薙いだりをして手ごたえを知るのですが、結局、長めの杖に落ち着きました。これでは薙刀術というより杖術ですが、よいでしょう。そこらへんに転がる悪者をぶってみて、手ごたえもよしと思うと、先生のもとに帰ることにしました。