一の巻
どこから始めればいいんですかね?
織田信長に攻め滅ぼされたところから? まあ、それが妥当ですね。
その前に一応、前置きを。
これは薄幸の美少女、天津炭姫がかつて天津家に家を滅ぼされた雪津家の嫡男、雪津冬次郎房長さまとのあいだに愛を育む麗しき物語です。
こう前置きをしておかないと、わたしが奴隷船でひどい仕打ちを受けたのを見て、ああ、これはこういう期待をしてもいいんだなと変態さんに誤解を与えてしまいます。そうではありません。これは家同士の対立と仇討の悲劇を超えて異国にて愛を育む物語です。
それにこれはイングランド商館の人たちが教えてくれた『ロミオとジュリエット』みたいな終わり方もしません。イングランド語でいうところのハッピーエンドが待っています。
こほん。
では、まず、天津家が織田信長に滅ぼされるところから。
父上と母上は自害され、兄、正賢も討ち死にし、わたしはと言うと、尼寺に送られる代わりに南蛮商人に奴隷として売り払われました。まあ、見せしめです。わたしは薙刀を使いましたので、尼寺が持て余すかもしれません。このときの年齢は十三歳になったばかりで、そんな小娘の何を恐れるのだろうと思いましたが、でも、赤子のころに殺しておかなかったからひどい目にあったのは源平の源頼朝、古河公方の足利成氏と前例があるので、まあ、仕方がありません。
わたしは堺からポルトガル船〈エスコバ・ジリトリア号〉にのせられ、船は出港、南へと向かいます。あんまり知られていませんが、年頃の娘を南蛮商人に売り飛ばすというのはそこそこありました。なぜか、世界を知らない日本人はそのことを猛烈に否定しましたが、わたしと一緒に売られた年上の子は上杉謙信に売られたと言っていました。本当かどうかは分かりませんが。
まあ、刈田狼藉、撫で斬り根斬り。一揆は赤子まで磔ですから、それに比べれば、まだマシだったのかなあという気はしますね。
ただ、わたしはこの航海で死にかけました。本当にかなり危ないところまで行きました。船のわたしは家族を皆殺しにされ、呆然としたまま、ぶたれたり腐ったご飯を投げつけられたりしても、反応しない、かわいそうなお姫さまだったのです。ああ、我が事ながら泣ける。
他の子たちは怯えていましたが、わたしはというと、もう死ぬなら死のう、父上と母上と兄さまと極楽で再会して、そのまま末永く幸せでいようと思っていました。もう、今生に期待はしていません。来世で行こうというわけです。
〈エスコバ・ジリトリア号〉は決して小さな船ではありませんが、モンスーンと呼ばれる嵐やスペイン人の海賊の相手をするには小さすぎました。大砲は一応積んでいましたが、役不足でした。それに船旅というのは水に不便するし、石みたいなビスケットとスルメイカも裸足で逃げ出すガチガチの干し肉しか食べるものもありません。水夫たちのいらだちはかなりのものでした。水夫たちの食事がそんなものですから、奴隷として売られたわたしたちはもっとひどい有様でした。とにかく喉の渇きが半端なくて、狂ってしまった子もいたのです。後できいた話ですが、奴隷船というのは水夫もまた奴隷みたいにこき使われる船で、だいたい四割の水夫が何らかの病気か怪我の悪化で死んで海に捨てられるそうです。そして、奴隷の死ぬ割合もなんと四割なのです。奴隷貿易の闇です。
さて、麗しい美少女のわたしですが、湯浴みができないので垢がたまりますし、髪の毛も洗わないのでべたべたして、体から嫌なにおいが発せられます。いまのわたしだったら、絶対我慢はできませんが、このときのわたしはもう生きていても辛いだけと極まっていたので、特にどうとも思いませんでした。大切なことなので、二度いいますが、いまのわたしなら耐えられません。そんな姿で冬次郎さまの前に出るくらいなら、介錯なしでお腹を切ります。それをハラキリ・ショーと銘打ってピゴナ島の外国人たち全員に宣伝して、ひとり二ペニヒの入場料を取り、その売上全てを冬次郎さまのもとに届くようにします。
ある日、わたしたち奴隷は精魂尽き果てて船倉で同じ鎖につながれたまま、ぐったりしていましたが、酔っ払った水夫のひとりが熱したヤットコをわたしの左目に突っ込みました。ギェエエエエエエ!とわたしは大声で叫び、船長以下がなんだなんだとやってくると、水夫がヘラヘラ笑っていて、わたしはうずくまって、割れた左目がどろっと転がっているわけです。
船長は水夫をボコボコに殴りましたが、それは博愛とかそんなことではなく、商売道具の顔に傷を残して、奴隷貿易の売上を大きく減じたことが原因でした。まあ、ざっと三十ギルダーは損したことでしょう。自分で言うのもなんですが、結構かわいいほうだと思っています。
船長たちはどうするか考えて、結局、わたしは目の傷が化膿して死ぬだろうということで議論は落ち着き、こうなると水や食料をくれてやるのはもったいないから、ご飯もお水もなしでいこうと決まりました。
それからピゴナ島に到着するまでの五日間、我ながらよく生きていたと誉めてあげたいです。このときの記憶はほとんどなくて、気づくとピゴナ島の最大の都市ジュエレにいました。わたしは汚れて、ご飯ももらえず、目の傷は化膿まで行ったかどうかのギリギリで高熱を発していました。先に五人の売り物になる娘たちが桟橋を降りて歩かされ、その後をふらふらになったわたしが続きます。そのときのわたしの状況を考えると歩けるだけでも奇跡なのですが、ポルトガル人の奴隷商人たちははやく歩けとマスケット銃でつっついてきます。奴隷商人に人としての優しさを求めてはいけません。わたしが歩いていたのは桟橋のひとつ下に作られた通路で、ここを歩くと最終的には商業地区にある奴隷貿易会館に着きます。といっても、なかではなく、外の柱廊です。若い黒人男性などの価値の高い奴隷は建物のなかで競りをしますが、わたしたちは外の柱で支えた石の屋根の下で十分というわけです。先に通されたお姉さま方が明らかに変態な目的を持った紳士たちに落札されると、競売人は今回の競りはおしまいと宣言しました。わたしからすればどうでもいいのですが、競売人助手は帳簿を見て、もうひとり残っていることに気づきました。このときのわたしは〈ダイミョー〉と呼ばれ、競売人は高貴な血を凌辱したい方にぜひともと、厄介な前宣伝を打ってしまいしました。そして、わたしが震えの止まらない体で一糸まとわず、よろよろと競売台に上がると、買いつけ人たちから大爆笑が巻き起こりました。
「なんだ、そりゃあ!」
「おい、ブラッケ! もっとマシな奴隷はねえのかよ!」
「カエルみたいな胸じゃねえか。本当に女か?」
もし、わたしがこのとき、もっとしっかりした意識を持っていたら、こいつら全員の顔を覚えて、身の毛のよだつ報復をしてやるのですが。
競売人のブラッケはもうわたしを商品として紹介した以上、わたしを売るしかありません。そのとき、ひとりの老人が言いました。
「その子の髪を後ろに撫でつけるんじゃ」
言われた通り、わたしの顔を隠していた髪を後ろになでつけたら、
「げーっ!」
「気持ちわりい!」
例の左目が完璧になくなって、白く濁った膿が垂れて、顎から滴り落ちていました。
わたしはなんだか、もう、自分がかわいそすぎて、情けなくて、首を垂れましたが、その姿は断頭台に臨むジェーン・グレイと言ったとこでしょうか。南蛮にも薄幸の美少女はいるものです。
ただ、もし、わたしがここで売れなかったら、問答無用でピーテルスゾーン銅山へ放り込まれていたそうです。そこはもうこの世の地獄です。ずっと後になって、そこで監督をしていた人から話をきいたのですが、もし、奴隷がへばったら、こいつを肩と腕のあいだにぶつけます、といって、鋲が打たれた棍棒を見せました。反対側には鉤爪のようなものがついていましたが、こっちはその奴隷が我慢ならない失敗をしたときに頭蓋を斬り割るために使うのだと言っていました。そして、彼女はその同じ口で、源氏物語を読んだ。いい話ね、と言いました。
「じゃあ、一! 一から!」
「おい、ブラッケ。その一ってのはまさか一ギルダーじゃあねえよな?」
買い手たちがゲラゲラ笑いました。ペニヒでも出し過ぎだと。
「わかったよ。一ペニヒ! 一ペニヒ!」
「誰も買わねえよ!」
「サメの餌にしちまえ!」
「ワニにしようぜ、従弟が飼ってる」
もう、どっちでもいいから決めてくれ、というのがわたしの偽らざる気持ちです。家族は全員殺され、奴隷として売られ、死にかけている。もう、わたしには何も残っていません。
次に意識が戻ったのは、小さな家船の寝台です。揺れ方が波の揺れ方なので、これまでの苦行は全部夢で、自分はまだ〈エスコバ・ジリトリア号〉の船倉にいて、夢で見た苦行をそのまま追体験するのだと思って、おしっこが漏れそうになりましたが、よく見るとまったく違う。
例えば、その天井は竹の皮を剥いだらしい網代葺きで小さな窓から温かで不快さのない明るい日が差していました。起き上がろうとしたのですが、布団が尋常ではない重さで、しかも体じゅうに激痛が走ったので、わたしは起き上がることを断念しました。まあ、起き上がったところで何かできるかというと何もありません。わたしは日本からはるか南の島に売られたのです。
竹製の長持ち。燈明皿や位牌、静けさ、ひたひたとあたる水音。
ところで、わたしは左目が潰されて、視野がありません。左側を見るにはなんとか体を横にして、右目で見るしかありません。布団のなかで体を横にすることでさえ、非常に体力を使い、痛みも伴いますが、なんとか横になりました。そのとき、目に入ったのです。
黒装束の剣士、雪津冬次郎さまが。