【閑話】ストーキング
昴side
「パフェ美味しかったねぇ!」
「本当ですわね!フルーツひとつひとつが味が濃くて…贅沢でしたわねぇ」
「女子会楽しいな!旦那達にもっと許可もらってたくさん出かけようよ。アタシこんなの高校生以来だよ」
「キキは高校まで行ったの?制服も着てた?」
「うん、セーラー服着てた。高く売れたよアレは。持ってりゃ制服女子会とやらができたのにな」
「キキのサイズなら恐ろしい額になりそうですわねぇ?私もセーラー服でしたわ」
「キキの事情知ってるから複雑な気分…でも、セーラー服着て遊ぶの楽しそうだねぇ。…私、いけると思う?」
「絶対行ける」
「間違い無いですわ。ちょっと購入しませんこと?次回の女子会で制服着て遊びましょうよ」
「いいね!!蒼のセーラー服姿見たい!」
「えっ?お店で売ってるの?」
「日本のコスプレ衣装は本物より本物っぽいぞ」
「そ、それはすごいね。どこで売ってるの?」
「秋葉原ですわ!すぐ近くですし、総武線で参りましょう」
「わー!楽しみ!行こ行こ!!」
耳の中のインカムに向かって小さく呟く。
「対象、新橋駅から総武線各駅停車で秋葉原に向かう模様。…セーラー服買うらしいぞ」
『なっ、なんだって!?了解!先潜入してるねぇ』
『了解、昴と合流する。ちょっと動悸がするな…』
「千尋のは動悸じゃないだろ…位置を把握次第報告してくれ」
慧から了解が返ってくる。
千尋と合流し、蒼達の乗った電車の車両隣に乗り込んだ。
「…なぁ、女子会邪魔してていいのかな。俺は若干罪悪感があるんだが」
「邪魔じゃ無い。護衛だ。罪悪感などゴミ箱に捨てろ」
「そりゃそうだけどさ…おっと」
気配を感じたのか蒼がこちらを振り向く。千尋が俺をドア側に押し付け、お互い密着して顔を隠す。
身の回りにいる女の子達がなんとなく注視して…いや、チラ見か?なぜだ。不審者に見えたか?
「蒼は勘が良すぎる…尾行にここまで苦労するとは正直思わなかった」
「本当にな。耳元で喋るなよ。お前無駄に声がいいんだから…」
顔を寄せた千尋が耳元で喋るモノだからこそばゆい。癖のある美声が憎たらしい。これに蒼が虜になんだ。
「俺そんなに声いいか?」
「響きが甘いだろ。癖があるのがタチ悪い。」
「ふぅん…それを言うならお前もだろ?慧もかな」
「その辺はわからんな…声を褒められたのは俺達だけだ」
『ちょっと。聞こえてるからね。俺の声は普段気配抑えてるから言われないだけです。蒼にしか聞かせて無いから本気の声は』
「「チッ」」
二人して舌打ちを落とす。本気の声ってなんだ。くそっ。
隣の車両では蒼達が立って、楽しそうに微笑み会話している。
3人ともマスクをさせているからナンパには遭いにくいはずだ。多分。
揃いの服で女子会をしたいと言われ、さすがにダメとは言えなかった。
雪乃もキキもそれなりに護身術を身につけているし、蒼はエキスパートだし、今日は三人とも銃を携帯している。
…大丈夫だとは、思う。
「つぎは…秋葉原、秋葉原です」
アナウンスを聞いて、ドア横に待機。蒼達は人が多い車両だから降りるのは俺たちより後になる。先に降りておこう。
━━━━━━
「わー!凄い人だねぇ…秋葉原って電気街じゃなかったっけ…?アニメの看板ばっかりになったね?」
「昔は電気屋がメインだったけどさ、今やメイド喫茶とかアニメ、アイドルやらに席巻されてんだよね」
「アニメ…!蒼の推しグッズがあるのではありませんの?」
「多分無いと思う…昔のアニメだから」
「まぁ、そうなんですの?残念ですわね」
「乗ってる車がレプリカみたいなもんなんだからアレで満足しなよ。空でも飛びそうなウィングつけてさぁ」
「アレは次の練習場所で必要なのー。レースカーばっかりなのも問題なんだよね。自分の車に乗ったり、ホームコースを走ることの大切さが身に染みるんだなぁ」
「ホームじゃなくて聖地だろ?今度は箱根に行くって言ってたな」
「バレたか」
うん、こう言うのもいいな。蒼は女性同士で遊ぶ機会があまりなかっただろうし…。監視、いや護衛ができる日になら制服女子会も行ってもらおう。
機会を増やしてやりたいが過密スケジュールだし、蒼は忙しいかななかなか難しいところだが。
『該当店舗に到着、座標は…』
「『了解』」
慧の報告を聞き、GPSを立ち上げて俺たちは蒼を追った。
━━━━━━
夫3人が雁首揃えて、入店を躊躇う。
ピンク、青、黄色…原色のポップが立ち並ぶ店…コスプレ専門店と記載がある。
流石にこれは初体験だ。
「うーん」
「どうする…勇気がいるな、これは」
「でも蒼のセーラー服姿は見たい…」
慧の言う通りだ…俺たちとの違和感がありすぎ、てもはや尾行の難易度が青天井だが仕方ない。背に腹はかえられぬと言うものだ。
「よし、行くぞ」
「「おう」」
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「わー!可愛い!セーラー服ってたくさん種類あるんだね。海兵さんの制服が元なのかな?」
「そうだな。日本に導入されてから百年は経ってるんだぞ。由緒正しい制服だ」
「そうなんですの?あー、真っ白も可愛いですわねぇ」
「白は食べ歩きに向かないよ…あっ!あたしの着てた制服に似てるやつ発見」
「どれどれ?ネイビーの襟に赤いリボン、黒いスカートなんだね…可愛い!」
「オーソドックスですがこれは着やすそうですわね」
「昔流行ったんだけどさ、ピアスをリボンにつけて飾るやつ。あれやろうよ」
「ピアスつけるのいいね!…でも慧のピアス内緒で持ってるってバレたら…恥ずかしいな」
……なんだって!?聞き捨てならない台詞が聞こえた。
蒼達はセーラー服のゾーンで物色しているが、慧のピアスを持っているだと!?
「慧、知ってるのか」
『知らなかった…マジか…』
『なんかずるくないか』
「俺もそう思う」
「蒼…慧のピアス持ってんの?」
「うん。…慧のトラウマの元だけど、一番最初につけてたって聞いてつい…これ」
「まぁ…蒼もピアスも可愛いですわ…」
「ふ…蒼のセーラー服でトラウマ塗り替えてやればいいだろ?」
「そ、そう?でも…勝手に持ってたからちょっと言いづらいな…」
「何言ってんの、泣いて喜ぶでしょ」
「きっとそうですわね。私達3人でもお揃いのピアスを購入しませんこと?」
「そうしよ!アタシもピアスなんかした事ないからなぁ」
『うっ…うっ…』
うん、キキと雪乃の言う通り。慧が泣いて喜んでいる。
3人がそれぞれ並びの試着室に消えていったな。今こそペン型写真機の出番だ。盗撮のプロになった俺に任せろ。
「懐かしいですわ〜!あら、キキ!可愛いですわね」
「ふふん。アタシはセーラー服と白衣が一番似合うんだ。蒼ー?まだー?」
「待ってー…なんか締まらなくて…ジッパーどこ??」
「はいはい」
キキが小さい体を生かしてカーテンの裾から中に潜り込み、蒼のセーラー服を着せてやっている様だ。
『セーラー服って構造難しいのか?』
『脇にジッパーがあるからねぇ』
「慧?なぜ知っている」
『黙秘します』
『慧は帰ったら事情聴取だな』
「賛成だ」
『くっ…』
「じゃーん!どう?」
「はあっ!!!蒼…あぁ…はあぁー…可愛いですわ…」
雪乃が膝から崩れ落ちる。
自分の膝も危うく崩壊しかけてる。
向かい側で千尋がうずくまっているのが見えた。可愛いどころの騒ぎじゃない。すごくかわいい!!
「可愛いなぁ!蒼ミニスカート履かないもんな」
「旦那様達に禁止されちゃってるからねぇ。慧には一回着せてもらったけど」
「えっ?そうなの?」
「うん。着るのも脱ぐのも触れなかったから構造がわかんなくて。まさか脇にジッパーあると思わなかった」
「はーん、アイツ…コスプレにSMとは…」
「キキはご存知ですの?いいご趣味ですわね」
「アイツむっつりドスケベだな」
「あはは…」
「慧は正座で説教確定」
『はい』
『説教で済めばいいな。神にでも祈っとけ』
「髪の毛を三つ編みにしましょうか。きっとお似合いですわ」
「わ!嬉しいなぁ…ねぇねぇ、スカートの丈ってこんなに短いのが普通なの?ドキドキしちゃうね」
「もっと短くしてたよ。腰で折るんだ」
「こーお?」
「ふぁっ!?ま、待て。蒼…やめとけ。足が綺麗すぎる!」
「あらあらぁ〜!」
「うん、流石にこれは…恥ずかしい。階段で下から見えそうだし」
くっ…心臓が止まりそうだ。蒼が三つ編みのおさげ姿でミニスカートになり、太ももから下が見えてしまっている。早く…早く戻してくれ。
「膝がちょっとチラリズムの方が可愛いね」
「そうそう。そんくらいなら大丈夫だろ?凄く似合ってるよ。アタシも大丈夫かな?」
「キキは本物に見えますわ。問題はワタクシですわよ…どう見てもコスプレにしか見えません」
「雪乃はグラマーだからなぁ…可愛いけどちょっとエッチだね。」
「確かに。エロい」
「複雑ですわ!!カーディガンを羽織ればマシになりますかしら」
「そうしよう。流石に刺激が強いよ。特に蒼はブラが透けてるし」
「本当だ…セーラー服…大変だね?」
「夏服になるともっと透けますからねぇ。当時は面倒でしたわ」
「ベージュの下着あるの?蒼が持ってるの黒ばっかだろ?」
「無いかも…あとで買わなきゃ」
「ヤダねー、旦那の趣味で真っ黒ばっかりか?」
「うん、まぁ、うん…最初はグレーもあったけど千尋が紐パン買ってきたことがあって」
「ほう」
「それが黒だったんだけど、お気に召したみたいで…そこから黒になったかなぁ」
「まぁー。紐ですか…Tバックはお持ちですの?」
「…あり、ます」
「マジ!?誰が買ったの!!!」
「昴…」
「「あー」」
名前を呼ばれた事と、買った下着がバレて心臓が跳ねる。くっ。なぜ二人とも納得したんだ!?
『お互い情報のすり合わせと行こうか?正座はなくていいよね?』
『そ、そうだな?』
「くっ…仕方ない」
ふぅ。喧嘩にならずにすみそうだ。
…紐パンか。俺も検討の余地があるな。
━━━━━━
「ん…?」
『あれ、蒼の知り合いだよな。何故ここに?』
『過去の知り合いリストに居たね。確かチェーン店時代の先輩だっけ。前に鉢合わせた人とは別の人だ』
蒼達がセーラー服を購入し、店を出た後駅前に移動した。そこで『爆弾たこ焼き』とやらの屋台に並んでいる。
背後から一人の女性が[[rb:尾行>つい]]きている。…あまりいい目つきでは無いな。
「様子見しよう」
『『了解』』
「爆弾が入ってるわけじゃ無いんだね」
「蒼、ボケじゃないのがわかってるから突っ込まないぞ。アタシらの常識を持ち込んだらダメだよ」
「そうですわねぇ。でもアップル型でしたら入りそうなサイズですわ」
「パイナップルでもいけそうだよ、すごい大きいし」
「ピンがはみ出そうだけど」
「本当ですわねぇ」
「話題が物騒な気がする…ふふふ」
確かにな。重さ的にも違和感はなさそうだが。…尾行している女性は動かないか。やはり目的は蒼だ。
爆弾たこ焼きを受け取り、近くの公園に向かって歩き出す3人の後を追う。
先輩とやらももれなくついて行っている。
「事情聴取が必要だな。俺が行く」
『『了解』』
狭い道を抜けていく女性の先回りをして、角の死角で待ち伏せし…タイミングを測って体をぶつける。
「きゃっ!?」
「すみません、大丈夫ですか」
「あっ、はい、…うわ、最悪…見失った…」
「何かお探しでしたか?僕がぶつかってしまったから…」
「あ、大丈夫です。女の子が3人いたと思うんですけど」
お尻をついて転んだところを見ると荒事は出来なさそうだ。尾行を暴露しているし。
ゆるゆる立ち上がった女性は、長い爪に装飾のストーンがついてキラキラしている。ネイリストを現在もしている様だ。
「三人…そういえば見ましたね。公園に行くと言ってましたよ」
「はっ!?本当ですか!?…でもどこだろう…早く追いかけなきゃ…」
妙な執着だな…昔の知り合いならさっさと声をかければいいのに。何故隠れて付きまとう?
『座標c公園、人気なしだ』
『ねぇ、嫌な予感。蒼に仲良しの先輩は一人だけのはずだよ。本人がそう言ってた』
『…なるほどな』
「良かったら、僕がご案内しましょうか?」
二人の声を耳にして、ハニートラップ用の笑顔を振り撒く。自分の装着していたマスクを取り、肩ではなく二の腕にそっと触れる。
ぴくりと反応した女性がハッとした後、頬を赤く染めた。
「あ、あの、えっと…イケメンさんですね…」
「光栄です。もし良かったら、どこかでお茶でもしませんか?実は…ナンパ目的で声をかけました。あなたが素敵だったので……すみません」
「ええっ!?は、はい…」
恥ずかしげに縮こまる彼女の背中に手を添え、座標から離れて近くの喫茶店を目指す。インカムにダーゲット確保を知らせ、二人から了解が返ってくる。
蒼の安全のためだ。嗅ぎ慣れない香水の匂いを吸わないように、宗介に教わった呼吸を抑えるやり方で話し続けた。
━━━━━━
「それでぇ、私のお客さんを誑かして!横取りされたんですよ!」
「そうなんですね」
「新人のくせに『店長も掃除されてるのにどうして先輩は掃除しないんですか?』って。生意気だと思いません?」
「なるほど」
「店長もいつの間にか仲良くしてて、最初はあんなに厳しくしてたのに!依怙贔屓ですよね!わたしがあの子におしぼり持ってきて、とか掃除しておいて、って言うと怒ってくるんですよ!わたしの時代は先輩の言う事は絶対だったのに」
「そうでしたか。では直接文句を言おうと?」
「いや、うーん。あの子昔はもう少しのっぺりした感じだったんだけど、だいぶ人相が変わってるんですよ。
お洋服もカバンもお財布もいい物だから気になって。独立したはずだけど誰も行方を知らないし。
唯一自宅を知ってた店長が、行方不明だって騒いでたのに…最近諦めちゃったみたいで…心配になっちゃってぇ」
「そうですか、お優しいんですね」
なるほど。そう言うことか。
にやけながらコーヒーを傾ける女性。
…コーヒーに罪はないが、味はしない。
『くだらない茶番だな。三人とも公園でだべってる。昴、時間かかってもいいぞ。最高の光景だ』
『ニャンコと戯れてて…あぁー、あんなに優しい顔して…蒼が超絶可愛い…』
若干笑顔が引き攣った自覚がある。完全に貧乏くじだ。猫と戯れる蒼を見たかった…。
「ご心配されていたなら無事がわかって良かったですね。これでもう安心だ」
「あっ、はい。まぁそうなんですけど。…でもあんな子にどうやっても買えるはずがない物持ってるから、怪しいなって」
「…ほう?」
「だって、バーキンですよ?しかも限定のだったし…お財布も高いやつだし…あの子が設定したお店の料金は嫌味なくらい安めでしたもん。月二百人位こなさないとあれは買えないんです。どう考えてもおかしい」
「それは…転職されたのでは?三人とも爪には何も載せていませんでしたよね」
「あっ、よく見てますね!そうなんですよぉ。ネイリストなら自爪で居るわけないし、プロ意識が高い子だったから外しっぱなしとかはない筈なんだけど…確かにおかしいな…」
ん…?何だろう。妙な違和感がある。
嫌な人だと思っていたが、顔色があからさまに悪くなった。…ふーむ。
「元カレが捕まったってニュースで見たけど、もしかしてもう出所してるとか…?
脅されてパパ活とかで稼いでるんじゃ…。あのクズに貢ぎでもしてたら…どうしよう…」
おや…これは本音の様だ。俺からはサ行言葉でしか返事をしていなかったが、違和感なく返事をしていた。
こんなものかと思っていたが、逆に自分が一杯食わされていたな。
「ご心配なんですね。……本当に」
目つきの変わった女性が、真剣な表情で真正面から見てくる。
「あなた、蒼ちゃんの事知ってますよね。わたしの悪口に反応してました」
「プロとして情けないですね……そうです。しかし、あなたの口ぶりから彼女を心配すると言うのが結びつきません。
尾行していた真意を聞くためにここに連れ出しました。…もしかしてそれも承知の上ですか?」
ふるふる、と首を振り、両手を組んで握り締め、テーブルの上で震える。
「あの、警察の人なんじゃないかって…思いました。あの子を捕まえに来たんじゃないかって。
わたしは昔、確かに蒼ちゃんをいじめてました。
蒼ちゃんが独立していなくなった後、あの子は誰にも連絡先を残さなかった。
彼女がしていた事を誰も知らなかった。私達はみんな、感謝と共に深い後悔をしてます」
「彼女が……していた事?」
震えたまま、こくりと頷く。
薄茶色の、蒼よりは濃い色のその瞳からぽたりと雫が溢れる。
「私のお客さんがあの子に指名変えした時…お客様が私の悪口を言ったんです。
でも、あの子はわたしの悪口に一切同意をしなかった。むしろ一生懸命褒めて、『また指名して上げてください』って言われたって…お客様ご本人に聞きました。
わたし、すごく気が強くて。お客様にも高圧的になるから新規の方の失客率がすごく高かったんです。
思えばあの子がデビューしてから、それが減ってました。
蒼ちゃんはお客様全員に…お礼のメッセージを送ってくれてたんです」
「…そう、なんですか…」
「スタッフは1日MAX10人出勤、いつも6.7人のスタッフが出勤していて、全員が新規のお客様には必ずつきます。お礼のメールなんて手が回らずに誰もしていなかった。研修で『リピート獲得のためにやりましょう』って教わっだけど、それが続いていたのは蒼ちゃんだけだった。
しかも、いじめてた私の分までです。
わかりますか?この手間をやっていたことの凄さが…。
毎日毎日、何人もお客様が来るんです。一人3時間弱かかって、4〜5人は最低でも施術します。自分も仕事をしながら他の人の会話を聞いて、何を施術をしたか、どんな人だったか覚えていないとあんな風に書けない。
蒼ちゃんの言葉に心を打たれたお客様は必ず戻ってきました。
私が仕事を続けられたのは、あの子の努力のお陰だったんです!」
「…そう…だったんですか」
必死で伝えてくる彼女の気持ちが心地いい。
蒼の事を心から、心配しているんだ。
蒼がどんな人だったかを一生懸命伝えてくれている。
「あの子は、違います。絶対犯罪をする様な子じゃありません!わたしが保証します!お店のみんなにも声をかけて…あの、警察署とかにも行きますから。
だから、だから…逮捕とかそう言うのはやめてください!お願いします。
蒼ちゃんは、お友達がいなかった。仕事ばっかりで…私たちの分まで一生懸命働いてくれて、いい子なんです!
あんなに楽しそうな姿は初めて見ました。元彼から逃げたはずだから、もう関係ありません!!お願い…します…!」
テーブルの下まで頭を下げ、床に涙が落ちる。自分のハンカチを彼女に差し出し、浮かんでくる笑みを抑えるのをやめた。
彼女は、蒼の心に気づいてくれた。
間違いなくいい人だ。
「ご心配なく。私は警察ではありません。彼女の会社の者ですよ。危なっかしい人だから護衛をしていただけです」
「えっ!?そ、そうなんですか!?じゃあ逮捕とかじゃないんですか!?」
「えぇ。元カレはすでに収監されています。あなたがおっしゃる通り、縁は完全に切れました。私どもの会社は政府系のお仕事もしておりますので…そのような心配は今後もありません」
びっくりしたまま固まった彼女がゆるゆると笑顔になり、ほおに一筋涙が伝う。
「なんだぁ…よかった…よかったぁ…」
もう一度ハンカチを差し出すと、自分の鞄から取り出したペーパーで目元を拭う。
おや、なるほど。ハンカチでお化粧がよれるか。
「すみません。仕事の癖でキッチンペーパー持ち歩いてて。ありがとうございます。じゃあ、蒼ちゃんは元気なんですね?幸せなんですよね?」
ちらり、と左手の薬指に視線を感じる。
なるほどな、ネイリストさんは本当に観察眼が優れているようだ。
「はい。そのはずです。そうしたいとずっと思っています」
「そっか…そっかぁ…」
ほっとした様子の彼女はソファーに身を預けて、何度も何度も頷いている。
なんだか、蒼に触りたくなってしまった。胸の中にただ切なさだけを感じる。
『なんか、良かった。でも連絡先とか、仲のいい先輩にも教えなかったから…この後の仲介はしない方が良さそうだね』
『そうだったのか。…あぁ、蒼たちが帰るようだ。先にいくぞ』
インカムをたたき、了解を送った。
「元気な姿を見られて、本当に良かったです。私、謝りたかったな。
…でも連絡先を残していかなかった蒼ちゃんは、きっとそうして欲しくないと思うので。
そろそろ、失礼します。お話ししてくださってありがとうございました!」
「あ、は、はい…」
伝票を持って颯爽と席を立たれてしまう。しまったな、女性に払わせてしまった。
喫茶店の出口でペコリと頭を下げ、蒼の先輩は姿が見えなくなる。
残ったコーヒーを口にすると、苦くて香ばしい…質の良いコーヒーの味が広がった。
2024.06.19改稿