【閑話】 新婚旅行1
蒼side
「んん…?」
ゴトゴト、何かが揺れる音…これ、サスペンションの揺れな気がする。
車に乗ってる?私昨日はお部屋で寝たはずなのに…。
「目が覚めたか?」
顔に吐息がかかる。重たい瞼を挙げると、昴の顔が間近にある。
デ、デジャブ…。
窓ガラスが少し開いて、ふわふわ風が吹き込んできてる。
広めの室内…この音は千尋のマセラティのエンジン音だ。
私自身はいつもの黒いワンピース、靴は履いてないけど…しっかり外行きのお洋服を着てる。
運転してるのは千尋。昴は助手席。
私と慧は後部座席で座ってる。
三人ともラフな格好…お揃いのパーカー、デニムにキャップをかぶってる。
わぁぁ…かっこいい!!
体に巻かれたブランケットが暖かい。両手とも慧に握られて、旦那さん達は揃って緩やかな微笑みを浮かべている。
「な、何で?どこか行くの?」
「今日は声が出てるな。体は?」
「重たいけど…ちゃんと動くよ。じゃなくて!な、なに?なんでマセラティちゃんに乗ってるの?」
「温泉旅行にいくんだよ。体を休めるには温泉だろってキキに言われてさ。もう少ししたら温泉入れなくなるから」
「そう。蒼がおそらく大好きな場所だ」
「興奮しすぎるなよ、妊婦さんなんだから」
ニコニコしてるけど頭が追いつかない…何が起きてるの?
カーナビは行き先設定されてないし…旅行…初めて行くんですけど。随分前に慧と話してた新婚旅行かな。
車の外に流れる景色は高速道路…あっ、看板が出てきた。
…関越自動車道…現在地は埼玉…も、もしかして!!!!
「群馬に行くんでしょ!?」
「もうバレた。蒼の知識を舐めてたな」
「流石にわかるか…」
「そう。蒼の大好きなアニメの聖地に行くんだよ」
握られた両手に力をこめる。この溢れ出すパッションを発散する方法がない!!
「ど、どこに泊まるの?!」
「伊香保温泉。名物の階段脇にある旅館だ」
「石段街!!わぁ!わあぁ…待って!行きはどっちから登るの!?」
慧がスマートフォンで地図をぽちぽちしてる。バレないようにナビを使ってなかったのねぇ…。
「えーと、渋川伊香保インターチェンジから…」
「それだと聖地が上りになっちゃう。湖に行くでしょ?行くよね?行きたい」
「ものすごい反応だしよく知ってるな…」
「伊香保側に下りたいの!あの、あれ!ほら!前橋北インターから降りて、17号線に乗って…」
「そこまで知ってるのか。…蒼が道わかるなら案内してもらうか」
「します!する!したい!!途中に神社があるし、焚き火のお店があるの!!」
「な、なんでそこまで知ってるの?」
「あの、その…私の好きなレーサーさんの出身地なの。イソスタで写真がアップされてたんだよね」
「なるほど…レーサーか」
「とにかくあの辺のものについてはよく知ってるので…旅行日程ってどうなってるの?」
今度は昴がスマートフォンをぽちぽちし始める。
「あまり目立った観光施設がなくてな…三日間の日程だが決まっているのはお土産屋さんばかりだ。グリーン牧場というところに行く予定だが、他は殆ど未定」
「蒼が行きたい湖周辺で遊ぼうと思ってたからね」
「あー。なるほど…うん…」
「こんにゃく食べれるところあるらしいよ。ちょっと遠いけど、カートで走れるところもある」
「あ、えと…そっち方面は本当に何もないからやめよ。お薦めされてなかったし、こんにゃく屋さんは手作りの美味しいやつが道の駅に売ってるんだって言ってた」
「言ってた?」
「な、なんでもない!行き先が決まってないなら、お任せいただけると嬉しいんだけど…どう?」
忍び笑いが車内に満ちる。
千尋がウィンカーを出し、SAに舵を切った。
「そうしよう。サプライズのはずが蒼主導になるとは。体調がいいなら運転するか?」
「とーーーってもいいから運転したいです!!」
「なんとなくこうなる気はしていたが」
「蒼だしねぇ」
息が荒くなってしまうのを止められない。興奮しすぎて鼻血が出そう。
……はぁはぁ。
「よし、休憩タイムだ。俺飲み物仕入れてくるよ」
「俺はトイレ待ち」
「俺も」
「な、なんで?私はおトイレ行きたいけど待ってなくてもいいのに」
「「「ダメ」」」
三人に揃って言われて、頬を膨らませる。
「むぅ」
「さ、お手をどうぞ」
「むぅ」
ニコニコ笑顔の昴の手をとり、私は足を下ろした。
━━━━━━
「すんごい豪雨」
群馬に到着してから山の奥の奥に向かい、爽やかな林道と風に囲まれて進むはずが、土砂降りの雨に降られてる。
視界は悪くないけど…うん。すごい雨。
「誰か雨男?」
「俺は晴れ男だぞ。どこに行っても晴れてる」
「俺だってそうだ。慧か?」
「旅行自体あんまり経験がないけど、遠出して雨に降られたこと、ないよ。…蒼じゃないの?」
「なんか不名誉なんですけど。でも雨はいいよね、上がれば虹が出るかもだし、タイヤが減らないし」
「上がるといいけどな…あ、そこのお店だ」
緩やかな上り坂の先、木立の中に突然茅葺き屋根のお店が現れる。
水車がついて、平家の小さい建物。
砂利の駐車場にゆっくり車を止めた。
ま、ま…待って!FDが居る!!!
「あれ、RX7じゃない?」
「赤いな、蒼のと同じような装備つけてる」
「すごいいじってるね」
「雨宮エアロ!ミシュラン履いてるし…はっ!ドリフトしてる!!!」
真っ赤なFDがポツンと止まっていて、真横に車をつけてじっと眺める。
タイヤと、車体についたダストを見る限り、してる!ドリフトを。
もしかして走り屋さんだろうか。中を見たい…ちょっと見ただけでもかなりいじってるし、中のロールケージすごい…ゴツい!内装も剥いでるし!
「はぁ、すごい…すごい人がいる!!」
「車見てわかるのか」
「わかるよ!見てあのロールケージ!私の車についてるのは生活重視のロールバーだからね!すごい…すごい!ボンネット、カーボンに換装してるし、インパネ周りがかっこいい!!」
「うーん。なーんか、どこかで見たような…」
「慧の知り合いか?」
「うーん、違うと思うんだけど」
「あ、雨止んだ!」
窓ガラスを叩く雨粒が突然ふっと止まり、空が明るくなる。
さっきまでものすごい雨だったのに嘘みたいにピタリと降りやんだ。なにが起きたの??
こんこん、と窓ガラスが叩かれる。
真っ黒なパーカー、真っ黒な髪と瞳の少年が窓ガラスを叩いていた。
ウィンドウを開け、その人を見つめる。
…あれ?この人どこかで…。
「こんにちはぁ。お店に来たの?今日お休みだよぉ」
「ふぁ…そうなんですか?」
「ここは天気が悪かったり、人が来ないと閉めちゃうんだぁ。田舎のお店あるあるだね。ご飯食べに来た感じかなぁ?」
人懐こい微笑みを浮かべる少年は、短く切りそろえた髪がサラサラしてる。
耳にシルバーのイヤーカフをはめて…色っぽい…。喋り方が可愛い。
思わず頬を染めながら、こくりと頷く。
「お店のおじさん、雨上がりはキノコ採りに行くからなぁ…お腹空いてるなら神社の傍にご飯屋さんあるよ。ご案内しようかぁ?」
「あ、あの地元の方なんですか?」
「うん、そう。久々に帰ってきたんだ。雨が降ると山に人がいなくなるからさぁ。ちょっとだけ走ろうかなって思ってたとこぉ」
「でも、ご迷惑じゃ…走り屋さんですよね?」
「んー、まぁ…今は違うけど…そんなようなもの。気分転換だしいいよぉ。群馬に来てくれたのにご飯食べれなかったら申し訳ないし。どうするぅ?」
三人に振り返ると、微妙な顔してる。
男の人だからかなぁ。
あれ…待って。
少年に振り向き、ニコニコ笑顔を眺める。
顔のほくろ…タレ目…真っ黒黒すけの出立ち…。のんびりのびた語尾…。
「まさか……まさか享さんでは!?」
「あれ?なんで知ってるのぉ?ボク有名人?」
どくん、と心臓が跳ね上がる。
私がネイリスト時代からフォローし続けた憧れの人だ!!!とんでもない有名人です!!
最近は日本国内でレースをしてるはずだけど、故郷は群馬だし、今は都内に暮らしてるって…こ、こんなことある??
震える手でドアを開けて、享さんの手をむぎゅり、と掴む。
「私、私…蒼です!!あの、以前爪のアカウントでフォローしてて、あの…一度お返事を頂いて!!」
「おおぅ?…あっ!ネイリストさんじゃない?蒟蒻の話したよねぇ?最近アカウントが消えちゃったから、どうしたのかと思ったけど…」
「はい!はい!そうです!!」
「元気にしてたのぉ?」
「元気です!!!本物…本物ですよね!?さ、サインください!」
「あっはは!いいよぉ〜。んじゃご飯も一緒にいこうかぁ。ボクも話したいことあるんだぁ」
「はぁぁぁ…」
目尻に涙が溜まってくる。私、ルマンのレース見てたの。彼の走りは本当にすごかった。
レーサーの学校を出ていない、突如現れた天才レーサー…あの走りは本物だった。
世界記録を塗り替えた彼が倒れて…表彰台に登らず、恩師が代わりにそれを受けたのを知ってる。
「うっ…う…ルマン…見てました。凄かったです。本当に…うっ」
「わわ…泣かないでぇ…あ、あの、旦那さんなのかなぁ?助けて…」
三人とも車から降りてきて、千尋が抱き上げてくれる。
「すみません、妊婦さんなので涙もろくて」
「お知り合いでしたか」
「あの、ルマンで世界記録を塗り替えたレーサーさんですよね?」
千尋の肩に縋りついて、衝動をどうにか受け流す。彼はね、本当にすごい人なの。一人で長時間走り続けて、観客が熱狂していたのを覚えてる。
あの熱は、私の中にまだ確かなものとしてある。
落ち込んでいた自分の心が震えた、あの瞬間を私は忘れない。
「よく知ってるねぇ。というか妊婦さんなのに運転席から出てきたよね?マセラティギブリでしょ?大丈夫?エンジンフェラーリだよ?」
「一応安定期には入りましたし、運転が一番上手いんですよ」
「ドリフトは禁止されてるけどね」
「ほぉ?蒼ちゃんネイリストから走り屋に転向?」
「ぐすっ…WRCにでてます…」
「あっ!そうなのぉ?!なるほど…財政は安定してるようだし問題なさそうだね。…ボクが車に乗ると雨が降るから、運転手は交代したほうがいいよ。雨男なんだ」
「なるほど…」
千尋が微妙な顔で呟いてる。享さんは重度の雨男だ。ルマンでも彼が乗ってから土砂降りの雨だったもん。そして、私と同じく複数人の恋人がいる人。私も…話したいことがたくさんある。
「あのぉ…享さんの車って…助手席ついてますか?」
「んふ、言うと思った。今日はついてるよぉ。夜にお迎え行く予定があるからね。乗るぅ?」
「乗りたいです!!!」
「「「うーーーん」」」
千尋のパーカーを掴んでじっと見つめる。
「あのね、ちゃんとした人なの。見て!ほらこれ!」
スマートフォンでフォローしてる享さんのアカウントを表示して見せる。
「ふむ…公式マークついてるな…」
「千尋、大丈夫だよ。この人は本物だ」
「慧は知ってるのか?」
「俺がポリアモリーを知ったのは、彼が元だから…」
「俺が聞いたのはそれか。蒼も知っていたしな」
享さんがポリポリ、頭をかいて頬を赤く染める。
「はい、まぁ、そうです。…もしかして蒼ちゃんもそうなの?」
「はいっ!!私の旦那さんたち、です」
「わぁお…マジかぁ」
千尋がため息をついて、体を離してくれる。
「今の形の恩人なら仕方ない。享さん、よろしくお願いします」
「はぁーい。んじゃ行こっか。神社はすぐそこだから。霧が出るかもだから気をつけて」
「はい」
三人が苦笑いしながらかわるがわる頭をポンポンして、車に乗り込む。
震える足を叱咤して、享さんの真っ赤なFDに乗せてもらう。
すごい!すごい!!本物だよ!!!
レカロシートの上にクッションを敷いてくれて、運転席に座った彼がエンジンをかける。
ビリビリ響くエンジン音。低いサウンドに合わせて私は血圧が上がってアドレナリンが分泌されるのを感じる。
「さて、んじゃあいつものセリフが必要かな」
「あ…あ…」
「カオナシになってるよ?」
「はああぁ!お願いします!お願いします!!」
ふ、とイタズラに微笑んだ彼の眼光が鋭くなる。瞳の中に、星が宿った。
「ボクとイイコトしない?」
「ふぁーー!!!」
彼の決め台詞を聞いて、私はついに臨界点を突破するのであった。
2024.06.19改稿