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【閑話】 看病

慧side



「蒼?入るよ?」


 ドアノックに返事がなくて、そっと扉を開く。蒼の香りがするいつもの部屋にスーツ姿のまま、足を踏み入れた。


 ケホケホ、咳込む声。蒼が赤い顔で起き上がる。


 

 

「慧…ごめん、気づかなくて…お仕事はどうしたの?」

「蒼が風邪引いてるのに一人にしないよ。仕事が済めばみんな帰ってくるからね。俺はキキに風邪薬もらってきたの。

 ポカリと…ご飯食べてないでしょ?あったかいラッシー作ってきたから」

「うん…ありがとう」



 

 鼻が詰まってる声で蒼が答える。珍しく風邪をひいて寝込んでるんだ。

レースが終わってオフシーズンだからゆっくりしてて欲しいんだけど、ニューマシンのシェイクダウンに明け暮れて昨日は徹夜してた。

 

 明け方帰ってきたら朝ごはんが食べられず、無理やり休ませたんだ。顔が赤いところを見るとおそらく熱が出てる。


 枕元に買ってきたものを並べて蒼の耳に体温計を当てて、熱を測る。

 毎朝測るから感知式のすぐ測れるやつだ。……38.6℃…結構出てるな。

 

「寝てていいんだよ。…もう、暖房消したらだめだよ。あったかくしないと」

 

 背中に手を添えて、体を横たえる。真っ赤な顔で蒼が目を閉じた。



 

「マスク…慧、移るからマスクして…」

「うん。蒼もしよ。喉が痛くなるから。加湿器の水足してくる」


 蒼の部屋に常備している黒いマスクをお互いはめて、暖房をつけて加湿器の吸水部分を持って立ちあがろうとした瞬間。

 

 がし、とジャケットの裾を掴まれてびっくりして振り向く。

 


「あっ…私なにして…ごめん」

 

 虚ろな目の蒼に向き直って座る。

頭を撫でると目を細めながら蒼が不安そうな顔をして見つめてくる。



 

「ちゃんとそばにいるからね。ちょっとだけ待てる?」

「…風邪、うつしちゃう」

「大丈夫。ここ数年風邪なんか引いた試しないよ。」

 

「うー」

「ね、すぐ戻るから。いい子で待ってて。ラッシー食べれるなら食べてて。はい」


 ガラスの器に入れたラッシーを手渡し、スプーンを握らせる。

 

「うん…」



 

 早足で蒼の部屋を出て、メッセージを打ちながらネクタイを緩める。

《38.6℃ 熱冷ましと風邪薬飲ませる。不安になってるっぽい》

 

 スマホを放り出して、一気にスーツを脱ぎ捨ててスウェットに着替える。

吸水機に水を満タンに入れて、ウォーターサーバーの水を吸い飲みに入れて、アイスノンを冷凍庫から掴んで出して、慌てて蒼の部屋に戻る。

 

 ムームー、と携帯のバイブ音。

 

《経口補水液とゼリー買って帰る》

《傍にいてやってくれ、昼過ぎには二人とも帰れる》

《了解》



 

 蒼の部屋に戻り、スマホを枕元に置いて、加湿器をセットし直す。暖房の温度も上げとこ。

 蒼は半分起き上がって、布団の上でラッシーを抱えたまま目を閉じてる。結構だるそうだ。

 

 背中に手を添えて肩に頭を落として横から抱え込む。体が熱いな…。


 

「ん…ぁ、寝てた…」

「ごめん、力入らなかったよね…口移ししよっか?」

「だめぇ…うつっちゃうでしょぉ…」

「うーん」


 ラッシーをスプーンで掬って、マスクが半分ずれた口元に差し出す。

目を閉じたままの蒼が口を開けて、そこにスプーンを入れる。


「おいし…」

「もう少し食べて。お薬飲もうね」

「ん…」

 

 体重を預けてきた蒼が瞳を開くけど…ほとんど開いてない。いつも半分くらい開いてる感じの重たい瞼は力が入ってなくて、辛そうだ。


 


「ん、おしまい。横になろ」

「あり、がと…」


 焦点が合わないまま蒼が微笑んで、アイスノンに頭の下に敷く。

風邪薬と解熱剤を取り出して口に入れ、吸い飲みで水を差し入れる。

 

 蒼がこくりと嚥下したのを見届けて、布団の中に潜り込んだ。


 

「一緒に寝てくれるの?」

「うん。二人とも昼過ぎには帰ってくるから。」

「ただの風邪なのに…大丈夫だよぉ」

「俺たちがそうしたいんだからいいの」


 むーむー、唸りながら蒼が胸元に擦り寄ってくる。布団の中がいつもより熱い。

 肩を抱き寄せて、ピッタリくっつく。

頭を撫でると深いため息が落ちてくる。

 

「んー、気持ちいい…」

「ふふ、それは良かった」



 

 蒼が顔をぐりぐり押し付けてくる。

 かわいい…。弱ってる蒼を見る事は本当に稀だ。具合が悪くなるのも稀だし。

うるんだ目でじっと見られて、庇護欲が掻き立てられる。


「どしたの?」

「風邪引いた時に誰かが居てくれるの、初めてなの」

「そっか…今までは一人で頑張ってたんだね」


 

 頬に手を添えると、微笑みながら手のひらに擦り寄ってくる。猫ちゃんみたい。気まぐれで、気高いのに甘えるのが上手。

 蒼はすっかり甘え上手になった。意地っ張りなのは相変わらずだけど…蒼が変わっていくのは嬉しい。色んな意味でね。


 


「くっついてると体がふわふわして安心する。頭も痛くない。幸せ」

「ほんと?…何それ俺も幸せなんだけど……」

「んふ…」

 

 マスクが邪魔だな…キスしたいのに…。

取ったら蒼が怒るだろうし。我慢するしかないか。



 

「風邪引くのも悪くないね…ふふ…」

「蒼が辛い思いするのはやだよ。仕事で寒いところも暑いところも行くんだから、無茶しない、無理しないで欲しいんだけど。レースは仕方ないとしてもだよ」

「むーん…わかった。流石の頑丈な私も時差とか気温差とか激しいから、移動するとやっぱり体調悪くなりやすいのかも?」

 

「そうだろうね…でも、楽しそうだ」

 

「うん。楽しい。土間さんがいつも笑ってる。大好きな人たちが喜んでくれる。私自身もやってて楽しい。…旦那様達になかなか会えないのが寂しいけどね」


 それは確かにそう。一年目は行けるだけ行ったけど、今回は俺の子を産んで、流石に連れ回すのも厳しくなったし。今年はおいそれと海外に行くのは難しいだろう。


 それこそ順番で行くしかないし夫三人揃って海外に居合わせることは少なくなるかな。

蒼との縮められない距離ができるのは寂しいな。


 

 

「オフシーズンのうちに旅行でも行く?結婚式の後、忙しくて新婚旅行行ってないもんね」

「そう言えばそうだね…私も行きたい。旅行行ったことないの…こほっ」

 

「喉が痛くなるなら、おしゃべりは治ってからにしよ。今はゆっくり休んで」

「うん」


「ねーえ、子守唄歌ってよ」

「む、むう」

「慧が寝かしつけの時に歌ってるの知ってる。私もママじゃない時間が欲しい」


 珍しい…蒼がそんなこと言うなんて。

顔が赤い蒼がはやく、とつぶやく。

仕方ない。蒼のために歌いましょう。



 

 歌い出してすぐに、蒼がすやすや寝息を立てる。かわいい。本当にかわいい。

子供ができたら子供が一番になるって聞いたことがあるけど、俺はずっと蒼が一番好きだよ。

 

 穏やかな寝顔を眺めたまま、俺は愛おしい人のために歌い続けた。


 ━━━━━━


「え?じゃあ二人とも預かってくれたの?」

「そうだ。キキがたまには良いだろ、と」

「気遣ってくれてるのか、子供が可愛くて連れて行きたいのかわからんが」

「はー、そうなんだ…風邪が移るのも良くないし良いんじゃない?ありがたいね」


 昴も千尋も帰ってきて、蒼の冷却枕を変えようと部屋を出たら鉢合わせしたもんだから三人でリビングにいる。



 

「なぁ、今後のことを考えると…子供を組織の奴らに預ける事も多くしたほうがいいかもしれん」

「今後って…仕事の都合でか?」

「千尋、そうじゃないよ。蒼がいなくなった後のことを考えてでしょ」


 千尋の顔色が変わる。

 口を閉じて、どさりとソファーに座って。

……気持ちはわかるよ、でも確かにそうだ。蒼が居なくなれば俺たちが生きて行く事に耐えられるわけもない。



 

「遺書を残すとしても、宗介が面倒を見てくれると言っていても…その先について、俺たちは無責任な結果を取ることになる。

 蒼が長生きさえすれば良いと言う…楽観視だけでこの先を進めるのも危険だろう」

 

「俺の子が最後だとして、私立大学に行けるくらいの資産は欲しいな。生命保険も検討に入れて…資産計画を立てよう」

「そうだねぇ。この家も生前贈与しておいた方が良さそう」

「そうだな。…嫌な話だな。蒼が具合悪くなったくらいでこんな話が出てくるとは」


 昴も千尋も苦笑い。俺も薬をもらいに行った時キキに怒られたんだ。

 

「オタオタしてんじゃないよ。この先のことも考えて、ちゃんと蒼の事も、子供の将来の事も考えてやりな。

 良い機会だから夫同士で相談でもしておけ」って。こう言う話のことだよね。

 

 俺も資産整理しなきゃと思ってたし、良い機会をもらえたな。蒼がやる事はいつでも意味がある。


 


「良い話もしよ。蒼は旅行行ったことないから行きたいって。新婚旅行してないでしょ」

「そうだった。海外は…レースの仕事で行くし消耗するからな…国内か?」

「国内といえば、あそこしかないんじゃない?」


 あー、と言う顔になるけど蒼が一番行きたいところって考えたらそこしかないよね。


 

「温泉があるんだったな。…峠を走るのか?」

「それは良くない。流石に県警の管轄まで手を出すのはまずいし。俺の車で行こう」

「そうだな。ベンツやBRZは流石に燃費が悪い。マセラティは安全だし、腰も痛めないしな。ポルシェは多分、高速代で蒼が渋る」

 

「俺の車の出番がない…やっぱ買い足そうかなぁ」

 

「やめとけ。蒼に怒られるだろ」

「車庫も作り直さないとって言われてるしな」

 

「面白いよね、節約思考が今ある車には適用されないんだから」

「「本当にな」」



 

 三人して笑って、ため息が落ちる。

蒼は後、何年生きられるだろう。風邪引いて寝込んでるだけで大騒ぎしてる俺たちは、蒼をなくした後どれだけ耐えられるだろう。

 子供達がきちんと生活できるように色んなものを準備しなきゃ。


 

「そうだ、昴がお粥作ったんだ。旅行の計画は会社でやろう。蒼にサプライズしたい」

「そうだな。温めて持っていくから先に部屋行っててくれ」

「はーい」

 

 千尋とソファーから立ち上がり、蒼の部屋のドアをそっと開く。

加湿器と暖房で暖かい部屋。蒼が静かに眠ってる。

 (千尋、マスクして。蒼が怒るから)

 (おう。)


 布団の上に寝転んで、蒼の顔にへばりついた髪を避ける。

ん、汗かいてる。熱もこれで下がるだろう。


(…入るぞ。おしぼり持ってきた)

 昴が入ってきて、おしぼりを手渡される。足元から湯たんぽ追加してる。



 

「蒼…起きれる?」

「ん…あ…お帰りなさい」

「ただいま。汗ふいて、ご飯食べよう。昴のおかゆだぞ」

 

「!!食べます」

「昴のおかゆ好きだもんね。体拭くから昴に食べさせてもらおっか」


 背中に回った体を支える。千尋におしぼりを手渡し、顔から汗を拭く。

昴が枕の横に座って、お粥をフーフーして差し出した。

 蒼が雛鳥みたいにスプーンを啄んでなんともいえない顔になった。


「ただの風邪でこんなに篤い看病なの?」

「いいだろ。蒼の事はこうなる。観念してくれ」

「甘やかしすぎじゃない?」


「前も言ってたけどこんな事で甘やかされてると思うなんて蒼はチョロいな」


 

 懐かしい、千尋のセリフ。

 鬼おろしを山盛りにした時の話だ。

あの頃から蒼は俺たちのアイドルでお姫様だったな。…ううん、きっと、最初からそうだった。



 

「チョロいのは確かに否定できなくなったなぁ」

「もー。慧まで酷い」


「おかゆはちゃんと食べれたな。少しは良くなったか?熱はかろう」

「うん、汗かいてだいぶ楽になった。んふっ…千尋、くすぐったい」

「うっ…ごめん…」


 三人してどきっとしてしまう。蒼の声は刺激が強いからね。


 

「37度六分…まぁまぁ下がったな」

「ゆっくりすれば明日には下がりそうだね」

「よし、汗も拭いたし。蒼は寝てくれ」

「うん」


 昴と千尋が横になって蒼を抱きしめる。俺はさっきまで一緒にいたし遠慮しとこう。

頭を撫でながら、蒼の顔を眺める事にする。



 

「なーんか…大騒ぎにしちゃったな…もしかして、子供達は預かってもらってるの?」

「そうだよ。キキがそうしてくれたんだって」

「ありがたいね…あとでお礼言わなきゃ。旦那様達もありがとう。風邪引いても寂しくないの、初めてで……なんだか嬉しいの」


 蒼の優しい声に、心がほかほかしてくる。蒼の幸せが俺たちの幸せだからね。


 

 手のひらに伝わってくる少し熱い熱さえも愛おしくて、思わず微笑んだ。


  

2024.06.19改稿

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