とろけるヤンデレ
蒼side
「ん…あれ?」
ぱちり、瞼を開いて重たい頭を上げようとすると…顔に吐息がかかる。
「蒼…おはよう」
「え…昴?昨日私…キキ達と寝たはずなのに…。あれ?外が明るい…?」
昴が私と一緒にお布団に入っていて、間近で微笑んでる。窓から入る日差しが暖かい。
「もうそろそろ昼時だよ」
「えぇ…なんで起こしてくれないの?お見送りしたかったのに」
「今日から蜜月期間になった。蒼は俺と二人きりなんだ」
Tシャツ姿の昴がとろんとした微笑みを浮かべている。なんか…どうしたの?そんなふうにゆるゆるした顔…初めて見た。
「警察は辞めたし、組織の仕事はお休みだ。今日と明日は俺の当番」
「そう言うことなのね…」
こくりと頷いた顔がぽすん、と枕に落ちる。すごい…この溶けてる顔…かわいい…見てる私が溶けそう。
「二日ずつだから。蒼の休養も兼ねて、ずっと家にいるんだ。千尋と慧もいない」
「お家にいないの?」
「そうだよ。トイレ以外は一人になれない生活だから」
「えぇ…そ、そうなの?」
微笑んだままの昴は私の頬を撫でて、にこにこしたまま。何も喋らず、ずっと見つめ合うばかり…。
「あの、その…お腹すいたんだけど」
「うん、ご飯食べよう。もうできてる」
━━━━━━
寝室から手を繋いだまま出て、二人して顔を洗って、なぜか昴に拭かれてしまう。
「自分でやるのに…」
「ダーメ」
「むぅ…」
リビングに向かう途中、静まり返った廊下は誰の気配もない。本当に二人きりなんだ…。
ダイニングテーブルについて、昴がキッチンに消えていく。ガスの火をつけて、鍋の中身をくるくるかき混ぜて鼻歌を歌ってる。……キャラ、バグってない???
テーブルの上には綺麗にセットされたお皿とカトラリー、コーヒーのセットが並んでいる。
ううむ、ホテル仕様なのかな…いつの間にこんな…。
「お待たせ」
「わぁ…すごい!」
分厚いトーストにバター、バラのジャム、オムレツとサラダ、トマトスープがテーブルに乗せられる。
「バラのジャム…懐かしいね」
小さい瓶に入った、透明のジャムは花びらがたくさん入っていて甘いシロップみたいな食べ物だ。
昴が怪我をした時にお茶にして出したの、覚えてるのかな。
「蒼が初めて俺にくれた物だ。同じのを取り寄せた」
「えっ?そうなの?私お土産でもらったから…どこのかも知らないのに」
「意外に近くにあった。千葉にあるバラ園で買える。夏と秋が見頃だそうだから、みんなで行こう」
「そうなの…すごい。よく覚えてたね」
「蒼がくれたものを忘れるわけないだろう?冷める前に食べよう」
「は、はい…」
「「いただきます」」
二人で手を合わせて、トーストにちょこっとジャムを乗せてかぷりと噛み付く。
バターのジュワッとした油分と塩気、ジャムの甘さがとっても美味しい。
「いいなぁ、こういうの。新婚さんみたいだ」
「んふふ。正しく新婚さんでしょう?パジャマのままで、ゆっくりご飯食べるなんて初めてだね」
「うん」
昴の笑顔がどんどん輝くようになっていくんだけど、どこまでニコニコするのか気になってきた。
朝はささっと済ませてゆっくり食べることもなかったし、朝からこんなにたくさん食べることもなかったから、すごく新鮮。
トーストを齧って、昴がため息をつく。
「なんか、お腹がいっぱいな気がして入らない…」
「昨日食べすぎた?体調悪いの…?」
「いや…違う。胸がいっぱいなんだ。こんな風にしてみたかった。好きな人と向かい合って、パジャマで寝起きのままゆっくりして、しかも明日も蒼を独り占めできる…いつか死ぬなら今日死にたい」
「縁起でもないこと言わないの。」
頬杖をついた昴の口から甘いため息が落ちる。
「蒼を家の中に閉じ込めて…他の男に見られることもない、触られることもない。何も心配しなくて良いんだ。幸せすぎる…」
「む、むぅ…」
お水を飲みながら、思わず唸る。
ヤンデレさんが絶好調です。
「どこもお出かけしないの?」
「したくない。蒼を閉じ込めたい」
「ゆっくりも良いけど…私は病院で散々だらけてきたから、お掃除とかしたいなぁ」
「いいよ、俺がずっとくっついてるけど」
「なんか…口調まで溶けてる」
「うん…幸せなんだ」
目線が絡みついてきて食べ辛い…。一旦目を逸らして、またちらっと見ると、すぐに目が合って昴の笑顔が破壊力を増すから、全然見られない。ずっと私のこと見てる…。
「食後はコーヒーでいい?ネルドリップで久々に淹れようと思って」
「そう言えば昴がコーヒー淹れるの見たことないかも…コーヒーマシンじゃないんだね?」
「うん、コーヒーが好きだから」
「…あの、お酒飲んでないよね?酔っ払ってるとこ見てないけど、なんか…酔ってるみたいに見える」
ケトルのスイッチを入れて、ふ、と笑いが落ちた。
「酔ってる。蒼に」
「…うっ」
トースト最後の一口を齧って私は固まる。
すごい…お部屋の空気が一気に甘くなった。顔が熱い。
パタパタ顔を仰ぎつつ、食べ終わった食器を重ねる。昴はトーストを一口齧っただけ。いつも沢山食べる人なのに…。
「全然食べてないけど…大丈夫?」
「うーん…」
「蒼が食べさせてくれたり、する?」
「んなっ?!……そ、そうして欲しいの?」
「うん」
かわいいがバーゲンセールに出されてる…。
仕方なく頷くと、昴が慌ててテーブルに戻り、私は引っ張られるまま膝の上に座った。
「俺の奥さんだ…ふふっ」
「も、ちょっ…まって…」
思わず両手で顔を覆う。攻撃力がすごい…胸のドキドキがおさまらない。
腰に昴の手が回って、顔を覗かれた。
「違うのか?」
「違わないけど…可愛すぎて目が…うぅ」
「…蒼の方がかわいい。スープ食べたいなぁ」
「くぅ…」
これが二日…本気で続くの??
私は震える手でスープを掬って、いつまでも笑顔の昴に差し出した。
━━━━━━
「昴のコーヒー本当に美味しいね」
「そう?よかった」
「…お、お庭いじりでもする?…でも、見た感じ雑草一本も生えてないね…」
「蒼がやりたいって言う気がして、全部やっといた。」
「む、むう…」
朝ごはんを全部私の手から食べた昴は食洗機に食器をさっさと突っ込み、コーヒーを静かに入れて、私を抱えて縁側に座って…ずっとくっついてる。
昴は私が起きる前に洗濯物、掃除、ご飯の支度も全部済ませていたみたい。掃除をしようとしたけど、廊下の隅にもチリひとつない。草むしりまでしていたとは…。
そしてパジャマのまま着替えさせてくれない。
穏やかな日差しの中、コーヒーを啜りながら昴が背中に抱きついて、何にもしないでいる。
…鳥の囀り、風が渡っていく音が耳をくすぐってくる。普通の日常が、私には久々すぎて少し落ち着かない。
昴と出会う前もずっと忙しかったし、こんなふうに何もしない日もなかったから…。
それでも、のんびりした時間と昴のご機嫌な様子に私の心がほぐれていくような気がした。
「昴はこういう事がしたかったの?」
「うん」
「私のこと閉じ込めたいのは本当だったんだね」
「うん」
「普段は我慢してるの?」
「うん」
昴のキャラが完全に崩壊している。
なるほど…何の心配もなくなるとこうなるのか…。
「蒼…大好き。ずっと一緒にいような」
「うん…」
語尾の溶けた昴の声が染み込んでくる。
本当はこんなかわいい人だったんだ。
毎日気を張り続けて、頑張ってたんだね。
「蒼はこう言うの嫌か?何かしてないと落ち着かない?」
「そうだね…でも、いいの。昴の日だからゆっくりしよ。昴がかわいくて、ちょっと戸惑ってた」
「蒼が嫌じゃなければこうしていたい。気を抜きすぎてるかもしれないけど…今日だけ…いいかな」
「いいよ。ゆっくりしよ」
「うん」
何も言葉を交わさず、静かに日の光を受ける。
沈黙が心地いい。何を言わなくても昴がニコニコしているのがわかる。
お腹に回された手を撫でて、自分の手にはまった三本の指輪が目に入った。
…ふーむ。ヤンデレさんが喜ぶことをしてあげようかな。
ポケットをガサゴソ探って、小さな巾着を取り出す。いつも持ち歩いているオイルとネイルファイルを入れている袋だ。入れていたものを取り出して、縁側に置いた。
昴がくれた青い石の指輪だけを残し、千尋と慧の指輪を外して袋にしまう。カーディガンのポケットにそっと入れてポン、と叩いた。
よし。
「…蒼…」
「よいしょっと」
昴の膝から降りて、手を取って観察する。この前したばかりだから、爪は伸びてない。オイルマッサージでもしてあげようかな?
「ゆ、指輪…」
「ん?うん。今度から当番の日はそうしようかな。昴の奥さんだからね、今日は」
「…っ」
ぎゅっと抱きしめてきた昴が震えてる。
本当にかわいい人…ずっと我慢してたんだよね。私のせいもあるから胸がチクチクしてる。
「いつも我慢させて、ごめんね」
「謝る必要なんかない…俺が望んだことだ。辛いなんて思ってない」
「でも…昴が、本当はこんなにふわふわしてるって知らなかった。素直で、可愛くて『うん』しか言わないんだもん…」
「蒼は今のままでいい。本当に幸せなんだ。蒼のことを蔑ろにしてまで、ヤンデレの欲望を満たすつもりなんかないよ」
「うん…」
昴を胸元に抱えて、ぎゅっと抱きしめる。背中に回った手が背中に熱を伝えてくる。
いつも暖かい昴が愛おしい。私に触れるたびに熱をくれるこの人が大好きなの。
「……」
「はっ!昴…!」
慌てて手を離すと、拗ねた顔で上目遣いの顔が見上げてくる。
「ごめん、息止まってた?」
「すごく気持ち良かったのに…このまま息の根を止めてもらいたかった」
「んもう。腹上死とかやめてよ」
「それもいいな…」
「赤ちゃん産まれるのに?」
「むむ…」
「ヤンデレさんにはマッサージでもしてあげます」
「うん」
素直に手を差し出す昴の頭が肩に落ちて、手のひらが私の膝に投げ出された。
本当に溶けちゃってる。
思わず笑いながら昴の手を取った。
━━━━━━
「うーん。赤ちゃんの名前、昴の文字を入れたくても難しいね」
「蒼の文字を入れればいいだろう?」
「蒼太、蒼介…」
「そうすけはだめだ。宗介がチラつく」
「むむ…介はつけたいのに…」
「推しだろ」
「あれ?知ってたの?」
「俺が蒼の好きなものを知らないはずがないだろ」
二人してソファーに座って、くっついて辞書を片手に赤ちゃんの名前を考え中。
なかなか難しい。昴も千尋も慧もみんなピッタリだけど、産まれる前からどんな人かなんてわからないし…どうしたらいいんだろう。
「三人産むなら誰か一人は蒼の名前にして欲しいな」
「ん?うーん、そうしたいならいいけど…でも男の子では微妙な気もするね?」
「そんな事はないだろ?SATの中にもいたぞ」
「そうなの?うーん。」
「まだ期間もあるし、ゆっくりでいい。千尋と慧も何か考えているようだったし」
「あれっ、珍しく寛容だね?」
「…俺は完全に抜け駆けだったからな。好きでいた期間は長いが、恋人になったのは同時だし。自分の都合で蒼にはっきり告白できなかったのに…多少罪悪感がある」
「ほほー?なるほど?昴のヤンデレは比較的まともなのかもね」
「そうだろ?でも、波がある」
「波…どんなの?」
「蒼に触ってる奴を見るとそろそろ消すべきかとか、一度締めておくかと考える事もある。触れた指を折ってやったらスッキリするかもな、とか」
「おぉ…すごいヤンデレだね」
「宗介は身を挺した一件で夫たち共通で認めている」
「な、なにそれ…」
「寛容な部分。別に夫に入れろという気は毛頭ないが、蒼がそうしたければしてもいい。俺たちは蒼を守ってくれた宗介に感謝してるから」
「うん…まぁ、そうだね…でも、夫にはしません」
「…いいのか?」
気遣わしげな視線を受けて、私は目線を引き締める。
私は、死ぬまで宗介への気持ちを開くつもりはない。
自分の気持ちは何となくわかってはいるけど、これ以上その人の人生を貰い受けて自分自身への呵責で心がまともでいられる自信がないから。
それに、三人を好きな自分が好きなの。……自分勝手かもしれないけど…。
「私の夫は三人までなの。死ぬまでずっと」
「死んでからは?」
「えっ?」
真剣な眼差しを受けて、ドキッとする。
「俺は死んでからも蒼と離れる気はない。何が何でも絶対一緒にいる。宗介が相手でも譲らない」
「そう…できるかな」
「俺は必ずやり遂げる。そう、ずっと心に決めてるから。人は生まれ変わるっていうけどそれだってわからない。
俺たちは人を殺しているから、すぐには成仏できないはずだろう?スネークがそう言っていた」
「そう、だね」
「俺は死んで地獄に行くなら、そこでも一緒だ。生まれ変わるなら追いかける。プロポーズでそう誓っただろ?」
「昴ならやりそうで怖いなぁ」
「絶対そうする」
顎を掴まれて、昴の唇が重なってくる。夕暮れの光を受けた黒髪が、キラキラと光をはじいている。
「…まだ夜じゃないけど…いいか?」
「うん?」
とんとん、とお腹を人差し指で叩かれる。
「安定期に入った。…蒼のここが恋しい。俺を受け入れて、愛して欲しいんだ」
青い瞳の中に炎がゆらめいているのがわかった。
「いいよ…」
ふんわり微笑んだ昴が私を持ち上げて、リビングのドアを開けた。
━━━━━━
意識が途切れ途切れの中で昴の甘い言葉が染み込んでくる。
愛してる
他の奴なんか見るな
俺だけの奥さん
ずっとそばにいて
囁き続ける昴の瞳の青に吸い込まれて、私は何度目かの甘い闇の中に足を踏み入れた。
202406.19改稿