置き忘れられたもの
千尋side
寝ずの晩を過ごして、シパシパする目をこすりながら朝食のテーブルについている。
徹夜に慣れているとは言え、しばらく規則正しい生活をしてきたから…ちょっと堪えたな。
同じように目をこすりながらスープを口にしてる慧が眉間を揉んでる。
昨晩の事件と蒼の延命についての重要事項の説明を受けながらだからな。眠気のある頭には大分キツい。
「朝から重い話題をどうもありがとう…」
「一晩の進展が凄過ぎて言葉にならんな」
蒼はすっきりした顔で微笑んでるし、昴が…ものすっごい笑顔なんだが。
蒼と夜を過ごしたのもあるし、話を聞いた上では蒼の心の整理を手伝えたのが、自分で嬉しいんだろう。
俺は悔しい。蒼が元気にしてるならいいけど。
「腹立たしい顔しやがって。ボス、いや、昴…あーめんどくせぇ。もううちの組織はいいよな、名前呼びで。ボスだの何だの被りが多くてめんどくせぇ。茜も茜でいいだろ」
「そうしよう。俺もいい加減名前で呼ばれたいし、コードネームはもう必要ない」
「私は…困ります」
スネークが後ろで小さく呟く。
スネークは生まれがお寺さんで『大仰だし、呼びにくいから』と自分で言っている。うん、正直なんて呼べば良いかわからずにいる。
「宇迦耶蛇身って、すごい名前だよねぇ…」
「慧…やめて下さい」
「そう言うけど、本当にすごい名前なんだよ?
仏教用語で宇迦耶は財施を意味するし、宇迦之御魂神に通じているでしょう?神々しくて素敵な名前だよ」
「そう、言われるといいような気になります。よく知ってますね、蒼は…」
蒼は辞書を引いたのか?最近よく見てるとは言え、よく由来を知っていたな。
つわりもあるみたいだし…無理してほしくはないけど、目的が目的だからあまり強く言えなくなってしまった。俺も今日から夜は辞書と睨めっこだ。
「スナイパーですから、スネークでいいんですよ」
「スネークはそのままでいいだろ。桃太郎は太郎を抜くのか?」
「銀だってそうでしょ!銀聖!」
「やめろ…文字が気にくわねぇんだよ…」
「どうして?銀の弾丸は聖なる力を持っているんだもの、ピッタリじゃない。シルバーバレットになればもっと凄い意味だし」
「そうなのか?どんな意味なんだ?」
銀が蒼の横でスプーン握って顔を赤くしてる。お前いつも蒼の横にいないか?
「シルバーバレットは『解決が難しい問題を一撃で解決する万能策』っていうの。ヒーローが一撃打破して銀の弾使いなんて言われるでしょう?かっこいいなぁ」
「フン…そうか。ならいい。好きに呼べ」
「どっちがいいの?」
「どっちでもかまわん。蒼以外は銀にしろ」
「あーはいはい。わかりましたよ。じゃあボクも桃にして。蒼は太郎つけてもいいよ」
「私は普通に雪乃でいいですわ。蒼には何かあだ名でももらおうかしら…?」
「面倒くさいこと言うなよ…全員名前で統一してくれ。銀聖は銀、桃太郎は桃、スネークと雪乃はそのままでいいんだろ。宗介はどうする?」
「あん?蒼とおめぇと慧、昴以外は先生にしておけ。俺が認めなきゃ名前は呼ばせねー事にする。昴と慧も敬語をやめろ。お前らとは対等だ」
「だってよ、お二人さん」
昴は笑顔のまま頷いてる。慧も微妙な顔で頷く。
「じゃあ…役割分担する?みんな眠たくない?」
「分担聞いてから寝たいな…」
「奥さん独占権の当番適用にならないから、俺は寝なくてもいいけど」
「ダメだよ、慧。ちゃんと休んで。そうじゃないと体力持たないでしょ?」
蒼が真面目な顔で言ってるけど、それ俺たちには違う意味で伝わるぞ。
「当番の俺は蒼の期待に応えるために寝ます。昴、早くして下さい」
「えっ?…はっ!?そ、そう言うあれじゃなくてあの…うぅ」
「「クソっ」」
あわあわする蒼はかわいいが、慧は憎たらしい。ほっといて先進めるからな。
「戦闘時の配備は宗介の判断を仰ぎたいんだが」
「んー。まだ何とも言えねぇな。戦車や飛行機には蒼の同期を充てるしかねぇが。
野戦は蒼が危ねぇし…あ、そうだ。お前女のアレコレ教えておけよ。みんな知らねぇだろ?」
宗介が蒼に言って、頷いてるが…何それ?
「戦争中は女は大変だからな」
「あっ、それ嫌な予感がするんだけど…」
蒼がそばにいる研究者の女性を呼ぶ。
蒼の同期は現在見張り中だけど、この様子なら知ってそうだな。雪乃と相良もやってきた。相良は朝から土間さんと連絡取って手配してくれてたから、疲れた顔してる。
女の子達は蒼とすぐそばのテーブルに座って話し始めた。
そこで話すのか…。
「あのね、生理の話をしておかないとなの。女の子達にはみんなも伝えてくれる?有事中は物資が不足するでしょう?ナプキンがなくなった場合は脱脂綿もいいんだけど、何もない時は膣の筋肉を…」
理解した。これはまずい話題だ。慧の言った通りだ。
「よ、よーし!こっちはこっちで別の話をしようか!な!」
冷や汗が止まらないんだが。
早く誰か繋いでくれ!
「蒼の謎が一つ解けた気がするな」
「昴!やめろ!!そう言う繋ぎは期待してない!」
「そ、そうだねぇ!その話題は良くないなぁ!」
頼りになるのは慧だけだ!蒼がアレでコレなのはそう言うことか。
本当によく分かった。夫としては身に覚えのある話だから気まずい。
「なんでそこで照れてんのか分かんねぇな。分担が決まってんのは雪乃とスネークだけだろ?SATだったお前らは急襲、野戦が得意なんだよな?密偵も可能、と」
「「そうだ」」
「慧も戦闘員としても火力が高いし、桃は近接ならまぁまぁ使える。銀もなかなか良い。蒼の同期らと組み合わせて編成するとして、研究者にも銃を持たせなきゃならんし…俺がもう一人いりゃいいんだが」
「教える人が必要ってことか」
「それなら…適任がいるだろ」
銀が蒼を見てる。
そう、なるよなぁ…。
「ファクトリーの入り口は表の一箇所だけだ。裏は崖っぷちだしサイドは入り口より壁が高い。正面突破の方がどう考えても得策だ。相手は人数も多いから回り込みはしねぇだろ?
もし分隊するならスナイパーが撃てばいいしな」
「それはそうだが、どこから撃つんだ?見張の鉄塔?入り口側の壁?」
「いや、茜の部屋の隠し窓を取っ払えばいい。どうせそこを目指してくる。直線距離にしてターゲットまでは3キロ程度…3000ヤードちょいだ」
「そ、それを……やれと?」
スネークが青くなってる。
俺も何言ってるのかわからん。
3kmなんて超長距離スナイプじゃないか。
競技でもないのにそれをやれと…。しかも相手は生きてる人間だ。静止的じゃない。
「蒼はできる。侵入してきた奴を撃ちゃいいし、最後の砦ってやつだ。スネークは蒼に教わればいい」
「蒼に教われるのならやりましょう」
「おめぇも手のひらくるくるだな、オイ」
銀が苦い顔、代わりにスネークが笑顔になる。そりゃみんな蒼と一緒がいいよな。
「てことは蒼もある意味予定通りスナイパーか」
「そりゃそうだ。スナイパー兼司令塔。あいつを陸戦に導入して見ろ。敵だけじゃなく味方も大混乱だぞ。あいつは乱戦向きで戦争向きじゃねぇ。あいつのサポートなんか俺だって難しいんだからな。3個隊に分けるくらいだが、蒼のカンをもう一つ取り戻しておきてえ。寝る前にやるのは全員のテストだ」
またかぁ。宗介がとん、とタバコをテーブルに置く。
…タバコ吸ってる奴らばっかりだったはずだが、最近みんな禁煙してるからな…。複雑な気持ちだ。
「もう一つとは?」
「ウチの部隊が撃破されて茜の部屋に侵入された場合、蒼にも近接戦闘をしてもらわなきゃならん。鞭だよ。拳よりつええしエネミーからは距離が取れる。」
「鞭で人が殺せるのか?」
ニヤリと笑った宗介が取り出したのは銀色に光る長鞭。先端に刃物がついてて鎖鎌みたいだ。
金属かー。そうかー。痛そうだなー。
「訓練時は練習用の鞭を使う。お前らは鞭の攻撃を掻い潜って、ゴールの蒼に触れる感じでフィニッシュ…ってなどうだ?この後でかい機械類も動かすからな、さっさと済ませてぇ」
「あっ!私の鞭!久しぶりだぁ」
話を終えた蒼が戻ってくる。女の子達みんな顔が赤い…。
「手入れがめんどくせぇんだから今日から自分でやれよ?後でスナイプの練習もあるからな。戦車で遊んでらんねーぞ」
蒼が鞭を丸めて微笑んでいたが、戦車の話でショックを受ける。
「うそぉ!空冷ディーゼル…動かしたいのに…」
「ダメだ。お前一番忙しくなるんだから。それに戦車の指示は蹴っ飛ばすだろ、ますますダメだ」
「むぅ」
「け、蹴っ飛ばす?どこを?」
「桃は知らない?戦車の運転席は下にあるから視界用の窓が狭いでしょう?弾丸の中を走る時は土煙が上がるし、音もすごいから目も耳も使えなくなるの。
砲手も運転手も、頭を出して上から見てる人が肩を蹴飛ばして指示するんだよ」
「それは良くねぇ」
「うん、ダメだね」
「や、野蛮ですわね…」
銀達が口々にダメ出しするが、そもそも戦車なんかに乗せてたまるか!
「どちらにしても土間さんの到着は午後になる。それまでやることを済ませておこう」
「うん!じゃあ早速…野戦場かな?」
「子供達も傍で動かすからそうなるな。徹夜組は気合い入れろ。怪我したくなきゃな」
「させないよ。と言うか何するの?」
はてなマークを浮かべた蒼の肩を叩き、宗介がニヤリと笑った。
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「あ゛ーっ!どうしろってんだよ!」
「近づけすらしないんですけど」
「私も鈍ったかな…」
蒼が鞭とモデルガンを両手に装備して、手持ち無沙汰にしてる。いつものように瞳からは光が消えて…タバコの煙で何かを思い出したあと、暫くはこのままなんだ。
子供達は違うフィールドで野戦想定の模擬戦争中。
今はお互いに和平協定を結ぼうとして、決裂してしまったようだ…そこまでやるのか。
俺は腕と足に1発ずつ、昴は腹に一発、慧は両肩に一発ずつ弾をもらいはしたが、蒼に触って合格をもらってる。
鞭はすごい当たってるし、これが実戦なら全員手負だ。
練習用の鞭じゃなく、本物の鞭なら死んでる。ヒリヒリしてる首を撫でるしかない。昴も慧も急所をやられてるから全員死亡だ。
蒼は長、中、近距離全て完璧なんだな。ちなみに宗介も何故か参加して、無傷で瞬殺してた。あいつが一番おかしい。
「まーだでーすかー」
蒼が鞭をしならせてベチベチ地面を叩き出した。
手首と腕で動かしてるんだが、鞭の先端までしっかり操作できていて、それはもう…めんどくさかった。こんな敵と出会ったら即死だよ。
味方で本当に良かった。怖い。
攻め方に詰まって手をこまねいていた三人がら遮蔽物から一斉に飛び出してくる。鞭の攻撃を受けながら強引に迫ってくる相良は脳天に一発もらって斃れた。
桃は器用に避けて蒼に辿り着いたが、鞭の柄で拳をいなされて、地面に倒れ、心臓に一発。
最後に銀が弾と鞭を避け切って、蒼の手を掴む。
「おし、そこまで。相良と桃は後で説教。銀は運が良かったのもあるが、合格にしてやろう」
「はぁ、はぁ…よし、やったぜ…」
「銀すごいね?銃も上手になってるし、動きも良くなった」
「宗介に扱かれてるからな…はぁ…」
「訓練はここまでにして、次はでかい武器の確認か。子供達はこのあと座学だな。評価と指導してくるからちっと待ってろ。寝れるやつはさっさと寝てくれ」
宗介が模擬戦争が終戦した子供達の元へ走っていく。
俺たちを見ながら子供達の動向も見てたんだな…視野が広いって事だ。感心するしかない。
宗介も味方で良かったとしか言えん。
「桃はね、武器の動きを見るときに先端を見てるでしょう?そうじゃなくて手元を見るの。
先端が追えるのは動体視力がいいからなんだけど…手元を見て動きを予測しなければ避けられないよ。
でも、拳の重さはすごく良かったね。私も危なかった」
「はい…」
「麻衣ちゃんは動きがいいのに、相手が私だから迷っていたでしょう。実力があるんだからダメだよ。エネミーは倒さないと」
「うぅ、だって…蒼に触れないし、ろくに喋れないし、寂しいんだよ…やっと一緒に居られるのにこんなのは嫌だ…ぐすっ」
「もー。しょうがないな…」
蒼が銀の手を握ったまま相良の手も握る。……銀はいつまで握ってるんだ…。
「寂しいならくっつけばいいの。遠くから眺めてしょんぼりしてるなんて、しなくていいから」
「そうなのか?」
「麻衣ちゃんはちゃんと甘えられる子だと思ってたのに、どうしたの?」
相良がしょんぼりしたまま、蒼の手を握りしめる。
「私…ちっとも役に立ててないし…私なんか…」
相良が愚痴をこぼすなんて珍しい。
蒼の後ろで桃が俯いた。
あー、これはフォローが必要かな…。
「あのね、適材適所って言うでしょう。今麻衣ちゃんが活躍できる場面じゃないの。あなたは全てが終わった後に馬車馬の如く働いてボロボロになる予定なんだから。
総監がいなくなった後、誰がそのお仕事を引き継ぐの?ファクトリーのことも、私たち組織のことも、東条の始末も、全部関わらなきゃいけないんだよ?」
「うん…」
相良のキャラが掴めない…いつも飄々としていた彼女が蒼の前だとファクトリーの子供みたいになってる。
いつの間にこうなってたんだ??
「ね、だから焦らなくていいの。役割なんてなくたって、キキを守ってここまで連れてきてくれて、だから新しい道が見えたの。
麻衣ちゃんが直接していなくても、結果として役に立ってくれてる。みんながみんな元気で居てくれるだけで私は嬉しいし、寂しければ甘えていいの」
「蒼~!!」
銀が手を離して、蒼が相良を抱きしめる。
相良が足をジタバタさせて抱きついてるし…女の子のノリなのかなこれ。
「ふふ、かわいい。麻衣ちゃんも見張に立ってくれるんでしょう?私の同期とも仲良くしてね」
「わかった。色々と任せろ!」
「うん」
「終わったかー?相良のしみったれは」
「しみったれとか言わないの。徹夜組のみんなは睡眠の時間かな?」
「私は土間さんを迎えてくるよ、しからば!」
元気になった相良が走っていく。
「あいつ…俺たちが行く場所知ってんのか?」
「大丈夫かな…」
「俺は寝る。蒼も無理すんなよ」
「うん、おやすみ銀」
銀はさっさと去っていく。欠伸して、いかにも眠たそうだ。
「ボク、もう少し居てもいい?」
桃がしょんぼりしつつ蒼を見てる。
珍しいな、こう言うのは。
「桃は寝なくて平気?」
「運動したから目が覚めてるんだと思う。眠くなったら寝るよ」
「そぉ?じゃあ戦車の蘊蓄を語ってあげるね!まずはエンジンなんだけど…」
微妙な顔をした桃の手を握って、蒼が先をいく宗介さんを追いかけていく。桃の凹み具合を把握してるみたいだ。
「さてな、どうするかな…」
「隠密活動がないから、桃は活躍が難しいよね」
「ボスとしての役割を放棄していたツケが回ってきてるな。蒼に拾わせてばかりで不甲斐ない…」
そうだな…俺たちは潜入捜査官のままで中途半端に組織をやっていたから。
銀の腕の上がり具合からしてもそうだし、スネークに長距離スナイプを求めてるってのは宗介の性格からして根拠がないわけないし。
成長途中の人員を放棄して来てしまった事を、全て拾い上げているのは蒼だ。
事務員さんもそうだし、キキだってそうだった。
「本当にどうしようかな…」
蒼の瞳を一生懸命見つめる桃を見て、三人して唸るしかなかった。
2024.06.19改稿