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【閑話】ホワイトスノー

雪乃side


「お嬢様、お引越しです」

「またですの…?もう組織(ゴールデンアワー)に専用のお部屋を作ってもらおうかしら…」


 パソコンの熱気に包まれた部屋の中、エナジードリンクをストローで吸い上げてため息をつく。

 私のお城は予備がたくさんあるけれど、お引越しのたびに手を尽くして育てたサーバーちゃん達を処分しなければならなくて…患わしいわ。


「追っ手がかかっております。お早く」

「わかってますわよ。サーバーをすべて殺してちょうだい」

「はい」



 

 ノートパソコンに作りかけのデータを写し、複数あるディスプレイに『deleted』の文字が浮かぶ。


 最近は便利よね。クラウドがあるからデータの保存はどこにいてもできるし引き出せる。

 警察の傘下に入って大きな仮想サーバーを与えられたからもう物理サーバーはやめようかしら。

本庁のセキュリティが甘いのは知らないふりをしてるけど、そう考えると少しは手を加えてあげるべきかしらねぇ…。


「完了しました」

「行きましょう」


 ノートパソコン一台を持って、熱気に包まれた私のお城のドアを閉める。もう何度目かわかりませんが、ここに戻ることはありませんわね。

 車に乗り込み電話をかけた。



 

 

「…蒼?雪乃ですわ〜。申し訳ないのですけれど、会社に少しの間お邪魔しても宜しくて?」

『どうしたの?大丈夫だよ。雪乃のパソコン部屋作ろうと思ってこの前のお部屋、お掃除してもらってるの』

 

「まぁ、そうなんですの?嬉しいですわ…以前お話しした追っ手がかかりましてね、しばらくお邪魔したいのです」

『わかった。昴に伝えておくね。シャワーはあるけど、雪乃の使いたいものがあれば好きに買っていいよ。ご飯はオーバーイーツとかで取っていいからね。経費計上するから、レシートだけお願いできる?』

 

「かしこまりましたわぁー!」

『お迎え行こうか?』


 蒼の優しさに、微笑みが浮かんでしまう。蒼のお車に乗っては見たいけれど、ラブラブタイムはお邪魔したくありません。


「大丈夫ですわ、運転手がおりますの」

『そうなの!?執事さんとか?…大丈夫?』


 チラリ、と運転席からの目線。

  蒼のサロンが襲撃を受けたのは、ボスの専属運転手からの情報漏れでしたものね。



 

「大丈夫ですわ。私の小さな頃から一緒の執事がおりますの」

『それなら大丈夫だね。気をつけて移動してね、何かあればすぐ連絡して』

「かしこまりました。ありがとう、蒼」


 そっと終話を押して、画面に表示された蒼の文字をなぞる。

 蒼の名前だから、この文字が愛おしい。可愛くて、綺麗で…人の名がこんなに美しいと思ったのは初めてのこと。


 

「恋でもなさっているようなお顔ですね」

「そうね…そのようなものかも知れませんわ。私の人生では初めて他人に執着を覚えました。」

「旦那様がいらっしゃいます」

「そうね、一生顔を見ることはないけれど。お陰様で自由にお仕事ができるんだもの、感謝の念は持ち得ています」


 あまりの言いように、物心つく前からずっとそばにいる執事が眉を顰めた。

 あなたもそうでしょう。私と違って死別だけれど…愛しの奥方には一生会えないもの。


 


 私は大きな財閥に生まれ、何不自由なく生きてきた。高級な調度品に囲まれ、小、中、高、大学までエスカレーター式のお嬢様学校で育った。

 友人と呼べるような人はいなかったけれど…みんな似たような境遇だった。

 常に身の回りに執事やメイドが居て、学友だけで過ごす事などあり得なかったし。


 私たちには自由がない。生まれてからずっと親の、財閥の政治的な道具として大切に育てられた。

 そんな中でも私は現在、かなり特異な条件下にいる。



 

 大学を卒業し、政略結婚でさらに大きな財閥に嫁いで…相手は車椅子のお爺ちゃまだった。

 おそらくもう、死ぬまで顔を合わせることはない。

愛し、愛されることに憧れを抱いては居たものの…それが為されるはずもなく。

 法律上の夫は妻である私にあまりある財産をすでに生前贈与し、愛人の家を渡り歩いていた。

 あの年でよくもそこまで、と感心する。私に興味がないから好き放題させていただける環境に感謝している。


 

 私がホワイトハッカーとして目覚めたのは高校生の時。

 最初は小さな通報から始まって、あらゆるネットの闇を暴き、果ては犯罪組織に潜り込んで電子の海から情報を抜き取って警察に報告を上げていた。今思えば承認欲求のお化けでしたわね。


 一度目に捕まりそうになったのは、警察にだった。

 ホワイトハッカーは犯罪に手を出しこそしないものの、ハッキング自体が犯罪である以上はそうなって然るべきだった。

 

 自宅で拘束されて…運良くボスとセカンドに出会い、上手に逃がしてくれて、警察の協力者としてハッカーをすることになった。

 彼らが警察であることは組織の中でも知る者は少なかった。最初から知っていたのは私くらいでしょうね。



 

 大学を卒業したあたりから身の回りが危険になり、結婚で海外に行き、しばらくはそこからホワイトハッカーを続けていたけれど…マフィアに手を出してしまったのが良くなかったのよね。

 私は足跡を辿られ、マフィアに捕まって自己流+プロの知識を得て行使した。その上失敗して損害を出し、人身売買のオークションにかけられた。


 檻の中でドレスを着せられ、たくさんの人の前に出され。

 私を競り落としたのは慧だった。新しくボスになったばかりの昴と千尋に再会した時は驚いた。

 私を助けてくれたのは彼らだったの。


 組織の中でボロ雑巾になるまで働かされると思っていたけれど、結婚相手のおじいちゃまにコンタクトして慧はその身を戻そうとしてくれた。

 

 でもね、私はもう一般人には戻れなかったの。

組織で働きたいと告げた時の夫の驚いた顔、一生忘れないわ。

 初めて興味を示されたのがその日というのがおかしい話ではあるけれど。


 

 

 危ない橋を渡りつつも私は体を汚していない。コードネームの通り、真っ白な体のまま…犯罪に手を染めて、黒くなるはずだったのに。

 夫にわがままを通し、もう何年になるかしら。以前のボスは使い方が下手だったけれど、今のボスになってからはとても満足している。


 やり方が甘いという人もいるけれど…悪の組織として命を殺めれば厳しい、正しいというものでもない。

 (ボス)は、私の力を正しく行使していた。それはもう冷酷無慈悲な犯罪組織のトップとして。

 

 死人の数を数えなくても、事は成せるのよ。数えるのが武闘派で無くなっただけのこと。

 守っていただいてる以上はきちんとお仕事をする。前のボスは守ってくださらなかった。新しいボスのお陰で環境が良くなったと言える状態だった。



  

 それも、蒼が来てさらに好転した。

 私にはIT系の知識しかないけれど、とても大切にされている。

 どこから持ってきたの?と聞きたくなるようなお仕事ばかり…公的機関のホームページ作成、システム作成、国防に関わるお仕事まで持ってくるんだもの…どうなってるのかしら。


 

 警察組織にいたボスやセカンドが持ってこられなかったお仕事をどうやって…謎ですわ。



━━━━━━

 

「私はこんな重たいお仕事をいただけるような人材でしょうか」

「雪乃がしたくないなら、受けなくてもいいよ。うちの組織内のシステム開発で忙しいんだもの」

 

「でも…ニートみたいで嫌ですわ」

「なーに言ってるの?表計算ソフトも作ってくれたし、こうして事務仕事が楽になったのは雪乃のおかげでしょう?私の付け焼き刃の知識なんかじゃこうはならなかったよ。本当にすごいねぇ」


 素直に褒められて、頬が熱を放つ。蒼は私のことを褒めすぎです。


 


「当たり前のことしかしておりません。しかも、プログラム組み立てのミスで蒼が見つけたバグもありましたでしょう?減給していただいて構いませんよ」


 蒼が書類をトントン、と揃えてボックスにしまう。どうして、体が動くのを見てしまうのかしら…彼女の所作振る舞いの美しさがそうさせるのか、滲み出る人となりのせいなのか…。

 重たそうに半分下がった瞼。ねむそうなお顔が本当に可愛いんです。そのお顔のままであんなふうに戦えるなんて…どこまで魅力的なのかしら。


 

 

「デバッグできるように人を増やしてもいいよね。雪乃の発想は天才的で革新的なんだよ?何でもかんでも完璧ならその発想は出てこないでしょう?

 ソフトの開発販売をしてもいいと思うの。きっとすごく売れるよ。

今のまま発想が面白い、ちょっとうっかりさんのままでいてほしいな。かわいいし」

 

 ふふ、と声がこぼれて唇がほんのりあがる。

 可愛いのはあなたの方です。自己肯定感を引き上げるのがお上手なのは、元々のお仕事のせいなのかしら。承認欲求のお化けを出す暇すらないの。

 


 

「可愛い…とおっしゃっていただけるなら…少しは自分のことを好きになれるかも知れませんわ。いつまで経っても半人前ですけれど」

 

「うーん。雪乃はお仕事の中身、誰かに習ったわけじゃないでしょう?私はファクトリーで習ってるけど、雪乃の動かし方って今までの常識を覆す事しかないんだよね。

『そんなことしていいの?わー!すごい!』ってなる」

「そ、そうですわね。後からマフィアお抱えの師匠は現れましたが、基礎は変わっていません。…そんなに褒めないでくださいまし。お顔が溶けてしまいそう」


 蒼が微笑み、頬杖をついて見上げてくる。



  

「褒めるところしかないんだから観念してよ。

 誰にも習わず、自分の発想で育ってきているなら間違い無く天才だよ。努力して、謙虚なままでいられる心を持っているからずっと成長できるし、際限がない。…本当に雪乃が作る未来が楽しみで仕方ないんだよ、私」


 もう、もう。本当に溶けてしまう。なんなんですの!

ニコニコ微笑む蒼の隣に座って、小さな肩に頭を乗せた。

 朝から念入りに巻いた髪の毛が蒼の頬をくすぐって、蒼が『くすぐったい』ところころ笑い声を上げる。


 

 あたたかいわ。私はこうして人に触れることをしてこなかったの。執事にさえ、そうだった。傍にいる人なんて、こうして寄り添える人なんていなかったのよ。

 それを許されることもなかった。わたしは道具だったから。



 

 それでも、こうして幸せな気持ちでいられるのは人でもあったから。親も、夫も、そして今の組織のみんなも私を人として見て下さっていた。だから綺麗なままでいられたの。恵まれていたのは理解している。

 

 その誰にも大切な人、のカテゴリーではないけれど。

 私自身のダメなところを可愛いと言ってくれたのは蒼が初めてだった。

私の技術の根本を知っているわけではないのに、しっかり観察し推測して、人となりをわかってくれて、仕事も理解してくれる。


 こんな人、出会ったことがなかったの。

 涙が出そう。

私がこんなに好きな事を、蒼はわかってるのかしら。

 


 

 じっと琥珀の瞳を見つめる。茶色というには色素の薄い、夕焼けの色。

 千尋はゴールデンアワーと言ったけれど、わたしにはずっとずっと優しい夕焼けの人。

 際限なく優しい言葉で甘く溶かしてくれる。わたくしのことを大切に思ってくれる。


 そのままで、いいって言ってくれた。

その言葉だけで私は命を捧げられるの。


 

「雪乃は本当に綺麗だねぇ。雪乃の髪みたいな茶色ならよかったのにな。瞳も真っ黒で黒曜石みたい。」

「お揃いの茶色でいいじゃありませんの。蒼のオレンジが強い茶色がわたくしには愛おしいわ。」

「ふふ、なんだか恥ずかしい。女の子同士でこういう話するの初めてなの。ドキドキしちゃうね」


 がっくりと頭を落とし、わたしはデスクの上にうずくまる。

わかっております。蒼は小悪魔ですわ。

 銀も、桃も、スネークもこれにやられているんです。私も毎回ノックアウトされてしまう。


 


「ゆ、雪乃どうしたの?頭痛いの?」

「頭は確かに痛いですわ。…なんでもありませんよ。ご心配には及びません」

「そう?…うーん」


 巻き髪をそっとかきあげて、蒼がいたずらに微笑む。

 


「女の子同士のキスなら浮気にならないかな?」


 

 私の頬にキスを落として、にっこり微笑まれ、ついに私は昇天するのでした。


 ━━━━━━



 

「お嬢様、到着しましたよ。その気持ち悪い顔をどうにかなさってください」

「はっ。気持ち悪いとか言わないでくださいまし。蒼のキスを思い出していたのに、もう」


 呆れた顔の執事がふ、と笑う。


「今まで生きてきた中で、あなたがそんなふうに楽しそうなのは初めてですね?初めて自作用のパソコン部品を買いに行った時よりもいいお顔ですよ」

「それはそうでしょうね。愛おしい人を得たのが初めてですもの」



 

 車を降りて、ふと思い出す。


「あっ。シャンプー買い忘れましたわ」

「…早く言ってください…いつものでよろしいですか」

 

「ごめんなさい、ついうっかり」

「うっかりというのはたまに起こるからそうなんです。あなたのはうっかりじゃなく通常運転です」

 

「くっ…返す言葉がありませんわ…」


「お着替えも見繕って参ります。わたしの滞在許可も得てください。姿を現す気はありませんが、離れる気もありませんから」


 


 ニヤリと笑う執事が私をおろし、車で走り去っていく。

「…なんなんですの、もう」


 一つ、気づいたことがある。

 蒼の愛を受け取って、心が何か、愛とは何かを知った今だからこそ。

執事はわたしのことを大切にしてくれている。私のことをきちんと理解した上で。


 

 そのうち、きちんと蒼にも紹介しなければなりませんわね。蒼以上の存在になるかはわかりませんが。


 スマートフォンの発信履歴、いつも一番上にいる蒼にもう一度コールボタンを押した。

2024.06.19改稿

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