置き去りにされる熱
置き去りの熱
蒼side
昴は苦笑いしてるけど、千尋も慧も若干むっすりした顔で押し黙ってる。
そりゃ、初恋はそうかもしれないけど。
今はそうだと思っていても昔は自覚がなかったし、そもそも家族愛かもしれないでしょ?先生が好きって言うのも本当かどうか疑わしいし。
でも何か、わざわざそう言うのもちょっと違うような気もするし。モヤモヤしてるなぁ。わたしも初恋なのか…自信がない。
「二人ともそのくらいにしてやれ。別に通じ合ったわけじゃないだろ?当時の蒼は好きの気持ちが、わからないままだったんだろう」
「そうだよっ!私はよく分かってなかったもん。それに、今好きなのは旦那さんたちだけだもん」
拗ねたように言うと、バックミラー越しに運転席から千尋がチラリと見てくる。
「今は好きじゃないんだな?嫌いなのか?」
「好きとかじゃないよ…嫌いではないけど」
「煮え切らないなぁ…危うい気がする…」
「んもぉ!じゃあお当番の日に証明してあげますっ!慧は今日だね!」
二人がきょとんとしてる。アレをすればわかるでしょ!
「私がどれだけ好きなのか、体で証明してみせます。覚悟しておいて。」
腕を組んで、ジト目を睨み返すと二人が慌てだす。
「な、何言ってるんだ?だめだろ、妊婦さんなんだぞ?」
「だって二人とも微妙な顔してるんだもん。まだ昴にしかしてないし…私が出来るのはそれしかないんだから、仕方ないでしょう?」
昴は助手席で真っ赤になってる。
「アレはやめた方が…良いと思うが」
「どうして?気持ちよかったでしょ?」
「いや、そうだけど…喉を痛めてしまうだろ…」
「「喉!?」」
「大丈夫だよ?アレはコツがちゃんとある。相手が無理に動かさなければ痛くない。私もちゃんと気持ちいいの」
私が教えられたのは元彼だけど、アレだけが痛くない唯一の触れ合いだった。
あっという間に終わるから私も体を痛めなかったし、好きな人が私のする事で溶けちゃうのがとてもいい。
大した技術も知識もないから他に伝える術がないのが問題だけど…。
「待って…それはマズイ。俺経験したことない。それ、呼吸できないじゃん」
「俺だってない。喉って…どう言うことなんだ?」
2人が青い顔してるけど、はじめては私が貰いたいな。
「先端は柔らかいから角度さえ気をつければ痛くないんだよ。呼吸はもちろん止まるけど、息継ぎすればいいの。普通に皆んなしてるって聞いたけど…。そんなにびっくりする事なの?」
「なるほど、誰が教えたか分かった」
「クソ…アイツ…ぶち殺してぇ…」
「確かにそれは同意だな」
あっ、あー。三人とも怒っちゃった…。慧の語尾がああなるのは本当に怒ってる時だけなんだよね…。と言うことはあんまり普通のことじゃないんだ。なるほど。
「でも、その…妊娠中はできないから、みんな大変でしょう?あんなに何回もする人達なのに…」
「そ、それについては申し訳ないとは思っているが蒼は心配しなくていいんだ」
怒った顔から今度はまた真っ赤になった昴が小さい声で言ってくる。
「でも、本に浮気されるって書いてあった」
「どこでそんなの読んだんだ?!するわけないだろ…俺達は蒼だけだよ。そう言うことしたいのも蒼だけだ。」
「そうだよ、それに四ヶ月過ぎたら…無理しないように気をつければ、していいってキキが言ってた…」
千尋が真剣な顔してる。千尋のお家の本棚で読んだとか言えない。
たくさん本があるんだもの。
慧はいつの間にかキキとそう言う話をしてたの?私も後できちんと聞いておかなきゃ…。
「四ヶ月過ぎたらいいの?赤ちゃんも平気?」
「うん。ちゃんと避妊していれば行為自体が原因の流産や早産に繋がることないんだって。
でも、お腹の張りを感じたり出血する場合があるからって理由みたい。
妊婦さんのメンタルはホルモンバランスが変わって、だんだん繊細になっていくからそれを見たり感じたりしてストレスになる。だから一般的には控えましょうって事みたいだよ」
「はー、そう言うことなのね…」
手の中にある母子手帳を見つめる。
かわいいお花と赤ちゃんのイラストが書いてある小さなそれは、妊娠のスケジュールや目安や…色んなものが記されていて、お母さんやお父さんになる人が赤ちゃんのあれこれを書き足していくもの。
つまり、スケジュールが書き込める。
「私スケジュール帳持ってないからこれに書こうかな。四ヶ月目からでしょ?わかりやすい妊娠周期だし…十月からってことでしょ…いち、にい、さん…5日からか。ねーえ?誰かペン持ってない?」
私が軽い気持ちで言うと、みんなしてまた顔色が変わる。今度は青白い。
「そこに書かないで!!」
「子供が大きくなったら渡すものなんだぞ…それは」
がーん…それは良くないね…。
「むう、じゃあリビングのカレンダーに書く?」
「「それもなんか嫌だ」」
「と言うか妊婦さんは普通したくなくなるってそれこそ雑誌に書いてあったんだが」
「そうなの?私はしたいけど…」
「「「くっ…」」」
わー、またみんな赤くなった。
「と、とにかく喉のアレはダメ!せめて赤ちゃんがいるうちは禁止!」
「そ、そうだな、それでいい」
「カレンダーに書くのもだめだぞ」
「えー、じゃあどうするの…。」
ふ、と笑った千尋がハンドルを切る。
あれ?朝やってるラーメン屋さんそっちじゃないよ?
「昨日の夜にラーメンカフェとやらを見つけたんだ。本を読むスペースがある。
本屋兼文房具屋とラーメン屋が合体してる面白いお店だよ。ラーメンを食べたらスケジュール帳を買おう。
将来子供が読む母子手帳に、夫婦の営みを描くのはよくないからな」
確かに。母子手帳は諦めるしかなさそう。
それなら私が内緒で買いたかった物も買えそうだし、いいかも!
「それはすごい…新しいね?手帳があるなら他にも色々あるかな?」
「千尋が言っているのはルフトだろう?大規模の雑貨屋だアレは」
「あぁー、あれかあ。タイムカード買ったところだ。なんでもあるよね、あそこ」
「そうだ。変わった調味料やキッチン用品もあるしな」
すごい!総合施設みたい。
ワクワクしながら行き先を眺める。
目の前に大きな建物が現れ、千尋が迷いなくそこに入っていった。
━━━━━━
「日記のコーナーはこちらです」
あまりにも広くて、どこに何があるのかもわからないし…みんなバラバラに買い物してるから店員さんに案内をお願いしてしまった。
ちなみにラーメン食べた後だからお腹がポンポコリンです。ふぅ。
案内された日記のコーナー。
棚二つをびっしり埋めた日記たちはすごい数…。
「こ、こんなにあるんですか…?」
「最近は日記も流行っていますから、種類が沢山あるんです。スタンダードなものから、将来の夢を描いたりする夢日記、一年、五年、十年、百年日記もあります」
「百年!?」
手渡されたハードカバーの日記はずっしりと重い。でも、そこまで分厚いわけじゃない。百年分なのに。
中を開くと、一日一日の枠が小さくずらっと並んでいる。
なるほど、ひと言日記みたいな感じかな?
「最近ではアプリも使われますが…電子データはいつかなくなってしまいます。劣化しますしね。
紙は百年以上経っても残るんですよ。千年、二千年という悠久の時を超えて後世に残せます。ロマンがありますよね」
「本当ですね…すごく素敵です…」
「あのぉ~すみませぇん、これはどこにありますかぁ?」
「はい、ただいま!ではごゆっくり」
「ありがとうございました」
他のお客さんに呼ばれた店員さんにぺこりと礼を返して、日記を眺める。
悠久の時を超える紙の日記かぁ。
私は昴たちにメモをもらっている。
アプリではメモみたいに心の形に触れることはできない。
紙の上で、その人がどんな感情でどんな動きで、どんな気持ちでそれを記したのか分かるもの…。
うん、私はこれをみんなに残そう。
私の心の形を記して、私のことを思い出せるように。
幸せな時を記して、刻み込んで…いつかくる未来のことも書いていこう。
青と、黄色と、白の百年日記を手に取る。
三人分の人生を貰った私が返せる、唯一の手段だ。私の心を、ここに書いてみんなに手渡す。
ずっしりした重みを抱えながらレジで支払いを済ませて、ふらふらと店内を見回る事にした。
本当になんでもあるな…。
加湿器のコーナーで慧の声が聞こえてくる。
「赤ちゃんにも大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ、リラックス効果のあるアロマは天然成分なので。赤ちゃんは気温の変化に敏感ですし、加湿器は必要だと思います。私も冬に乾燥肌になりますが、これがあるだけでもだいぶ違いますよ」
「なるほど…妻が乾燥しやすい肌なので冬から使いたいですね」
「奥様へのプレゼントなんですか?素敵ですね」
「へへ…まぁ、はい。」
慧が照れた様子で、耳を触りながら加湿器を選んでる。
確かに必要だね…。また何か買ってもらってるのは文句言えないなぁ。いつもああして私のために選んでくれたんだ…。
そっとその場を離れて、お弁当箱のコーナーへ。あっ、千尋と昴だ。
「蒼は二人分必要だろ?カロリー計算の本を買って来たが、それなりに量も必要だ。今のじゃ足りないんだ」
「なるほど…秋冬用にスープ用のポットも必要じゃないか?」
「うーん、インスタントでもいいと思うが…保温が効くタイプならいいかもな。豚汁とかは栄養価も高いし、蒼が好きなちくわぶもはいる大きめの口のやつにしよう」
「ちくわぶか…今日の夜おでんにでもするか?」
「いいな、肌寒いし。そう言えば手袋とかもあったよな?」
「あっちのコーナーだ。靴下も買おう」
カゴにお弁当箱とスープの保温ポットを入れて、二人が別のコーナーに移動していく。
ねぇ……なんだか涙が出てきちゃった。
いつでも、どこでも私の事を一番に思ってくれる旦那様たち。
私、こんなに大切にされて…どうやって恩返ししよう?
涙を拭き拭き、てくてく歩いてると、テラスにでた。
木のベンチに座って、買ったばかりの日記を開く。
さっき見た光景と、買っていたものをそれぞれに書いて、パタン、と閉じる。
青い空はもう秋の色。波状雲がたくさん浮かんでいる。秋の季語であるうろこ雲やイワシ雲なんて言われてる雲たちが…ふわふわと風に流れて行く。
私がこの空を見られるのはあと4回?
毎年毎年、この雲を見上げていろんな事を思い出すんだろうな。
「よう、奇遇だな」
ハスキーな低い声が耳に届く。
どさっ、と横に無遠慮に座ってくる男性。
「本当に奇遇なの?」
「派手な車を見つけてな。後を尾けたらお前が居た。儲けたな。」
真横で不適に笑う先生の顔。
こうしてじっくり見ると、随分白髪が増えた。顔に皺がないから見た目は私の小さな時の記憶とほとんど変わらない。
ただただ厳しかったその眼差しは、今緩く優しく、私を見つめてくる。
「先生髪の毛真っ黒だったのに、白くなったね」
「ん?あぁ、これな。お前がいなくなったストレスのせいだ」
「またそう言うこと言って」
「本当だぞ?俺の家系は死ぬまで白髪がねぇんだ。恋しさのあまり体重も減った」
「元から太ってないじゃない。脂肪が減る余地があるの?筋肉しかなさそう」
「ふん、まぁな。何買ったんだ?」
私の買い物袋を指さして、先生が微笑む。
「日記帳。三人に残そうと思って」
あぁ、とつぶやいて、先生が頭を撫でてくる。
「そりゃいい。未来のことも書いて、毎日泣かせろ」
「毎日は困るなぁ。一日頑張れる活力になってほしいんだけどな」
「どうだかなぁ。あいつらも俺と同じ場所に来るだろ…同じ穴の狢だ。楽しみだよ」
同じ場所?
首を傾げると、そっと頬に手が触れる。
「お前が心を知ったのはアイツらのおかげだ。俺がお前に教えられなかった、唯一のものだ。
俺はお前に心を教えてもらったが、そのおかげで苦しみもした。
蒼がいない空白の時は…たった一日が一年に感じるほどだった」
そ、そんな事言われたら…本当に私のことが好きみたいじゃない。
「死ぬまで待ってもよかったが、生きて会えたなら俺は諦めるつもりはねぇ。
散々困らせてやるからな。…本当にお前が好きなんだよ…蒼。」
真剣な顔で告白されてしまった。どうしてそんなこと言うの?私はもう、結婚もして、籍も入れて、人妻なんだよ。
「そ、んなこと…言われても…困る。私は旦那さんたちが好きなの。先生に応える事なんかできない。籍も入れて、ちゃんと夫婦になったんだよ?」
先生が光を弾く指輪を見つめてる。
「そんなの俺には関係ねぇよ。拗らせたアラフィフを舐めんなよ?ちゃんと伝わるようになったんなら、あいつらにも感謝しねーとな。前のお前じゃ伝わらなかっただろ」
頬に触れた手の熱が離れていく。
いつまでもそこが熱い。
まるで、先生の熱が移ってしまったように…。
「お、見つかった。トンズラするか。また明日な」
「うん…」
お店の方に振り向くと、微妙な顔をした三人が店内からじっと眺めている。
先生がテラスの先から飛び降りて、スタスタ歩いて去って行った。
ここ三階なんですけど。周りの人たちがびっくりしてるし。…もう、本当に困った人だ。
「…蒼、宗介さん何かあったのか?」
昴たちがやってきて、心配そうな顔してる。
「ううん、偶々みたいだよ」
「偶々、な…買い物が済んだら帰ろう。薔薇の種があったから買ってみた。野菜の苗もあるぞ」
昴は少しだけ微妙な顔をしたあと、無理やり笑顔になってくれる。
でも、うん。ごめん、私は薔薇の種と野菜の苗でテンションが上がってしまった。
「そうなの?じゃあ午後は庭いじりだね!」
「蒼は縁側でお菓子食べててくれよ」
「そうそう。どこに植えろって司令官やってね」
「えぇ…?わたしもやりたいのに…」
三人に囲まれながら、頬の熱を抱えたまま…私はそれを意識の外に置き去りにした。
2024.06.18改稿