これからの生活
昴side
「と言うことは、基本的に体の作りは変わっていないと言うことか」
「そう、ただし、稼働してからの時間が短い臓器ばかりだから少しずつ運動して、焦らないようにして。筋肉は一年間動かしてないから…高齢者の『サルコペニア』まではいかないものの、臓器と筋肉のコンタクトはギクシャクしてる。
歩幅や足のあがりが小さくなってるから、怪我しやすいんだ。気をつけてやってくれ」
「わかった。…宗介、筋トレメニューはどのように?」
キキからの助言を得て、今日から蒼のトレーニングを始める事になった。全身を切り刻まれたのに半年で快癒させるとか…宗介の時を思い出して、千尋も慧も俺も背筋が寒くなった。退院も済ませてすでに全員自宅で暮らしている。
「それを聞くと…ちと練り直してぇな…俺が考えてたのは幼少期の訓練メニューがベースだ。蒼自身とも話し合ったが、キツイんじゃねーのかな」
「そーお?だいぶ宗介が削ったじゃない。時間だけはたっぷりあるんだし…早く回復したいの。このままでいいと思うけど」
「うーん…」
宗介が苦い顔をしながら出して来た紙には、とんでもなく綺麗な文字が並んでいる。…まさか、これ宗介の文字か??
「……これ宗介が書いたのか?」
「あ?そりゃそーだろ。俺が考えたんだから」
「綺麗すぎない!?昴より綺麗じゃん……」
「人様にものを教える奴が字が汚ねぇってのはダメだろ?字なんかちゃんと練習すりゃ上手くなるんだよ」
「「「…………」」」
千尋に慧、キキまで黙ってしまった。そうだな、キキの手書きカルテは芸術的だからな。
「そ、そんなことよりメニューだよ!えーと、朝6:30ラジオ体操…朝食前にストレッチ……二時間!?」
「そうだ。ストレッチの方が最初は長くなる。鍛えるんじゃなく、柔軟性がなけりゃ怪我しやすくなるからだ。生活時は気にならない程度の重量で負荷をかける。手足につけるバンドでいいだろう。
食事は手先の動きが良くなるように小さな物を食う。豆とか、野菜も細かく切って箸でちまちま食うんだ。内臓にも負担がかからなくていいだろうな」
「そうだねぇ、お箸使うのへたっぴになってたのはびっくりしたな…小さい頃はオートミールをお箸で一粒ずつ食べてたの懐かしい」
「いつもお前が一番早かったな。すぐ感覚は戻る。神経はちゃんと繋がってんだから」
「うん。あとは昼の運動かな…」
「有酸素運動を2.2.2時間の区切りで…休憩時には必ずストレッチが入るし、風呂の中でもやるのか…」
「寝る前のマッサージって、今やってるのと同じでもいい感じ?」
「あぁ…あれか…いや、良いとは…思う。」
「えっ、まさか毎晩マッサージしてんの?……まだヤってないよな?」
キキの言葉に、若干の罪悪感が頭を擡げる。やっては、いない。最後までは。だが、蒼のあの笑顔を見て察して欲しい。うちの奥さんはスパルタなんだ。
「キキ、慣らし運転中だよ。まだね」
「うわ……マジなの?いや、傷はないけど体がうまく動かないだろ?」
「夜の運動は筋肉だけが勝負じゃないの。テクニックなんだよー。」
「……先生、後で教えてください」
「いいでしょう。って、そうじゃなくて。体を動かさないと筋肉が成長しないから、時間的に長くとって毎日できる物を増やしていきたいんだけど。
私的には、これじゃ少ないと思ってたんだもの」
「でも、無理したらダメでしょ?怪我なんかさせないけど…まずは暮らしからで良いんじゃないの?
出来ないことを焦ってやろうとするとメンタルだって消耗するよ。ストレッチはいいけど、有酸素運動6時間は反対」
「俺も心配だな。時間の縛りなくゆっくり増やせばいいんじゃないか?」
「そうだな…蒼は放っておくと無茶をするから、夫が交代でマンツーマンで行うこととするか。当番と同じでいいだろう」
「「賛成」」
「確かにな、それでいいかもしれん。家族の時間ってのも必要だし、運動の内容はいくつかまとめてあるし、蒼だけに覚えさせてもダメだし、夫間で共有するぜ」
「「「お願いします」」」
蒼がぷう、と頬を膨らませる。その後うん、と頷いて、スマートフォンのロックを開く。ファクトリーを退院した時の家族写真を設定した画面を撫でて、泣きそうな顔になった。
「蒼…そんな顔しなくていいんだ。蒼がずっとベッドに寝ていて、傍にいる生活になってから…あの子たちもちゃんと子供を始めただろう?蒼のせいじゃない、俺たちの責任もある」
「……はい」
蒼が俯き、こくりと頷く。蒼が走り続ける間、離れている期間の長かった子供たちは妙に大人びていた。末の葵は帰ってくればママにひっつき虫でトイレまで一緒に行くし、翠も、成茜も……本当は寂しさを抱えていたと知った。
親が全員自宅に帰ってからは、三人とも真夜中に目が覚めて、蒼の部屋に行く事も多くなった。最近は子供たちと一緒に寝ることが多いから、蒼に最後まで手出しせずに済んでいるような物ではある。
「私も、酷いことしたな…って思ってるの。でも…できるだけ家族と一緒にいて、今までの分も可愛がってあげたい。成茜まで夜泣きするとは思ってなかったから、本当に反省してるの……」
「蒼、これからやりなおそ。全部、この先の出来事でやり直せる。何たってママが若返ってるんだからさ」
「そうだなぁ…内臓が若くなると…肌も、見た目も……ハァー」
慧の言いたい事も、千尋のため息の意味もわかる。蒼は中身を丸ごと入れ替えてしまったからな…それに伴って新陳代謝も活発化してるし、延命薬を辞めて細胞増殖を減らしたはずなのに……ハリとか、ツヤとか、……その他いろいろなものが完全に若返り、俺たちが見たことのない10代から20代くらいの若々しさになっている。
「顔つきは変わらんが、肌の水分量は十八歳の頃だろう。体力が戻りゃ…夫が四人いて良かったんじゃねえか、とは思うだろうな」
「私そんなに若返った?自分では良くわかんないんだけど…」
「そうだろうなぁ…俺ももっと鍛えよう」
「「俺も」」
「みんなで蒼と一緒にやりゃいいだろ?子供も同じで運動すりゃいい。体が強くなりゃ心も自然と強くなんだから。蒼とも一緒にいられるし、一石二鳥どころじゃねぇだろ?
学校に行かなくたって俺が教えてやる。頭のいい親が集まってんだからなんでも出来る」
「うーん、お友達とかも必要なんじゃないの?私も経験がなくて…ちょっとわからない…」
「蒼、そういうのは本人が必要かどうかだ。俺だってこの歳で仲間ができたし、同じレベルの人間じゃなきゃそういうものにはなれねぇ。
無理やりレベルを均一化して、個の性質を大切にしない学校なんか意味がねーよ。成茜の学校は早く変えてやりてぇ。あいつには同級生が子供すぎるんだ」
「そうだね…うん」
成茜は人としての成熟度が速く、頭もいい。学校では浮いた存在になっていて…この前いじめまでは行かないけれど、本人は『嫌だな』と思うような出来事があった。
思春期を迎えても反抗期すらなく…大人びた性格のあの子は、人に甘えるのが苦手だ。蒼が家にずっといるから、うまく甘えさせられているようなもので…力不足を実感した。
子供を甘えさせてやれなかったのは、俺達父親の問題でもある。家族間の何もかもを、やり直さなければならない状態だった。
「翠はなんだかんだ達観してるし、気が強いけど…甘えられるようになってからよりしっかりした気はするよ。口が悪いのも目立たなくなったし。あれは強がってたんだなぁとは思う」
「葵はまだ小さいからな…天真爛漫でいいが、俺たちもちゃんと親をやってこなかったから…」
「お前ら…心配しすぎだっての。何も間違っちゃいねぇよ。やれる事やってきただけだろ?」
重たい空気をはらんだ俺たちの額を突き、宗介が微笑む。自信満々なその顔に少しホッとした。
「失敗したってより、取り逃しただけだ。ここからいくらでもやり直せる。
親の資格ってんなら未来の選択肢を無限に差し出せる我が家は、間違いなくその資格がある。
俺だって子供の教育はやり直せたんだ。子供は思ってるより子供じゃねぇぜ?夢を自由に持てるのうに自分の意思を育てるべきだから介入しすぎは良くねぇよ」
「宗介のチルドレン教育マジですごいよな、軍隊統率から自由意志になってさ…あんな個性が出てくるとは思わなかったよ。医師免許取りたい子が居るってのはありがたいけど……九割ってなに。本当に怖いんだけど」
「育ってきた環境にキキも蒼もいたからそうなるだろ。あいつらの夢は人の役に立ちたいってのが根本的な考えなんだよな…どんな育ちをしていたって、ここの中身は変わらねぇんだ。蒼みたいにな」
トントン、と自分の胸を叩く宗介。そうだな…個人の人格を認めてこその教育だろう。ウチは自由主義だ。塾にも行って足りないところはいくらでも補える。家庭教師でも通信教育でもいいだろう。
成茜も、翠も、葵も自由に育って欲しい。
「じゃ、訓練は毎日少しずつ無理しない程度でやって。週一でリハビリセンターに来て、翌週に方針を定める感じにしよっか」
「「「「了解」」」」
「よろしくお願いします」
夫婦みんなでキキに頭を下げて、私たちはキキの医院を後にした。
━━━━━━
「さて、食後の散歩に行くよー。一緒に行く人?」
「はーい!」
「ボ、ボクも!」
翠と成茜が手を挙げる姿に、キッチンで洗い物をする宗介と千尋が微笑んだ。
「葵は?行かないのか?」
「……ねむたいんだもん」
「ふふ、じゃあママが抱っこしてあげようか」
「あっ…いいの?」
指を咥えた葵が蒼のワンピースの裾を摘む。蒼が小さな頭を撫でて、傍にしゃがみ込んで見つめ合う。
「ママは、あの…つかれるでしょ?」
「大丈夫だよー」
「ママが疲れたら俺が抱っこするからいいぞ。葵も行きたいんだろ?」
「……うん」
「ふふ、じゃあおいで!」
「ママぁ!きゃーあ!!」
蒼が葵を抱き上げ、くるくるとまわる。俺はハラハラしながら手を伸ばしてそれを見守った。葵は大はしゃぎだが、俺は心臓が痛い。
「パパ、大丈夫。ママはお家の中で怪我しないから」
「そうねぇ。お家中もっこもこにしてるもの。怪我しようがないわよ」
「ぬぅ……」
「んふふ…本当にねー。成茜ができた時以来の過保護っぷりだよ」
「えっ、そうなの?」
「そうだよー。成茜が出来てからね、昴は過保護パパになったの。生まれてからもずっとそう。ストックを異常にする癖は無くなったけど、物をやたら丸くする癖ができたんだよ。成茜が歩き出してから家から四角いものは無くなったの」
「……そ、そうなの?そうなんだ…」
成茜と俺はなんとなく照れくさくなって、顔を逸らしたまま玄関に向かう。蒼が留守番二人に声をかけて、お出かけ用のスニーカーを履いた。
「ブーツじゃないのか?」
「昴?流石にお散歩で安全靴は要らないと思う。重たいし危ないでしょ?」
「む……そ、そうか」
家の内門を潜り、頑丈に作り替えた鉄の門を指紋認証で開く。ゆっくり開くぎいぃー、という音に蒼が眉を顰めた。
「この門、いくらしたの?」
「い、いいだろ?別に…子供もいるし、これから増えるんだから……」
「……そ、そう…そうですね」
「ふ…誰も宗介の子どもとは言ってないがな」
「えっ?」
「さー、行くぞ二人とも手を繋ぐか?」
「うん!」
「パパ、悪い顔してる」
「元からだ」
ポカーンとした蒼に笑顔を送り、歩き出す。釈然としない顔がいいな、ふふん。
「昴パパ!美味しい匂いするね!」
「そうだな、翠は鼻がいいな」
「ジャガイモの匂いだと思うの!にんじんに、お肉に、お醤油?ちょっと甘い感じよね」
「肉じゃがじゃない?」
「あっ、それよ!肉じゃが食べたい!成茜、明日のお夕飯は千尋パパでしょ?二人でお願いしに行こ!」
「待って…なんか、いい匂い…ミルクの匂い?」
「はっ!これはアレよ…シチューの匂いだわ!シチューも捨てがたいわね!」
成茜と翠は二人で手を繋いで、住宅街に漂う夕食の匂いを嗅ぎ出した。うちの子はみんな鼻がいいからな。蒼に似て。
「明日のお夕飯がどうなっちゃうのか心配なんだけど…」
「いいだろ、ウチは自由主義だし」
「昼からずっとそれなんだから、もう。……でも、お散歩するようになってこういうの初めて知った。
いろんな人のお家があって、いろんなお夕飯の匂いがして……。夕暮れのほの暗さの中に一つ、一つ電気の灯りがやさしく灯ってる」
「そうか、蒼は住宅街の散歩なんかしたことなかったか……」
「そうだねぇ、外のことはほとんど知らなかったし。おっと」
蒼が段差に躓き、慌てて支える。思いっきり抱きしめて、ホッと息を吐いた。
「手を繋ごう、危ないから。葵も俺が抱っこする。」
「ヤダー。葵の顔見て…こんなニコニコしながら寝てるのに、離したくない…」
葵は肩に顔を乗せて、目を瞑って寝ている。ふっくらしたほっぺの中に顔が埋まってしまいそうだ。ニヤけ顔…千尋に似てるな。
「じゃあこうする」
「んん…んー、まぁいいか…誰もいないし」
「夕暮れ時だからな、みんな家に帰って夕食の時間だ」
腰に手を回して密着、歩調を合わせる。くっついても歩きやすいやり方を教わってよかった。宗介は優秀だ。
散歩のコースは小さな公園に行き、その中を歩いてUターンする。
住宅街ではあるが、この辺りは郊外だからそこまで密集はしていない。
学校帰りの夕暮れ、地域の防災無線が夕焼け小焼けを流しはじめた。
切ないような、悲しいような優しいこの時間は、人が暮らしているのを一番感じられる時だ。
小さい頃は一人でこれを聞いていたような…懐かしさと共に少しだけ寂しさが滲んだその音に耳を澄ませた。
「これ、防災無線の点検で始めたんだよね?地域によって呼び名とか、流す音楽とか時間にも差があるみたいだけど」
「…そうだな。故障に気づかないと困るから始まったそうだが。正式名は『防災行政無線』だ。俺は夕焼け小焼けじゃないのを聞いていた気がする」
「この辺りはみんな夕焼け小焼けだよね?なにが流れてたの?」
「『ふるさと』だな。蒼の期待に応えられずに済まないが、この曲が夕方に流れる地方はたくさんある」
「……そう…」
あからさまにがっかりした声色が返ってくる。慧と俺はどこで生まれ育ったのかも、親が誰なのかも、知らないままだ。蒼が俺達と出会ってからずっと…調べているのは知ってる。
千尋と二人でたまに話してるのを聞いていた。
「蒼…俺は今、ここにいる。ここが故郷だ。大切な奥さんと家族、仲間たちに囲まれた……想像し得なかった未来にいる。小さい時の寂しさや、侘しい気持ちは蒼が全部消してくれたよ」
「……そう?…でも、なにも知らなかった私でさえこんなふうに切ない気持ちになるのに。…小さい時に寂しい思いをしてた、昴に会いたい。抱きしめて、キスしてあげたい」
最愛の奥さんの手を握り、腰に回した手の力を強める。たどり着いた公園の中で、子供たちがブランコを漕いでいた。
ブランコの軋む音、草や、砂の匂い。各家庭の夕飯の匂い…赤い夕焼け色に満ちて、切ない茜色が夜を連れてくる。
蒼に出会うまでは夕焼けなんか嫌いだった。宵闇を縫ってやる仕事は、いいものばかりではなかったから。
正義を掲げて成したことは、犯罪が殆どだった。それが例え潜入捜査官だとして、やりたい事でもやっていい事でもなかったな。
それを変えてくれたのは間違いなくあるだった。
「ベンチに座ろう。蒼の足の具合を見たい」
「ちょっと歩いただけなのに?」
「過保護にしたいんだよ。蒼が生きてるって実感が、際限なく欲しいんだ。わかってくれ」
「そう言われるとうんって言うしかなくなるねぇ」
蒼が大人しくベンチに座り、ワンピースの裾を捲り上げた。俺は膝をついて両手でふくらはぎを摩る。
まだ、筋肉は現役時代の半分以下だな。歩くことから多く始めたほうがよさそうだ。縫い目だらけの足を摩り、目を瞑る。
キキはなるべく目立たないように膝の裏や筋に沿ってメスを入れてくれたんだ。
蒼のために刻まれた縫い跡はキキの努力の結晶だ。
涙がこぼれないように瞼を開き、蒼の隣に腰かける。頭が自然に寄り添って、幸せな暖かさに満たされて行く。
「ママ!足痛いの?昴パパが触ってたでしょ!?」
「大丈夫。パパの心配性だよ」
「仕方ないよ。ボクも、ママが心配」
「成茜もなの?じゃあ仕方ないかなー」
成茜が蒼の横に座り、翠が俺の膝に乗ってきた。…俺はたまらなくなって、成茜まで肩を通し、引き寄せた。
何も言わなくても、ちゃんと通じている。思い合う家族の形は生きる喜びそのものだった。茜空を見上げ、胸の中で呟く。
俺を生んだ両親は、天国にいるのか地獄にいるのかはわからないけれど。
俺をこの世に生み出してくれたことは…心から感謝している。
そうでなければこんなに幸せになれなかった。蒼にも出会えなかった。
だから、産んでくれてありがとう――。
「暗くなってきたから、帰ろ。お風呂に入ってまた朝にお散歩しなきゃ」
「そうだな、帰ろう。俺たちの家に」
公園を後にして、少しだけ振り返る。
誰もいない、静かな夕暮れの中…小さな少年が立ち上がる。
真っ暗は、怖いよな。俺も、しばらくはそうだった。
立ち上がった少年はかき消え、俺は奥さんの手を握って歩き出した。