【閑話】フェロモンの香水1
第百一話 【閑話】フェロモンの香水
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「──なので、フェロモンというのは特別なものではないんですよ。セクシーな意味でも使われますが本来の言葉で言えば正しく体の匂いです。臭いか臭くないかの違いや感じるか感じないかの違いです。
臭いからと言って不潔なのではなく、好意の種類によって変わるものなんですよ。鼻ではなくて脳で人間は香りを理解しています」
「なるほど…本来の意味など考えたことなかったな…人間の中身はやはり脳にあるのか…」
先ほど声をかけてきた男性は難しい顔をしている。
実はまだかなりの緊張を持ってわたしはお客様方に接している。店長が奥からギラギラと目を光らせて、私を凝視しているからだ。
絶対逃すな。絶対にだ。逃したら命はない。という言葉が脳みそに響いてくる気がしている。
四人組の男女、お子様が三人。身なりが皆様とんでもなくいい。良すぎる。どこの富豪ですか。
ショッピングモールに勤めている以上は様々なお客様を対応するけど、男性三人はフルオーダーのスーツ、靴も時計も目玉が飛び出る上級品。お子様のお洋服までブランド物だ。
こんなど田舎になぜこんな人たちが?まさか政治家?この地方の人じゃない。絶対違う。
顔もいいし、ムキムキな筋肉をお持ちだし、もしかして芸能人?
ものすごいキラキラオーラで目がしぱしぱしてしまう。
ご家族?の中で一人だけ細身の小さな女性がいる。
背が小さめで…細すぎでも無く太くも無く、私と違っておっぱいは大きめ。髪や肌がツヤツヤしていて、お化粧していないのにほっぺも唇もピンク色。毛穴なんか存在しない。
目鼻立ちはぱっと見普通だけど、微笑むと太陽のように明るくてあたたかい印象を受ける。
何よりも、見た目が整っている三人から熱視線を受けて、三人ともに同じ視線を返している…。
なんだろうこの…愛されている女性独特の色気や華やかさが、そばにいる私にも甘く芳しい香りを与えてくるような…。
お洋服もこの辺では売っていない最上級品だ。ワンピースも上着も、ローヒールのパンプスもそうだけど、正直本でしか見たことがない。
私の目は0がたくさん見える。すごいお客様を迎えてしまった。
「匂いを再現できるというのはどんな感じなんですか?」
あっ、かわいい…!
声を聞いた瞬間に恋に落ちたような感覚になる。
琥珀のような目の色がキラキラ輝いて見える。すごい、この方本当に可愛い…!!
「匂いのイメージを聞いて、私が選抜した香りを嗅いでいただき、調合してお作り致します。何度でもやり直しができますので、イメージに合ったものをお作りできますよ」
「すごいですね…私、欲しいな。そしたらみんなの匂いもお互いわかるでしょう?」
「俺も欲しい。蒼の匂いがあるのは凄くいいからな」
「俺もー。」
「じゃあみんなで作ろう。お願いできますか?」
後ろを振り向き、合図を送る。
よっしゃーーー!!今月のノルマを月初で達成だ!!店長もガッツポーズ。
「かしこまりました、どのコースでお作り致しましょうか?グレードによりご料金が異なりまして、使用可能な香料が変わります。わかりやすく申し上げますと…再現性が確実なのがお値段順となります」
料金票を差し出す。調合はかなりお値段が張るものだ。身なりからして最低ランクでもキャンセルされないとは思うけど…。
「蒼が三つ、俺たちは一つずつでいいだろう?再現性が高いものでお願いします。」
「わぁ、すごいお値段だね…私のお給料で足りる?私が出したいんだけど…」
「えっ、蒼が出すのか?俺が出すよ」
「いやいや、俺が」
「ここはボスの俺が」
どうぞどうぞ?になるの?ワクワクしながら眺めていると、蒼と呼ばれた女性が首を振る。
ならないのかぁ…。
「私ばっかり買ってもらってるんだもの、たまには出させて貰います。わたしが三つ、みんなは一つずつお願いできますか?」
微笑みを受けて、私も微笑み返す。
すごい。店舗目標も達成してしまった。
「ありがとうございます。かしこまりました。では詳しいお話をお伺いしますので、男性は店長が担当、わたしが奥様を担当させて頂きたいのですがいかがでしょうか?」
店長が泣きながらまろび出てくる。ちょっと!しっかりしてください…。
「お願いします、同性の方が伝わりやすいですもんね」
「はい、言葉のニュアンスもありますので…ではご案内いたします」
奥の貴賓室を開けて、一人がけのソファーに座っていただく。ここを使うのは久々だ…。
左右に分かれ、男性陣と女性に分かれてカウンセリングシートを差し出す。
「個人情報はどこまで必要でしょうか」
丁寧な言葉遣い、ソファーに腰掛けて…立ち居振る舞いが本物だ…足がきれい。
思わずうっとりしてしまう。
「書かなくても問題ございませんので、飛ばしていただいて大丈夫ですよ。」
「ありがとうございます」
笑顔で渡されたシートには緑川蒼、とだけ記されている。素敵なお名前だなぁ…。
「ではお聞きいたしますね。ちなみにイメージは先ほどご一緒だったお客様のイメージでしょうか」
「はい、私は匂いがするんですが…他の人や本人には分からないみたいで、どんな感じなのか教えてあげたいのと私個人が欲しいんです」
「わぁ…素敵ですね!他の人に分からない香りは本能が感じている香りなんですよ、とっても大切な方なんですね…」
ちょっとびっくりした顔のあと、ふにゃふにゃととろけるような笑顔に変わる。
わー!ほんとに可愛い!何この人!!女同士なのにわたしドキドキしてる!!
「はい…えへへ」
「っ…命をかけて再現します!!!よろしくお願いします!!」
「えっ、あの、命はちょっと…でも、お気持ちは嬉しいです。よろしくお願い致します。」
よし、やるぞぉ!!!やる気がみなぎってくる。絶対満足していただかなければ。
「まずはお一人目からお願いします。抽象的なものでも、印象でも構いません。
お好きな言葉で、可能でしたら単語で表現されてください」
「…はい、ええと…ちょっと威圧感があって、童顔で目が青い人なんですが…」
あぁ!お店に入ってきた方かな。かわいい顔なのに圧力があって、ちょっと怖いけど可愛い系イケメンの方だ。外人さんかな?
「イメージ的にはムスク系かな…甘さもあって、ほんのり辛い。
柔らかくて暖かい、セクシー、少し棘があるというか…中毒性があって、一息吸うと昏倒してしまうような深さがありますが一撫ですると消えてしまうような儚さもあります」
すごい…なんという表現力なんだろう。
わたしの頭の中で三十種類くらいのリストが上がる。
複雑で濃厚、甘い色気があって深くて重い、そして儚い…。辛さがあるのはスパイシーな部分ではカバーできない、かなり難しい調合になる。香りは人となりを表すというけど…なるほど、印象通りなイメージかな。
「二つ目をお願いいたします」
「猫目の、ちょっとクールで目が灰色の人のイメージです。」
背が高くて重たい筋肉を背負っているのに幅が細く見える、すらっとした彼か…。
あの人も目つきが冷たいからちょっと怖そうだけど、日本人らしい顔つきでとても綺麗な男性だなぁと思わせる人だ。
「バニラやハチミツみたいな感じのどこまでも甘くて、アイスやケーキみたいな…ちょっとしつこい感じもあります。でもその甘さの中に毒みたいな危険性もあって、時々グレープフルーツみたいな甘苦い感じの香りがあって…でもいつも香るのは甘い匂いです。吸い込むと、頭の奥が痺れるくらいの甘さです」
なるほど、ギャップ萌えですね。わかりました。冷たい感じのあれはあれは外向きの顔なのね。
そういえば彼女を見る時の微笑みは別人のような甘さを湛えていた。底抜けに甘くて痺れてしまいそうな、そして時々香るビターな香り…ラストノートは甘くして、中間を苦くするか、最初を苦くするかは後でお聞きしよう。
「では三つ目の…髪の毛の長い方のイメージでしょうか?」
真っ黒な髪に真っ黒な目…深い闇の中から湧き出でたような色なのに明るくて優しい顔つきのお客様。ニコニコしてるけど私は怖い顔を一瞬見た。この人もギャップ萌えだけど、なんとなく印象が薄い。
見た目は濃いのに薄いっていうのがミステリアスな感じ。
「はい。彼の匂いは柑橘系です。グレープフルーツと違って苦味はないんですが…オレンジとレモンの中間かな。ただ、匂いがふとした瞬間に突然消えたり、現れたり、ミントみたいな清涼感がある時もあります。すごく繊細で、柔らかくて優しい感じがありますが甘い感じではないです。
時々重たくて、知らないうちに匂いが体に染み込むみたいな…表裏が激しくて掴みどころがないんですが、存在感はある、みたいな…」
くっ、難しい…一番難関な気がする。消えるのにまた現れる、単純な香りのイメージなのに存在感があって掴みどころのない消失感…時々香る感じであれば匂いを薄くする?でも存在感があるというのが難しい…。ミントの香りが時々なのはノートの移り替わりで表現できるけど…。
「…ごめんなさい、わかりづらいですよね。語彙力が無くて…単語にできなくてごめんなさい」
「そんなことはありません!!大変表現が豊かでいらっしゃいます。フェロモンは人となりを表すと言いますから、蒼さんの頭の中のイメージと密接なんですよ。
ここまで正確に掴めていて、言葉として表すことができる方は稀有ですから…素晴らしいです」
蒼さんがほんのり頬を赤らめる。
モジモジと膝を擦り合わせて、口の端が上がった。
「そう…なんですね…。褒めるのがお上手だから、なんだか照れちゃう」
わたしも照れています。すごい、三人ともお好きなのがはっきりとわかる。こんな風に表現できる方にはじめてお会いした。すごい。
これはわたしの腕が唸りますよ!!
「では、イメージの原料をお持ちいたします。違うと思われたものを外していきましょう。少々お待ち頂けますか?」
「はい、ありがとうございます」
バックヤードに戻り、サンプルスティックを大量に入れていく。とんでもない量だから調合はめちゃくちゃ難しいものになる。
ヒィー!!これはすごいことになってしまった。
フラフラとバックヤードに戻ってきた店長。顔が真っ赤ですけど…何事?
「…抱かれたい!!!」
「えっ、なんですか、キモっ」
「違うんだ!聞いてくれ!表現がすごい、もう、こう、愛だよ!愛!三人ともすごく重たい愛情を感じた。全員違う言葉で違う香りになるはずなのに、全部が混ざると全く同じになる。
イメージの言葉が違うのに最後は同じ香りになる。香料が違うはずなのに…私が生きてきた中でこんなことははじめてなんだ。はぁ、凄い、抱かれたい」
うん、気持ち悪い。言ってることは確かにすごいけど発してるのが齢60の大ベテラン店長だと思うとさらにキモさが増してくる。
ちょっと不思議だけど、お互いの気持ちが向き合っていらっしゃる方達なんだ、と思わざるを得ない。
「こちらもすごく難しい調合になりますよ。お時間をいただかないと。」
「私もだ。調合士として引退前の花道をいただいた気持ちだよ。嬉しいな…こんな仕事ができるのを待っていたんだ」
奥からお水とお茶を持って出てきたアシスタントの子が不思議そうな顔をしてる。
「お二人ともすごい顔してますね。難しいお客様ですか?」
「「ううん、すごく良い方」」
「そ、そうですか?じゃあ飲み物お出ししてきます」
わたしはジャケットを脱ぎ捨てて、腕をまくる。あれと、これと、それと…。
「店長、消失感とと存在感を同居させるならどうします?」
「普通はエタノールを増やすが…打ち消す香りを途中で入れたらどうかな。重ねて香りを消しつつ、最後にまた香る…とか」
「そ れ だ」
「ふふん、そっちもなかなか難しそうだね。わたしの方は悩むとすれば儚さだな…全員共通して鼻の奥に残る風のようなイメージが…最後に消えてしまうんだ。ぷつりと、不自然に…そして哀しさと恋しさだけが残る」
「なにそれ…イメージと違いますね…陽だまりみたいな暖かさがある方なのに」
「そうなんだ。ただ、みんな哀しそうな顔をしていたな。…消失感とは違う、断絶のようなイメージ…難しいよ」
わたしよりずっと難しいと思う。そんなイメージ聞いたことも見たこともない。
まるで、死を迎えるみたいな…。
浮かんできた妙な想像を吹き飛ばして、店長を見つめる。こんな真剣な顔、できたんだなぁ。
「哀しくて恋しいだなんて…なんて切ない香りなんでしょうね…」
「うん…泣きそう」
店長は気持ちのままにイノセンスな香りをチョイスしてる。イメージを作るにはノートで表現するしかない。店長のカゴの香りは少なめだけど、ノートの移り変わりのメモの量がすごい。お互いいい仕事になりそうだ。
たくさんの香りサンプルを持って、お客様のもとへ。さて、勝負のひとときだ!!