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万古闘乱〜滅ぶのは人間か吸血鬼か〜  作者: 骨皮 ガーリック
己骨万皆
92/92

九十三話 嫉妬の始まり

 レッドオーシャンと酷天(こくてん)の衝突が始まる少し前。

 現在、二年半前と同じような事件が起きている。日本全国津々浦々で大量の吸血鬼と腐鬼が暴れ回っている。

 後手に回った時点で被害ゼロとはいかない。すでに少なくない被害が観測されている。

 それでも迅速な対応によって被害は治まる方向へと動き始めている。


 聖童師が総動員され警察も動いている。この事件に関して完全に隠し切ることはできない。

 全国の外出している童貞は異変に気づく。それに触発され、才能ある者は自覚し開花することになる。



 被害が出ていない日本海側海岸部。全ては水聖によって狩り尽くされた。


 そして関東の一画を任された浄静司一同。

 浄静司(じょうせいじ)福留(ふくどめ)兵頭(ひょうどう)の三人は片っ端から吸血鬼と腐鬼を狩り回る。



 吸血鬼たちはそれぞれ無闇に暴れ回る。

 街中を爆走する者、建物から飛び降りてくる者、ナイフを振り回す者、童質を使う者。

 それらを迅速に事務的に狩っていく。

 統率されていない烏合の集団。情報によるとただ街中で暴れる事が目的だという。


 二年半前以上の数と質。浄静司は気づいている、裏で何かが大きく動いているということに。

 そして本気で人間を潰そうとしている吸血鬼がいると。

 

 時折強者が現れ聖童師を襲う。ここにもまた一体、姿を見せる者がいた。


 民間人が建物の中へ避難してる中、ティーブレイクとしてお店のテラス席でくつろいでいる兵頭。それを建物の屋上から狙う吸血鬼。


 兵頭は自分が狙われていることに気づくことはなく、そして吸血鬼は気づかせない確かな技量を持っている。


 テーブルに両肘をつき、顔の下で指を組んで顎を乗せる。街中で大量の吸血鬼が暴れているとは思えないほどにリラックスした体勢をとっていた。


 これを好機と捉えた吸血鬼が動く。十階建ての屋上からテラス席まで最短距離の一直線を透明の矢が貫いた。


(プヒュン)


 風切り音はなく光を反射することもなく、一切の情報を漏らさない必殺の一撃。


 その童質の名はスティルスニス。

 木製の物体に息を吹きかけることで、硬化と透明化を付与することができる。ただし、一息で全体に吹きかけられるサイズに限る。



 兵頭から見て右後方30mと完全に死角。後ろに目がなければ……ある。兵頭には無数の目がそばを漂っている。


 その一つ、右後方を漂っていたウーパールーパーが貫かれ、この瞬間兵頭が何かの危機が迫っていると感知した。


 しかし矢が到達するまでに一秒もかからない。吸血鬼は一瞬焦りはしたがすぐに思い直して勝利を確信する。ここから回避が間に合うほど矢の速度は遅くない。


 しかし、兵頭もされるがままで終わらない。


 ここまで近づかせてしまった未熟さ。

 そしてはるかに劣る技量、しかしそれを補ってあまりあるポテンシャルによる強引な対処。

 他の誰にもできない兵頭の根源的な強さ。


 勝利を確信した吸血鬼をよそに、兵頭は冷静に対処する。


 組んでいた指を解いていては間に合わないと判断するや否や、左手に力を込めて右手を握り潰す。解放された左拳はそのまま右肩を貫き、背面に飛び出た左拳が飛んできた矢を弾き軌道を変えた。


(ズキンっ)


 テラス席の床を透明の矢が貫いた。


(はぁっ!?)


 吸血鬼の一瞬の動揺を見逃すほど視野は狭くない。矢が飛んできた方向に漂っていたウーパールーパーを向かせ目視で確認している。


 大きな翼を背中に生やす。その羽ばたきはテラス席を砕き割るほどの威力。

 右後方に一瞬で飛び立つと建物の屋上には目玉が二つ浮いていた。


 童質により、服、靴、手袋、目出し帽、マスクは透明化され、目玉と瞼が露出している状態になっている。

 全てが木製であることから、フィットしすぎると呼吸ができないため、目出し帽が若干緩くなっている。


(動かない。僕の攻撃を待ってるのか?誘い待ちだとしてもここから何か出来ることでもあるのか?

 体で探ればいいだけだ)


 安易な考えは身を滅ぼす。その言葉通りに、勢いのまま目玉に殴り掛かった兵頭は全身串刺しになった。


(グシャっ!!)


 兵頭の悪い所が出た。死に癖がついたことで思考を放棄することが癖になってしまっている。

 体の損傷具合で確かめればいいやと。浄静司に何度も注意されているが癖はそう簡単になおらない。

 一瞬の咄嗟の判断では特にその傾向が強くなる。


 吸血鬼の周囲に設置された数十本の透明な枝が兵頭の動きを封じた。

 串刺しになったのを見て吸血鬼が動く。兵頭からは目玉が動いていることしかわからない。


 グンっと近づく目玉に何かできるはずもなく、透明の枝に喉を貫かれた。


 ここが勝負の分かれ目となった。


 兵頭に近接攻撃を仕掛けたのが間違いだ。

 童質で下半身を八本の触腕に変えて目玉周辺の空間を握り締める。


(グギュっ)

「ぬわっ!」


 そこには確かな手応えがあり、触腕に聖気を集めると徐々にキツく締め上げ始める。


(グギュグギュっ)

「くそっ。こんなガキにやれてたまるかっ」


 どうにか触腕から逃れようと手足を動かそうとするが、触腕一本一本が人の胴体程あるため生半可な力では解けない。

 さらに透明な枝は触腕を貫いて吸血鬼の体をも貫く。

 自慢の防御力が綻び始め、ついには硬い何かが割れるような手応えを感じるとそのまま吸血鬼の体を握り潰した。


(ブジュっ)


 完全に消滅したことで顕になる周りに設置された木製の武具の数々。

 あの時、距離を保ちながらの戦闘を選んでいれば勝てる見込みがあったかもしれない。



「あと五分休んでから戻ろう」


 休憩を邪魔された分を取り返すように屋上に寝っ転がる兵頭。



 浄静司が師となり一年が過ぎ、実践による戦闘経験はかなりの数をこなし、それなりの強さを身につけた。

 戦闘力は低いが負けない。再生能力や他の能力を生かして粘りで勝利をもぎ取る。立派な聖童師へと成長した。

 また、新たに優れた肉体を手にし、フィジカルの弱さは克服している。




 浄静司たちと合流後、大量の吸血鬼狩りが行われた。


 そんな中、正面から歩いてくる巨大な影、この者も強者。

 白いワンピースを着た女。二mを超える身長と抜群のプロポーション。異様な存在感を放つその女の名はマリア。



「あらぁ、ぐぅ〜ぜんねぇ?兵頭くん。

 いや、生狂士(フライブ)って呼ばれてるんだったかしらぁ?

 アタシの事覚えているかしら。忘れたとは言わせないわよぉ」


 すごく見覚えがある。

 僕が殺せなかった吸血鬼は満掛の他には、今目の前にいるこの女だけ。

 確か名前は━━。


「マリアだっけ?」


 初めて戦った時、この女の手下の少年吸血鬼三体は弾間が狩った。そしてこの女を敗北寸前まで追い込んだところ逃げられた。

 前は軍服だったけど今日は白のキャミワンピース。


「名前覚えてくれてたのね。お姉さん嬉しいな」


 ぎゅぎゅっと距離を詰めてきて体を当ててくる。僕より身長が高いから圧が凄い。


(ぐぎゅっ)


「わざわざ二回も逃げ出したのに自分から僕の前に現れるなんて何がしたいんだよ」

「そんな冷たくあしらわないでよぉ。

 久しぶりの再会なんだからぁ」


 うっざい。


「その目…下から睨みつけてくるその目がいいわぁ」


 頬に手を当てて蕩けた表情をする。

 イライラ。なぜかこの女の一挙手一投足に苛立つ。


「……アナタと戦いたいだけなのよっ」

(びしっ)


 びしって効果音が付きそうなキレのある動きで僕を指さす。


 そう、この女とは二回戦ってる、そしてこのやり取りは二回目。

 リベンジと言われて受けた戦いも僕がトドメを刺す前に、負けると思うや否や飛んで逃げだした。逃げ出す前に言った言葉を思い出す。


『アタシがアナタに勝つまで決して逃がさない』


 その相手に体を押し付けるのはおかしいと思うけど。


「今日で終わりにしてやる。場所を変えよう」


 師匠と福先輩は動かない。僕に任せてくれてる。

 何年も聖童師やってると因縁の相手っていうのができるんだとか師匠が言ってた。

 それが僕にとってはこの女かな、やりづらいんだよなぁ。


「それじゃあ近くの公園までゆっくりいきましょうか。積もる話もあるしぃ」


 暑苦しく体を当ててくる女を無視して師匠に確認しておく。


「僕の相手です。任せてもらっていいですか?」

「構わねぇよ。こっからは好きに動け、必要な時は連絡する」

「ありがとうございます」


 吸血鬼と並んで歩くって新鮮だ。一つ一つの動作に注意してるけど、この女はそんなのお構い無しにニヤつきながら歩いてる。前回もそうだった。買い物の帰りに戦いを挑みに来てるくせに敵意を感じない。ただ街中を散歩してるだけ、そういう雰囲気を出してくる。


 何を考えてるのかさっぱり分からない。勝手に変な因縁をつけられちゃ堪らないよ。


 相手の立場になって考えても全くこの状況に至る理由がわからない。


「どうしたの?そんなに険しい顔して」

「あと半年で高校卒業なのに嫌な相手と会ったなぁって」

「やだ、アタシの事そんなに強く思ってくれてたのね。

 ねぇ、逞しくなった?」

「アンタに言われると嫌味に聞こえるな。実際逞しくなったよ、他人の体を奪ったからね」

「どうりで違和感あると思った。初めて戦った時が成長限界だったわよね。ねぇ、元の体に戻らない?」

「嫌だよ、負けるから」

「アタシが養ってあげろわよ」

「生理的に無理」

「そんな拒絶されたら興奮するじゃない」


 嫌すぎる。生物として敵であり、関わりたくない気色悪い女。全てがノーサンキュー。ていうかそんなことしたら怒られそう。




 浄静司たちが兵頭と別れた後、偶然にも出会ってしまった。道楽(どうらく)と同様の気配を纏う少年と。


 二人が四車線の真ん中を歩いていると、正面上部にある立体道路で影になってる所から小さな子供が歩いて近づいてきた。子供を認識した瞬間、二人は完全警戒態勢に入った。


「「っ!!」」



 俺の身近には聖童師最強の道楽(どうらく)がいる。

 味方だからか近寄り難いオーラは一切無かった。弱かった時を知ってるからかもしれないが。

 しかし、今目の前にいるこのガキからはビシバシと周囲を威圧するようなオーラを感じる。

 強さに対する揺るぎない自信を持ってるのがわかる。

 俺を認識してその態度、悔い改めろ。

 生憎と最強との戦いには慣れてる。



 影から出てきた子供はその場で立ち止まる。その表情に一切の変化は無い。幼すぎる容姿に驚くが才能の世界だと知っている浄静司の気は一切緩まない。


「名乗りを聞こうか、ベイビーフェイスっ」


 先に動いたのは浄静司。強いのは一目見てわかったがそれ以外の情報が一切無い。

 強者は自然とその名を轟かせる。それも当然で、力で支配するのが手っ取り早いからだ。

 聖童師もその名で吸血鬼の行動を制限させることがある。

 わざわざ道楽がいるところで悪さをするようなバカは滅多にいない。


 だからこそ容易に仕掛けることが出来ない。性格や思考の一端を知ることでその者の戦闘スタイルがわかったりする。

 力で押すタイプか策略で嵌めるタイプか。


「ん。んー。うー…ん?家畜に名乗ってなんになるの」


 頬に手を当て首を傾げながら真剣な顔で言ってきやがった。


 狂気。偏った価値観で物事を見るタイプは利己的なヤツが多い。そういうヤツらは自分の考えを疑問に思わない。

 その方向で突き抜けた者は正しく最強。


 強いと思考がそうなっちゃうよな、わかるわ。

 なんてことは無い、ただのガキだ。

 未熟な最強。食べ頃じゃねーか。


「その若さ、根こそぎもらうぜ」

「未来なんてないでしょ。死ぬんだから、今ここで」

「ふっ。未来ってのは生きる活力なんだよ。

 明るい未来を掴むために今この時を生きる。それが明るい未来への大きな一歩となる。

 だから死なねぇんだ。理屈じゃねぇ、肉体が朽ち果てようが関係ねぇ。

 意志だけが未来へと繋がる道を創る。諦めない限り未来はあるってことだ」


 浄静司は疑わない。自分が勝つことを。それだけの経験を積んできたのだから。

 弟子もしっかり引き継いでる。力の強さで勝敗が決まるわけじゃない。負けない強さがあることを。

 蓮華桜とその弟子たちとは正反対の強さ。



 これに初めて表情を歪めた。


「笑わせんな。求めてないんだよそんなの。

 やっぱり聖童師はいらない。百害あって一利なしの害獣だ。

 そしてレッドオーシャン。あいつらも害獣だ。存在してるだけで穢れが伝染る。

 従えよ家畜共、この世界の王は僕だ」


 戦いの初手で大事なのはいかに相手のリズムを崩すか。よって選択肢は一つに絞られる。


「童質改変 『方眼(ほうがん)敷目(しきもく)概算(がいさん)手中(しゅちゅう)』」

(デュクシっ)


 浄静司には、いくつもの立方体で構築された世界が見えている。ゲームで地図の座標をみているようにエリアが立方体に分割されている。


 浄静司の童質である縮尺しゅくしゃく調法ちょうほうは触ることで物のサイズを自在に操ることができる。

 方眼(ほうがん)敷目(しきもく)概算(がいさん)手中(しゅちゅう)は触ることでブロック化された空間のサイズを自在に操ることができる。



「せっかくならサポートでもしようかな」

「頼んだ」


 福留の言葉を聞いて戦い方を考える。


(まずは触る。考えるのはそれからだ)


 両者十分に距離を取っている、距離にして十m。しかし浄静司からしてみればそれは鼻先の距離。

 視界内全て射程範囲内である。


(クイっ)


 戦闘態勢とは言えない若干腰を落としていただけの浄静司の指先がピクっと動いた。それだけで十分だった。目的の0から100までそれだけで事足りた。


 浄静司のいる空間が引き伸ばされた事で前方の空間を押しのけ、少年の目の前に立つ。時間にしてコンマ数秒。

 空間を渡り歩く超高速移動。ただし一歩も歩いてない。傍から見れば瞬間移動。


 子供はそれを認識しながらも動かない。


(触るのは体じゃねぇ、空間だ)


 動かした指先に連動して腕が前に出ると、何も無い空間を撫でるような仕草をした。


 その一瞬あとには状況が一変する。


(グワンっ)


 三者は地上から百mの空中に姿を移す。両者の距離は再び十m。

 繰り広げるのは空中戦。


 兵頭が修行を始めた頃、三人とも空中移動ができるからと取り入れた戦闘法。

 十分に経験を積んだ戦い方で勝ちにいく。


 そして、ここでひとつ問題が生じた。子供が落下することなく空中に留まっていること。

 つまり、童質は判明していないが空中は少年の土俵でもあるということになる。


 強者になれば大抵が空を飛ぶ手段を確保している。問題ではあったが想定内。

 つまり問題無し。


「すべからく」


(でも不気味だな。一連の流れ、認識できてたはずなのに微動だにしなかった。何を考えてるのかさっぱりわからん)


 福留は浄静司とは離れて行動する。空中闊歩、足場があるかのように高速移動を始めた。


 福留の童質『被掛処弄(ひっかけしょろう)』はあらゆる所にフックを掛けられる。人や物に限らず空間にも可能。


 今回、設置したフックを足場に移動している。


 戦場となった空中には既に無数のフックが仕掛けられている。傍目からは見えないフックが今か今かと引っかかるのを待っている。




 戦闘は激しくなることが予想されたが裏切られることとなった。

 浄静司の攻撃は容易に捌かれ、福留のフックも掛かりはすれども攻撃に繋がらない。

 まるで水を掴もうとしているような感覚に陥った。それは果てしなく無謀な挑戦。気力体力集中力が削れていく。


 そこでアプローチの仕方を変える。


 余剰次元(よじょうじげん)(てき)暗黒空間(あんこくくうかん)の生成。

 浄静司自身はそれを認識出来ないということを認識している。


 ブラックボックス。

 それは存在しない空間であり、そこに空間は存在しない。摂理の崩壊。


 認識外からの攻撃、それは摂理を超えた事象を生み出す。浄静司にのみ許された神の所業。


「A44、B3、B6、D29」


 福留が放った言葉は浄静司から事前に教えこまれたそれぞれの空間ブロックの名称。


(コイツはマジで頭がおかしい。俺の空間ブロックを完全に把握してフックを仕掛けてやがる。

 動かすのは攻撃を出す寸前。その空間ブロックをヤツにぶつければフックが引っ掛かる。そうなんだろ?)


 そこかしこに仕掛けられたフックが子供を拘束する役割を担う。ただし、これまでに何度も拘束から瞬時に逃れられているため厳しいと見ている。

 それでもやらない選択肢は無い。


 突っ込むと同時に四つの空間ブロックを動かすとフックが掛かる。それぞれ袖、首、靴、腰へと掛かったのを福留は感知した。


 それとほぼ同時に子供の正面の空間ブロックのサイズを変更、空いた空間を埋めてこようとする四方の空間ブロックを固定することで、余剰次元(よじょうじげん)(てき)暗黒空間(あんこくくうかん)、ブラックボックスが生成された。


 突き出した拳と子供の間にブラックボックスがあり、それを避けるように腕が湾曲し子供の側頭部に拳がめり込んだ。


(ゴギュっ)


 はずだった。


「痛ぇっ!!」


 声を上げたのは浄静司。突き出したその右拳は抽象画で描かれたように理解し難い歪み方をしていた。

 親指は手首まで伸び、四本の指は二股に分かれ渦を描き、手の甲の骨は複雑に割れ皮膚を引っ張っている。

 鈍い音は頭蓋が割れた音ではなく拳が歪んだ音だった。


 力を入れていいのか抜いていいのか、正しい動きがわからない。ボクシンググローブ程にまで肥大化した右拳。



 子供の名は戦語(いくさがたり)

 大罪二体の間に生まれ、平和になった世界を語る者として最強となるようにとの思いで作られた存在。

 ヒクラシスの花園のリーダー花園(はなぞの)はこの世で唯一の人間と吸血鬼のハーフであったが、戦語(いくさがたり)はこの世で唯一の純粋な吸血鬼。


 しかし強大すぎる力はその身を蝕むこととなった。

 誕生して九年で聖気を身につけると同時に眠り続けることになった。その刻は長く聖気を失った両親は殺され、部下だった棚橋(たなはし)戦語(いくさがたり)の世話を引き継いだ。

 やがて棚橋(たなはし)は大罪となり、人類家畜化計画を発案した。それはひとえに戦語(いくさがたり)への奉仕であった。

 童質を制御できる肉体を得るために、定期的に経験値を得られるように人を繁殖するという計画。


 しかし、想定したものとは異なる方法で目覚めさせることに成功した。

 二年半前、大罪の三体がほぼ同時に死ぬことでそれは起きた。

 突発的(とっぱつてき)規定外(きていがい)特異(とくい)災禍(さいか)として童質に肉体が馴染んだ。



 戦語(いくさがたり)の童質は歪み。

 あらゆるものを歪める。


 奇しくも両者空間を操る者同士。空間の女神はどちらに微笑むのか。

 浄静司は戦語の童質の一端に気づく。


(空間操作系?いや、概念操作系。その中で空間に何かを施した。

 やべぇ、完全な上位互換じゃねぇか。相性最悪って俺が言う側になるとはな、つくづく才能の世界だぜ)


「C16っ」


 福留の声に反射的に体が動く。それは経験の蓄積による信頼。言葉に宿る意思を理解し共有されたことで浄静司は迷わない。


 聖童師と吸血鬼の戦いにおいて、共通している弱点が貞操である。貞操を喪失すれば聖気が消える。

 故に聖童師は貞操帯をつけているが吸血鬼はつけない。


「家畜が僕に触れるな」


 戦語がここに来て初めて自ら動き出す。福留の先読みが的中し引き伸ばされたC16に見事に侵入した。


(クイっ)

「はっ!?」


 戦語のシャツの裾がフックに引っかかり勢いのままめくれ上がって自然と万歳ポーズになる。

 驚きの声を上げたと同時に浄静司は自分がいる空間ブロックを引き伸ばして蹴りあげる。


「ふんっ!」


 浄静司が繰り出したのは金的。戦いの常套手段ではある。

 不意の一撃。


(ゴンっ)


 フックに気を取られ浄静司の対処が間に合わずモロにくらった。


「「えっ!」」





 金的、それは男の急所!

 しかし、戦語(いくさがたり)に金玉は無い!



 両者戸惑う。これもまた戦闘経験の差、乗り越えてきた場数が違う。

 先に復活したのは浄静司。


「福留っ撤退しろ!」

「了解」


 必殺の一撃をかませたと思い込み不用意に近づきすぎた。


 浄静司の言葉に疑問を持つことなく、即座にこの場を離れる福留。

 それは本気の合図。空間を操る能力の魅力はその範囲にある。

 空中にいる今、恐らく日本上空全域が攻撃範囲内となる。

 周りに気を使える状況じゃないということで福留を地上へ撤退させた。


「お前に俺の人生全てを捧げてやるよ」

「ふざけるな。僕をバカにするのもいい加減にしろよ!」


 浄静司はそばにある空間ブロックを掴み圧縮する。圧縮し圧縮していく。さらに圧縮を続けると稲光が奔る。

 圧縮されプラズマ化した空間が戦語の空間に触れた瞬間、稲光が大きく広がった。


「だから意味無いって」


 バチっと一瞬にして稲光が消滅してプラズマから無傷の生還を果たす。


「気にしてねぇぜ、なんせただの時間稼ぎだからよぉ。おらおらスケール増してくぜぇ!」



 口調を荒らげボルテージを上げていく。

 気が大きくなればポテンシャルも大きくなる。


 自分がいる空間の上部をはるか上空まで引き伸ばし、下部を地上まで引き伸ばす。

 それから両方を引き戻すとどうなるのか。


 上空の雲と地上のゴミが混ざり合う。さらに形を変えて球状となって戦語をまるっと包み込んだ。まるでゴミの惑星。


空間宙舞乱輪(スペースデブリ)


 球状となっても荒れ狂うゴミと雲。内部ではゴミが勢いよく舞っている。


「しっかしなんで鳥が一羽も飛んでねぇんだ?」


 これには理由があり、戦語は全ての生物に嫌われた存在。

 動物はもちろん虫でさえも近づくことは無い。生まれ持った特異体質。



「仕上げと行くぜ、しっかり役目を果たしてくれや」


 再び空間ブロックを圧縮し圧縮を続ける。

 次第に稲光を放ち始めるが手を止めない。プラズマのその先へ。

 さらに圧縮を続けついにそれは完成した。


(キュインっ)


逃否口(ブラックホール)


 サッカーボール程の黒い球が浄静司の前に浮かぶ。空気を物を光を飲み込む宇宙最強、ブラックホールの再現。


 前方のゴミと雲を飲み込んでいく。飲み込んだものはどこに消えているのかと、それほど見た目の質量が違いすぎる。

 全て飲み込める道理が無い。それを覆すのが童質でありブラックホールである。


 現状、これに抵抗する唯一の存在が戦語。


 ブラックホールに吸い込まれていくゴミが蛇行しはじめ、ぐんぐんとその横幅を大きくしていく。

 戦語とブラックホールの間の空間に歪みが発生している。


 次第に歪みが強くなり、いろは坂を通っているかのような蛇腹進み。ついには吸い込まれなくなるまで空間が歪み狂う。線のように伸びたゴミの固まりの頭と尾が繋がりウロボロスの踊りを始めた。


人悔挟(ブラックホール)


 浄静司は空間圧縮によるブラックホール生成。戦語は空間の歪みによるブラックホール生成。

 どちらも等しくブラックホールの使い手。その威力に差は生じない。



 静かに全てを飲み込むブラックホールの衝突。その力が拮抗することで互いを引き寄せ合う。


 ジリジリと距離を縮めていく。

 これに関して両者動けない。どんな攻撃も飲み込まれてしまうため安易に動けば隙を生む。


 唯一の安全圏が自身が生成したブラックホールの近く。強大な力ではあれど、制御下にあるため飲み込まれることは無い。


(ブラックホール被りなんてシャレになんねぇぞ!俺の…俺のアイデンティティがっ)


 心に大きな傷を負う浄静司をよそに戦語の視線は別の場所へと向いていた。



(ヒューンヒューンヒューン!!)



 日本の南東部方向で大量の隕石が落ちていくのが見えた。本島を超え南鳥島のその先へと降り注ぐ。


 少し遅れて浄静司もそれに気づく。


「面倒臭いことになったぜ、こりゃ」


 これから起こるであろう事態を想像し苦言を吐いたあと、目の前の戦いに向き直ると戦語は飛び去っていた。


「ちょっ待ちやがれ」


 遠のく背中を追いかけようと空間を引き伸ばした所、空間は複雑に捻れ曲がり右腕を容易に折り曲げた。


「ぬあっ!!」


 戦語の経路に侵入した結果、歪んだ空間へと不用意に乗り込み、防御不能の攻撃をくらった。


 追うのを諦めた浄静司は地上へ降りる。

 童質を戻し毘沙(びしゃ)羅紗(らしゃ)を鞘から抜いて右腕に這わし凍らしてからサイズを変えて湾曲した骨と肉を強引に矯正させた。


(グリュっ)


 童質のサイズ変更で音は出ない。しかし視覚的に異様な音を感じ取る。

 完全に元通りとはいかず、腕は真っ直ぐ拳は握られた状態で固定することにした。


「あの野郎、全く本気じゃなかった」


 最後の一撃は攻撃ですらない。言わば前を走ってる者の蹴りあげた土が顔に当たったような、そんな情けない出来事。


 ふぅ、と一息吐いて天を仰ぐ。


 上空を支配していた二つのブラックホールは衝突し対消滅した。

 光の輪が生まれ波となって彼方まで広がっていった。



 その後、兵頭へ連絡し三人は合流した。


「師匠だいぶ消耗してますね」

「これぐらいじゃ大した消耗じゃねぇよ」

「意外とその辺にいるんですね、強者って」

「そりゃ俺ぐらいならそうだろ。最低でも七体はいるからな」

「まだまだ精進ですね」

「ああ。それより気張れよ、今日の夜は明けないかもしれねぇ」

「明けない夜はない、やまない雨はない、って定型文良く聞きますけどね」

「ここが戦場だからだ。勝って明日の朝日を見るぞ」

「顔に似合わずロマンチストな言い方しますね」

「うるせぇ、とりあえず上の連中に情報流してくるわ。格上と戦う準備しとけ、それと今のうちに休んどけ」

「はい」「了解」


「福先輩は身綺麗ですね」

「器用だからね」

「さすがです」


 二人を残して浄静司は本部へと向かった。南東にある何かを伝えたことで聖童師のトップ連中が集まることとなった。



 最終決戦場。不老都市レッドオーシャンに全てが集まる。

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