九十二話 雷神
新井 仁。
去年まで高校生だった聖童師に世代最強と言われた雷使いがいると聞いた。いや、知ってた。めちゃくちゃ有名だから。
当然ながら吸血鬼界隈にもその名は轟いてた。
だって小生の知り合いもやられたし。才能ってやっばりすげーなぁって思った。
別にいじけてる訳じゃないけどさ。小生の方がこの業界長いのよ。界隈では雷神なんて呼ばれちゃってたりしてたのよ?
なのにさ、つい三年ぽっち?で?その名が轟いちゃった訳よ。正確には聖童師として数ヶ月で知れ渡っちゃってたわけよ。
面目が立たないってゆーか?情けないってゆーか?
ちょっと可愛いからって持て囃されてるんじゃないの?そう、全然そんなことないんだよ。
めっちゃ強いの。小生の立場は?
別に自慢じゃないけど歴で言ったら340年なのよ。かなり凄い方だよ?じゃない方扱いされて不憫でならないの小生。
200年くらい土地神やってましたが?雷神って聞いた事ありませんか?
いつか絶対ボコす。若輩に何ムキになってんだって思いますよね。激しく同意します。
それでも、それでも感情ってそういうものでしょ。抑えきれずに溢れだしてしまう、これこそ人の美徳なの。小生、吸血鬼だけど。
で、小生のお相手は女性ですか。肝試しと行きましょう。小生が心置き無く女性をボコせるのかどうか。
あらまし試金石といったところですかね。
はてさて、今のところ気負いは微塵も感じませんね。小生、意外とクズ野郎では。ははは。ないない、仮にも一部の人間から神と崇められた存在ですよ。
クズ野郎と申した輩の頭には雷を落としましょう。小生スッキリしたいので。
てへっ、とんだクズ野郎でしたっ。
ん?小生がなぜ、レッドオーシャンに入ったか知りたいんですか?
話すと長くなるんですが……土地神に飽きたので悪い事をしてみたくなりました。
いやぁ、キツく縛られた反動ってやつですかね。最近よく言うじゃないですか。
厳しい親に育てられると、親から解放された途端、反動で色々手を出しちゃうってこと。
まさにその通り。小生疲れました。今、あまりの開放感に服を脱ぎ出したいくらいです。
分別を弁えているのでしませんが。
要はそのくらいって事です。みなさん抑制は程々に。
脱いだら犯罪なので。
そろそろ集中しましょうか。なぜだか御相手が苛立っているように見えますがどうしたのでしょうか。体調不良なら一方的に殴れそうなんですがね。そんな単純じゃないですよね。ははは。
他称神。その力を見せてあげましょうか。
さて、戦いの基本としてまず、相手を知れ。
小生の攻撃に耐えられるか否か。それを知るために最も直線的で攻撃的な技を一つ。
小生の魅力の一つである、無秩序に痺れ奔る紫の雷。この姿を見た者は雷神と呼ぶ。
「神々しさに目を焼かれてしまえ!」
『ドクォンっ!!』
心臓に一突き。高鳴る心音?小生のじゃないぞ。若輩の胸を触った程度で胸を踊らせるとでも?
ではなぜ。鼓膜を…脳をつんざくこの轟音。
そう、それはまるで小生の技を食らって心停止した時の最後の抵抗とばかりの三途の鼓動。
まさかここまで轟かしたとでも言うのか。心音だぞ…。
まずった!痛恨のミスタデイ!!
心停止は一瞬、その一瞬を愚考で浪費したのは致命的なミス。
『ドクンっ』
小生の思考を読んでいるかのように再生の鼓動が響いた。
これは心停止からの復活を意味する。
若輩の瞳に生気が戻る。
その瞳が小生を捉えると、そこから流れるように腰を落とし攻撃の体勢に入った。
「音頭(雷神…伝説に違わぬすごさっ)」
ふっ。雷を捉えられるとでも?
雷の速さを知って━━
(バキッ!)
「おごっ!?」
全身の関節が音を鳴らした時、時空が歪んだ。若輩の動きがスローモーションになり、小生の体が硬直した事に気づいた。
や━━━━━ちょ━━━━ま━━━━━
さっき若輩の心臓を止めた時、体が動かなかったのはあの轟音のせいだけじゃなかったらしい。
冗談きついよ。戦闘中だよ?吸血鬼は不老だって言ってるじゃん。
確かに準備体操を怠った小生が悪い事も無くはないよ。でもさ、急に激しく動いたからって関節が動かなくなるのは吸血鬼にあっていいの?関節痛に悩む吸血鬼なんていたら今までみんなが築き上げてきたイメージが崩れかねない。
小生にそんな重荷を背負わせるのは酷じゃないか。と大きな声で唱えたい。
とまぁ、そんな冗談はさておき。
歪んだ時空に逆らう事などできるはずもなく、小生はゆるりと迫り来る拳にしっかりとぶん殴られた。
「ぶごふぁっ!!」
殴られた途端スローモーションから解放された。
次の動きの為に少しでも時間を稼ごうと、殴られた勢いを利用して大きく吹き飛んだ。
雷は問題なく奔る。筋肉に雷で刺激を与えて無理やりほぐす。丁寧に準備体操なんてやってられる状況じゃないから。
『ドクンっドクンっ』
吹き飛ばされてる間にも、一秒間に二回の間隔で脳を揺らす音が響き続ける。
「鬱陶しい」
「それが売りなんで(それしかできないから)」
追い打ちをかけようとすぐそばまで寄ってきてた。
そこから殴り合いが続く。
素の身体能力が高くて防御の隙間を狙えない。腕と脚に聖気を多く纏ってるから雷の流れも悪い。
そして決めきれない一番の理由は。
『ドクンっドクンっ』
若輩の鼓動がペースを乱す。小生とは鼓動の間隔も速さも違う。
それがどうしても、無意識のうちに合わせようとしてる。
それに引っ張られて本来の動きができないし集中もできない。
夜寝る時にアナログ時計の秒針がカチカチと部屋に響いて妙に意識が向いて眠れなくなるみたいなやつ。
あれには苦労させられた。一度意識すると意識しないようにするのは難しい。神ですら。
それの上位互換とでも言おうか。脳を揺らす程の音を響かせる。鬱陶しいにも程がある。
そして気づけば口ずさみ、自分のものにしようとするが、生物の正確じゃない鼓動に振り回される。
動きが激しくなればそれにつられて鼓動も早くなる。
息苦しい。
相手の呼吸に合わせるのがこんなにも不自由とは。
そして拳を交わしたことでさらに混沌を呼ぶ。
『ドクンっドクンっドクンっパチンっドゴっ』
鼓動だけに収まらず、ぶつかった拳の音までも響き始めた。
「頭が痛い」
「どうも(顔めっちゃ歪んでる)」
「若輩の出した音を小生に届かせてるのかっ」
「大変そうですね(若輩?小生?昔の人っぽい)」
「この状態での会話って難しいな。両耳イヤホンして音楽聞きながら話してるみたい」
「はぁ…?(めちゃくちゃ喋るじゃん)」
『ドクンっドクンっドクンっドゴっパチっ』
「戦い慣れてるよね。結構生きてるの?」
「吸血鬼は三年くらいですね(なんで答えてんだか)」
「へぇ〜三年。最近の若い子はホントすごいね。あっこれ言うとおじさんっぽいね」
「そんなことないですよ。あはは(え、なんで愛想笑いしてるの私)」
「そんなこと言って内心では思ってるんでしょ。そういうの分かっちゃうんだよね」
「戦闘中ですよ(ウザっ)」
「そうだった。対等な会話が久しぶりでつい盛り上がっちゃった」
「土地神ですもんね(なんか世間話始まったんだけど)」
「えっ知ってるの?」
「え?はい。有名ですよ(頭のおかしい吸血鬼として)」
「照れるなぁ。有名になりたくて神をやってる訳じゃないんだけどね。そうかぁ有名なんだ」
「意外と俗物なんですね(戦いながら照れてるのに普通に強いっ)」
『ドクンっドンっ』
「…」
言葉つよっ。態度でかっ。
生の大半を神として崇められて生きてきたからトゲのある言葉に耐性が無い。
でもこの若輩なんだか話しやすい。
心做しか脳の揺れもだいぶ和らいだような気がする。
「それにしてもよく喋りますね(なんか落ち込んでる。変なこと言っちゃったかな)」
「話して心を通わせたからかな、なんだか心音が心地いいまである」
「キモ(そろそろかな)」
「え?」「あっ」
聞き間違いかな、随分とトゲのある言葉が。
「セクハラですよ(なんか変態オヤジに見えてきた。まさか最初に胸を殴ったのも)」
「小生決してそんなつもりじゃ」
戦況が動いた。小生の攻撃に合わせて防御を捨てたカウンター狙い。
若輩がこの盤面を狙ってやったなら策士だぞ。一瞬の動揺で攻防が単調になったのを見逃さなかった。
それに対応できるのが小生。
慣れ始めたのか頭痛がひいて体が軽くなったのを実感した。
研ぎ澄まされた一撃は若輩のカウンターを不発に終わらせる。
『コキコキっドクンっドクンっパチンっ!』
偽られた静寂。計算され尽くされた凶音。
全身を連動させて撃ち込むは拳の挙動が狂う。
訪れた静寂は自然と自分のペースを刻んでいた。
そう、音によって脳が揺れた瞬間、いつの間にか刷り込まされていた若輩のペースに体が反応してしまい、小生のペースが狂わされた。
アカペラで歌っている時に曲が流され、無意識にズレを修正するみたいに、小生は動かされた。
まるで心を読まれてるようなタイミング。
不発に終わるはずだったカウンターが見事に決まる。
(ドゴっ!)
吹き飛ばされてる間に記憶が整理される。
カウンターを決めた手とは逆の左手。視界の端に映ったのは、指の骨を鳴らしたのと太ももを叩いた動き。
強い。シンプルにそう思った。
こうも劣勢になると嫌でも考える。
初撃で小生の動きに着いてきてなかった所を拳を握らず貫手で心臓を刺せば終わってたんじゃないか。
分かってる。小生は命を奪いたくない。できることなら目の届かないところで死んでくれと願ってる。
だから最初から殺すっていう考えは無かった。のに、この状況が動揺を生む。後悔の念が流れ込んでくる。
だから戦いは嫌いなんだ。
心が折れて人生。心が乱れて人生。心に振り回されて人生。
心こそ人に与えられた祝事。小生、そう思います。
動揺も後悔も失敗も前を向いて歩くエネルギーに変えることができる。
それが人間の強み。
自己啓発は小生のバイブル。
無策で吹き飛ばされてた訳じゃない。地面の至る所にマーキングをしておいた。小生と地面はコネクトされてる。
雷は小生の軌跡に導かれ創痕を為す。
「縛り落とせ 百代雷道」
地を這い焦がす不可避の雷訪。
「小生ですら認識は不可能。その御業、とくと見よ!」
(ビリっ)
体が紫の光に包まれると同時にいくつもの枝分かれを作りながら勢いよく周囲へ迸る。
「んくっ!!」
体を焼き貫くような痛みに耐えて歯を食いしばる。
諸刃の剣。小生の体なぜか童質である雷への耐性が無い。故にくらう。
「あっくぁぁぁああっ!!」
しかし、小生以上に苦しみ悶える若輩を見て正気を保つ。
一つの動きに対して百の雷が若輩を襲う。当然ながら防御は意味を成さない。
雷を浴びて硬直、硬直しながら雷を浴びる。
『ドクンっドクンっドクンっドクンっ!!』
あからさまに速まる鼓動。雷が当たるのは手足ということで辛うじて心臓は動き続けている。纏う聖気が減れば即座に心臓は停止することになるだろう。その時が勝敗を喫する時だ若輩。
雷の刺激には小生がこの世の誰よりも慣れてる。聖童師の雷使いには分からないだろう痛み。
蜘蛛の巣状に広がった紫電に為す術もなく絡め取られる。
「んっくっ!くあっ!?」
(何か…何か必ず攻略の糸口はあるはず。諦めるな。目を開けろ、心臓を鳴らせ、音を止めるな)
『ドクンっドクンっドクンっドクンっ!』
「んふっぁ!ぁふくぁっ!!」
(ダメ。痛みで意識が飛んじゃいそう。そしたらもう、ホントに何もできなくなる……)
「くぉぉぉおおお!!」
いつまで続くんだこの地獄はっ!若輩の耐久力が想像以上。効いてないわけじゃないよな?小生だけ苦しんでるなんてことないよな?
そんな悲しいこと許されないぞっ。
痛いっ。手足が若干麻痺してきた。前にこの技使った時ってどうやって耐えたんだっけ。
古の記憶すぎて覚えてない。戦いなんて久方ぶりすぎる。三世紀も前の話だ、若気の至りで乗り越えたんじゃなかろうか。いくら体が歳を取らないとはいえ心は立派に歳を取ってる。
我慢とはかけ離れた生活のせいか、泥臭ささ粘り根性が足りない。
ああ、視界がボヤけて……。
「んくぁっ!あふっ!ぁぁああ!」
(雷に撃たれ続けてわかったことが、あるっ。
どういう訳か、一度通った道は通らないっ。数mmのズレが毎回起き、てる。数が多すぎて全身に当たってるのは変わらないっけど。
ちゃんと法則の下で雷は行使っされてるってこと。
意識を強く持って!ズレの規則性を把握すればっ必ずなんとかなるっ。
雷は一つで一億ボルト。もう、何千億ボルト受け止めたかな。
細胞がいくつ死んだか。それもこれも全部あいつのせい。てゆーかなんであいつも苦しんでんのよ。
雷神?ふざけんじゃないわよ!絶対に殴り殺してやる!
来たっ!つま先に当たる雷がまばらに。これまでの流れを読むと一秒後、あと十発耐えたら足の親指一本分だけ隙間ができるっ。
指一本動けば十分よね。
女は困難を乗り越えた時、失恋を乗り越えた時、大きく華麗に咲き誇るのよ!
今っ!!)
やめて、もう耐えないで。小生の視界が白黒になってきた。見栄張って立ってるのもそろそろ限界。だから早く倒れて!
『ダンっ!』
それは聞き間違いじゃなかった。鼓膜を揺らすことなく、脳を揺らしたその音は。
若輩が天高く大きく舞った。
ありえない。雷に撃たれてできるはずがない。なんて気力の持ち主!小生はこれっぽっちも動けないっていうのに。
ダメだ、やられる。飛びかかられる前に雷で死ぬ。
死ぬ死ぬ止めるぅぅ!!
(ビリっ……)
「たはぁっ!!!」
雷からの解放、体は麻痺して動かない。何度目だろうか、迫り来る若輩の拳。
小生、敗北。
なんでこんな若輩に負けるのだろうか。聖童師の雷使いもそうだ。
まぁいいや、小生努力してないし。考えるだけ無駄無駄。
新井仁。才能だけで生き抜こうとする人生の不束者なり。努力なんてしたら欠点が無くなっちゃう。ただでさえ神なのに。
掘り下ろそうと構えた拳。
風にめくられてちらりと見えたのは、腹筋の群衆を携えた見事な体。
その努力に免じて敗北を認めよう。
しかぁし!!
神が見てるだけだと思うなよ!
体が動かないからどうした。雷の刺激でどうにでもなる!
これを乗り越えられたのならば素直に認めよう。小生の敗北を!
「拳に集い勝利へ導け 雷嵐千秋━━」
『プゥゥ!』
「なっ!小生ではな━━━ぶへぁっ!」
動揺から拳が乱れ、カウンターは不発に終わった。
三度吹き飛ばされる中、記憶に残る交錯する寸前の芋の音。
今のは紛れもなく放屁の音。脳を揺らしたということはそういうことだろう。
それも動揺の色を一切見せてない。若輩、常習者か。
若輩の方が一枚も二枚も上手だったということか。
しかし、変態は強しというのは誠だったのか。小生でも人前での放屁は恥ずかしいぞ。
策士としか言いようがないか。
小生の敗因はそうだな。
勝つためなら恥をも捨てる覚悟を持てるかどうか。だな。
「正直、最後の一撃やられたと思った(格好の的だったのに、なんで拳を外したんだろう?)」
「謙遜はしないでほしい。若輩の心意気に感服した」
見た目の清廉さをも罠として使うとは。
やっぱり戦いに身を置く者は小生とは考え方が違いすぎる。
戦うの好きじゃないし、もうやめよう。ろくな事にならない気がする。
実家に帰って土地神をしよう。
「そういうわけで小生、死ぬのは怖いので逃げさせてもらいます。機会があったらまた話し相手になってくれないかな」
「嫌です(関わりたくない)」
相変わらずの毒舌。
「そっか。ライジングっ散!!」
雷の如く走る。誰も小生に追いつけない。
「あちょっ!(あの速さがあるなら勝てるんじゃ。いや考えるのはやめよう、ちょっと頭ダメな人だ)」
新井仁。逃走により戦闘放棄。




