七十九話 戸津バトル
鬱蒼と生い茂る木々に囲まれ、数十の切り株がまるで闘技場のように二者の足元に広がる。
その切り株は鋭利な何かで寸断されたように滑らかな断面をしていた。
戸津は三丁目のマグナムが暴発し、温い下着で程よい脱力を得た。
始雨日は雑魚臭を漂わせる目の前の男に嫌気がさしていた。
「期待してたんだがな。さっきまでのワシの昂りを返さんかい。
センズリこいた後みたいな気持ちだぜ。
徒労感に虚無感。これからセンズリこく度にこの虚しさを思い出さなくちゃならないのかって思うと泣けてくるぜ」
身動き取れない状況は依然変わらず、苦しんでいる。
(くそぅ、選択を誤ったのう。遠距離からの奇襲が最適か)
脱出の糸口を考える。
「弱いくせに出しゃばるからこうなんだろ。雑魚が戦場を混乱させる。気づいてねぇんだ自分の罪に」
始雨日は憤りを顕にし、そのきっかけを作った男に自分の罪を聞かせる。
それに対して戸津は臆することなく敵意を剥き出しにして噛み付く。
「弱いことが罪だって事なら償わせくれんかの、貴様の死でな」
売り言葉に買い言葉。その言葉が引き金となった。
((パァンっ!))
磔にされた両手にロマン溢れる二丁拳銃を顕現させ、発射された弾丸はそれぞれが十mほど先にある木の幹を穿つ。
(ミシミシ)
穴が空いただけの木は何故か横に引っ張られるように倒れていった。
そう、周囲に張り巡らされた糸は周りの木を経由して戸津に絡みついていた。
かなり強力な拘束、少し削られた木は糸の引っ張る力に耐えられず倒れることになった。
それにより緩んだ拘束から逃れる。
「マジでワシとやろうってか。まさか子孫にまで舐められるなんてな、長生きはするもんだあ」
「貴様の過ちは儂が闇へ葬り去るんじゃ。子孫に恥をかかせんようにのう」
戸津のバックステップに対して左小指を少し曲げる。
(ピィンっ)
真横から風切り音を発しながら一本の糸が迫る。
放たれた弾丸が糸に乗って軌道を逸らし、体の横を掠めて過ぎていく糸。
弾丸でも切れんか。にしてもほぼノーモーションじゃぞ、エネルギーが吊り合っておらん!
怪物が…腐っても大罪、後手に回りたくないのう。
オート操作じゃ届かない、急所に一直線で向かうオート操作が逆に無尽の糸だと防がれやすい。
この戦い、命を狙う球は全部マニュアル操作か。
既にしわくちゃの脳にますます負担をかけることになる。
「逞しいマグナム持ってんじゃん」
どこまでも上から目線で、その間にも細かく動く手指によって飛び回る糸。
(太陽がある時間帯で助かったのう。夜だったらまともに相手になるかどうか)
僅かに糸が反射してくれているおかげで対応が間に合っているのが現状。
日が暮れれば勝ち筋は完全に消えることになる。
見えない糸に神経すり減らされてまともに攻撃もできずやられてしまう。
「聖童師は欲にまみれた者だ。なんせワシが始まりなんだ。火を見るより明らかだろ。
人間の時は欲に生きたかった。しかし、それを叶えられたのは吸血鬼になってからだ。ただしくは吸血鬼になったからだな。
もしも吸血にならないで死んだらと考えると恐ろしい。
己を殺して使命に生きたあの地獄の日々。
吸血鬼がいなければあの快感を知らずに死ねた。憎いさ。
吸血鬼がいたから生きづらく、吸血鬼がいたから生きていけた。
ワシが吸血鬼になることはあの瞬間に決定したんだ」
未来のために己を殺した男は未来で生きた。
誰も責められない?違うだろ。社会で生きるってのはそういうことなんだ。
お互い童質による攻撃の決定力が無いことがわかり、戦況がガラッと変化する。
近接格闘が主体となり、童質はあくまでも補助的要因。
丸太のような脚と腕がぶつかり合う。
とにかく動き回るのは戸津だ。
足を止めれば糸が飛んできて四肢の自由を奪うことがわかっているからだ。
同じところに留まることはせずにヒットアンドアウェイを繰り返す。
十指から伸びる糸が腕に絡まろうとするのを、腕毛が察知して軌道を変える。
腕毛一本、されど体の一部。
研ぎ澄まされた感覚により、窮地の回避を可能としていた。
木々に身を隠してからの奇襲でも裏を取れていない。始雨日へと到達する頃には戸津に糸が伸びている。
先読みなのか、奇襲をことごとく潰されている。
始雨日のパンチは速い。集中を切らせば意識を刈りとられる。一撃の重さは戸津以上。
バンチから遅れて飛んでくるのが、腕に隠れた糸玉。
腕と繋がっているようで、パンチの動作に引っ張られ遠心力で糸玉がうねりを上げて戸津の後頭部へと回り込み突っ込んでくる。
水ヨーヨーの要領で操っている。
一度まともに受ければ体は吹っ飛び、木の幹がえぐれるほどの威力。ソフトボール程の大きさで鉄球以上の質量を持っている。
そう何度もくらっていいものじゃない。
「今更、改心なんてさせる気は毛頭ないんじゃが、たとえ踏み外したとて、偉大な男には変わりない。
後世に残しておきたい言葉はあるか?特別に教科書にも載るかもしれんぞ」
早く仕留めたいはずの戸津からの突然の質問。なにかの企みかとも思われるが、単なる好奇心でしかない。
自分の先祖、それも千年以上も前の者と会話できる機会なんてそうそうあることではない。
会話から情報を得られるかどうかと考えていたりする。
現時点では打つ手なしだ。
「そうだな、貴様に先人の知恵を与えよう。それはまさしくワシの根底にあるものだ。
天国を知らなければ地獄を地獄と思わない。
地獄を知らなければ天国を天国と思わない。
知らないということは時に人を支え、壊す。
ワシは天国と地獄を知ってるからな、となれば天国を目指すのは至極当然だろ。
吸血鬼になったのは単なる手段にすぎない。目的はその先にある聖気を手に入れること。
いくら稼ごうが、美味しいものを食べようが、女を抱こうが、殺戮に勝る快は得られなかった。ただ、それだけのこと」
「あの日の記憶は色褪せない。
吸血鬼は何も無かったかのように塵になって消える。勝者としてその場に残るワシ、敗者として清く身を消す吸血鬼。
そこにあるのはフィクションのようなノンフィクション。綺麗な終わりはまるで舞台のようで美しい」
瞳には一切の濁りが無く、透き通っていた。
怖いくらいに純真な動機。
これこそが天命を授かった者の才。
「貴様が聖童師として働いておれば今の日本はもっと平和だったかもしれんな」
「ワシはやりたいようにやるだけだ。
欲深い者こそ天を穿つ牙を持つ。いつか来るだろう後の世の避けられない天との衝突。
願わくばそこにワシも立っていたい」
「何を言っておるんじゃ」
「聖童師がなぜ生まれたか知ってるか?」
「それは、吸血鬼を狩るために…」
「じゃあ、吸血鬼はなんで急に生まれた?」
「?人間と同じようにじゃろ」
いまいち流れを掴めていない戸津は、必要ないと切り捨てた記憶の断片を口にする。
「不思議に思わなかったのか?人間と吸血鬼が同じ力を持ってることに」
「そんな…まさか」
老いた思考は急速に加速した。
「そうさ、恐らくワシと同じように力をもらったんだろ」
「言い伝えられた天上人とは」
「天使さ」
「そんな作り話にっ!」
天使と言われればバカにされたと思っても仕方がない。戸津は神も天使も悪魔も信じていない。
しかし、戸津とは裏腹に始雨日は淡々と話を進める。
「天界に住む天使は人間に関与することを禁忌とされてるんだとな。
しかし、それを破った天使の一人が戦いを求めてここに降りてきて吸血鬼を作った。力を分け与えてな。
そうなれば人間が滅びるのも時間の問題だった。現に巷では人攫いが噂されてたし知り合いが突然いなくなったからな。
それを知ったもう一人の天使が人間を救うべくワシの所へ降り立ち力を与えた。
禁忌を犯した天使は冥界に送られると言ってたから二人は今頃冥界にいるだろう。
ワシはどうにかして冥界を見つけて天使と戦いたい。
どうだ、壮大な吸血鬼生だろ」
「馬鹿げとる。そんな話を信用出来るはずがない」
「信用なんて必要ない。根拠も理由も関係ない。そこに事実があるからな」
突拍子の無い話だ。事実だと思う方が無理がある。しかしどうして、拒絶することはできても否定することはできない。
初対面の相手だ、大罪者だ、裏切り者だ、爺さんだ、信用できるところが一つも無いのに始雨日の言葉には力があった。
騙す、惑わすといった薄っぺらいものじゃない、圧倒的真実という絶対の力。
戸津は走り出す。不安や疑心をかき消すように力強く地面を蹴って走り出す。
考えたところで今は関係ない。その思いで体を動かす。
『正確無比極所集中の糸』
十指から流れるように飛んでくる糸。逃げ場を塞ぐようにして戸津を中心に縮む包囲糸。
(ピィンではなくシャンっ)
想像するのはゆで卵スライサー。戸津はゆで卵になった気分で迫り来る糸を待ち受ける。
(なんでこんなに気取られるんじゃ。手も足も出ない、歯も立たない、鼻も折られ、勝機の芽も出ない)
こんな時は一回、初心に帰って胸を借りるつもりでがむしゃらにいってみるのも手じゃな。
手足よりも繊細に動かせる弾丸で、糸を押し込んで隙間を作る。
(ジュンっ)
服の中に仕込んだ弾丸が動き出し体を持っていく。慣性を無視した横移動でなんとか包囲糸から脱出した。
今回使用した弾丸は童質の抜け穴を使ったものだった。
ロマン溢れる二丁拳銃は一丁につき一発までしか撃つことができない。
次の弾を撃てるのは発射した弾が消えてから。着弾もしくは自分の意思で消してからじゃないと撃てない。
そして、弾を発射してから消えるまでは拳銃を持っていないと弾が消える。そのため、ずっと拳銃を握っている。
そして、裏技とは予めマガジンから弾を取り出して服の中に仕込んでいたのだ。
これも拳銃を話さない限り弾が消えることはない。
これにより超移動が可能となる。弾に聖気を込めることで威力が増していく。人一人動かすくらいのエネルギーは十分にあった。
弾に乗るような形で靴の裏にセットし、空中を移動する。
スピード勝負だ。
至近距離から発砲。
(パァンっ)
弾と始雨日の間に一本の移動が通る。これだとこれまで通り糸で弾を防がれてしまう。
これはダメ元の一発ではない。反撃の一発だ。
戸津は構わず始雨日にむかってあ腕を大きく振り抜く。
着弾寸前、弾が消失し、戸津はその糸を掴み始雨日を蹴りあげた。
(ブィンっ)
パンチに備えた腕の防御は下から振り上げあれた足に蹴り飛ばされた。
騙すために腕をかなりの量の聖気で纏った。明確に消耗するほどに吐き出した聖気。結果は見事に始雨日を欺いた。
糸の張り具合も戸津をぶら下げるには十分で、感覚的には鉄棒並の固さはあった。
力の籠った蹴りは始雨日の左腕を潰した。
弾に乗り継ぎその場を離れる。依然ヒットアンドアウェイは続行だ。
「しっ!」
(糸を減らせたか)
始雨日はたれた左腕に糸を突き刺して無理やり動かす。
「クソ痛いが簡単な攻撃と防御くらいなら聖気を込めればできる」
(さすがは大罪。やわな精神力じゃないのう。骨と肉がミックスしとるのにその余裕)
この一撃で戦いの風向きが変わる。
年寄りだろうと超一流、戦闘スピードは瞬きを許さず、全ての動きが空気を叩く。
久方ぶりの負傷、久方ぶりの糸での操作。当然、過去のようにはいかず、コンマの遅れが生じる。
それでも反応速度で補い対処する。この察知能力が始雨日の生命線となる。
(明らかに読まれとる。隠れたところで近づく間に気取られる)
ここで攻めきりたい戸津の顔に苦しさが出る。対して負傷し後手に回る始雨日にはどこか余裕を感じる。
この差は何か。お互いの戦闘能力にさほど差は無い中で常に優位に立つ始雨日。
ずっと木々を駆け回っていた戸津の足がピタッと諦めたように止まった。
「そうか…」
戸津の驚きは声に出ていたが森の冷たい風に流される。
(バサっ)
ミスらしいミスではない。木の枝を揺らしてしまい始雨日に見つかり糸が伸びてくる。
戸津がいる場所とは反対に。全ては戸津の仕組んだ罠だった。
完全に意識をそっちに向けていたため、反対方向から出てきた戸津に反応できない。糸は伸びきり、体は反対方向を向いている。
今までのように糸の牽制は間に合わない。
なぜこうなったのか。
(出会い頭のお漏らしじゃったからの、儂の匂いと思い込んでおるじゃろ。それでずっと気取られてたんじゃ。いくら隠れても強烈なにおいが居場所を教えてちゃ、どれだけうまく隠れてもら風に乗ってくるにおいを辿れば儂がいるってわけじゃ。
誠に不名誉な事じゃが、使えるもんは使うのが儂の流儀)
下着の中に仕込んだ弾丸が走り、枝を揺らし逸れた意識をついた不意打ち。
パンツに身を潜めた確殺の弾丸。
においが動けば体は勝手に反応してしまう。なんせさっきまでそのにおいを頼りに探していたのだから。致命的な隙が生まれた。
戸津の拳は右腕を砕き、精密な蹴りが首を折る。
(クギゴっ)
(ヒュンっ)
下着の中とは別にその後ろで息を潜めてた一発の弾丸。
始雨日は糸を木に巻き付けて体勢を整えるもその緩慢な動きは今までの戦闘と比べると止まっているようだった。
一発の弾丸が風を飲み込み骨肉を砕く。
(プシアっ)
眉間に空いた穴は確認する間もなく塵となって消えた。
「ようやっと終わったわい。これで教科書の嘘も嘘じゃなくなったのう。
聖童師として歴史の名に沈んでくれおった」
始まりの聖童師の真実を千年もの間、嘘で突き通した。そしてその真実が明るみになることはもう無い。
ケジメをつけた戸津。歴代三芸貞代表にとって悲願の達成であった。
動き出す新時代。荒れる日本。
力と力の衝突が生み出す混沌に聖童師と吸血鬼が巻き込まれる。
果たして天使とは何者か。
めちゃくちゃ時間かかってしまいました。




