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万古闘乱〜滅ぶのは人間か吸血鬼か〜  作者: 骨皮 ガーリック
万行一助
73/92

七十四話 会食 最強

 性の垣根を超えた美しい容姿を持つ二人が料亭逆月の個室で食事をしていた。

 一方は流れが見える白色長髪にしっとりとした白皙(はくせき)肌の道楽(どうらく) 千尋(ちひろ)

 一方は影りが映える銀色長髪にさっぱりとした褐色(かっしょく)肌の天道(てんどう) 深歩(みほ)


 天上人のような容姿と日本家屋、日本食が異色のコラボレーションしている。

 この店は二人の行きつけであり、恩師から教えてもらった大切な場所である。



 注文も終えて、テーブルに次々と旬の食材を使った天ぷらが並んでいき、食事を始める。

 

 話に花が咲き、いつもと同じように昔の事を懐かしく語る。


「私は初めて会った時からわかってましたよ」

「そうだな。あの時、俺に構ってくれたのは先生と蓮華桜(れんげざくら)さんとお前だけだったな」


 というのも、道楽は高校一年の時で聖童師になったが、名を知られるようになったのは高校三年生を過ぎてからだった。

 それまで弱かった道楽は周りから後ろ指を差され、あまつさえ同級生や先輩からさっさとやめてしまえと日頃から言われていた。


 そんな道楽に親身になってくれていたのが浄静司と蓮華桜だった。二人がいなければやめていたとよく言っている。なんせ街に出ればいろんな人から声をかけられ、選択肢はたくさんあった。


 それでも聖童師として続いたのはやはり職業の特殊性からだろうか。

 実力主義の世界、結果を出さない道楽への周りからの圧はどんどん強くなっていった。そんな時に後輩として現れたのが天道だった。


 童質の特殊性からすぐに周りから一目置かれる存在になった天道に道楽は何故か懐かれた。

 方や将来有望な聖童師。方やホログラム投影職人と揶揄される聖童師。

 交わるはずのない二人。


 にもかかわらず、気づけば校内はおろか部屋にまで押しかけて天道が道楽にちょっかいをかけるのが日常になっていた。

 普段は男勝りな性格で上から目線で周囲に圧を振りまいているが、道楽に対しては猫のように下から突っかかりに行っていた。

 それを道楽はホームシックなんだと目星をつけた。

 まだ高校生だ、急に親元を離れることになって不安なんだろうと。そして兄を思い出して俺と重ねているのだろうと。

 そう解釈したからだろうか、天道のちょっかいに怒りはするが楽しいと感じていた。



 努力が実ると信じて訓練している最中、偶然にも天道の本気の戦闘を目の当たりにする機会があって、ビビっと何かが頭に降りてきた道楽はそれを形にするために没頭した。


 そうして掴んだ新たな童質は道楽の世界をまるっと変えた。



(だから俺はこの先もずっと三人に感謝し続けるんだと思う)


「ずっと気になってたんだけどなんで蓮華桜さんのこと先生って呼ばないんですか?」

「だってあの人、先生なんて生易しいものじゃないだろ。修羅だよ修羅」

「…それはそうかも」

「今でもトラウマだよ。あの人に初めて殺された時は」

「そういえばそんなこともあったね。でもあれはちぃちゃんを見込んで、でしょ」

「見込みで殺されてたまるか。未だに間違って人を殺してないのが奇跡だぞ、あの人」



 高三の秋。

 きっかけを掴み、メキメキと成長を重ねた道楽は天道と張り合うほどまでに至った。

 そうして行われた蓮華桜との日課の実戦形式の訓練で真っ二つにされた。


 その時の蓮華桜の弁明はこうだ。

 「区切りが欲しくてな、つい」

 その場の誰もが納得しないでもない言い分だった。戦闘時間は優に三時間を超えて両者無傷。厳密には道楽はかなり切られていたが童質により元通り、いつまで経っても決着がつかなかった。

 観戦していた浄静司と天道は最初ティータイムとしてくつろいでいたが、あまりの長期戦により眠りについた。


 朱色に輝く夕焼けで目を覚ました時、目の前で道楽の体が裂けた。

 これには重い瞼も重さを忘れるほどに。


 三人が慌てて道楽に近寄ると体は無傷、洋服も元通りだった。なんともないように起き上がって一言。

 「三途の川の水をせき止めて行き来しやすいようにしてきた」


 嘘か誠か、童質的にはやれなく無いのが怖いところだ。

 道楽のその楽観的な発言に誰も言葉を発せず黙り込んだ。


 ほんの数瞬の出来事が道楽を最強にした。生物として線引きされているラインを一人飛び越えた。



「そういえば弟子とったってね。たゆんと━━」

「待て、たゆんて誰」

「中村 弛だよ」

「お前それ、面と向かって言うなよ?怒られるぞ」

「最初怒られたけどね、そこは大丈夫。粘りに粘って戦闘訓練に付き合うって事で交渉成立したから」

「そこまでして呼びたかったのかよ。いつか背中刺されるぞ」

「あむっ、ばっちこいだね」

 えび天にかぶりつきながらの強気な発言。強すぎると暇なのか、いつからか強者を求めるのが当たり前になっていた。


「で、たゆんと弾間ってやつの二人って言ってましたね」

「先生の所もとったってな、福留と兵頭。

 弾間と兵頭は俺見たことあるな。狩りに連れてったんだ」

「へぇ。あ、私もチラっと見たことあった。

 で、今どんな感じなんですか?」

「さあ?詳しくは聞いてないな」

「もしも修行に着いていけてるとしたら期待出来るよね」

「そうだな。中村を中心にしてレベルが上がってきてる」


 天道をきっかけに道楽が中心になって強者が多かった世代。

 そのほとんどが人を人とも見ない人格破綻者たち。そういう者たちは決まって外面が良い。

 その一人が、最近五貞に選ばれた。



「最近は吸血鬼が活発になってるそうで」

「この前太平洋で異常があったとかなんとか言ってたな。詳しいことはわかんないけど」

「日本海行ってくれたら良かったのに」

「そんなバカはもういないだろ」

「ですね」



 全世界からの入国拒否、出国禁止、衛星による監視、行動制限、拘束具着用、被服制限。

 あらゆる制限の下、生活を許可されている。


 特定の条件下において正しく最高最強の聖童師。

 日本海全域守護掃討者。任された仕事はただ一つ、密入出国者の排除。


 聖童師界の傑物。不法の番人。水聖 海原(かいばら) 始乃(しの)


 白のレオタードに両手両足の拘束。日本海に侵入する全ての不法者を捕らえる番人。聖童師からは水聖と呼ばれているが、実際に会ったことのある人は少ない。

 ほとんどの人にとっては一生関わることが無い噂の人。万が一の場合を考え、顔写真だけは公開されているが完全にネット上の存在。

 飛びっきりの笑顔がみんなの記憶の片隅に残っている。

 その一枚で虜にされたファンが一定数いるため、毎年行われるランキングで上位にくい込んだりしている。


 童質 水。



「それでさ、この間ウチの子が委員会にハメられたんですよ。

 でもそんな指示を出せるのは限られてるよねってことで」

妻良(つまら)かぁ。五貞になって早速動いてきたな」

「あいつ昔から私の事嫌ってたしね」

「俺も色々言われた時期あったな」

 言葉は柔らかいが、自分に敵対する相手を頭の中に思い浮かべれば、目が合った者を殺すようなそんな鋭い視線に自然となり変わる。



 優しくも温度の感じられない声音で尋ねる。

「ねぇ、ちぃちゃん。

 もしもの時……どっちにつく?」

「俺が正しいと思ったほうだ」

 間髪入れずに答えた道楽は天道の目を見る。それに答えるように天道も真っ直ぐ道楽の目を見つめる。



「じゃあ、私を殺すのはちぃちゃんだ…」


 からっと流すように軽やかに笑って答えてみせた天道は、しかし目が笑っていなかった。


「ま、お前を殺せるやつなんて限られてるからな」

 そんな事で道楽は引かない。気の抜けた返しに天道は怒りを表す。


 冗談でもお前の味方だって言ってくれるのを期待していた。いや、信じていた。

 しかし、期待を裏切るような結果に裏切られたような気持ちになった。勝手に信じてただけだった。

 目の前に影が落ちる。




「ま、そんな未来は来ないんだけどな。だってお前はいつも正しい。


 天道がいるから俺は童帝でいられるんだ。そこんとこ忘れんなよ」



(カランっ)

 溶けた氷がコップを叩く。








「あっ、えび天が無い!お前時間止めたな」

「ふぇーナンノコト?」

「白々しい」

「証拠はあるんですか?」

「……無い」

「大好物を残しておくのが悪いですっ」


 二ヘラっと顔の形を崩すほどの満面の笑み。

 部屋の照明が天道を照らしているかのように神々しい光のベールに包まれたと錯覚するほどに煌めいていた。




「━━ちゃん。ちぃちゃん聞いてる?仕方ないから半分あげますよ」

 道楽の鈍い反応はなんだったのか。それは道楽自身も理解出来ていないことだった。


「って、しっぽしかねぇじゃねぇかっ!!」

 道楽の声が部屋を突き抜けて店に響いた。さらに天道の「あははっ」という笑い声も響いた。

 普通なら声が壁を貫通するようなことは無い。壁は薄くないし、叫ぶような客層が来る店では無いからだ。

 その事に恥ずかしさを感じて足早に店を出る。


「今日はここら辺で解散だ。帰るぞ」

「いやぁ、久々にちぃちゃんの叫びを聞けて良かったです」

「忘れろ」

「忘れません」


 店を出るとすぐにタクシーを捕まえた。

「タクシーいらないのか?」

「はい。少し風に当たって帰ります」

「そうか。じゃあおやすみ」

「おやすみなさい」

 道楽はタクシーで帰路に着く。




 天道は夜風に当たってフラフラと歩く。普段の天道ならこのような覚束無い歩き方なんて絶対にありえない。それがなぜ、こんなになってしまったのか。

 普段ならタクシーで家に帰る所を今日は何故、夜風に当たりたくなったのか。



「天道っ!!」

 いかにもチンピラな声が後ろから聞こえた。いつもなら振り返ることもせず叩き潰すが、なんてったって今は。


「最っ高の気分なんだ。付き合ってやるよ」


 天道の心はハッピーで埋め尽くされていた。この心の温かさはなんなのだろうか。さっきの道楽の言葉が頭の中で繰り返される。

 今なら百人だろうと千人だろうと大罪だろうと喜んで相手の土俵で戦ってもいいと思える。

 この高揚感はなんなのだろうか。


 距離を開けて同じ方向に歩き出す。


「けっ。調子に乗るのも大概にしろよ。たかが時止め、なんら脅威になり得ないぜ」

「良い気概じゃんか。誰かに頼まれたのか?」

「俺の意志だ。俺は誰の命令も受けない。

 俺は俺のためだけに生きている」

「懐かしいな。昔はもっと多かったんだ、私を殺そうとしたやつらは。最近はめっきりいなくなったがな。

 萎えるような半端な強さで来てないよな?」

「当然。夢の中で何度も殺して来た」

「は?」


 足を止めて二人は公園で向かい合う。



「気を取り直して、言っとく事はあるか?なんでも聞いてやるよ」

 仕切り直して、いつもよりテンションの高い天道は終始、笑顔だ。


「俺は天道が好きだっ!」

「あ?」

 突然の告白。しかしその眼差しは真面目だ。


「だから殺す」

「好きだって言ってくれるのはありがたいけどよ、説明になってねぇぞ」

「俺は昔から好きな人を殺したくなるんだ。

 これまでに一人、好きになった女を殺した。一目惚れだった。その日から毎日が楽しくなった。距離が近づけば近づくほどなぜだか殺したくなる衝動が湧いてきた。

 抑えきれなかった。だから殺した。


 好きな人を殺すってのは特別なんだ。

 俺は俺の心に従ってしか生きられない。弱虫だからな、他人の言うことを聞いてミスして怒られたくない、死にたくない。死ぬなら俺の心が決めたことで死にたい。

 だから俺は天道を殺す。


 天道はとにかくかっこいいんだ。言動から所作、頭から足先まで全部がかっこいい。いつからか調べるようになった。聖童師としての働き、童質、聖具、私生活。

 もう影から覗いてるだけじゃ物足りなくなった!殺したい衝動が抑えられなくなった!

 天道。殺しに来たぜぇ!!」


 月が真上に昇った時、二人は動いた。



 天道は距離を詰めるのに対して男は両手を広げて意味深な笑顔を浮かべる。

 天道は絶対的な自信から退くことは無い。何が待ち構えていようと力でねじ伏せる。昔からそうやってきた。


 男はそれを知っている。だからこその勝利の笑顔。


「沈め。誓約をもって招待する」

(すんっ)


 景色が変わる。

 天面ガラス張りの五十mプール。

 プールサイドには天道と男が立っている。それも競泳水着を身に着けて。


「なるほどな。いい趣味してるぜ」

「理解したか。これから俺とあんたで五十mを競う。勝敗は当然、先に五十m泳ぎきった方の勝ち。そして敗者は五秒間、体の自由を失う」

「それじゃあ早速やろうか」

「待てよ、そう焦るな。まずは準備体操からだ。それから水に体を慣らす。

 甘く見てると死ぬぞ」

「わかった。付き合ってやる」


 スラリと伸びた手足を順に解していき、股関節、胴のストレッチをする。

 男はムキムキの全身をきっちり十五分かけてストレッチをした。

 その後、しぶしぶ男の後に着いていきシャワー室で水を浴びる。

 夏だったおかげで汗を流せたりとちょうどよかったりする。冬だと寒さに凍えそうだ。


 全ての準備を終えてスタート位置に着く。


「わかってると思うがここでは聖気も童質も使えないぞ。一応先に言っておく。

 ここでは平等だ」

「忠告どうも。だがお前と私は平等じゃねぇ。なぜなら私は週三回水泳教室に通ってるからな」

「ふっ。俺だってこの童質のせいで泳ぎが上手くなる必要があった。春夏秋冬、泳がなきゃ生きていけなかったんだ。

 週三ごときで出しゃばるな」

「知ってる。平等なんてこの世にはないことを」


 二人は飛び込み体勢に入る。


『take your marks』

(パンっ!)


 スタートはほぼ同時。

(ザパンっ)


 着水後少し進んでから浮上し、両者クロールが始まった。


 二十五m地点、腕一本分天道リード。このまま逃げ切るか、追い抜くか。


 四十m地点、人一人分の差が開いたと思ったら男の動きが止まった。


 そのまま天道ゴール。

「ぷはっ!」

 水面から顔を出してゴーグルを外し帽子を取ってから男を探すが見当たらない。

 聖気が使えないと探知もできない。



「ぷはっ!」

 四十m地点で男が飛び上がる。


「おい、どうなった。私の勝ちだよな」

「はい」

「ならとっとと解除しろ」

「待ってくださいよ。俺これから死ぬんですから体清めてきていいですか」

「あ?何いまさら敬語つかってんだよ。好きにしろ」

「はい。良ければ天道さんも入っていきますか?温泉」

「何企んでるか知らねぇが調子に乗るな。で、どこにあんだよ」

「先程のシャワー室の隣です」


 言われるがまま天道はシャワーで体を流してから温泉に入った。


「あぁ。

 なんでこんなとこに温泉があんだよ。何考えてるのかわからん」


 肩までどっぷりと湯に浸かる。立ち込める湯気で視界が悪い。が、気持ちいい事で気が緩む。




 うしし。と悪い笑い声をあげる男は天道の後を追ってシャワー室に入った。水着が置いてあるのを確認してガスマスクを着けてから温泉の扉を開けて侵入する。


 仕込みは上々。親切心に溺れて死ね。


 男は既に敗者の罰を受けていた。天道がゴールしてから五秒間、水中で身動きができなかった。それに気づけなかった天道はまんまと罠にハマる。


 自分が勝っていれば童質を解いて殺し、負けたら最期の頼みと称して油断を誘う。

 どっちに転んでも男は優位。そう息巻いて湯船に近づく。


 ここまで近づいても天道に動きは無い。完全に堕ちた。そう確信した。

 想定通り、天道は湯船で寝ていた。


「くっくっく。俺の勝ちだぜ天道」


 男は天道の前でしゃがみこむと両脇に手を回して体を持ち上げてタイルの上に寝かす。

「よしよし」


 寝ている天道の背中と膝の下に腕を通して持ち上げと温泉を出てシャワー室を抜けてスタート位置まで運ぶ。

 台の上にそっと丸まらせて寝かせてから男もスタート位置に着く。


「苦しませずに殺してやるさ」



『take your marks』

(パンっ!)


(ザパンっ)

 さっきと同様、クロールでぐんぐんと進んでいく。天道はスタート位置で寝ている。


「ぷはっ!よっしゃあ!」


 スンと童質が解除されて公園に戻ってきた。

 天道は丸まって寝ているが今は服を着ている。


 腰から剣を抜いてジリジリと近づく。


 天道の体のどこを切るかゆっくりと考える。が、苦しませずに殺すと誓った事を思い出して首を切る事にした。


「さらば天道。大好きだっ」

(キンっ)


 力いっぱい振り下ろされた剣は天道の首に当たると半ばから派手に折れた。

「なっ!?」


「ん…」


 天道が目を覚ます。起き上がりざまにナイフで両手を刺され、足の薙ぎ払いをくらい地面に叩きつけられた。


「い、いでぇ。いてぇよぉ」

 男は痛みでのたうち回る。

「気を失ってれば殺せると思ったか?聖気で守ってるに決まってんだろバァカ。

 聖童師ならそんくらい知ってんだろ。水に沈めてれば殺せたかもな」

「ヒ、ヒィィ。死んじゃう死んじゃうよ」

「バカやろう。こんな傷で死ぬか」

 腕は動かせないのか、足をじたばたさせる。


「ハッ…俺を殺してくれ。ハァハァ、今気づいたんだが好きな人に殺されるのもイイ」

(ズンっ)

「くはっ!」

 興奮気味に頬を赤らめながら言う不気味さに思わず蹴りが出てしまう。

 

「たった今殺したくなくなった。一生牢屋で泳ぎの練習でもしてろ」

「くはっ。またいつか、殺しに行きます」

 満足気な顔をして気を失った。


 今回、命を危険に晒したのは相手の設定説明を信じてしまったことが要因になる。

 異空間系の童質は大抵が単純故に油断してしまった。




 水聖 海原(かいばら) 始乃(しの)。本業イラストレーター。


 海中にあるシェルターの中で作業をする海原。ワークデスクの上に置かれたモニターとタブレット。

 ワークデスクにかじりつくようにへばりつき、タブレットにペンを打ち付けている。

 静寂の中、シュッ。シャッ。カッ。と音が響く。


 白いレオタード一枚、手足には拘束具。誰かに見られでもしたら確実に叫ばれる異様な格好。彼女の顔は今、締め切りに追われ鬼の形相へと変貌しイラストを描いている。水で象られた手でペンを握り。


「うもぉぉぉおおお!!」


 声を出さなければやってられない。傍らには無数のエナジードリンクの空瓶が転がっていて、目の下のクマが酷い。何日も寝られていない様子の彼女はとにかく必死である。



 そしてもう一つ、部屋全体に聞こえる何度目かの男の声。

『応答してくださいよ海原さぁん!来てます。もうすぐそこまで来てますぅ!!僕、上から叱られちゃいますから応答してくださいぃ!!』

 鬼気迫る声量。まるで後ろに鬼でもいるかのようなあわて具合。


「ちょっと待って今締切に追われてるからぁ!」

『俺より締め切りが大事なんですかぁ!!』

「あったりまえだろ!月とすっぽん。天使と羽虫だよ!

 こちとら仕事やってんだ!」

『こっちも仕事ですよ!国の一大事ですよ!大人なら引き受けた仕事は両立するもんでしょうがぁ!!』

「本業優先するのは当然でしょ!こちとらプロなんだから!」

「ああんもう嫌だぁぁ!!クソ海原っ!いい加減にしろ!ネットに顔写真ばらまいてやる!イラストレーター海乃原(うみのはら)の正体!!って」


「やれるもんならやってよ!僕の顔が出回ったら美人イラストレーターだって人気に拍車かかっちゃうんだから!そうしたらこっちはもっと疎かになっちゃうけどね!てかやってよ!ネットでも色々議論されてるの見てモヤモヤしてるんだから!!

 絵柄がオヤジ臭いって!下着ばっか絶妙なアングルで描いててオヤジ臭いって!」

『そ、そんなことに…ご愁傷さまです。

 って、そんなことはどうでもいいんです!ほら!来てますもうすぐ真上を通過しますよ!

 10…9…8…。

 金髪美女が頭上を━━』

「え、マジ?」

(ズンっ)


(パッシャァァンっ!!)


 海底に設置されていたシェルターが突然の海流に押されて大空に出現する。そして水柱がシェルターを支える。


 海原はシェルターの窓から外を覗くと、豆粒ほどの距離にいる金髪美女を確認した。


「ちょうどいいデッサンモデル発見。

 わざわざ僕のために出向いてくれたんでしょ?」



 密入国者は甘く見ていた。たかが一人でこの広い海を守れるわけが無いと。噂が噂を呼び、勝手に大きくなっていっただけの幻想、眉唾。一人でできることなんてたかが知れてると。


 国によって聖童師の捉えられ方は異なる。が、共通しているのは聖童師が裏で活躍する者たちだということだけだ。

 表立って行動した国の聖童師はもれなぬ他国から潰される。当たり前だ、超能力なんてのは大っぴらにしていいものでは無い。


 聖童師が聖童師であるために。



 今回、海原のデッサンモデルになった彼女の名前はヘッドゴルド。それ以外の情報は無い。


「まずはドラゴンに食べられた時の反応を」


 穏やかな海は彼女の気まぐれで荒れる。


(ザップンっ)

 海面から突き出した突起はやがてドラゴンの頭を象り首から体が生え手足と尻尾が形成された。

 とりあえず水竜でいいだろう。空を昇る水竜は人一人簡単に飲み込める口を開く。


 ド迫力。水竜を目の前に動きが止まる金髪美女。

 何かが水竜に当たっているがそんなものは諸共しない。

 なんせ海原の聖気で水を圧縮しているのだから生半可な威力じゃ水しぶきすら上がらない。


 迫り来る水竜に為す術なく無抵抗に呑み込ま…れない。

「うぎゃぁぁ!!」


「はいカットォ!」


 水竜の口が閉じきる前、金髪美女の叫び、牙が皮膚を貫いた瞬間に海原が声を上げた。

 さながら映画監督のように。


 巨大な牙に噛まれ苦しみもがく金髪美女。

 水柱を動かしてシェルターごと水竜に近づく。


「いいねぇ、実際はこんな感じなんだね。表情がリアルだねぇ。」

 ぶつくさと小さな声で呟きながら、タブレットにペンをはしらせイラストを描き込む。

(シュッサッ。シャー)


 ものの数分で見事な下描きが出来上がっていた。


「それじゃあ次のシーン行こっか!」


 次に海面から姿を現したのは大樹。五十mを超える木は枝をくねらせ金髪美女を幹に縛りつける。


「うーん。枝を谷間にスラッシュさせて際立たせようか。それとワンピースの裾をもう少しめくらせて…そうそう。いいね」


(シュッサッ。シャー)

 先程と同じように一心不乱にペンをはしらせる。


「出来た!

 ねぇ、殺さないんだよね?」

『はい!拘束して引渡しをお願いします!!』

「おっけー。いやぁ、感謝だね感謝。

 聖童師やってて良かっよ」

『これからもよろしくお願いします』

「はいはーい。あ、この人の用が済んで殺すなら僕の所に持ってきてよ」

『な、何のためにですか』

「僕のパートナーにする!もちろん良いって言ってくれたらね。手続き頼んだよ」

『うぇぇぇ…絶対怒られる。くそぅ…。ボーナスください』

「えー。僕がどれだけ貢献してると思ってんの?ま、いいよ。いくら欲しいの?」

『ひゃ、百万円っ!!いや、三百万円で!!』

「随分飛んだね、おっけー」

『やったぁ!!愛してまぁす!』

「その分の働きはしてもらうから」

『ゲェァっ』


 下降していくシェルター。割れる海。

 穏やかな海が今日も広がっている。


 今回描きあげたイラストが原作者と編集者から大絶賛されて笑顔になる海原。


 書籍販売後、ネット上では「オヤジにしか描けない」「オヤジの発想」「オヤジのアングル」「文句無しにオヤジ」「俺が通ってきた道」「オヤジだな」「オヤジだな」「絶対足臭い」と大絶賛され、オヤジが定着した。

 原作が人気なため重版がかかりついに累計百万部を突破したことでさらに人気に火が着いた。

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