七十三話 弾間カタルシス
夏休みも終わりに近づいてきた。おじさんのところで修行を初めてもう二ヶ月が経とうとしてる八月の終わり。
庭の白石は太陽に焼かれて燃えてるように熱かったりする。
来る日も来る日も実践的な訓練で少しは童質の理解も深まったと思う。使い方にも幅が出てきてやれることが増えた。主に、福先輩とのやり取りがきっかけになったりしてる。
今日も同じような訓練だと思い朝食を済ませるとおじさんから声を掛けられた。
「今日は聖童師に欠かせない通過儀礼ってやつをやってもらう。
それは、ある人物の護衛だ。
殺害予告がそいつのところに届けられた。恐らく犯人は人間だ。場合によっては殺せ、堕ちた聖童師は聖童師にしか取り締まれない。聖童師の法の下で裁く」
こればっかりはどうしようもないみたい。全員が全員、真っ当に仕事を続けられるわけじゃない。
ましてや、死が隣り合わせだからかそういう人も多いんだとか。
それで、そういった人たちは裏で企業とかと繋がったりしているらしく、要人の殺人依頼なんかを請け負っていると。
ひぇ〜大変だ。確かにこんな力を持ったら普通の生活に戻るのは物足りないと感じてしまうかもしれない。
ってことで、そうな人達の始末をしろということですか。
「今日殺されるんですか?」
「ああ。予告では日没って書かれてたようだ」
「そんな詳しく書いてくれるんですね」
「人を殺したことあったっけ?」
「無いですよ。でも僕にとって人も吸血鬼も同じですから。
なるようになります」
「もう立派な狂人だな」
「そりゃ、おじさんに言われたアレも結局できちゃいましたからね。名実ともに狂人ですよ」
「知ってる。さすがは童貞の貴公子」
「それからかってるんですか?」
「褒めてんだよ」
貴公子って言われちゃうと悪くはない。胸が高鳴るのを感じる。
「それに弾間と合流しろ」
「なるほど、バディですか」
「ああ」
そんなことがあり、わざわざ車で迎えに来てくれた満島さんと学校に戻る。
(プルルルル)
「もしもし?」
車に揺られていると弾間から電話がかかってきた。
『11時くらいに着くよね?』
「うん」
『俺もそのくらい』
「弾間ぁ!早くしろ!」「今行きますからぁ!」
電話の向こうから聞こえた女の声、それに元気よく答える弾間。
話せるようになってるじゃん。さすがに二ヶ月も一緒にいればさすがの弾間でも慣れるか。
待ち合わせ場所には既に弾間が到着していた。満島さんから細かな情報を貰ってその人物の姿を視界に入れる。
護衛対象の男の名は金田。
カジュアルなスーツ姿で街中を歩く四十代くらいだろうか、歳の割にどこかフレッシュさを感じる。
「有名な企業家でバラエティ番組にもよく出てるんだよな」
「へぇ、詳しいね。テレビ結構観てんだ」
「俺、絵麻ちゃんが出てるのは全部チェックしてっから」
「ふっ、弾間の彼女そんな売れてるんだ」
「ここ最近ドラマの影響で増えたらしい。おかげで一緒にいられる時間がほとんど無いんだけど、俺も忙しいしお互い様って感じ」
「休みが合わなきゃそんなもんでしょ。愛想つかされないように気をつけてね」
「そこはかなり気をつけてる」
金田は街ブラロケをしていて、集団で大通りを歩いている。大きなカメラとマイクを持った人たちが後ろ歩きで金田たちを映している。
そしてコロッケを食べながら次のお店へ向かう。
それを影から尾行する僕たち。
「今回の護衛、師匠は楽って言ってたな。普通にやればまず問題無いって」
「殺し屋って聖童師として活躍できなかった人たちがやるって言ってたけど、わざわざ殺害予告出すって意味わからなくない?」
「そこは自己顕示欲の塊なんでしょ。聖童師の時は目立てなかったからとか、名を挙げてやるとかさ」
「そんなもんかね」
「そんなもんだろ」
正直、聖童師の世界のことはよくわかってない。
「で、修行の成果は?」
「もう、バチバチだったね。
スケベセンサーなるものを習得したよ。してなきゃあの場所では生き残れなかった、それほどの窮地に俺は追い込まれていた」
神妙な面持ちで冗談のようなことを言ってきた。強くなるための修行に行ったんだよね?
「俺の来世は仏だぜ。それでもお釣りが来る程の煩悩の無法地帯、扉の数だけおっぱいあった」
大変だった時のことを思い出しているのか、顔を少し上げて物憂げな感じで虚空を見つめる。
「なに言ってるか全くわからない」
「あれは口頭で表現できるような生易しい世界じゃなかった。
わかるか?扉を開ければ着替えの最中、すれ違えばフローラルな香り、転んだ先には豊満なおっぱい、気を失えば膝枕、爆発で乱れる和服、汗で張り付く白いシャツ。
彼女一筋の俺には血便が出てしまうほど辛かった。
無自覚でやってるんだとしたら大罪だよ。そんなところに二ヶ月もいたんだ。最初は役得だと思った。次第に恐れを抱き、いつかは慣れると思った。
しかし、日々お披露目される様々なバリエーションは僅かな違いで俺に興奮をもたらした。
一ヶ月と少しが経った頃だったかな、鼻を通る空気の違いに気づいた。それはラッキースケベの前兆だということを教えてくれた。
その日から空気の違いを察してラッキースケベを回避することに成功した。
これが俺の習得したオリジナル技、スケベセンサーだ」
それはとても長い長い話だった。
「……そっか」
僕は今どんな顔をしているだろうか。人生で初めての感情が湧いてきた。
「それはそうと、あの二人手加減をまるでわかってない。一触即発なんて生易しいもんじゃない、一触即死だよ。
レベルが違いすぎた」
そう、その話が聞きたかった。
(ビュシュパンっ!!)
なにっ!空気を叩く音?ジャケットがなびく音?後ろからとんでもない速さで何かが近づいてくる。
わかる。このタイミングで聖気を纏った何かが飛んでくるのは確実に金田に殺害予告を送ったやつだ。
(わかってる)
目でそう訴えかけてきた弾間は即座に前へ出る。僕は周囲の警戒を強める。
男だ。ビルの上から飛んできた男の進路に弾間はボンっと周囲には気づかれないくらいの小さな爆発音で見事に飛んで割り込んだ。
(チンっ)
手に出した爆弾は何かに弾き飛ばされたのか、手からこぼれ落ちた。
男はその勢いのまま弾間にぶつかると、ピシっピシっと乾いた音の後、腹を蹴飛ばして弾間は落下する。
(ドっ)
弾間の体を受け止めると両肩から血が垂れていた。
小指ほどのサイズの穴だ。ぶつかった時に何かで二回突き刺してから蹴飛ばした。速かったし何より弾間の体と被っていて見えなかった。
男は蹴飛ばしたあとスタっと目の前に着地したが攻撃してくるような感じじゃない。様子見してる?
「なんで護衛付いてんだよ」
緑髪のアップバンクで人の良さそうな顔をした男が、不思議そうに軽い様子で話しかけてきた。その態度があまりにも緊迫した状況とはかけ離れていて呆気にとられた。
何かがおかしい。
「しかもガキ二人かよ…」
守りたいのか守りたくないのかわっかんねぇなぁ!
てか、学生だろあれ。その年で雇われてるとは思えねぇ。なにか…。
目隠れ野郎に金髪野郎。どっちもそれなりだが、目隠れ野郎は思ったより脆いな…心が。今の一撃で格の違いがハッキリした。
それにしてもこの敵意。
「お前ら俺を知らねぇのか?」
「知らない」
おーい、まじか。こちとら結構な有名税払ってるんですけどぉ。一番恥ずかしいやつじゃん。
しっかりしてくれ若人よ。でもでも、俺だってまだまだ若者よ?名実ともにこれからの期待値は高いっしょ。
でもまぁ、おかげでこの歪な状況に合点がいった。
これがマッチポンプなんだとしたら理由は一つしかない。
こりゃ聖童師界が荒れるぜ。早くリーダーに伝えないとな。
そんとき俺たちは静観かもしれないけど頼めば前線に出してくれるかも?
ま、今は年長者として二人に教育してあげっかな。
調停省。『惑星』の一人、木頭 折汰。
手に持っているのはなんとも飾りっけの無い直線で淡白な一本の枝。長さは三十cm程。
サイズ調整可能範囲は身の丈にあったサイズまで。
その枝の特性はただ一つ。折れない。
手に持ってるのはごぼうか?ごぼうで弾間の肩を貫いた?そんなのありかよ、聖気を纏ったからっていけるのか…。
ともかくこの男。
(強い)
話が全然違うぞ、弾間の身体能力を持ってしてもポロっと突き飛ばされた。初撃だからって弾間の反応が遅れたのかもしれないけど。
これは二人でどうこうなる相手なのか。こんな街中でやれるのか。
「いてぇ…」
両腕をだらんと下ろして唇を噛み締める。
あれ、弾間が怪我してるところ初めて見たかも。
「弾間、厳しかったら受けに回って」
「あ、あぁ」
嘘だろ…この程度で折れたのか?なんだよその下がりきった口角は、いつもみたいにぶっきらぼうな口元を見せてくれよ。
とにかく今はこの男に集中しないと僕もやられる。それだけはあっちゃならない。
触腕が必要だ。それとウーパーを数匹召喚しておく。
いいじゃん、修行の成果を見せてやる。
天才。そんなデタラメな言葉とうに剥がしたさ。俺が天才だって言うなら師匠と中村先輩はなんて言うんだよ。中村先輩はともかく師匠は戦いに身も心も焼かれた怪物だ。戦いでスリルを味わおうとしてる節がある。
俺の爆弾も切り落とすだけじゃなくてギリギリで避けたり、当たりに行ったりして無傷で突っ込んでくる。
天才という言葉が俺の存在を矮小なものにする。なぜなら同じカテゴリーの中には人智を超えた者たちばかりだから。
風の刃?雷?時間停止?こちとら爆弾だぞ、規模が違いすぎる。
空飛べないし雷になれないし再生もしない。
俺は人間だ。
傷は痛いし怖いから自分より強い相手とは戦いたくない。
だって仕方無いじゃん。つい半年前までは学校終わればまっすぐ家に帰ってゲームにアニメ、素質があったからって本質は変わらないんだ。現実逃避してるダメ人間。
褒められれば調子に乗るし上手くいかなきゃ落ち込む、みみっちい人間なんだ。
異世界に転生しなくても未知の力を手に入れることができたんだ。代わり映えのしない日々から離れて無双できちゃったりなんて妄想して、天才だって言われて煽てられた結果がこれだよ。
どれだけ辛い修行をして肉体と童質が鍛えられても16年間で固まった心の形のシミが残ってる。それでふとした瞬間、影が濃くなると半年前までの自分に戻る。
それは決して前の自分が嫌いってわけじゃなくて、平凡なんだとわからされる感じ。
お前は特別じゃないって。
修行の痛みと実戦の痛みは等価じゃない。
あれ、兵頭君格闘戦が上達してる。タコ足で上手く衝撃をいなして反撃してる。翼での速さを使わずに戦ってる。
あっ!え…なんで腕を治さないの。身体中貫かれて血だらけだ。
見てるだけで痛々しい。俺は二回貫かれて痛くて足が動かない。
師匠との戦いでの切り傷は痛かったけど我慢できた。
傷口が熱くジンジンする。本当は声を上げたいくらい痛いのに我慢してる。
兵頭君は痛みを感じないから平気なのか。
俺が動けば戦況は変わるか?この怪我でまともに動けるだろうか。怪我が無くてもあの有り様だったのに。
もしも心臓を貫かれてたら死んでいた。それだけのことで俺は死ぬんだ。
行って何ができる。また攻撃に怯えて致命傷を負うんじゃないか?兵頭君の邪魔にしかならないんじゃないか?
痛みが心をすり減らす。
ゲーム感覚だったんだ。今まで俺はゲームで遊ぶみたいに吸血鬼を狩って遊んでたんだ。童質なんてものを手に入れてしまったから自分は特別だって思い違いをしたんだ。
死ぬ前に気づけて良かった。俺にこの世界は分不相応だ。この程度の怪我で怯えているのが良い証拠だよ。
もしもここから無事に帰れたら聖童師をやめよう。ああ、お金稼げなくなっちゃうな。
今から普通の高校生は無理かもな、全然勉強してないし。
それから絵麻ちゃんとも別れよう。俺とじゃつり合わない。
弾間漠…置いてかれてるぞ。
いいよ、もう。どうでもいい。
新技お披露目しようぜ。
こんなところで使えるわけ無いじゃん。
やられっぱなしでいいのかよ。最後に一発かまそうぜ。
大きいのはできないよ。
ちょうどいいのがあるじゃんかよ。
あれか。確かにあれなら被害は小さいね。
だろ?みみっちく行こうぜ。
ふっ、自分にバカにされるのは気分良くないな。
自問自答が痛みを感じなくなるほどの集中をくれた。
ねぇ、師匠。師匠は挫折したことがありますか?
たとえ道は違えど、せめて心構えだけでもあなたの弟子として恥ずかしくない姿でありたいです。
最後に一つ、前に進む勇気をください。
ちくしょぉ、シンプルに強い。
貫かれる勢いで毎回手が止まるせいで流れを作れない。手数は圧倒的に多いはずなのに、男の戦闘スピードに置いてかれる。
左腕は貫かれすぎて再生しないと動かない。でもこれでいい、左腕の警戒を解かせてチャンスを伺う。
ただ、それほどまでに追い詰めないといけないのが苦しい。
貫くしか芸が無い癖に強い。
手からこぼれ落ちたと思われた枝が靴のつま先に乗ったと思ったら、そのまま振り上げられた足が顔面に迫り、枝が喉に刺さった。
「オエッ」
器用すぎる!!
が、男の片足に触腕を巻き付けて投げ飛ばす。
(ブゥンっ)
喉に枝を刺せば狼狽えて後ずさると思ったのか、ほんの僅か油断が生まれた。
男は体勢を立て直して笑いながら突っ込んでくる。
その時、上で待機してるウーパーの視点で弾間が動くのが見えた。
すると爆弾が一つ放り投げられた。
そうだよ。弾間は爆弾を投げてるだけで優位なんだ。弾間の思考を汲み取れ。
脇を通る爆弾た男の直線上に目隠しとしてウーパーを数匹召喚する。
ちょっとばかしの時間稼ぎだ。それだけでいい。
(プチュっプチュっ)
枝に貫かれていくウーパーたちは立派に役目を果たした。
(ドカァンっ!!)
目の前で黒煙が立ち昇る。
僕と弾間が一斉に駆け出す。
僕は再生した左腕にはナイフを携えて、弾間は筒状の何かを携えて。
黒煙から飛び出す男。
三者が激突する。
(シュっ、シャっ、ジュワンっ)
激突の寸前、巨大な壁が現れ行く手を阻んだ。が、確かな手応えは感じていた。
「痛ってー」
「「ぁ」」
「あらら」
思わず声が漏れた、何故ここにいるのか。そしてやってしまったと。
おじさんの背中にナイフ、左腕に炎。胸に枝。
三人の攻撃を一身に受けていた。
「あんまりうちの弟子をいじめんなや」
あまりの出来事に頭が追いつかない。状況がカオス。親しい間柄なのか、二人は普通に会話を始めた。
「あれっ、まじかー。浄静司さんのお弟子さんっすか?ちゃんと教育しておいてくださいよ。俺、恥かいたんすから」
「あ?なんの事だよ」
僕たちを他所に会話は進む。
「それと、これマッチポンプっすよ。背中に気をつけてくださいね、いい歳なんですから」
「下心が透けてんだよ」
「もちろん貸し1ですよ」
「そうだな。
いい事教えてやる、こっちは空の弟子だ」
「まじっすか。ふふふ、リーダー喜ぶだろうなぁ」
「とりあえず落ち着いたら俺か空の所に来るように言っといてくれ」
「はいっす。なるはやで行くように伝えときます。
それじゃあ、後始末があるのでこれで」
「ああ」
男は話終えると風のように去っていった。
そして未だ元気よく燃えている左腕。
「あっちぃ」
(パタパタっ)
シャツで何とか消化した。す、すごい。肉体が強靭すぎる。
そして。
「これ、抜いちゃっていいやつ?血がドバーって出ちゃうやつじゃね?」
なんて言い出すから驚いた。
前に刺されたのは随分と昔で、その時は戦闘中だったから刺しっぱなしじゃなかったんだと。
そして今回の事件の話を聞かされた。
僕たちが心配してわざわざ飛んできたそうだ。そしたら戦ってる相手が知ってる人で危ないと思って割り込んで止めた。
「俺たち人の輪から外れた聖童師が人として暮らせているのは調停省のおかげなんだ。
調停省が聖童師の地位を守ってるつってもいい。
依頼があれば誰でも殺す殺人集団。聖童師の闇の部分を一身に背負ってくれてる。
今回、調停省が出張ったってことはそういうことだ」
全容は話してくれなかったけど、要は上の人たちの画策に巻き込まれたと。
なんでこんなことをしでかしたのか、そんなことができるのは……ってことらしい。
「ちなみに調停省の前任者は『七色』つって、リーダーが虹川」
何が基準で選ばれてるんだろうか。
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翌日。
俺は師匠と会って辞めることを話した。
そしたら太平洋に連れてかれて本気を見せろと言われて見せた結果。
「うん、無理だね。
私の判断だけど十分、特異指定殺害対象だわ。
ようこそ正一位の世界へ。死ぬまで聖童師だ」
決意した未来はあっさりと砕かれた。
こうなったらもうやけくそだ。この腐った世界をゲームの世界にしてやるよ。
「師匠、俺をもっと強くしてください」
ぶっ壊してやる。




