二十八話 粛清
「まさか私が海柱くんの指示で動くことになるとは。時代は動いているということですかね」
そんなことを言う男が平日の昼間、公園のベンチに一人で座っている。
鎖骨辺りまで届くウェーブのかかった黒髪は穏やかな風を受け取って緩やかになびく。
彫りの深い顔に白の袈裟を纏っている。
歳は四十前後だろうか、周囲を小鳥が飛んでいてもおかしくないような大人の落ち着いた雰囲気が随所から滲み出ている。
そんな男が手に持っているのは金色の錫杖。背丈程もある長い杖。
その先端には輪っかが付いていてそこには細かく豪華な飾りが付いている。
お昼前のこの時間、公園には男以外の姿は見えない。
自然と木の葉を揺らす音だけが公園に静かに響き渡る。
そんな所に公園を横切ろうとした男がいた。
その男は赤髪で前髪は後ろに立ち上がっていて、二本の束だけ前に垂れ下がっている。二十代後半辺りか。
ちらりとベンチに座る男を見ると何も無いように目線を戻して通り過ぎる。
「お待ちなさい」
低く落ち着いた声が男の足を止めた。
「何か用ですか?」
ベンチに座る男に視線を持っていき尋ねる。
「あなたが毎日お昼前にこの公園を横切るのは調査済みです」
「は?」
ストーカーのような行いに男は困惑する。
「多くは語りませんよ。
しかし愚かですね。聖童師が吸血鬼に与するとは。
悔いなさい。さすれば多少は罪が軽くなるでしょうから」
その言葉を聞いて理解する。
目の前に座る男は自分の敵なのだと。
「その格好にその杖、もしかしてあんた天城さんか?
調停省、『惑星』の一人 天城 蔵文。
敵に説法するっていう」
「ははは、よくご存知で。
おっしゃる通り、私は天城 蔵文。
あなたを…従一位の立花 清志さんを依頼に従い殺しに来ました」
物騒な事を聞いて怪訝な表情を浮かべる立花。
「俺を?誰かから恨みを買った覚えはないんですけどね」
「おぉ、これは恐ろしい。
自分の行いを理解していないようですね。
先程も言ったではありませんか。あなたは聖童師を裏切って吸血鬼の手を取った。
それだけの事をしたのです。
これは上からの正式な依頼ですよ」
「そんなこと…」
身に覚えのない出来事に困惑する。
「なるほどなるほど。
意図していないということですか。
では、あの世に行ってから理解してください。自分が仕出かした過ちを」
「っは、まじですか。
もう後は無いって事ですか」
「はい、時すでに遅し。
振り返る道はもう無いですし、未来への道は私が塞いでいます」
「つまり、あんたを倒さないと俺のこの先の道は無いと」
「そういうことです」
公園を通る風が騒がしくなる。
「そこまで知ってるってことは俺の童質も知ってますよね」
「ええ。
童質は風刃。その名の通り風の刃を作り出すことができる」
「喰らえっ!蛇腹風刃殺!」
(シャリンッ!)
天城が突き出した錫杖に衝撃が伝わる。
風の刃は不可視の刃。
と、杖の先端にある輪っかの中に二回り程小さな輪っかがいつの間にか付いていて、甲高い音を鳴らした。
「鐘鈴輪重杖。
その杖の先端にある輪っかが一つ増える度に重さが倍になる。でしたよね確か」
「ご存知でしたか」
「調停省は全員強者。いつ敵になるか分からない相手ですからね。聖童師なら大抵知ってますよ」
「はっはっは、そうでしたか」
(ブォン!)
天城が音を立てて杖を振り下ろす。
一定の距離を保ちたい立花と距離を詰めたい天城。
現状では立花が有利か。
中距離から風の刃を飛ばしていく。
(シャリンシャリンッ)
(ブゴォォン!)
輪っかが二つに増えて風の刃が吹き飛ばされ、立花の表情が苦しくなる。
「縋り喚き俯きなさい。
形だけでも見せておけば寛容な神様のことです、許してくれるに違いありません。
ああ、誠意は必要無いですよ。
死に際の誠意ほど醜いものは無いですからね」
力のままに振り下ろされる杖を立花は腕で防ぎ堪える。袖が少し破れるが肉体に傷は無い。
聖気を纏った肉体を傷つけるのは難しい。従一位ともなれば相当の練度を持っている。
(ブォンッ!!)
「さすが従一位。
聖気の量は多いですね」
「嘘つけよ。
あんたちっとも本気を出して無いだろ」
「バレてましたか。
いやはや私の戦い方は元来、少しずつギアを上げていくんです。本気になるにはしばらくかかりそうです」
「あんたを倒すチャンスは今ってことか」
「良い気迫ですね。もっと頑張りましょう」
どこまでも上から目線な天城。
どうにか一撃を与えたい立花。
「ハアッ!!挟刃烈苛!」
前後左右から無数の刃が天城を襲う。
(シャリンシャリンシャリンッ)
軽やかな一回転の振り抜きで見事に刃は散る。
「滅刃風来残っ!!」
振り絞り繰り出す大技。
ありったけの聖気を使って無尽に襲いかかる風の刃を生み出す。
「だぁぁぁぁぁあ!!」
「あぁ。
生に縋り付く者を見ている時、私は生きているのだと実感出来る」
立花の目は充血し、鼻血を垂れ流し、全身から汗が吹き出る。
届かぬ刃に恐れを抱く者無し。
杖を振り抜き刃が死に、風圧で刃が死に、抉れた地面が立ち上がり阻まれ刃が死ぬ。
「なっ……」
気力は底を尽きた。
既に膝も腰も折れて、顔は地面を見ている。
立っていることがやっとの立花に天城は無防備にゆっくりと歩いて近づく。
「童質改変。重味増々」
死に体の立花を杖で小突く。
途端、踏まれたカエルのように勢いよく地面に体をめり込ませる。
それにより地面が沈む。
重味増々は、杖で触れたものに重さを付与する。
付与される重さは杖の先にある輪っかの数で決まる。
立花はその重さに耐えきれず立ち上がることすら出来ない。
虫の息でありながらもなんとか体を捻って仰向けになる。
「童質……改…変!」
ボロボロの拳を天に突き出す。
「……装刃 皆斬丸っ。最後の一振を…」
風の刃を纏った体は宙に浮き上がり、光の消えた眼で天城を見据える。
「まだそんな力があったのですね。
その根性に敬意を評して一撃で終わらせてあげましょう」
杖を両手で持ち直し、上に持ち上げる。
「無慈悲。最後の苦痛を甘受しなさい」
(ブボォォン!!)
(ドゴォォォン!!)
振り下ろされた杖は纏った刃の抵抗虚しく、立花の胴を押し潰した。
吹き飛ばされた刃が周囲を斬り裂く。
立花の意識は一瞬で刈り取られ、命が尽きた。
「神の慈悲があらんことを」
戦いを終えた天城は地面を一度、杖で突いた。
(シャリンシャリンシャリンシャリンッ)
無愛教祖 天城 蔵文。
『惑星』による聖童師の粛清が始まった。




