二十三話 急転直下
四月八日 午後九時 奈良県奈良市郊外。
「はぁ。いつまで…いつになったらエミリーの毒は治るんだ!」
「落ち着いてくださいマルコさん。正直言って厳しいっすよ。何回やっても変わらないなら何回やっても変わらないんじゃ」
「わかってるさ!そんなことはわかってる!
申し訳ないが人間が何人犠牲になってもやめることは出来ない」
「今日で十人目です」
「はは。大量殺人鬼だな、私は。
なんで私たちがこんな目に合わなきゃならないんだ!吸血鬼だからか!
私たちはただ平穏に人間と同じ変わらない生活をしてきた!
なのになんなんだ!あの男は。大義名分も無く私たちを襲ってくるなんて!
そんなの馬鹿げてるだろ!」
「落ち着いてください。近隣に迷惑っすよ」
「ああ、すまない。とにかく治るまでだ。エミリーの体が治るまで私は止まらないぞ。悪魔にだってなってやる。だから、どうかエミリーの体を治してくれよぉ…」
「今日はもう帰りましょう。最近はここら辺の住人の警戒心が強くなってます。下手に動きすぎると捕まってしまいます。
捕まってしまったらエミリーさんも助からなくなりますよ」
「そうだな。
今年の春の風は冷たいな」
不老である吸血鬼が不自由を嘆く。
澄んだ夜空には三日月が浮かぶ。
そこには街並みの情景を崩すように大きな館が建っている。
私たちは人間界に馴染む吸血鬼として力を合わせて頑張ってきた、
そんな平穏はひとつの事件をきっかけにあっさりと砕け散った。
一か月前。
私は今日も門を開ける。家に帰ればみんないる。みんなと話せば疲れなんて吹き飛ぶ。
「ただいまー」
「おかえりなさいマルコ」
「ただいまエミリー」
「おかえりなさい」「おかえりっす」「おかえり」
「アリス、ダニエル、シモン。ただいま」
「ご飯できてるっすよ。今日もエミリーさんの料理は格別っす」
「ふふ、ありがとダニエル」
「やった!エミリーのご飯を食べると疲れが吹き飛ぶんだ」
「大袈裟すぎ」
「そんなことない。紛れもなく私にとっては一日で一番幸せな時間だ」
「褒めすぎだよ。でもありがとっ」
五体、いや、五人でのシェアハウス。
人間社会に紛れて普通に人として暮らしている時、この四人と出会った。
他のみんなも人として生活してるけどどこかやつれている、最初はそんな印象だった。
意気投合した私たちは週末、集まって遊んだり、出かけたり、話したりのそんな生活を送ってた。
そんな時にダニエルが提案したシェアハウス。みんな乗り気で、スムーズに手続きは進んだ。
みんな一人でいた時は趣味と呼べるようなものは無く、貯金が溜まっていく一方だった。
そんなわけで改装工事から始めて洋風な館になった。塀に囲まれて立派な門も造った。
隣の家とは随分と雰囲気が違うが五人は満足だった。
アリスはヨーロッパが好きということでその流れでフランスっぽいニックネームをみんなに付けたが大好評で、みんなそのニックネームで呼び合うようになった。
シェアハウスは本当に楽しかった。家事分担で少しもめたが、嫌な仕事の押し付け合いではなく、自分の得意が被ったことによる取り合いだった。
ダニエルは家事全般そつなくこなすタイプで特に掃除は趣味の域だと。
アリスは几帳面で整理整頓をしたくなるようで。
シモンは寡黙だが、料理自慢で燃えた。
エミリーは料理が好きということでシモンと争った。
週の月火水はシモン。木金土日はエミリーに決まった。
二人がいない日は誰かがテキトーに作る。
それぞれ一人暮らしの経験が長く、できないことは無かったからその事でもめることは無かった。
そんな生活が十年続いた。
毎日が楽しい、充実した日々を送ってた。
「やっぱり美味しいなぁ。この野菜の形にこだわりを感じる。春巻きも美味しい。具材はこの野菜の残りかな、凄い良い組み合わせ。互いの良さを引き出してるように感じる。
もしかしてこのスープ、カツオ出汁取ってつくったの?優しさが口から溢れそうだ」
「さすがマルコ。気づいちゃったか」
「俺も気づいてたっすよ。でもここはマルコさんに譲ったんすよ」
「もちろん僕も気づいてましたよっと」
「私も」
「みんなありがとぉ。こんなに言ってもらえるなんてつくった甲斐があるね」
「今日も美味しかったぁ。ご馳走様でした」
「はぁ〜い」
「お風呂入ってくるね」
「りょーかい」
「俺トイレいってこよーっと」
(ピンポーーーン)
悲劇は突然訪れる。
普段、チャイムが鳴ったらマルコかダニエルが出ていた。その時、マルコはお風呂にいてダニエルはトイレにいた。
「はいは〜い、今出まーす」
今回、チャイムに反応して玄関の扉を開けて門のそばまで行ったのはエミリーだった。
門の前に立っているのはバーカーを着込んでフードを被りその顔はほとんど見えなかった。
ガタイの良さからエミリーは男と判断した。
夜に知らない大男ということで少し警戒しながらも尋ねる。
「あのー、何かご用ですか?」
「……」
俯いてる男は答えない。
「あの…」
いつでも動けるように身構える。
「害獣どもが人間と同じように生きてんじゃねぇよ!!」
男は叫び出し門を飛び越えエミリーに襲いかかる。
この場面でも冷静な行動ができるのがエミリーである。
男との間合いをしっかりと取り、迫る拳を見切る。
エミリーは人を殺したことが無い。されど吸血鬼。耐久力、回復力、膂力、全ての身体能力が人間を遥かに上回っている。
いくら戦闘に慣れていなくても反射である程度のことは処理できる。
「どぅあっ!」
男は接近戦に持ち込みたいのか、絶え間なく攻め込んでくる。
準備してきた男との差は必然的に出てくる。
それが如実に現れたのは単純に戦闘の経験だろう。聖気の流れ、操作によって防戦一方になる。
エミリーが外に出てから数分が経過して心配になって見に来たシモンとアリスは戦慄する。
エミリーとは違い、二人は反射的に脳の切り替えができなかった。準備も無く住処が戦場になれば誰でもそうなるだろう。
しばし思考停止の時間が流れる。
男はそれを見逃さなかった。
瞬時にターゲットを二人に変えて飛びかかる。シモンは反応して避ける動作に入るがアリスは未だ、硬直状態から解けていない。
アリスの頭の中は不安、焦り、恐怖、様々なマイナスが脳内を埋め尽くし思考がまとまらずその場に立ち尽くす。
この短い時間で男に対応したエミリーは男の考えを読んでほぼ同時に二人の方に動き出していた。
どちらが速いか。
男である。
男は手を真っ直ぐにして指先からアリスの体を突こうとしていた。
エミリーは考えた。
男を止めるのは間に合わない。しかしアリスの方には自分の方が速く着くのではないか。進路を変えて速度を上げる。
頭の中で導き出したこの状況での最適解はアリスをその勢いで突き飛ばしてまず一撃を避けること。
エミリーは男よりもギリギリ先にアリスに届いた。持てる全ての力を指先に集めてアリスを突き飛ばす。
(ぐばっ!)
「きゃーーーーー!!」
これがエミリーにとって初めて聖気を動かした瞬間だ。
練られた聖気によってアリスは真横に飛んでいく。しかし束の間の安堵。アリスの場所にはエミリーが入れ替わるようにいた。さらに一歩、男の直線上から逃れるために踏み込むが足りなかった。
男の指先がエミリーの腰に触れた。
(ずっ)
衝撃は感じられず、腹部に経験したことの無いほどの強烈な痛みがはしる。
「ぐがっ!いぎぁあああ!!」
あまりの痛みでその場に膝を着き蹲る。
「あがぁぁああああ!!」
二人の絶叫でようやくダニエルが異常を感じてトイレから飛び出す。
少し遅れてお風呂からマルコも飛び出す。
男はエミリーから視線を外し、シモンの方を睨む。
「エミリーさんに何をした!!」
さすがのシモンも一大事とあらば声を張る。
その問いに男は答えることもせず襲いかかる。
ダニエルが玄関を飛び出して男に詰め寄る。
「なんだテメェ!!」
ダニエルは問答無用で男に殴りかかった。荒削りの喧嘩の拳。勢いだけの拳だが、吸血鬼の力を持ってすれば必殺の一撃となる。
相手が聖童師で無ければだが。
ダニエルと向かい合い殴り合いが始まる。
ここでアリスは立ち上がるが、何か出来ることがある訳では無い。自分にやれることを探したアリスはエミリーに駆け寄る。
マルコも参戦すると不利とみたのか男は去っていった。
「害獣らしく毒にやられて死ね」
そう言い残して男は消えていった。
マルコは追いかけたい気持ちを抑えて、目の前で倒れてるエミリーに駆け寄る。
「なに!?何があった!エミリーに何があった!?」
エミリーの異常を悟り取り乱す。
「ごめんなさい。ごめんなさい。
私のせいで……こんな…ことに」
必死に謝るアリス。何が何だか分からない。
「どういうことだ?」
「違うんだ。チャイムが鳴ってエミリーさんが出た。しばらくしても戻ってこないから俺たちが様子を見に行ったら何故か二人は戦ってた。呆気に取られた俺たちは標的にされて、動けなかったアリスをエミリーさんが庇ったんだ。
でも触れただけだったように見えた。
なのにこの痛がり方。俺にも何が何だか分からない」
シモンの説明は端的で分かりやすかった。
「ぁァァアアア!!」
「エミリーっ!!」
「とりあえず中に入った方がいいっす。また襲われるかもしれない」
「そうだな」
部屋に入ってもエミリーの呻きは止まない。
吸血鬼の再生力ならちょっとした傷くらいすぐに治る。ただ、外傷が見当たらずどうすればいいのか分からない。
「毒!?さっきの男は毒って言ってたよな!」
「そういえばそうっすね。触れただけで毒に侵されるなんて…それはまさか」
「童質……か」
「「童質!?」」
「二人は知らないのも無理は無い。特殊能力みたいなものだ。私とダニエルは知っている」
「っすね。だとするとどうなるんすか」
「とにかく毒を取り除きたい。体の中を調べないとなんとも言えない」
「腹を捌くんすか?」
「そうする他無い。私たちは病院には行くことができない。私たちだけで解決しなければいけない。頼れる吸血鬼なんていないし人間に頼ることなんてもっとできない」
エミリーを横に寝かせて包丁でお腹を切る。
「シモンとアリスは見ない方がいい」
「ごめんなさい」「ごめん」
(じゅず…)
嫌な感触が全身を巡る。
お腹を開くと強烈な腐敗臭が脳天を衝く。吐き気を催しながらも中を確認すると臓器が腐りきっていた。死滅色とでも言えばいいのか黒みがかった紫色の臓器。
もはや切除するしか無い。そうしないと臓器以外にまで侵食する恐れがある。
童質の能力次第だから正解なんて分からない。
(なんで私がエミリーの体を捌かないといけないんだ!!なんでだよ!くそっ!)
「踏ん張りどころっすよ。ここで止まっても未来は無いです」
「ああ、そうだな」
(臓器の取り出しなんてやった事ない。人を切る覚悟なんて無いさ。だから人間に紛れて生活してるんだ!あいつはいったいなんなんだよ!!
私が出ていれば結果は違ったかもしれない。あと少しお風呂に入るのが遅ければ全員助かってたかもしれない。
未知の選択を誤った)
「どうしてっ!!どうしてエミリーが大変な時にそばにいることができなかった!!どうしてだ!!
人間…人間っ!私たちが何をしたって言うんだ!!」
涙が止まらない。上を向いても溢れだしてくる。
「……人間の臓物を奪おう」
「マルコさんっ!」
「エミリーの臓器は全部取り除く。それと入れ替えるように人間の臓器を入れ込む。
健康そうな人がいいな。私が取ってくる。
ダニエルはエミリーを頼む。何とか持たせてくれ。
三十分以内に持ってくる」
「エミリー。私は諦めないよ。
君のためなら喜んで悪魔にでもなる。
だからもう一度、君の笑顔を見せてよ」
「くそっ!ダメじゃないか!どうして新しい臓器さえも腐ってしまうんだ!
あの男を殺せば治るのか…?」
吸血鬼は聖気で付けられた傷の回復は難しいですが、普通の傷は大抵なんとかできます。
今回包丁で付けた傷も吸血鬼なら問題ないです。
包丁が聖気を纏ってれば別ですけど。




