表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

8 森の夫婦

夕餉時(ゆうげどき)には戻って来るのじゃぞ」

残り物の(ひや)ごはんに味噌汁をぶっ()けた。

大きな鳶色(とびいろ)の目をした犬は、エサ皿を()らしながらガツガツと猫飯(ねこめし)を平らげたあと、短く()えて走り去って行った。


 旦那は昨日の晩から夕餉(ゆうげ)も食べずに、逃げるように行商へ向かった。

霧雨の降る暗闇の夜中に、帽子が売れるはずもないのに。


 ぬかるんだ小道の、去った犬の足跡を眺めながら、溜め息をついた。

物悲しい気持ちを振り払うように、作業場に足を運ぶ。竹林の笹の()れあう音が一層(いっそう)淋しさをかき立てた。

「さて、今日は何を(こしら)えようか」

あえて言葉に出して気持ちを(まぎ)らわせる。

思考は中々先へ進まなかったが、旦那との仲直りの方向へ進路を向けると、思いが徐々に形になっていく。


「これじゃ!」

作業台を整理して、制作に取り掛かった。


 昼餉(ひるげ)の支度をしていると、スマートフォンが鳴った。旦那からだ。

われの胸の鼓動が高鳴った。

「白い麦わら帽子が売れた。ハムサンドと交換だけど。これがめっぽう美味(うま)かった。帽子を丁寧に作ってくれたお前のお(かげ)だ。ありがとう。()ねて飛び出して悪かった。仲直りをしてくれ」

旦那はゆっくりとした口調で、われを(いた)わるように言った。

「われこそ大人げも無く言い過ぎた。許してくれ。仲直りを承諾(しょうだく)する」

「ハムサンドをくれた客人がそちらへ向かった。丁重(ていちょう)()()してくれ。頼んだぞ」


 犬の足跡を辿(たど)るように森の入り口へ歩いて行くと、白い麦わら帽子を(かぶ)った黒髪の女子(おなご)が思い悩むように(たたず)んでいた。

 われが近づくと、(たた)んだ傘をこちらに向けて威嚇(いかく)した。

「町のひと。われは敵ではあらぬ。ぜひ其方(そなた)を持て成したいと思ってやって来たのじゃ」


「持て成される理由がわからない。現状では(あや)しさが一杯で、全く信用できません」

「その白い麦わら帽子じゃ。われの旦那が歩道橋のてっぺんで帽子の行商をしておる。其方は初めての客じゃし、ハムサンドを貰ったとスマホに連絡があったのじゃ」


「その行商人は、昨日から何も食べていないと言っていた。持て成すほどの食事があるなら、話に矛盾(むじゅん)(しょう)じるんじゃないかしら?」

なおも町の女子は(とが)った傘の先をわれに向けて言った。


「お金の話で夫婦喧嘩をしていたのじゃ。信じてくれ。()ねた旦那は飯も食わずに、家出同然で行商に出掛けた。スマホで会話して、仲直りしたのじゃ。其方の仲裁(ちゅうさい)のお陰なんじゃ」

われは必死に事情を伝えた。

女子はやれやれと言った表情をして、ようやく傘を仕舞った。


 われは出来る限りの持て成しをし、町の女子(おなご)も満足したようだった。

呼んでおいたタクシーに乗って、その女子は帰って行った。

「さて、夕餉(ゆうげ)までに仕上げねばならぬ」

作業場に戻り、今朝の続きに取り掛かった。


 旦那が戻る頃には出来上がっていて、一緒に夕餉を食べたあと、背後に回った。

「どうしたんだ?」

「お前にこれをやる。仲直りの(しるし)じゃ」

振り返った旦那の頭にそっと(かぶ)せた。


「ふむふむ。ぴったりとフィットして被り心地が良いな。今日から毎日被るぞ。ありがとう」

旦那は姿見(すがたみ)に自分を(うつ)して、()きる事無くポーズを取っていた。


 翌日になっても大きな鳶色(とびいろ)の目をした犬は帰って来なかった。よくある事なので、あまり気にしてはいない。大方(おおかた)誰かに持て成しを受けているのであろう。


 旦那は朝から、森で()れた山菜の行商に出掛けた。われは昼餉の仕込みをしたあと、作業場へ向かう。今日は素焼きした器に絵付(えつ)けと釉薬(ゆうやく)をかける作業が少し残っていた。

 ちょうど一段落(ひとだんらく)した時、スマートフォンが鳴った。旦那からだ。


「山菜の佃煮(つくだに)が三つ売れた。その客人がハイクオリティな釣竿を所望(しょもう)している。お前の竿は絶品だが、新品は残っているか?」

「幾つかあるが、自信があるのは三つじゃ」

十分(じゅうぶん)だ。客人がそちらへ向かう。丁重(ていちょう)に持て成してくれ。頼んだぞ」


 昨日歩いた小道はすっかり(かわ)いていて、犬の足跡は消えていた。森の入口へ向かいしばらく待っていると、歩道橋からこれと言って特徴の無い、(ひと)()さそうな男が()りてきた。


「町のひと。よく来られた。釣竿が欲しいとな?」

「いかにも」

「われは森の(たみ)なので、川か池専用じゃが大丈夫かの?」

「これくらいの黄金の鯉を捕らえたい。食べるのでは無く、観賞用に。あるいは釣れた事に満足し、逃がしてやる事も(やぶさ)かではない」

町の男はジェスチャーで、(くだん)の鯉の大きさを伝えた。

われは頷き、頭の中で竿の強度を確認した。恐らく問題は無いだろう。


 釣竿と心ばかりの土産(みやげ)を持たせ、町の男を見送ったあと、旦那に電話を掛けた。

「釣竿が売れたのじゃ。精算はお前に(まか)す。気のいい客なので、少し勉強してやってくれ。()()くそちらへ行くだろう」

承知(しょうち)した。ありがとう」

短いが、旦那の(ねぎら)いの言葉が嬉しかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ