7 出会い
踏み均された土の小道を進んで行くと、こぢんまりとした、質素だが格調高く美しい、神社のような住居が目に入る。
「入ってすぐに食卓じゃ。好きな所に座っておれ。温い茶を出すから、昼餉が出来るまで寛いでおるのじゃ」
ダビデの奥様は先に入り、奥の竈へ向かい、料理の出来を確かめに行った。
玄関を入ると土間になっていて、小さな四人掛けの四角い机と背もたれ付きの椅子が並んでいた。
私は購入した山菜の佃煮の入った三つの瓶を取り出し、机の上に置いた。
ダビデの奥様は奥の暖簾から出て来て、竹皮を敷いた大きな皿に、掌にちょうど収まるくらいの塩むすびを沢山のせて来た。
「具沢山の猪の味噌汁と一緒に食べるのじゃ。今装うてやる」
食卓の上は、沢山の塩むすびと、猪の味噌汁。数種の佃煮とお通しが並べられた。
「瓶詰は家で。同じものを用意したから味見も兼ねて食べるのじゃ」
ダビデの奥様は向かいに座り、味噌汁を啜った。所作が美しく、身が引き締まる思いだ。
まず具沢山の猪の味噌汁を味わう。人参や大根が短冊状に切られ、歯応えのある食感と野菜の旨味、そして出汁を含んだ大根の口溶け具合がたまらなく美味い。
二口目に汁と一緒に猪肉を噛み締めた。溢れ出た肉汁とスープが絡み、弾力のある肉を噛み切る度に、猪肉特有の力強い味わいと優しい味噌の調和が口の中で広がった。
「美味い!」
それ以上の言葉が見つからなかった。ダビデの奥様に目を移すと、勝ち誇った顔をしていた。
次は問題の塩むすび。いや、佃煮だ。左手で塩むすびを手につかむ。ほくほくで、まだ熱いくらいだ。右手の菜箸でワラビの佃煮を多めに取り、塩むすびの真ん中に押し込んだ。
ダビデの奥様に目を向けると、大きく頷いた。
「いただきます」
具と一緒に、がぶりと八割を口の中へ放り込んだ。岩塩をアクセントとした白米の甘みが口一杯に広がる。そして時間差でそれはやって来た。濃厚でクセになるような甘辛いワラビの味覚と食感が舌と歯に転がった。驚く間も無くその味覚は白米の甘みと融合し、至高の境地へと昇り詰めていった。
「三つ同時に味わうというのは?」
恐る恐るダビデの奥様に尋ねると、ニヤリとほくそ笑んで言った。
「よかろう。味わってみるがよい」
塩むすびは無くなり、猪の味噌汁はダビデ夫妻の夕飯の分を残して沢山戴いてしまった。
「本当に御馳走になりました。料金を支払うので、また食べに来てもいいですか?」
「其方はお得意様になりそうじゃ。これからも御贔屓に頼むぞ」
ダビデの奥様は笑顔を浮かべて言った。
帰り支度をしていると、彼女が私を呼び止めた。
「何か忘れておらぬか?」
私が首を捻ると、彼女は呆れた表情で続けた。
「釣竿じゃ」
ダビデの奥様に連れられて、住居の裏手に回ると、竹林に寄り添うように九畳ほどの広さの作業場があった。建物の壁には、様々な太さの竹が天日干しにされていた。引き戸を開けると、制作中の釣竿だけではなく、編み籠や陶器、帽子などが所狭しと積み重ねられている。
いずれもシンプルで、色や形に派手さは無いが、合理性と美しさをせめぎ合わせた結果、余計なものを極限まで削ぎ落とした、実に普遍的で優美なデザインをしていた。
「釣竿を見るまでもないな」
私がポツリと呟くと、ダビデの奥様は怪訝な顔をして言った。
「いや、見てもらわねば困る。とりあえず、今売り物に出来るものは、この三つじゃ」
作業台の上に散らばっていた材料や工具を端に寄せ、竹製の三つの竿を並べた。
「一つ目はシンプルな延べ竿じゃ。丈夫でお手軽じゃが、畳めないので携帯には向いておらぬ。二つ目は継ぎ竿じゃ。組み立て式じゃな。継ぎ目の仕上がり加減が職人の腕の見せ所じゃ。最後の三つ目がわれの意欲作じゃ。巷では多段延べ竿と呼ぶらしい。伸縮式で組み立てる必要が無く収納できる優れものじゃ」
いずれもしっかりと焼き入れされた竹に、飴色の漆の光沢が美しい銘品だった。
「三つ目の意欲作がナウくてバズりそうだ。外で伸ばしてみてもいいですか?」
ダビデの奥様は腕を組んで大きく頷いた。
力を入れ過ぎないように注意して、軽く竿を振り被った。
心地よいスライド音を響かせて竿が伸び、ストッパーがとん、とん、とん、と小気味良い音を鳴らして止まった。
竿を振って撓りを確かめる。竹とは思えない柔軟性で、竿の継ぎ目が一切ブレなかった。
「これに決めた。釣り損ねるイメージが浮かばない。お幾らですか?」
「ふむ。気に入ってもらえて嬉しい。職人冥利に尽きるというものじゃ。会計は旦那に任せておる。スマホで連絡しておくので、歩道橋の上で清算してくれ。それと、これはわれのサービスじゃ。受け取ってくれ」
ダビデの奥様はそう言って、お手製のウキと毛鉤の入った桐箱をくれた。
これも一目見て銘品だと分かった。
昨日から今朝にかけての出来事は散々なものだったが、午後は良い出会いに恵まれた。
運命の振り子は、振れた分だけ戻りも大きいという事か。私は軽い足取りで歩道橋を登った。