子供の夢
『誰にも見えてなかったな……』
――キュウがようやく冷静さを取り戻したのは、「お姉さま大好き」と書かれた大きな布を掲げて、聖女の周りにたかる人々の上を十周は飛び回ってからだった。
「女の子が宙を浮かんで高速移動しているのを見たら、確実に騒動になるから見えてなくていいんじゃないか?」
「この人たちはそもそも聖女様しか見てないんじゃないか……? 誰も空なんて見てないと思うよ」
ミバルがキュウに声をかけ、ケンがさらに言葉を続けた。ケンはキュウが上空を飛び回っていると聞いて周囲を警戒していたのだが、騒動の恐れが杞憂に終わったことにほっとしているようだ。
「ケンもミライも、あれが見えなくてよかったな。心臓が止まるかと思った……。あんなのが見えたら、この人だかりがどう動き出すのやら、ぞっとするぞ!」
同じくほっとしているジャックであった。
ミバル同様にキュウの姿が見えるジャックだが、一瞬で遠ざかって豆粒ほどの大きさになるような高速空中移動を繰り返すキュウを見てハラハラしていたのだ。止めたくても止められず、パニックが起きたらどうしようかと肝を冷やしていた。
男たちの不安など素知らぬ顔で、キュウは言う。
『だって、姉さま本人や、妹たちの誰かに私のことを気が付いてもらえたら話が早いでしょ』
「ああ、キュウさんは妹さんたちを探して飛び回っていたってことだったのね」
『そうそう! でも、誰にも見えていなかったし声も届かなかったから、姉さまにはミバルたちから会いに行ってもらうしかないみたい』
キュウはあっさりと、姉妹たちとの接触を諦めるようなことを言った。
(……本当は、気が付いてほしかったんだろうな。いつものキュウなら、すぐに決めて、見切りをつけるものはすぐにつけて、すぐに動くのに、何度も同じところに飛んでいっていた。何度も声をかけて、気が付いてもらおうとしたんだ……)
ミバルは何とも思っていないように振る舞うキュウを見て、強く心に決めた。
(キュウのお姉さんたちに、キュウがここにいるんだってしっかりと伝えるんだ……!)
「それで、私たちはどうやって聖女様に会いに行けばいいの?」
「聖女様を囲う人垣は、さっきから全く崩れないな。ずっと同じ場所から動けないままだ。こんな、聖女様の言葉が聞き取れないくらいに遠い場所からどう会いに行くんだ?」
兄妹の言葉はもっともであった。
『大丈夫大丈夫! こういうときは任せてよ!』
「お、表情だけで『まかせて!』って言ってるのがわかるぞ! キュウちゃんよろしくな!」
胸に手を当ててポーズをとるキュウに、ジャックがすっかり安心してエールを送った。
「それでミバル、キュウちゃんは具体的にどうするって言ってるんだ?」
『歩いて行けないなら、精霊さんの力で飛んでいけばいいんだよ!』
「空を飛ぶ!?」
ミバルは興奮して叫んだ。
(そんなこともできるのか!)
ミバルはキュウの精霊術士としての力に、改めて感心せずにはいられなかった。
何しろ空を飛ぶなど、子供でも夢見るような奇跡だ。他の三人も子供のように無邪気に喜んでいる。
「やった! いつか空を飛んでみたかったんだ!」
「精霊の力ってすごい! 私たち魔術師は自分一人を浮かせるのだけでも大変なのに、四人揃ってなんて絶対にできない!」
「大きな城には宙に浮く見張り台があるっていうので飛べるって聞いたことならあるが、実際に飛ぶってどういうのなんだ……?」
『まっかせなさ〜い! じゃあ、いくよー!』
ふわり、と四人を優しい風が包み込む。そして、いままで当然のようにあったために意識したことがなかったもの――地面に引っ張られる力が消え、音もなく足が浮いた。
「な!? なんだ!?」
「あいつら、浮いてるぞ」
「これは……もしかして、精霊様のご加護かしら?」
四人はあっという間に、周囲のざわめきなど気にならないほどの気持ちと共に空へと舞い上がった。
人混みが遠くなり、高い建物に遮られていた青空が、ミバルの視界いっぱいに広がる。
それは木こりとして過ごした、木々の生い茂る山の中からでも見たことがないほどの、清々しい光景だった。
「空が大きい……! キュウ、すごいな! 本当にすごい!」
ミバルは大興奮でキュウに叫んだ。
『楽しい?』
「ああ、すっごく楽しい!」
『ふふふっこれからもっと楽しいよ! ここから姉さまの真上にまっすぐ飛んでいくからね!』
その言葉通り、空を滑るかのように、四人はまっすぐ飛んでいった。
「うわあああああああああ早くて最高だあああああああああ」
「きゃー! きゃー!」
「下からすごく視線を感じるが楽しいな!」
四人ともすっかり童心に帰っていた。
だから、ミバルもすっかり油断していたのだ――




