第15話 咸陽の四鴻啼 後編 ~出口王仁三郎の亡霊殺人事件~
《大和太郎事件簿・第15話/咸陽の四鴻啼》
〜出口王仁三郎の亡霊殺人事件〜
=後編=
咸陽の四鴻啼36;
2016年の9月の某日、某所 ブラッククロスの十人会議
「キャサリン・ヘイワードからの報告では、中国西安市の『アンゴルモア大王』候補者の若者たちの背後霊はアレキサンダー大王やジンギス・ハーン等の大物ではなかったそうです。改めて、候補者を探さねばなりません。」とナンバーワンが言った。
「『アンゴルモア大王』になる人物はアレキサンダー大王の生まれ変りである必要があるのですか?」とナンバーナインが訊いた。
「指導霊となる背後霊は入れ替わることもあるので、必ずしもそうとは断言しませんが、何らかの兆候はあるはずです。キャサリンが何も感じなかったという事は候補者ではないと判断するのが妥当でしょう。」
「そうですか・・・。」
「ところで、ナンバーファイブ。CIAが西安に派遣した私立探偵の大和太郎の動きは如何でしたか?」とナンバーワンが訊いた。
「はい。西安のCIA情報部に潜入している李からの報告によりますと、イスラム寺院の若者を探しているようでしたが、どうも芳しくなかったみたいです。」
「そうですか、CIAも見つけられなかったのですか・・・。まあ、もう少し考えてみましょう。それから、キャサリンから別の報告が来ています。始皇帝陵墓の上空で日本の石舞台や伊勢で霊視した白い霊鳥を再び視たそうです。始皇帝陵墓の前にある『始皇帝陵』と彫刻され石柱の上に止まっていたその霊鳥は、西安市の西方に聳える太白山に向かって飛んで行ったそうだ。太白山に向かうに従って少しづつ大きく成って行き、太白山頂に止まった途端に太白山を足下に踏んでいる巨大な姫神に変身したそうです。その姫神の名は不明です。いったい、この白い霊鳥は何を意味するのかです。みなさん、何か意見はありませんか?」とナンバーワンが出席者全員に訊いた。
「白い霊鳥と云う事ですからホワイトクロスと何か関係があるのではないのでしょうか?」とナンバーセブンが言った。
「オメガ教団の伊周天明からの報告では、日本の大本教と云う教団の裏神紋は丸の中に十字が入っていると云う事です。また、表の神紋は十曜紋と云って、中心に赤い円が描かれ、その円の周囲に中心円の4分の一の大きさの円が9個配分れているようです。中心円が太陽をあらわし、周囲の9個の円は太陽の惑星を表しているようです。そして、大本教の建物の白壁には浮彫で丸十字が描かれているそうです。それがホワイトクロスを意味するのかどうかを各方面から調査させています。大本教がホワイトクロスならば、白い霊鳥は大本教とほんとうに関係があるのかどうかですが・・・・。まあ、現在のところはよく判らないですね・・・。」とナンバーワンが呟くように言った。
「霊鳥と云う事で思い出した事があります。」とナンバーファイブが言った。
「どういう内容ですか、ナンバーファイブ。」とナンバーワンが訊いた。
「シルクロードの天山地域に古代からいた遊牧民にウィグル族があります。ウィグル族はシャーマン信仰の民族で、古代中国では鳥護とか鳥紇、鳥孫と呼ばれていました。ウィグル族と云うのは122部族があったらしいのですが、その主要な24部族の中で隼を守護神とする集団が4部族、鷲を守護神とするのが4部族、鷹を守護神とのが12部族で白鷹4部族、青鷹4部族、普通の鷹4部族に分かれていました。その他は狼や豹を守護神としていたようです。」
「なるほど、ウィグル族の中にアンゴルモアの大王が居ると云うことですか・・・。」
咸陽の四鴻啼37;
2016年の9月20日、午後3時過ぎ、D大学神学部藤原研究室
大和太郎は大本教に関して情報を貰う為に京都市内の烏丸今出川にあるD大学藤原研究室に再び来ていた。
藤原大造教授と鞍地大悟准教授、大和太郎の3人が打合わせテーブルを前にして話している。
「麻賀多神社の近くにある超林寺への参道で殺されていた神霊研究家の大矢伸明が大本教の取材をしていたのでしたね。」と藤原教授が言った。
「はい。超林寺参道で殺されたかどうかははっきりしていませんが遺体の発見現場は参道です。大矢氏のパソコンにはデジカメで撮影した大本教本部などの建物の映像データがありました。輪廻転生についての書籍を執筆するために取材していたと思うのですが・・。」と太郎が言った。
「輪廻転生と大本教の関係ですか・・・。鞍地君はどう思いますか?」と藤原教授が言った。
「はい。大本教が輪廻転生を唱えたことはありませんが、教祖の一人である出口王仁三郎は『素盞鳴尊』の復活を提唱していました。戦前の大正時代、白昼に月と太白星(金星)が異常な輝きを放つのを見た王仁三郎は、死を覚悟して中国大陸の内蒙古に行き、復活のひな型行為として『馬賊』になって暴れまわったようです。まあ、『素盞鳴尊』の転生を信じていたようです。そのあたりを大矢氏は研究していたのではないでしょうか。」と鞍地准教授が言った。
「確かに、亀岡の天恩郷に9000個の石材を使った月宮殿を建設して『素盞鳴』降臨を祈っていたと謂いますからね。月宮殿を上空から見ると十字形になっています。」と藤原教授が言った。
「戦前の大本教弾圧で取り壊された月宮殿の跡地に、戦後に石で造られた月宮宝座の写真もありました。」と太郎が言った。
「月宮宝座は半球形をした石の山。その球形円の中に、現在はない十字形をした月宮殿が収まるのです。それが、大本教の裏神紋である丸の中に十字がある形を表しています。」と鞍地准教授が言った。
「そう云えば、綾部の長生殿北端に連なる和風建築の白壁に裏神紋丸十字の浮き彫りが描かれている写真もありました。」と太郎が言った。
「長生殿は綾部梅松苑の敷地内の本宮山の麓・鶴山平に建てられました。宇宙の主神と天・地の主宰神を祀る3つの神殿を中心にして、右に歴代教祖などを祀る老松殿、左に会議・集会・茶会などを行う白梅殿、神殿前に鶴亀殿の4棟から成り、1992年11月に完成しました。丸十字の裏神紋浮き彫りがあるのは白梅殿の白壁です。」と鞍地准教授が言った。
「長生殿は出口王仁三郎が大正時代に建てたのが最初ですが第一回目の大本弾圧で破壊されました。昭和時代に建てなおしましたが、第二回大本弾圧で再び破壊されました。今の長生殿は三度目の神殿です。王仁三郎は『長生殿が立ち上がりたるあかつきは、神の経綸もようやく成らん』と言っていました。」と藤原教授が言った。
「裏神紋は神の計画と関係があると云う訳ですか・・・。」と太郎は呟いた。
「ところで、大矢氏の遺体が発見された麻賀多山超林寺とはどういうお寺なのですか?」と鞍地が訊いた。
「創建は1480年ころで、曹洞宗の寺院です。この地域を治めていた千葉輔胤の指示で建立され、3基の古墓の一つが輔胤のものではないかと言われています。また、1350年頃に京都で没した平貞胤の供養碑があります。前回も話しましたが、供養碑の彫刻文字には『平貞胤 □□霊□也』と書かれていたようです。なお、平貞胤は千葉氏12代当主であったと云う事です。」と太郎が簡単に説明した。
「千葉氏の菩提寺ですか・・・。」と鞍地が呟いた。
「現在もそうなのかどうかは判りませんが・・・。」
「千葉氏と云えば、千葉神社が千葉市内にありますよね。」と藤原教授が言った。
「はい。実は大矢氏が殺された日に千葉神社周辺に立ち寄ったのではないかと思うのですが、大矢氏の自家用車の映像が写っているのではないかと思われる監視カメラがまだ見つかっていません。」と太郎が言った。
「何故に千葉神社に立ち寄ったと思うのですか?」と鞍地が訊いた。
「大和君。神紋ですね。」と藤原教授が言った。
「はい、そうです。千葉神社の神紋は表が『三光紋』と云って、太陽、月、星を表しています。裏神紋は『九曜紋』と云いますが、大本教の『十曜紋』と同じで、中心に大きな赤色の円があり、その外周に九個の赤色の小円が配置されています。太陽と九個の惑星です。」
「水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の九惑星ですね。」
「はい。千葉神社の祭神は北極星と北斗七星を意味する『北辰妙見尊星王』です。」
「天之御中主大神でもありますね。千葉氏の先祖である平良文が妙見様を祀った祠を建立したのが千葉神社の始まりです。」と教授が言った。
「そう、大本教と千葉神社は裏神紋で繋がっていると考えていたのだった。」と鞍地准教授が呟いた。
「大本教は出口王仁三郎の云うスサノオ復活で転生、超林寺も『平貞胤 □□霊□也』の言葉から霊的な生まれ変りを意味しますから、大矢氏が輪廻転生の本を出そうと考えて大本教と超林寺を訪問した事はうなずけますが、前回の話し合いでも言いましたが、それと大矢氏殺害は関係するのですか?」と藤原が太朗に訊いた。
「それはまだ不明ですが、大矢氏の過去の足取りを追うことで、殺害理由が見つかるのではないかと思っています。例えば、どこかの訪問先でトラブルがあったとか、どのような人物と出会ったとかが判れば殺害された理由や犯人の影が浮かんでくるのではないかと思っています。そのために先生や鞍地准教授の知識をお借りしたかったのです。」
「お役に立ちましたか?」と鞍地が訊いた。
「はい。大本教の亀岡や綾部の建築物を訪問するのに大矢氏の心境を理解して行くことができます。そこで新たな発見に出会えるのではないかと願っています。」
「ああ、ちょっと気になることがあります。出口王仁三郎が次のような言葉を残しています。『丸山(綾部の本宮山)は平重盛の居城であった。以仁王は重盛を頼って綾部の地に来られて、ついに薨去されたのである。本宮山の中腹にある治総神社は私が重盛の霊を祭ったものである。』平重盛は平清盛の長子で後白河法皇と親しくしており、清盛と後白河の仲介役でもあった人物です。また、以仁王は後白河法皇の子で平氏追討の令旨を全国の源氏に出したが事前に発覚し、どこかに逃亡した。平家物語では討ち死にしたことになっているが、確かな事は不明です。千葉介の平氏と平清盛の平家は縁戚関係はない様ですが、何かの役にたちますかね。」と鞍地が言った。
「はい。もしかしたら何か判るかも知れませんので、記憶に留めておきます。」と太郎が言った。
「ところで、前回の話し合いの後、千葉貞胤こと平貞胤の先祖について調べてみました。平貞胤の先祖に平忠常と云う人物がいますが、その母親が平将門の娘・春姫だったようです。千葉貞胤と霊的な繋がりのあるのは千葉常胤だけではなく平将門もいます。神霊現象を視ることができる霊能者が謂うには、人に憑くとされている守護霊や指導霊となるのはその人物の先祖の霊・血の繋がりのある人物であるそうです。しかし、人はある運命や目的を持って生まれてくると謂われていますが、人の運命をコントロールするのは生まれながらに憑いた支配霊です。一般的に輪廻転生した霊とは支配霊と呼ばれている霊のことのようです。」と神学部准教授の鞍地が言った。
「霊的に生まれ変りとなるには、血の繋がりが必要なのですか・・・。」と太郎が呟いた。
咸陽の四鴻啼38;
2016年の9月20日、午後7時ころ、京都Tホテルのレストラン
大和太郎はD大学時代に京都Tホテルのコーヒーラウンジでウェイターのアルバイトをしていた。その時にホテルレストラン宴会係りの主任であった神田幸夫と知り合った。現在の神田幸夫はホテル支配人になっている。その誼で太郎は京都Tホテルに宿泊し、夕食を共にすることがあった。神田の方が太郎より10歳年上である。
大和太郎とホテル支配人の神田幸夫がフレンチ会席を食べながら話している。
神田は太郎が私立探偵をしている事は知っている。
「今回はどのような調査で京都に来たのかな?」と神田が訊いた。
「ちょっと殺人事件の捜査協力をしています。」
「警察に協力している訳だ。」
「まあ、そういう事です。」
「それで、どこに行く予定なのかな?」
「大本教の本部へ訊き込みに行きます。」
「亀岡と綾部ですか・・・。」と神田が何かを思い出すように言った。
「まあ、そうです。」と太郎が言った。
「そう云えば、先日殺された神霊研究家の大矢伸明氏が2か月くらい前に当ホテルに4日間ほど宿泊されました。その時の訪問先が亀岡や綾部方面だったと思いますよ。国道9号線を走るとか仰っていましたからね。」
「大矢伸明氏が宿泊されたのですか・・・。」と太郎は平静を装って言った。
「ええ、当ホテル特製色紙にサインを頂きました。その時に書いて頂いた色紙の文言が『京都Tホテルさん江、古都の歴史に謎ありき』でした。」
「そう云えば、コーヒラウンジ横の陳列棚に各界著名人のサイン入り色紙が飾ってありましたね。」
「その陳列棚に大矢先生のサイン入り色紙が飾ってあります。」
「『古都の歴史に謎ありき』ですか・・。」と太郎が考えるように呟いた。
「そこで、『古都の謎とは何ですか?』と訊いたのですが、『その謎が何なのかを探しに来ました。京都府北部に謎ありきです』と笑っておられまた。」
「大矢氏のチェックインは何時頃でした?」と太郎が訊いた。
「それは知りませんが、宿泊名簿を確認すれば判るけれど。それに、ヒョっとして行き先も書いてあるかも知れないね。フロントのクラークにはお客様の外出時に部屋のキーをお預かりする際、行き先を訊いてメモするように指示していますから。メモを取っていれば良いのですがね。」
「後で、宿泊名簿を見せて貰えますか?」
「良いですよ。さては、今回の調査は大矢氏の殺人事件の関係ですかな・・・。」
「それは、お答えできません。」と太郎がウィンクした。
「はい。承知しました。」と神田もウィンクした。
咸陽の四鴻啼39;
2016年の9月20日、午後8時30分ころ、京都Tホテルのフロント
太郎と神田支配人は宿泊名簿を確認する為にフロント横の事務所内の応接セットに座っている。
「ああ、これですね。大矢先生は7月3日の20時38分にチェックインされていますね。」と神田が太郎に宿泊名簿を渡した。
「7月4日の9時14分に外出。行き先は京都市内と亀岡になっていますね。帰着時刻は18時10分ですか。7月5日は7時18分に外出。この日は早い外出ですね。行き先は綾部市ですか。7月6日は9時21分外出。福井県おおい町か・・・。おおい町と云えば、陰陽師の土御門神道本庁があったな・・・。帰着時刻は20時44分か。そして、7月7日の午前10時にチェックアウト。」
「大矢先生がチェックアウトされるときにクラークが私を呼びに来たので先生にご挨拶しました。その時に、北陸自動車道で富山県の高岡市を訪問されるような事を仰っていましたね。『高岡大仏でも見学されるのですか。』と言ったら、『高岡に大仏様があるのですか?』と、ご存じなかったようでした。『現在の大仏様は銅製ですが、1221年源義勝によって二上山の麓に高さ5mの木造大仏が建立されたのが始まりです。江戸時代初期に前田利長が高岡城を建築したとき城下に移転し、数回の火災を経て、明治時代の1907年から26年の歳月をかけて高さ16mの青銅製大仏様が再度建立されました。奈良、鎌倉と並んで日本三大仏と云われています。』と紹介いたしましたところ、『それは、ぜひ見学しましょう。』と仰いました。」と神田が言った。
「高岡大仏ですか・・・。と云う事は、大矢氏は大仏さま以外の場所に行くつもりだったか・・・。それが何処か・・・?」と太郎は思った。
咸陽の四鴻啼40;
2016年の9月21日、午前10時30分ころ、亀岡市の大本教・天恩郷
太郎は京都駅前でレンタカーを借りて大本教の亀岡天恩郷に来ていた。
宣教センターの総合受付で2ケ月前に大矢伸明と話したと云う人物を呼んでもらい、会議室で話をしている。
「宣教部主任の高城健太と申します。」
「私立探偵の大和太郎と申します。千葉県警察本部の依頼で神霊研究家・大矢伸明氏殺人事件の捜査協力をしており、大矢氏の生前の足跡をたどっております。」と云いながら太郎は名刺を高城に差し出した。
「大和太郎様。埼玉県東松山市の探偵さんですか。それで、何をお知りになりたいのでしょうか?」と名刺を見ながら高城が言った。
「はい。高城様が大矢氏とお話しされた内容を知りたいのです。」
「会話の内容ですか・・。」と過去の話を思いだすように高城が呟いた。
「はい、覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、覚えています。大矢さんははじめに神紋の事を訊かれました。千葉県にある千葉神社の神紋と大本教の神紋が九曜紋で同じである理由を知りたいと云う事でした。私は千葉神社の神紋の事は存じ上げておりませんでしたので、大本教の九曜紋、実は現在は十曜紋ですが、開祖である出口直が艮の金神様から請けたお筆先の文言から出口王仁三郎聖師が九曜紋を神紋と定められました。大本教は出口直が育った綾部が発生地です。綾部は江戸時代末期は九鬼家が藩主であり、九鬼家の家紋が七曜紋でしたので、それにあやかって九曜紋にしたそうです。」と高城主任が言った。
※著者注;
九曜紋とは、赤色で描いた図柄で、中心に大きな円を描き、その円の外側周辺に等間隔で八個の小さな円を描いた紋章である。小さな円の直径は大きい円の半分くらいに描かれている。
十曜紋とは、中心円の外側周辺に小さな円が九個ある図柄になります。
九鬼氏の七曜紋は中心の円も周辺の6個の円も同じ大きさの図柄です。
「艮の金神様から請けたお筆先とはどのような文言でした?」と太郎が訊いた。
「はい、『九鬼大隅の守、九つの鬼の首、九つの首を九曜紋。九つが十曜に開いて、しおれん花の咲く大本であるから、ちとむつかしきぞよ。』という神喩です。」
「九鬼大隅の守とはどういう意味ですか?」と太郎が訊いた。
「綾部藩九鬼家のもとは伊勢鳥羽に会った水軍です。戦国時代に豊臣秀吉が中国・明を支配する目的で朝鮮出兵を命じた時、九鬼嘉隆が全長33mの軍船を造りました。その軍船がたいそう立派であったので豊臣秀吉は九鬼嘉隆を褒め、その船を『日本丸』と命名し、嘉隆は『従五位下・大隅の守』に叙位されました。日本丸の旗印は『日の丸』です。」
「九つの鬼の首とはどういう意味ですか?」
「朝鮮出兵の時、日本丸を中心船にして船団を一番隊から九番隊に分けました。この一番隊から九番隊のことになぞらえて九つの鬼の首と云ったのです。ですから、九曜紋の中央の大きい円は太陽を表しています。なぜ朝鮮出兵が九曜紋に繋がるのかと云いますのは、出口王仁三郎聖師は戦前に中国大陸に渡り馬賊たちと組んで暴れます。目的は、スサノオ尊の復活です。スサノオ復活の型を創るのが目的でした。スサノオ尊が蘇えるとき、大本教の目指している世界平和が訪れるのです。それが、伊勢鳥羽地方に残る伝説『蘇民将来』の意味であり、九曜紋から十曜紋に変わった理由と私は考えております。」と高城主任が言った。
「たしか、陰陽師たちが創った伝説『蘇民将来』は厄神・スサノオ尊の復活でしたね。」と太郎が呟いた。
「大矢様は、千葉神社は妙見信仰、すなわち北極星と北斗七星を守護神としている千葉氏が祀る神社と仰っていました。九鬼氏も水軍ですから、北極星と北斗七星を航海する時の方角を知るために家紋を七曜紋にしたのだと思います。七曜紋は北斗七星の七つ星ですから、描かれている七つの円の大きさは同じです。中心の円は太陽ではありません。しかし、千葉神社の裏神紋が大本教と同じ十曜紋である理由が私には判りません。その十曜紋は九曜紋と呼ばれているそうですが、私には意味が判りません。」と高城が言った。
「たしか、大本教の裏神紋は丸の中に十の字が書かれた『丸十字』の紋章でしたよね。」と太郎が言った。
「はい、そうです。大矢様も『丸十字は大隅半島を藩領とした島津家の家紋と同じですね。』と仰いました。しかし、島津家の家紋は外側の円に十の字は接触しています。大本教の丸十字は円と十の字は接触していません。そこが違います。」
「千葉氏のご先祖は桓武平氏です。」と太郎が言った。
「はい。大矢様もその事を話されました。実は、綾部の地は平安時代には平重盛の館が在った場所と出口王仁三郎聖師は申されていました。そこが、千葉神社と大本教の接点になっているのかも知れませんが、私にはよく判りません。それで、大矢様も綾部に行かれると云う事でしたので長生殿を管理している山種次郎という人間を紹介いたしました。」
「大矢氏は輪廻転生の事は話されなかったのですか?」と太郎が訊いた。
「はい。輪廻転生に関する本を執筆する予定との事でしたが、現在の大本教は世界平和を実現するために、宇宙の創造神は世界に共通するものであり、一神即多神即汎神の考えをもとにして世界の宗教団体との連携活動を推進しております。また、神人合一を旨としており、輪廻転生と云う事に関しては教義にしておりませんので、輪廻転生に関した話はしておりません。」
「しかし、スサノオ尊が蘇えるには転生が行われなければならないのではありませんか?」
「はい。出口王仁三郎聖師のような霊能者なら輪廻転生の事をご存じだと思いますが、我々のような平凡人には理解できない事です。大矢様は神令研究家ですから、何かご存じで会ったのかも知れませんが・・・。」と高城は諦めたような表情をした。
「他に何か大矢氏と話したことがあれば何でもお聞かせ願えますか?」と太郎が言った。
「そうですね・・・。ああ、宇宙紋章の話をしましたね。」と高城主任は思いだすように言った
「宇宙紋章とは?」
「太平洋戦争の前、出口王仁三郎聖師が中国の内蒙古で馬賊たちと行動した時に掲げた旗印があります。聖師と聖師のボディガードたち6人は大本ラマ教・熱察綏(西北)自治軍を標榜し、日・地・月・星を象った宇宙紋の入った軍旗を掲げて中国の政府軍と戦闘を繰り広げました。馬賊たちを十個の旅団に分けて軍旗を持たせたようです。」
著者注;
熱察綏自治軍の「熱察綏」とは当時に内蒙古の西北部にあった三つの国土地域の頭漢字である。
熱河、察哈爾、綏遠の三つ国土地域で十個の旅団を編成して出口王仁三郎は活動した。
それぞれの旅団に宇宙紋章を入れた軍旗を掲げさせて活動したようである。
この三つの省を略して西北自治軍とも呼んだようである。
「その日・地・月・星の宇宙紋章とはどのような図柄ですか?」
「太陽を表す赤色の円の中に、地球を表す白色の円を描き、その白色の円の中で左上寄りに月を表す黄色の円を描き、その黄色の円の左上寄りに緑色の星印を描いた図柄です。」と高城は言って、ボールペンを使って白紙に宇宙紋章の絵を描いて太郎に見せた。
「これは、千葉神社の表の神紋である『三光紋』に繋がりますね。三光紋は、日を表す赤色の円の中に月を表す白色の円を左上寄りに描き、星を表す赤色の円をその白色の円の左上寄りに描いて日・月・星の光を表現した神紋です。」と太郎が宇宙紋章を見て言った。
「大矢さんも同じことを仰いました。」と高城が言った。
「また、明治32年(1899年)に十曜紋が出来た時、出口直開祖は『大本には後来、さらに新たな紋ができる。その紋はミロク神政成就のしるしである。』と仰っていたようです。それが宇宙紋と考えられています。」と高城が付け加えるように言った。
咸陽の四鴻啼41;
2016年の9月21日、午後2時30分ころ、綾部市の大本教・長生殿
高城主任から紹介された祭祠事務係長の山種次郎と大和太郎は長生殿の応接室で話をしている。
「はい、大矢伸明様のことはよく覚えています。」と山種係長が言った。
「どのような話をされたのですか?」と太郎が訊いた。
「最初は平重盛の話でした。綾部の地は江戸時代には九鬼家が綾部藩主であったことはよく知られていますが、平安時代末期は平清盛の長子である平重盛の居城が在ったことは出口王仁三郎聖師が述べられていた事です。この長生殿の後にある本宮山に館が在ったそうです。当時は『円山』とか『鶴山』とか呼ばれていたようですが、大本が『本宮山』と名付けました。本宮は紀州にある熊野本宮大社の本宮を意味します。熊野本宮大社の祭神は家津美御子大神、すなわち素盞鳴尊です。また、明治33年10月に鞍馬山で開祖や会長たち数人が出修(祈祷・祈願)を行いました。その後のある日の夜に杉の樹木が大きくザワツク大風が吹いた時、出口直開祖が『鞍馬の大僧正(天狗)が本宮山に鎮まった。』と語られました。」
「鞍馬の天狗大僧正様が何故に本宮山に鎮まったのですかね・・・?天狗と杉の樹木ですか・・・。」と太郎が言った。
「同じことを大矢様も仰いましたが、私には判りませんとお答えしました。」
「出口王仁三郎さんなら判ったかも知れませんね、ハハハハッー。」と太郎が笑った。
「そう云えば、開祖のお筆先に『今度お役に立てるのは、水晶魂の選り抜きばかりに神が懸りて参いるから、人は調べてあるぞよ。根に葉あるは虎耳草。上下そろうて花が咲く世になりたぞよ。』と云う文言があります。虎耳草というのは『ユキノシタ』とも謂います。ユキノシタは山地の湿った場所に生育する常緑多年草で夏に白い花を咲かせます。葉は腫れ物の薬になります。」
「虎耳草が鞍馬の天狗と関係があるのですか?」と太郎が訊いた。
「鞍馬寺の狛犬は『獅子』ではなく『虎』です。また、鑑真和上の高弟の僧侶が草庵を結んで毘沙門天を祀ったのが鞍馬寺のはじまりです。大本教の裏神紋である丸十字の丸は水晶玉を表し、円の中にある十の字は選び抜かれた十人を表すのではないかとされています。また、十曜の神紋の九つの円は九つの鬼の首を表しているともお筆先にあります。」
「虎耳草とは鞍馬寺の天狗に関係する人物と云う事ですか?」と太郎が訊いた。
「たぶんそうではないかと私は思っています。ですから、この長生殿北端、本宮山麓にある白梅殿の白壁に描かれた裏神紋が意味を持っているのです。」と山種係長が言った。
「この話について大矢氏に対して何か仰いましたか?」と太郎が訊いた。
「いいえ。この鞍馬寺の天狗の話は大矢様にはしておりません。」
「その他、どのような些細な事でも善いのですが、大矢氏に関して何か思い出したことはありますか?」
「そうですね。あの日は7月5日でした。大矢様は午前十時のから神苑内の施設案内の予約をされていました。実はお筆先に従って、明治33年の旧暦7月8日に開祖や聖師たち9人は日本海の舞鶴沖にある沓島で出修を実施しています。ひと月前の6月8日には舞鶴沖の冠島で出修を終えていました。冠島、沓島は綾部から艮の方角(東北)にある小さい無人島です。冠島は龍宮島、沓島は鬼門島とも呼ばれ、神話に登場する海幸彦、山幸彦や浦島太郎に関する伝説がある島です。特に沓島は『艮の金神』様がご隠退されたとされる島です。
その7月5日の朝、私が事務所に出所すると、教主様がお待ちになっておられ、『本日の午前十時に鞍馬山の天狗様も代理の方が行くので、その方に本宮山のお土を持ち帰ってもらうように。』と、昨夜に出口王仁三郎聖師が教主様の夢枕に立たれて仰ったと云うのです。
本宮山は平成4年に長生殿が完成して以後、本宮山は禁足地になっておりましたので、入山の為の御祓いの準備やお土採取の祈祷の準備で大わらわになりました。教主様は従来より『月日とお土のご恩』を重視して『みろくの世』建設のための神苑整備にご尽力されていますので、ご自分で土のう袋と木製のスコップを準備されました。
私は大矢様が天狗の代理人かと思ってお尋ねしましたが、無関係でした。そして午前十時、私が大矢様を案内しようと本部建物を出た時に中年女性の方が教主様を訪ねて来られました。私が教主様を呼びに行っている間に大矢様とその女性は何かお話になっていたようですが、何を話されていたのかは判りません。」と山種が言った。
「中年女性ですか・・・。名前は判りますか?」と太郎が訊いた。
「はい。後で教主様から聞きましたところ、たしか・・・、飛鳥光院と申される尼僧の方でした。何でもその日の未明、回峰修行の途中で鞍馬山の奥の院の前で休憩している時にお告げを請け、急いで綾部大本に参上したとの事でした。そして、教主様とご一緒に本宮山頂上の月山不二の前で土のう一袋分のお土を採取されたようです。私は大矢様を案内いたしましたので本宮山には入っておりません。月山不二の下には西歴802年に富士山から噴火した霊石が埋められています。」
「飛鳥光院!お告げ?」と太郎は伊勢での事を思い出して呟いた。
「飛鳥光院様をご存じですか?」と太郎に山種が訊いた。
「ええ。鞍馬山で回峰修行をされている方で、陰陽道の修行もされていると云う事です。」
「なるほど、陰陽師と云う訳ですか。その方が本宮山のお土を何に使うのでしょうね?お告げの内容は話せないと云う事だった様ですが・・・。」
「そう、何に使うのでしょう。あるいは、2か月前と云う事ですから、もう何かに使ってしまったかも知れませんね。何のお告げだったのでしょうね。本宮山に関係があるのですかね・・・。」と、太郎が考えるように言った。
「本宮山に関係があるとすれば、熊野本宮大社か、平重盛を祀る治総神社ですかね・・・?」と山種が言った。
「ところで、『お土の御恩』とはどのような事なのですか?」と太郎が訊いた。
「二代目教主で聖師の妻であった出口すみこ教主が推進された活動です。世界連邦の実現を目指した活動ですが、世界中の人間は同じ土の上、すなわち地球上で生活していることを信条に、農作物の恵みを与えて下さる土の神に感謝すると云う事です。」と山種が言った。
「土の神への感謝ですか・・。」
「言葉を換えれば、そう云う事です。」
「では、治総神社と云うのは?」と太郎が訊いた。
「はい。出口王仁三郎聖師が平重盛の霊をお祀りされたと聞いています。後白河法皇の子である以仁王が平清盛の打倒に失敗したのち、平重盛を頼って綾部に来られたがお亡くなり、それを悔やんだ重盛は自刃し、本宮山頂上に黒髪大明神として祀られていたようです。大正9年に長生殿を本宮山頂上に建設するため黒髪大明神の祠を本宮山中腹に遷して治総神社としてお祀りしたようです。長生殿の十字形の基礎は構築しましたが大正十年の第一次大本弾圧で取り壊されました。当時の完成予想図を見ますと、長生殿は十字形をした中国風寺院を模した和風建築物でした。予想図では十字形の中心部に当たる屋根には大きく羽を広げて飛翔している鳥の造形物が取り付けられていました。予想図では黒く描かれているために、雁なのか鷲なのか、あるいは八咫カラスなのかはよく判別できませんが、鷲ではないかという説が有力です。と云うのは勝利の女神であるニケの背中には大鷲の羽根がり、またアレキサンダー大王の戦闘絵画では大王の頭上に二ケの化身である鷲が飛んでいる図があります。」と祭祠事務係長の山種次郎が言った。
「平重盛。そして長生殿は十字形屋根には鴻ですか・・・。」と太郎が呟いた。
「ああ、そう云えば・・・。」
「何ですか?」
「平将門の家紋が大本の十曜紋と同じ形の紋章で九曜紋と云うのだそうですが、大本と平氏の関係について質問がありました。」
「どのような質問ですか?」
「平清盛の出自は伊勢平氏ですが、九鬼氏も元元は伊勢周辺の水軍であった訳ですから、平将門も綾部の地に転生しても不思議ではないのでは、と仰いました。大本は霊的な転生については教義の中にはないので何とも返事はできませんと申し上げました。しかし、出口王仁三郎聖師は素戔鳴尊の復活のために中国大陸で活動された訳だから、将来、素戔鳴尊が誰かに転生してこの世に姿を現すのだから、平重盛は将門と同霊であっても不思議ではないのでは、という質問でした。どうも、出口王仁三郎聖師が何か言葉を残していたのではないかと思われての質問でした。私には判りませんと返事しましたがね・・。」
「平将門の乱を起こす以前に関東で暴れたことで一度、京都の検非違使庁に呼び出されています。その時は無罪放免となりましたが、西の朱雀天皇に対抗して東国の『新皇』を標榜して鎮圧され、京都でさらし首にされました。また、将門も重盛も、先祖は桓武天皇ですから、重盛が将門の転生であると考えるのも神霊研究家の大矢氏が発想しそうな話ではありますがね。大矢氏は京都に来てその証拠を探していたのですかね・・・。」と太郎が考えを巡らしながら言った。
大矢氏に関する話が終って、二人はしばらく雑談をしていた。
「今日も大本見学の方がたくさんいらっしゃいますね。」と太朗が言った。
「はい。観光バスで来られる場合もあります。」
「それでは、外国の方も来られるのですか?」
「はい。世界の宗教団体と交流をしていますので、外国の方も時々お見えになります。」
「外人も大本に興味があるのですね。」と太郎が言った。
「はい。そういえば、大矢さんが来られた日の午後に霊能がある白人女性がお見えになりましたね。日本人男性の方が案内されていまして、本宮山について質問を受けました。」
「どのような?」
「本宮山の中腹に霊的なパワーを感じるが、何か埋まっているのか、と云う質問でした。中腹には聖師が祀られた『治総神社』があります、とお答えしました。」
「それだけですか?」
「はい。もう一つ、本宮山の山頂には何がありますかと云う質問でしたので、『月山不二』という半球状の盛土をした祭祀場があります、とお答えしました。すると、その祭祀場に祀られているのは大きな鴻の神様ですか、との質問を受けました。どうも、その白人女性の目には本宮山の上空に霊鳥が見えたようです。『月山不二』には宇宙の主神を祀り、富士神霊と鉢伏山神霊をあわせて鎮めてあります。また、『月山不二』の土中には802年の富士山大噴火の時に落下してきた霊石が埋められていますと申しました。霊鳥に関しては、私には判りませんと答えるしかなかったですがね・・。はははっは。」と山種は笑った。
「その男性と女性はこのひとでしたか?」と太郎は札入れに入れてあったキャサリン・ヘイワードと伊周天明の顔写真を見せた。
「ええ、似ていますね。お名前は訊きませんでしたので判りませんが。この方々が今度の殺人事件に関係があるのですか?」
「いえ、そうではありません。別の調査案件の人物で犯罪者と云う訳ではありません。」と太郎は言葉を濁した。
「それから、日本人男性の方は長生殿の白梅殿横の会議場がある建物の白壁に描かれた丸十字形に関して質問がありました。」
「大本の裏神紋ですね。」
「はい。何故に白い十字になっているのか、と云う質問でした。通常、書物には黒色で描かれますが、白い壁なので白い十字になっただけで裏神紋には色の指定はありません、とお答えしました。」
「大矢氏は飛鳥師と話をしていた。そして『お土の御恩』とは、天地の神を祀る『封禅の儀式』に通じるところがある。大矢氏は、たぶん福井県おおい町の土御門神道本庁へ行ったのだろう。その理由は飛鳥光院師と関係あり、だな・・・。土御門神道本庁へ行けば何か判るかも知れないな・・・。土御門神道本庁のF氏に電話して明日の都合を確認する必要があるな。しかし、キャサリン・ヘイワードが大本に来ていたのか・・。」と太郎は思った。
咸陽の四鴻啼42;
2016年の9月21日、午後7時30分ころ、京都Tホテル604号室内
大和太郎は宿泊ホテルの部屋で亀岡と綾部の大本で得た情報を確認していた。
「大矢氏は千葉神社の裏神紋である九曜紋が大本の神紋である十曜紋と同じ図柄であることの理由を知ろうとしていた。しかし、その理由の大本の職員からは解答を得られなかった。しかし、それは平氏の家紋と九鬼家の家紋が同じである理由に関係している。それは妙見信仰、すなわち北斗七星を表す紋章に関係する。輪廻転生に関しては平将門と平清盛の嫡男である平重盛が同霊であるかと質問していた。しかし、超林寺の碑文では平貞胤との同霊が誰であるかが不明だった。そのことに関しては質問していない。何故か?京の都で死亡した平貞胤が平重盛と同霊であれば平将門とも同霊と考えたのか?平重盛の墓は茨城県にあるから安房板東平氏と同根か・・・。平氏の根は桓武天皇に始まるから同根には違いないが・・・。また、綾部の本宮山の土を貰いに来た飛鳥光院師と会って何を話したのか?土御門神道本庁のF氏は大矢氏の事は覚えていないと仰っていたが、土御門神道本庁の他の人物と会っていたかどうかだ。また、大矢氏が綾部を訪問した同じ日にオメガ教団の伊周天明がキャサリン・ヘイワードを伴って綾部に来ていた。本宮山の上に大きな霊鳥を霊視したと云う事であったが・・・。ホテルのフロントに残されていた外出先は土御門神道本庁のある福井県おおい町。そしてチェックアウトとした日には富山の高岡市へ行くと仰っていた。たぶんオメガ教団の伊周天明を訪問したのだろう。神霊研究家だから以前から伊周天明知っていた可能性もあるな・・・。とにかく、明日は土御門神道本庁に行きF氏から話を聞き、午後は藤原教授とお会いしてアレキサンダー大王と勝利の女神ニケの関係話を聞かなくてはな・・・。しかし、CIAはオメガ教団やキャサリン・ヘイワードを監視しているはずだから、伊周天明とキャサリンが大本を訪問した事をハンコックは知っているはずだな。とすると、大矢氏が高岡のオメガ教団を訪問しているとすれば、CIAが大矢氏をマークした可能性はあるな・・・。ハンコックに何か知っているかを訊いてみるか・・・。」
咸陽の四鴻啼43;
2016年の9月22日、午前11時ころ、福井県おおい町名田庄の土御門神道本庁
太郎とF氏が応接室で話している。
「2か月前くらいに伊周天明氏と白人女性が来たという話は聞いていません。」とF氏が言った。
「そうですか。それでは、神霊研究家の大矢伸明氏は来られましたか?」
「はい。いらっしゃいました。かなり以前、何年前かは忘れましたが、陰陽道についての質問を受けたこともありました。」
「どのような質問であったかは覚えておられますか?」
「申し訳ありません、覚えていないです。」
「泰山府君祭とかの事ではなかったですか?」
「はい。陰陽道に関すると云っても、私にとっては一般的な質問でしたので、その話もしたと思いますが定かではありません。」
「2か月前の訪問の時はどのような質問がありましたか?」
「はい。陰陽道では輪廻転生をどのように考えているのか、と云う質問だったと記憶しています。」
「それで、どのようにお答えされたのですか?」
「まあ、泰山府君祭も一種の転生の実現です。何度も生まれ変るという考え方ではなく、意図的に魂を入れ替えるのが泰山府君祭です。かつて英国では、推理小説『シャーロック・ホームズの冒険』を創作したアーサー・コナン・ドイルが生きている人間の魂の入れ替え実験を行ったと聞いています。成功したかどうかは不明ですが、本に書いたようですね。泰山府君祭では冥界を支配する神様に祭文を奏上して許可を得るのが前提です。一般的な生まれ変りは血縁関係にある場合が主とされていますが、それが事実かどうかは陰陽道では判りません、と答えたように思います。」
「過去の記録とか文献とかは残されていないのですか?」
「はい。応仁の乱の時にはこの辺りの若狭国名田庄に避難したので無事でしたが、天下を取った豊臣秀吉によって京都の土御門家が迫害を受けた時にほとんどの文献資料は燃やされ焼失しました。その時に土御門の陰陽師たちは再びこの名田庄に逃げてきました。江戸時代には徳川家康の命で土御門家は復活しましたが、一部の陰陽師はこの地で修業を重ねていたと聞いています。明治3年に陰陽寮は廃止されましたが、昭和21年に土御門神道は復活し、現在に続いているのだと聞いています。」
「大矢氏はオメガ教団の事を何か質問されましたか?」
「特に何もありませんでした。」
「以前にお話を伺った時、伊周天明氏はここでたびたび修行をされていたとお聞きしましたが、最近も修行に来られていますか?」
「いいえ、ここ数年はお見えになっていませんね。高岡研二と名乗っておられた時代しかこちらでは修業されていません。」
「そうですか。」
「大矢氏から『封禅の儀式』に関する質問はありましたか?」
「ありませんでした。」
「『封禅の儀式』と『泰山府君祭』ですか。何かの事件に関係するのですか?」
「いえ、事件に関係するかどうかは全く不明ですが、大本教の綾部に大矢氏や伊周氏が現れて『お土』や『霊鳥』の話が出たものですから何か関係があればと思っただけです。」
「『封禅の儀式』と云うのは秦始皇帝が冥界の神様が住む泰山で行ったとされていますが、中国古代の殷や周の時代に実施されて以来、行われたことがなかったので、その儀式を行う方法は判ってい居なかったのではないかと云われています。陰陽寮でも判っていなかったと聞いています。ただ、賀茂氏や安倍晴明は霊能力を使って儀式の方法を知ることができただろうと云われていますが、文献資料は残されていません。もし過去に文献が有ったとしても、豊臣秀吉に燃やされてしまっているでしょう。残念ですが・・・。」とF氏は悔しそうに言った。
咸陽の四鴻啼44;
2016年の9月22日、午後4時ころ、D大学藤原研究室
大和太郎と藤原教授、鞍地准教授が打ち合わせテーブルで話している。
「ははっは、大和君もいろいろと大変ですね・・・。」と太郎の話を聞いた藤原教授が笑った。
「まあ、警察への捜査協力ですから真剣にやらないといけませんのでね。」と、頭をかきながら太郎が言った。
「それで、大本教の何が判れば大矢氏を殺害した犯人の目星がつくのですか?」と教授が訊いた。
「いえ、犯人の目星がつくとは限らないのですが、大矢氏の足取りを追ううえでの参考になると思っています。それで、第一の疑問点は大本教の綾部にある『本宮山の土』が『封禅の儀式』に必要かどうか?です。第二の疑問点は『封禅の儀式』と『泰山府君祭』と関係するのかどうか?です。第三の疑問点は『本宮山』に『霊鳥』に関する逸話があるかどうかです。」と太郎が言った。
「なるほど、それほど難解な質問ではないですね。第三の疑問点に関しては、そのような逸話は聞いた事はないですね。鞍地君は聞いた事がありますか?」と教授が言った。
「いいえ、私も聞いた事はありません。大和さん、どのような『霊鳥』なのですか?」
「キャサリンと云う白人女性の霊能者が本宮山の上空でその『霊鳥』を霊視したと云うのです。」
「霊視ですか・・。出口王仁三郎の霊界物語に出てくるのは鴉の話ですが、本宮山の本宮が熊野本宮大社を意味するとすれば、その霊鳥は八咫カラスと云う事でしょうかね・・・?」と教授が言った。
「先生、出口王仁三郎はスサノオ復活を予言していました。スサノオ復活はアレキサンダー大王の復活ですから、ギリシア神話に登場する勝利の女神ニケがアレキサンダー大王を守護していたと考えるなら、その霊鳥は鷲と云う事になりますが・・・。」と鞍地が言った。
「はい。その事は大本教の職員の方もそのようなご意見をお持ちでした。戦前に描かれた長生殿の完成予想図には十字形の屋根の中央に鷲と思われる鴻が描かれていたそうです。」
「ああ、その予想図は私も見たことがあります。確かに黒い鴻の造形物が描かれていましたね。その図から鷲とするか、八咫カラスとするかの判断は難しいですね。この話の結論は第一、第二の疑問点を考えた後にもう一度考えてみましょう。」と教授が言った。
「『本宮山の土』が『封禅の儀式』に必要かどうかは『泰山府君祭』と関係すると思われます。」と鞍地が言った。
「どう云う事ですか?」と太郎が訊いた。
「泰山府君祭を行う目的が冥界からスーサの王であったアレキサンダー大王の魂を呼び出し、誰かの肉体に宿る魂と入れ替えると云うことである場合、封禅の儀式によって冥界の支配者である泰山府君を祀り、魂を入れ替える許可を得る祭文・都状を書き、唱える必要があります。」と鞍地が言った。
「それは、泰山府君祭と輪廻転生とは関係ありますか?」と太郎が訊いた。
「泰山府君祭と輪廻転生とは全く違います。輪廻転生とは昔に肉体に宿っていた魂が、新しい時代に再び新しい肉体に宿り生まれてくることです。泰山府君祭とは同時代に魂が肉体へ移動することで、一度死んで肉体を離れた魂が、泰山府君の許可を得て残っている肉体に再び宿る現象で、生き返る現象です。臨死体験は生き返り現象ですが、泰山府君祭ではありません。肉体と無関係で魂のみの交換が行えるかは祭文が泰山府君に受け入れられるかどうかに懸っています。その飛鳥光院師がどのような泰山府君祭が出来るのか、出口王仁三郎の霊魂が関係しているのかどうかにも掛っていますね。霊界を熟知している王仁三郎ならさまざまな呪術を駆使できるでしょう。天候を左右する呪術を行う事が出来たと云われていますからね。」と鞍地が言った。
「そうすると、『霊鳥』と泰山府君祭とは関係ないと云う事になりますね。」と太郎が言った。
「直接的にはそういうことになりますが、魂を交換した後に何を行うかによっては、その『霊鳥』の役目が見えてきます。単に『霊鳥』が何かを暗示しているだけなのか、甦ったアレキサンダー大王の魂を宿す肉体に勝利を授けるのか、それは現在ある情報だけでは判断できません。」と鞍地が言った。
「鞍地君、ギリシア神話のガイアと日本列島の話を大和君にしてあげてください。大和君の学生時代には『ギリシア神話講解』は授業にはありませんでしたが、現在は鞍地准教授による講義が選択科目で行われています。」と教授が言った。
「ギリシア神話が日本列島と関係するのですか?」と太郎が呟いた。
「出口王仁三郎が、日本列島は世界の縮図と言っていた事は大和君も承知している事ですが、何故に日本列島が世界の縮図であるのか、その理由がギリシア神話にあるのです。霊界を見て来て文書を残した人物は世界に3人います。『黙示録』を書いたヨハネ。『黙示録講解』を書いたスエーデンボルグ。そして『霊界物語』を口述した出口王仁三郎。この三人です。」と教授が言った。
「それではギリシア神話の話をしましょう。まず、ギリシア神話のはじまりですが、カオスと呼ばれる混沌状態の中で生まれた大地の神ガイアが単独で天空の神ウラノスを生みます。そして、ガイアとウラノスは交わりを重ねて大地の割れ目からタイタン神族と云う原始の神々を生みました。タイタン神族は女神6柱、男神6柱とキュクロプスと呼ばれる傲慢な巨人3名とへカトンケイルと呼ばれる粗暴な巨人3名を生みました。へカトンケイルは100本の腕と50個の頭を持っていました。
しかし、ウラノスはキュクロプスとへカトンケイルが気に入らず、大地の奥深くのタルタロスに幽閉しました。これが不満のガイアは、男神クロノスに命じて大きな鋼鉄の鎌でウラノスの性器を鎌で切り取り海に投げ入れました。その時、ウラノスの血で染まった海中の白い泡から女神アプロディテが誕生しました。また、ウラノスに代わって天界の王になったクロノスは不能になったウラノスから『おまえは私と同じように自分の子によって王位を奪われる。』と予言されます。その予言を恐れて、姉の女神レアとの間に生まれてきた自分の子供たち、後にオリンポスの神々となる子供たちをクロノスは飲み込んでしまいます。そこで打ちひしがれたレアは6番目に生まれる子ゼウスをクレタ島の洞窟に隠し、ゼウスの代わりに石をクロノスにのみ込ませました。
やがて、成長したゼウスはクロノスが率いるタイタン族に勝利して天界の支配者と成ります。そして、クロノスに薬を飲ませて海神ポセイドンや冥王ハデスなどのオリンポスの神々たちを口から吐き出させました。
ここで思い浮かべてほしいのは、出口王仁三郎が述べていたように日本の地形図は世界の地形を縮小した図になっていると云う事です。そして、日本の地形は女性の形をしています。北アメリカに相当する北海道が頭。ユーラシア大陸に相当する本州が胴体と脚部。アフリカ大陸に相当する九州が右足。オーストラリア大陸に相当する四国が左足。そして、地中海にあるキプロス島がウラノスの男根。瀬戸内海の淡路島が男根で淀川を遡った琵琶湖が女性の子宮で竹生島が卵巣に相当します。そうです、日本列島は大地の女神ガイアの住む島なのです。」と鞍地が解説した。
「なるほど。その様な発想が成り立ちますか・・・。うーん。」と太郎が感心して言った。
「ところで、ヨハネの黙示録の第12章5項に『女は男の子を産んだが、彼は鉄の杖を持って国民を治めるべき者で、神の御座のところに引き上げられた。』また、第12章6項に『女は荒野に逃げて行った。そこには神の用意した場所があった。』と記されています。女は聖母マリアで、男の子はイエス・キリストと推定すると、これが大本教の『裏神紋の十字形』の意味になります。」と鞍地が解説した。
「えっ、どう云うことですか?」と太郎が訊き返した。
「出口王仁三郎の所謂『みろくの世』の実現のために行われる戦いのことが、ヨハネの黙示録の第12章の7項から14項に書かれています。」
「『みろく』とは666の数字のことですか?」と太郎が言った。
「はい、そうです。ヨハネの黙示録の第13章に記された666の獣を倒して得られる新しい世界が『みろくの世』です。その世を導くための戦いをするのが『アンゴルモアの大王』であるスサノオ。すなわち、スーサの王であったアレキサンダー大王の甦った魂を有する人物です。出口王仁三郎はスサノオの復活を唱えていました。また、ヨハネの黙示録の第12章14項には『女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きな鷲の二つの翼が与えられた』と記されています。これがゼウスの頭から飛び出して来たギリシア神話のアテナ女神を助ける勝利の女神ニケの背中にある二本の翼です。そのように考えると、666(ろくろくろく)はギリシア神話に登場するタイタン族の男神6柱、女神6柱と6人巨人たちと云う事になります。そして、ゼウスはウラノスによって地下に幽閉されていたキュクロプスとへカトンケイル助け出し、その6人の巨人たちの力を借りてクロノスとタイタン神族との戦いに勝利し天界の王になりました。」
「大本の本宮山頂上にある『月山不二』には富士山から噴火した霊石が埋められています。その『月山不二』の半球の頂上に置かれている石は霊石のレプリカです。『月山不二』を上空から見ますと『宇宙の素神』の徴である『円の中心に点』がある図に見えます。」と藤原教授が言った。
「『月山不二』とはそう云うことですか・・・。」と太郎が呟いた。
「冥土の霊世界を支配する泰山府君とはギリシア神話で謂うところの冥界の王ハデスです。ですから、天界の王ゼウスと冥界の王ハデスを祀るのが『封禅の儀式』なのです。そして、十字架の象徴であるイエス・キリストはゼウスの御子です。」と鞍地が言った。
「何と云う大担な発想をする人だろう。藤原教授も大担だが、鞍地准教授はその上をいくなあ・・・。」と太郎は思った。
咸陽の四鴻啼45;
2016年の9月23日、午後2時50分ころ、富山県高岡市のオメガ教団本部
京都Tホテルを9時半ころにチェックアウトした大和太郎は10時過ぎの新幹線で米原に到着し、そこで北陸本線の特急に乗り換えて金沢に到着した。金沢からIRいしかわ鉄道とあいの風とやま鉄道線を乗り継いで高岡駅に到着したのが午後2時前であった。駅から500mくらいの所にある高岡大仏に参詣した後、高岡駅停車場から路面電車の万葉線に乗り、太郎は広小路停車場で下車した。
オメガ教団高岡支部は広小路交差点から西南へ道路沿いに歩いて3分くらいの所にある5階建ての小さなビルである。オメガ教団本部はモンゴルにあると云われているが、実体は明らかにされていない。
末世立法・オメガ教団高岡支部と書かれた木製の大きな表札の掛っている玄関の自動ドアーからビル内に入った太郎は、受付の小窓から事務所内を覗いた。
「あのー、お邪魔します。」と太郎が言った。
「はい、どちら様ですか?」と女性事務員が窓口まで来て言った。
「大和太郎と申しますが、副教祖の伊周天明さんは居らっしゃいますか?」と言いながら太郎は名刺を差し出した。
「私立探偵の大和様。お約束ですか?」と名刺を見ながら女性事務員が言った。
「はい。千葉県内で殺された神霊研究家の大矢伸明氏の件で午後3時ころにお会いするお約束になっています。」
「しばらくお待ちください。」と言って、女性職員は事務所の奥にあるドアーを開けて姿を消した。
しばらくすると女性事務員が受付に戻ってきた。
「お待たせいたしました。そちらの階段で5階に上がってください。5階で伊周が待って居ります。」と女性事務員が言った。
「ありがとうございます。」と言って、太郎は階段を昇って行った。
5階に上がった太郎は廊下で待ち構えていた伊周天明に挨拶をした。
「始めまして、大和太郎と申します。」
「伊周です。どうぞこちらへ。」と言って伊周天明は太郎を応接室に案内した。
「神霊研究家の大矢伸明氏は何処で殺されたのですか?」と伊周が訊いた。
「千葉県成田市台方の麻賀多神社の向い側にある超林寺というお寺の入口参道で頭蓋骨を撲打されて即死だった様です。」
「なるほど、日月神示が降ろされた麻賀多神社の傍のお寺ですか。大和さんは千葉県警の依頼でこちらに来られたと云う事ですが、警察のお手伝いは良くされるのですか?」
「以前、ある事件でたまたま、警察庁の方と知り合いになり、今回もたまたま事件現場に行き合わせて、その方からの依頼で動いています。」
「警察庁に信頼されているのですね。」
「それほどではありません。今回で2回目のご依頼です。」
「それで、私に大矢氏のどのような事を訊きたいのですか?数年前に大矢氏からインタビューされただけですから、大矢氏の殺人事件に関することは何も知りませんが・・。」
「はい。それは承知しております。以前、大矢氏が徳波出版社から出された『末法思想と霊界』と云う本の中で伊周様が輪廻転生に関して述べられている事に関し、大矢氏とどのような感じでお話しされたのかを知りたいのです。と申しますのは、今回、大矢様は輪廻転生に関する本の出版を計画され、様々な取材をされていました。その取材途中で殺されたのではないかと思われます。大矢氏の考え方などが判れば、大矢氏の行動した場所などが判るのではと考えています。」
「なるほど、流石は私立探偵さんですね。いろいろな知識をお持ちのようですな。まあ、警察には無い発想ですね。いや、オメガ教団は以前にアルファ真理教と云う教団から別れた団体でして、警察からは現在も行動監視を受ける場合があるのです。まあ、苦情を警察に言っても取り合ってくれませんし、今回も警察の依頼と云う事でしたのでお話しさせていただきます。警察から妙な疑いをかけられては困りますからね。」
「恐れ入ります。お話の内容に依っては警察には報告いたしませんのでなるべく詳しくお聞かせいただければ有難いのですが・・。」と太郎は遠慮がちに言った。
「いえ、別に警察に秘密にしなければならない様な事はしておりませんから、ご心配なく。それで、何を話せばよろしいですか?」と伊周が太郎に言った。
「大矢氏が伊周様にインタビューしたのは4年前か5年前と聞いておりますが、そのときに大矢氏から質問を受けられた内容を思い出していただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「あの時は、オメガ教団の主題である末世立法と鎌倉時代に日蓮が『南無妙法蓮華経』を唱えることを推奨した理由である末法思想の関係です。」
「末法思想とはお釈迦様が入滅されて以後、お釈迦様が説かれた正法が忘れられ、像法の時代が来て、その後に訪れるとされる末法の時代の事でしょうか?」と太郎は学生時代に学んだことを思い出して訊いた
「その通りです。私どもの末世立法とは、末法の時代である現在・末世において、新しい救世の法を立ち上げて世界の人々の心に安寧をもたらすと云う事です。大矢氏は末世立法と末法を混同されていました。そこで輪廻転生の考え方は人間の心をより高い次元に持ち上げる為の神が授けられた修行行為で、オメガ教団の末世立法は信者の方々の魂をより高い次元に導くお手伝いであると説明いたしました。」
「その時の大矢氏の反応は如何でしたか?」
「いえ、特に何も感じられなかったようです。たんたんとメモを取られていましたがね。その程度の印象しか残っておりません。それから、日蓮は鎌倉時代の蒙古襲来は末世の現象であると考えていたが、オメガ教団の本部がモンゴルにあるのは何か意味があるのかと云う質問がありました。しかし、その件に関しては私には判らない。神様から聞いて下さい、と答えました。」と伊周が言った。
「そうですか。ところで、2か月くらい前、大矢氏は輪廻転生に関する本を出版するために京都に取材旅行をされています。宿泊された京都Tホテルの記録によりますとの高岡を訪問すると言ってチェックアウト冴えたようです。2か月前に大矢氏はオメガ教団を訪問されていませんか?」
「流石は優秀な探偵さんですな。よく調べておられますね。はい、大矢氏は私を訪ねて来られました。」
「その時のお話はどのような事でしたでしょうか?」と太郎が訊いた。
「輪廻転生の話ではなかったですよ。」
「えっ、そうなんですか・・・。」と太郎は意外に思った。
「大本教の『本宮山月山不二』の土は何か意味があるのか、と云う質問でした。ここは『オメガ教団』です。そんな事は大本教に訊いてくださいと返答しました。何か勘違いされていたのではないでしょうかね。しかし、話をよく訊きますと、尼僧の方が『月山不二』の土を持ち帰ったと謂うではありませんか。大本教はある意味で『末法末世』の後に来る神の時代を予言している宗教と謂えると思います。大矢氏には古代中国の『封禅の儀式』では土を使ったことを説明しました。」
「その話を聞いた大矢氏はどのような反応をされましたか?」
「特に反応はなかったですね。相変わらず、たんたんとメモは取っておられましたがね。」
「そうですか。」と言いながら、「伊周とキャサリンが綾部の大本に行った事は聞かない方が良いな。」と太郎は思った。
「何のための私を訪ねてきたのかよく判りませんでしたね・・。」と伊周が不思議そうに言った。
「伊周様のお顔でも見たくなっただけですかね?」
「はっはっはっは。私の顔を見ても何の御利益もありませんよ。」と伊周が笑った
咸陽の四鴻啼46;
2016年の9月25日、東松山市の大和探偵事務所
長谷川刑事が事務所を訪ねてきた。
「大和、今まで何処に行っていたのだ?」と長谷川刑事が高圧的に言った。
「京都の出身大学の教授に会って、神霊に関する勉強をしてきました。」
「そうか。それで大矢伸明殺しの何が判ったのだ?」
「3か月前の7月上旬、大矢氏は大本教の本部訪問だけではなく、富山県高岡市にあるオメガ教団の伊周副教祖を訪問していました。」と田尾鵜が言った。
「まあ、大本は問題ないとして、そのオメガ教団と云うのは確か、あのアルファ真理教から分派した新興宗教団体だったな。うん、あやしいな。アルファ真理教は何人もの殺人事件に関係していた問題の団体だった。千葉市内の弁護士拉致事件の犯人がアルファ真理教の幹部でもあった。そうか・・・。オメガ教団か・・。」と長谷川が思い出すように呟いた。
「まだ、オメガ教団が大矢氏を殺害したという根拠は何もありません。」と、太郎は先走る長谷川刑事をたしなめた。
「これから、俺がその証拠を探し当ててやるから心配いらん。」と、長谷川刑事は強気である。
咸陽の四鴻啼47;
2016年の9月29日、午後4時過ぎ 東京・溜池のアメリカ大使館の応接室
「それで、何を知りたいのかね。」とジョージ・ハンコックが言った。
「3か月くらい前の7月7日に神霊研究家の大矢伸明という人物がオメガ教団高岡支部の伊周天明を訪問したのだが、その件でCIAが知っていることを訊きたいのだが・・・。」と大和太郎が言った。
「神霊研究家の大矢伸明と云う人物をCIAではマークしていない。たしか、千葉県内で殺された人物だったな。太郎はその事件に首を突っ込んでいるのか?」
「まあ、警察庁の要請で捜査に協力している。しかし、オメガ教団内部の情報はジョージの所に上がってきているだろう・・。」
「まあ、情報収集はしているが、ちょっと待っていて下さい。」と言ってハンコックは応接室を出て行った。
10分くらいしてハンコックが一冊のファイルを手に持って応接室に戻ってきた。
「7月7日のオメガ教団の動きだが、確かに大矢伸明は伊周天明を訪問しているが、その事で伊周天明やオメガ教団が新しい動きをしたという情報は上がっていない。」とハンコックがファイルの記録を確認しながら言った。
「そうか、何もないか・・・。」と落胆した様に太郎が言った。
「しかし、R国、C国の情報部員と日本の公安調査庁の監視員が大矢伸明の自家用車を追跡したようだな。」とハンコックが付け加えた。
「何故、R国、C国と公安がオメガ教団を監視しているのだ?」と太郎が訊いた。
「我々CIAは伊周天明がブラッククロスと繋がっていることを知っているが、R国、C国、日本政府は知らないはずだ。ブラッククロスのやり方は援助対象の組織団体のナンバー2とコンタクトし、自分たちの名前を口止めするのが常套手段だからね。モンゴルに居るオメガ教団の教祖さえブラッククロスがオメガ教団に資金援助をしていることを知らないはずだ。ナンバー2が活動資金を握っている限り、組織内での自分の身分も安泰であると云う事だ。
R国、C国、日本政府はアルファ真理教の分派であるオメガ教団がR国内やC国内や日本国内でテロ行為を実行するかどうかを心配して、教団を監視しているのだよ。たぶん、大矢伸明と伊周天明が会っているとの情報を、潜入している諜報部員か、あるいは金で買収しているオメガ教団内部の情報源から連絡を受けて追跡したのだろう。しかし、調査すれば単なる神霊研究家に過ぎないと判ったのではないかな、たぶん。我々もそうだが、彼等も近くの駐車場に移動監視車を駐留させている。」とハンコックが言った。
「なるほど、そう云う事か・・・。」と太郎が呟いた。
「太郎がオメガ教団高岡支部に行ったとなれば、C国やR国にマークされ、尾行が付けられた可能性があるな・・。単に警察への協力をしている私立探偵と云う判断が下ればいいが、CIAに協力している判れば今後、C国関係の調査に太郎を使うには注意が必要になるな・・・。」とハンコックは思った。
咸陽の四鴻啼48;
2016年の10月2日、午後2時過ぎ 埼玉県川越市宮下町の大矢伸明邸の応接室
太郎は、大矢氏と犯人の接点が3か月よりもっと前にあるのではないかとの考えで、一年前までの大矢氏の行動を確認するために大矢政子に話を聞きに来ていた。
「今から1年前までに主人が旅行した場所ですか・・・?」と政子が言った。
「はい。どこかありますでしょうか?」
「今年のお正月は私も一緒にペルーやブラジルに1週間ほど旅行しました。マチュ・ピチュ遺跡やナスカ地上絵、リオ・デ・ジャネイロのキリスト像を見てきました。」
「何日から一週間でしたか?」
「正月3が日は自宅に居りました。1月4日に日本を発ち、帰国は1月12日でした。」
「旅行先で何か変わった事でもありましたでしょうか?」
「そうですね・・。ああ、リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘のキリスト像を見学した時に殺人事件がありました。」
「どのような事件でした?」
「小型のジェット機がキリスト像近くに轟音を立てて飛んできたのですが、そのすぐ後に東様人の男性が血を流して倒れていたのが発見されて、大騒ぎでした。」
「それは何日でした?」
「コルコバードの丘へ行ったのは何日だったかしら・・・?ちょっと待って下さいね、私のパソコンを見てみます。」と、言って政子は応接室の棚の上に置いてあったノートパソコンを取って応接テーブルの上に置いた。
そして、パソコンを立ち上げ、デスクトップにある、ブラジル旅行のフォルダーを開いた。
「ええーと。コルコバードですね。」と、政子は言って、更にコルコバードのサブフォルダーを開いた。そこには、デジカメで撮った旅行写真のデータが入っていた。
そして、一枚の写真のデータのプロパティを開いた。
それには、1月9日、23時50分と書かれていた。
「ああ、この時刻は日本時間ですので、12時間の時差を考えますとリオ・デ・ジャネイロでは1月9日の午前11時50分です。この後に、ジェット機が飛んできたのだと思いますわ。」と政子が言った。
「よろしければ、私に操作させていただけますか?」と政子の横に座ってパソコンを覗いていた太郎が言った。
「はい、どうぞ。」と言って、政子は立ち上がって太郎と席を替わった。
そして、太郎は順次、写真をめくり、一枚の写真に目が止まった。
キリスト像の入口に大矢伸明が一人で立っている。その横にアロハシャツを着た男性とサングラスをした白人女性が話をしている写真である。白人女性は右手に何か白いものを握っている。
「この写真の男性が亡くなった人ですか?」と太郎が訊いた。
「ああ、そうそう、この写真は私が撮ったの。次の一枚は主人が私を撮ったのよ。そう、このアロハシャツの男性ですわ。この人が日本人だと思って主人と私が並んでいる写真を撮ってくださるように主人が頼んだのですが、断られたのよ。それで主人が私を、私は主人を撮影したと云う訳ですわ。撮影の後でジェット機が飛んできて飛び去った後で、この男性が頭から血を流していたのよ。」と政子が言った。
「その時、何か気が付いた事は有りましたか?」と太郎が訊いた。
「いいえ何もありません。何しろ大騒ぎでした。」
「そうですか・・。」
「それから、今年の4月に主人は九州の長崎方面へ車で取材旅行に出かけていますわ。確か、4月の中旬でしたわ。」と政子が言った。
「長崎の何処へ行かれたのか判りますか?」
「さあ?何処だったかしら・・・。帰りに兵庫県の山奥へ行ったようなことも申しておりましたが。」
「鎌倉の書斎のパソコンをもう一度拝見させていただけますか?」と太郎が言った。
「よろしいですわ。明日なら空いていますけれど。」
「それでは、明日の10時頃に車でお迎えに来ますので、よろしくお願いいたします。」
「承知いたしました。」
咸陽の四鴻啼49;
2016年の10月3日、午後1時半ころ 神奈川県鎌倉市内の大矢氏所有のマンション一室
大和太郎のバモスで鎌倉のマンションに着いた太郎と政子は、徒歩で鎌倉駅前の食堂に行き昼食を取ったあと、マンションの部屋に戻った。
政子は食後のデザートとして買った梨を剥いて皿に載せ、書斎でパソコンを操作している太郎に出した。政子は居間に戻りTV番組を見ながら梨を食べている。
「長崎方面の取材記録ならこれしかないか・・・。他の九州地域のフォルダーはないな。」と思いながら太郎は『島原の乱』のフォルダーを開いた。そして、写真データを順番にクリックした。
「日付は4月18日か。天草四郎ミュージアム、天草キリシタン館、それから原城祉の写真、その周辺の海の写真と続いているな・・・。ほとんどが風景写真だな。特に人物の映像はないか。」と思いながら太郎は次々に写真映像を見ていった。
「この写真からは何も判らないな・・・。しかし、島原の乱が輪廻転生と関係があるとすれば、山田風太郎の伝奇小説『魔界転生』と云う事になるか・・・。しかし、兵庫県の山奥がどのように関係するのかだな。宮本武蔵なら作州浪人ということで、岡山県美作だから兵庫県ではない。天草四郎は兵庫県とは関係ないだろう。兵庫県の山奥とは何処なのか?これは、天草四郎ミュージアムと天草キリシタン館へ行って話を聞く必要があるな・・・。」と太郎は思った。
咸陽の四鴻啼50;
2016年の10月5日、午後2時ころ 天草四郎ミュージアム
午前11時過ぎに福岡空港に到着した太郎はレンタカーを借り、車載ナビの指示に従って運転して長崎県の島原半島にある天草四郎ミュージアムを訪問していた。
「これが4月18日の来館者名簿です。」と職員が言いながら2枚のシートを太郎に見せた。
「大矢伸明氏の記載はありますか?」
「はい。ここに記入されています。」
「この日に神霊研究家の大矢伸明氏と話し合われた職員の方はいらっしゃいますかね?」と太郎が訊いた。
「ああ、たぶん私が対応した方が神霊研究家の大矢さんだったと思います。ちょっと特異な考え方をなさる方だったと記憶しております。」
「どのような話をされましたか?」
「はい。『魔界転生』の作家である山田風太郎氏に関する質問がありました。」
「どのような内容だったのでしょうか?」
「『魔界転生』は魔界から甦った森宗意軒や天草四郎、宮本武蔵などが柳生十兵衛と闘う話ですが、何故か作者の山田風太郎と同じ苗字の山田右衛門作に興味がおありでした。」
「島原の乱で原城に籠城した一揆勢のキリシタンや農民・漁民の中でただ一人生き残ったとされているのが山田右衛門作と云う人物ですが、その人の出身地などを知りたいと云う事でした。こちらに資料がなかったので天草キリシタン館をご紹介しました。天草キリシタン館には山田右衛門作が描いたとされる『天草四郎陣中旗』が展示されております。」
咸陽の四鴻啼51;
2016年の10月5日、午後3時半ころ 天草切支丹館
太郎は大矢伸明と話したという職員と話している。
「はい、山田右衛門作に関する質問がありました。」と職員が言った。
「どのようなお話をされたのですか?」と太郎が訊いた。
「山田右衛門作と云う人物は島原半島南端の口之津村、現在の南島原市口之津町甲と云う処に住んでおり、漁村の庄屋でした。幼少の頃にポルトガル人絵師から絵画を習い、肥前国島原藩や日向国延岡藩の御用絵師でもあった人です。それが、一揆軍に妻子を人質に取られたため、村人もろとも強制的に原城に連れて行かれ、幕府軍との交渉用矢文の文章を書かされたようです。その矢文を使って幕府軍に内通し、原城内の情報を伝えたようです。内通が発覚した為に牢屋に入れられており、一揆軍が敗れ落城したときに生き残った唯一の人物だった様です。江戸に連行されたようですが内通が認められて、江戸で目明をしたあと長崎に帰郷したとの噂のある人物ですが、詳細は不明です。」
「その話を聞いた大矢伸明氏はどのような反応をされましたか?」と太郎が訊いた。
「話の内容にはあまり興味を示されませんでしたが、『魔界転生』の作家である山田風太郎氏とこの山田右衛門作は縁戚関係にあるのかどうかの質問がありました。山田風太郎氏の本名は山田誠也と云うらしいのですが、山田右衛門作と血の繋がりがあるのかどうかを気にしておられました。大矢様が帰られた後、インターネットで山田風太郎氏の事をしらべましたが、兵庫県の養父郡関宮村のご出身でした。江戸時代、養父郡には名医が居られ事が全国に知れ渡り、病気を治せない全国の医者たちがみんな養父郡の出身者であると称した為に、ダメ医者の事を『ヤブ医者』と呼ぶように成りました。しかし、本来の『養父医者』は名医です。」と職員が薀蓄を披露した。
「兵庫県の養父郡か。大矢伸明氏が訪れた兵庫県の山奥とはそこの事だな。山田風太郎が山田右衛門作の生まれ変わりではないかと考えた訳か・・・。」と太郎は思った。
「山田風太郎氏は1922年、大正11年の生まれで2001年に79歳で死亡されています。両親ともに代々お医者さんの家系だったそうです。山田風太郎氏の父親も医院を開業しており、ご本人も医科大学を卒業されておりますが、読書が好きだった所から医者には成らずに小説家になられたようです。大矢様は山田風太郎氏のご先祖が医者であるのは、江戸時代に長崎でオランダ医学を学んだ先祖が居たからだろうと考えておられました。長崎に戻った山田右衛門作が出島で医学を学び、その子孫が作州の養父村に来て医者になったのではないかと仰っていました。」
「医者の家系から山田風太郎が山田右衛門作の生まれ変わりと云う発想か・・・。それだから島原の乱に関係した武士や天草四郎を題材にした『魔界転生』を創作したのも血筋の因縁であろうと、大矢氏は考えた訳か・・・?」と太郎は考えを巡らせた。
咸陽の四鴻啼52;
2016年の10月6日、午後3時ころ 兵庫県養父市関宮の山田風太郎記念館
前日は博多のホテルに泊まり、博多から新幹線で姫路に到着した太郎は、駅前でナビ搭載のレンタカーを借りた。そして、JR播担線に沿って走っている国道312号線を北上し、養父市役所を訪問した。そこでは大矢伸明に会ったと言う職員は誰も居なかった。
そして、市役所職員から情報を得て、養父市関宮にある山田風太郎記念館を訪問していた。
「明治維新で戸籍の管理がお寺から役所に代わりました。ですから、江戸時代の山田家の状況は不明です。山田家の菩提寺が判れば過去帳からご先祖の状況が判るかも知れませんが、そこまでは調査しておりません。神霊研究家の大矢伸明の名前は来館者名簿に見当たりません。」と記念館の職員が言った。
「兵庫県の山奥とは、養父市の事ではなかったのかな・・・?仕方がない、姫路に戻って宿泊するホテルを探そう。」と太郎は思った。
養父市役所でも大矢伸明に会ったと言う者は誰も居なかった。
咸陽の四鴻啼53;
2016年の10月6日、午後9時ころ 姫路市内のホテル
ホテル近くの居酒屋で夕食を取ったあと、太郎はホテルに戻って明日の事を考えていた。
「明日は京都のD大学へ行くか、それとも京都には立ち寄らずに直接東京へ帰るか・・。待てよ、吉備真備がスサノオ命を霊視したのは姫路の南側の瀬戸内海上であった。そして、姫路市の北にある白弊山の広峰神社はそこと同一経度にある。そして、北に向かって見れば北極星がある。広峰神社へ行ってみるか。広峰神社は吉備真備がスサノオ命の神威を感じ、天皇に奏上して神籬を創建させた場所に建っている。そして、出口王仁三郎の日本は世界の縮図説に従えば、リオ・デ・ジャネイロのキリスト像のある場所は南淡路市の法華宗の法王寺に相当し、スサノオ命を霊視した海上とも同一経度にある。鞍地大悟准教授の説ではスサノオ命とアレキサンダー大王は同一人物であり、ブラッククロスが狙っているアンゴルモア大王の蘇りはアレキサンダー大王の蘇りである。こいつは行く価値があるな・・・。」と太郎は考えた。
咸陽の四鴻啼54;
2016年の10月7日、午前10時30分ころ 白弊山の広峰神社
太郎は昨日借りたレンタカーに乗車し姫路城近くのホテルを出た。
そして、城を左に見ながら野里街道を道なりに北上して行くと高速道路が前方に見えてくる。その高速道路の下をくぐり、急カーブした山道を登り始めて、更に北へ進んで行くと広峰神社の大鳥居が見える。その鳥居の近くに姫路市営駐車場があり、太郎はそこに車を停めた。
駐車場から坂道を徒歩で10分ほど登ると石の階段に出る。階段を上ると広峰神社の随神門がある。随神門を通して広峰神社の拝殿が見える。
神社の本殿は標高260mの広峰山の頂上にあるが、そこから更に坂道を徒歩で10分くらい登ったところが標高311mの白弊山の頂上である。そこに素戔鳴尊の荒御魂を祀る荒神社祠と吉備真備を祀る吉備社祠がある。
荒神社祠と吉備社祠の間には注連縄の掛っている磐座がある。この地で吉備真備がこの磐座に素戔鳴尊の神威を感じ、広峰山の頂上に神を祭る神籬としたとされる。
その神籬が現在の広峰神社の本殿である。
ひ(霊)とは神霊のことであり、もろぎ(天降木)とは天から降りてくるための依り代となる木の事である。古代には、神籬は玉垣としめ縄で囲まれた巨木(神の依り代)を祀った場所を謂った。
広峰神社の周辺にはかつて神社の存在を全国に知らせた御師たちの屋敷跡がある。
豊臣秀吉の軍師であった黒田官兵衛の父親は目薬を造り、御師たちに売ってもらい、富を貯え、官兵衛が小寺家に仕官出来るようにしたようである。
明治4年の社寺領上地令により72石の神社領地が政府に収納され、神官の世襲廃止令によって多くの神官、御師、社家に仕えた手代などの多くの人々が下山した。更に戦後の農地改革によって檀家や氏子が減り、信仰心の低下なども相まって広峰神社の名声は低下して行った。
太郎は広峰神社の拝殿に参拝し、更に白弊山の荒神社祠を参拝した。
「ここで吉備真備が素戔鳴尊の神威を感じたのか・・。」と思った時、後から一人の老人が声をかけてきた。
「此処まで、よう来はりましたな。」と老人が言った。
「はい。ちょっと素戔鳴尊の神威を感じてみたくなりましたので、つい来てしまいました。」と太郎が言った。
「どちらからお越しですかな?」
「埼玉県です。」
「ほう、埼玉県ですか。遠方から御苦労さまですな。」
「恐れ入ります。九州の天草まで旅行しての帰り路です。」
「ほう、天草ですか・・。」
「はい、天草四郎の島原の乱に関する展示館を見学してきました。」
「そういえば、ここで育った男も半年前にそんな事を言っておったな・・。」と老人が思い出すように言った。
「ここの住人の方も天草へ行かれたのですか・・。」と太郎が言った。
「いや、ここの住人ではなく、大人になるまではここで暮らしておった人物じゃ。今は埼玉県に住んで居るとか言っておった。あなたと同じ県じゃな。今は神霊研究家とかしていると言っておった。」
「えっ、神霊研究家。」と太郎が思わず大声を出した。
「そうじゃ。大矢伸明と云うてな、高等学校を出るまではここに住んで居った。」
「大矢伸明さんは先日お亡くなりになりましたが、ご存じでしたか?」と太郎が老人に訊いた。
「えっ。伸ちゃんが死んだ?」
「はい。千葉県のお寺で殺されていました。私は警察の依頼で大矢伸明さんの生前の足取りを調査している私立探偵の大和太郎と申します。」と言いながら、太郎はポケットから名刺入れを取り出した。
「はあ、東松山市の私立探偵さんでっか。」と名刺を見ながら老人が言った。
「あなたは大矢伸明さんの御親戚の方ですか?」
「ちがう。伸ちゃんを子供のころから知っとう者や。」と老人が言った。
「大矢伸明さんはこの地でどのように育ったのですか?教えていただけますか?」と太郎が訊いた。
「実はな、伸ちゃんは捨て子やったんや。この荒神社の前に置かれとったんや。儂と敏さんが朝の掃除の時に見つけたのや。あれは、40年以上前の10月頃やったかな。確か、伸ちゃんを発見した日を伸ちゃんの誕生日にしたな。」
「敏さんと云うのは?」と太郎が訊いた。
「大矢敏明と云うて、儂と二人で雑用掛りをしておった人間や。儂は女房が居ったが、敏さんは独身やった。それで、敏さんは自分の子として育てる決心をしおった。四十路の独身で山の上の生活が寂しかったんやろな。警察に届けた後、市役所にも承諾してもろて、捨てた親が現れるまでの間、しばら敏さんが育てても良えことになったんや。結局、現在まで産みの親は現れとらん。」
「大矢伸明さんは高等学校を出てからはどうされたのですか?」
「伸ちゃんが高校3年の時、敏さんが病気で亡くなった。それで大学へは行かんかったんや。勉強は善う出来たのにな。バスケットボール部の顧問の先生の紹介で大阪の大毎新聞社に就職した。会社の寮に入ってからはあんまり顔を見せんようになった。敏さんの葬式は神式でやった。敏さんも身寄りが無かったんで墓は造らんかった。敏さんの遺言で、遺灰は神社境内にある薬師堂の後に散骨した。薬師堂は素戔鳴尊はんの奇御魂である薬師如来さんを祀っとるが、薬師堂は神仏習合時代の神宮寺の名残や。本来、神社にとって死は気が枯れたことを意味する穢れやよって、神域には奥津城(仏教の墓に相当)を造らんのやが、宮司さんの特別許可が出て、薬師堂の周りに敏さんの遺灰を撒いたんや。伸ちゃんは敏さんの諡(仏教の戒名に相当)が書かれた霊璽(仏教の位牌に相当)だけを持って大阪に行きよった。」
※霊璽に書かれた諡は『大矢敏明 大人命 』 であったと思われる。
「大矢伸明さん半年前に来たと云うのは4月20日頃のことですか?」
「そうやな、桜の花が散った後やったから、その頃やったかな。」
「大矢伸明さんは何をするために広峰神社に来られたのですか?」
「そうやなあ・・。何か言うとったなあ・・・。何ややったかな・・・。」と老人は空を見上げて右手を頭に添えた。
「思い出せそうですか?」と太郎が心配そうに言った。
「そう、伸ちゃんの口癖を言うとった。」
「口癖ですか?」
「『姫路の山奥』が伸ちゃんの口癖やった。伸ちゃんは姫路市内の小学校の時に友達から『山奥の子』とか言われてからかわれた様やった。その友達を殴ってけがさせたことで、敏さんが伸ちゃんを叱ったんや。その時から伸ちゃんが敏さんと口喧嘩する時には『姫路の山奥なんかに住みとうないわい。』と言うのが口癖になったんや。伸ちゃんは薬師社の前に立っとったから、敏さんと話でもしとったんとちゃうかな?」と老人は昔を懐かしむように言った。
「なるほど『兵庫県の山奥』に行ったとは、広峰山に行ったと云う事だったのか・・。」と太郎は納得した。
「それにしても、大矢伸明は荒神社の前に置かれていた捨て子だったとはな・・・。」と思いながら、太郎は宝達奈巳こと青山深雪が南宮大社摂社の五の宮である南大神神社の前に捨て子として置かれていた事を思い出していた。
(※青山深雪については第7話『能登の錫杖』を参照されたい)
「大矢伸明さんは自分が捨て子であったことをご存知でしたか?」と太郎が老人に訊いた。
「ああ、知っとた。就職が決まる時までは知らへんかったけどな。」
「どういう事ですか?」
「就職先の大毎新聞社に出すために戸籍謄本を取った時に、敏さんの養子であることが判ってな、それで儂に訳を聞きに来よった。儂は本当のことを話してやった。」
「それを聞いた大矢伸明さんはどんな反応をされましたか?」
「別に何も変わらんかったな。中学時代から、うすうすは感じとったんとちゃうかな。何も言いよらんかったけどな。そう云う男や、伸ちゃんは。そやけど、まだ若かったのに死んでしもたんか・・・。」と悲しそうに老人は呟いた。
咸陽の四鴻啼55;
2016年の10月8日、午前11時30分ころ 東松山駅前の大和探偵事務所
「おう、やっと帰って来たか。」と言いながら長谷川刑事が事務所に入ってきた。
「ああ、長谷川刑事。何かご用ですか?」と太郎が言った。
「九州まで行って何か判ったのか?」
「いえ、特に犯人の影が見えたと云うことはありませんでした。」
「その犯人の影が見えて来たぞ。」
「えっ。本当ですか?」
「まだ、本星かどうかは判らんがな・・・。」
「どのような人物ですか?」
「Mシステムの記録を調べたら、大矢伸明が高岡のオメガ教団へ行ったあと、大矢を尾行していた車を見つけた。その車の所有者はC国大使館の武官や。まあ、C国共産党の工作員か諜報部員やろ。」
「名前は判っているのですか?」
「ああ。公安に確認した。高天佑と云う奴だ。しかしな、大矢伸明の殺人事件当日の尾行は大使館ナンバーの車だった。運転している奴も別人で、公安の話では宋子豪と云う名の男で、そいつが運転していた。こいつは今年の3月から駐日大使館の技術武官として来日した工作員で、最近、一般企業の工場や、鉄道の変電所に火をつけて、その修膳回復能力を調査している可能性があると云う事だった。たぶん、戦争になった時の破壊工作の有効性を調査しているのだろうと云う事だった。」
「その宋子豪が大矢氏を殺った犯人ですか?」
「まあ、殺しの動機が何なのか、それが判らんし、証拠は何もない。しかし、何回も大矢を尾行している事はMシステムの記録から判明している事実だ。これが、宋の顔写真だ。」と言って、長谷川刑事が太郎に写真を渡した。
「動機ですか・・?」と太郎は写真を見ながら考えるように呟いた。
「しかし、この顔、どこかで見たような気もするが・・。西安市で見たのかな・・?まあ、C国人ならどこにでも居るからな。日本人にも似ているしな。」と太郎は思った。
咸陽の四鴻啼56;
2016年の10月9日、午後2時30分ころ 東京・溜池のアメリカ大使館の応接室
太郎は警察庁からアメリカ大使館のCIAに協力依頼を出してもらい、ジョージ・ハンコックを訪問していた。
「神霊研究家の殺人事件の参考にC国大使館の武官の情報が欲しいと云う事ですが・・・。」とハンコックが言った。
「この写真の男で、宋子豪と云う武官の情報をしりたいのです。これがその男の顔写真です。C国共産党情報部の人間だと思います。写真の裏にアルファベットで名前を書いてあります。」と言って太郎は写真をハンコックに渡した。
「判りました。データベースで調べてみましょう。」と言って、ハンコックは応接室を出て行った。
そして、15分くらいして、ハンコックが戻ってきた。
「これがCIAの持っている宋子豪の経歴です。このペーパーを渡すことは出来ないので読みますから記憶してください。メモも取らないようにお願いします。」と言って、ハンコックは1枚のA4シートを太郎に見せた。
「今年の2月からC国駐日大使館付の武官として来日就任しています。住居はC国大使館近くの港区元麻布のマンションです。来日する前は駐ブラジル大使館付の武官を4年間していました。ブラジルでは親アメリカ派の政治家や企業家に対するさまざま妨害活動をしていたようです。事故死に見せかけて殺害したと思われる事件もあります。はっきり云って秘密工作担当と云う事でしょう。」とハンコックが言った。
「日本に来る前はブラジルにいたのか。」と太郎が呟いた。
「今年の1月にリオ・デ・ジャネイロのキリスト像近くで殺された東洋人はC国の情報部員だったそうだ。たぶん、この宋子豪の同僚だったのだろう。どう云う理由で殺された情報部員がキリスト像のところに呼び出されたのかだが、それは不明だ。たまたまコルコバードの丘に居たとは思えない。その事を宋子豪は知っているはずだ。事件の後すぐに、日本に来たのがリオの事件と関係あるのかどうかだ。」
「ジョージ、ブラッククロスとオメガ教団の関係をC国情報部は知らないのではなかったのか?」
「現在のCIAの持っている情報では知らないことになっているが、情報が間違っている可能性もある。太郎が池袋でブラッククロスに狙撃されそうになった時に現れたのは白人女性だったな。そして、白い石板をその女性は持っていた。」
「そうだが、それが何か?」
「3年前、2013年5月だった。横浜の氷川丸近くの山下公園でC国情報部の陳康平が三重県津市にある右翼に属している男に刺殺された事件がありました。その右翼の男の証言では、陳康平はサングラスをした東洋人女性から白い石板を受け取ったと云う事でした。そして同じ5月にCIAの情報部員のロバート・バートンが港の見える丘公園で狙撃されて死亡した。彼も白い石板を持っていた。」
「それは、ブラッククロスが『神の計画』実現に向けて動き出した事件でしたね。」
「そう、太郎に調査を依頼した件です。そして、その年の10月、太郎も狙われた。危険を感じた君は物陰に隠れた無事だったが、頭を打ち抜かれて死んだのは石板を君に渡そうとした女性の方だった。」
「かわいそうに、口封じに殺された。また、ニューヨークではR国の情報部員が殺害されていた。」
「リオの事件と山下公園の事件を知った宋子豪が、日本に事件の真相が隠されていると考えたとしたらどうかな。」
「日本にブラッククロスの本拠地があると考えたか?」と太郎が言った。
「あるいは、C国の情報部員を殺した犯人が日本に居ると考えたかも知れない。」とハンコックが言った。
「それが、大矢伸明氏と考えたと云うのですか?」と太郎が言った。
「まあ、情報部員が一般人を殺害することはありませんからね。何か関係があるのではないですか?」
「そういえば、大矢氏夫妻はキリスト像の所で殺人事件に遭遇している。」と太郎は思った。
「しかし、この宋子豪が犯人としても警察が逮捕するのは難しいですね。外交特権で本国に逃げ帰るでしょうからね。」とハンコックは気の毒そうに言った。
咸陽の四鴻啼57;
2016年の10月10日、午前10時半ころ 川越市の大矢邸の応接室
太郎は捜査の進捗状況の報告と質問のために大矢政子を訪問していた。
「犯人の可能性としてC国の情報部員が浮上しています。」と太郎が言った。
「何故に主人がC国のスパイに殺されたのですか?理由が判りません。」
「まだ、断定した訳ではありませんが、殺害された当日にC国大使館の公用車が大矢伸明氏の車を尾行していました。以前にもたびたびC国大使館の公用車などが御主人の車を尾行していた事実が警察の道路情報カメラの記録から判明しています。その理由を知るために政子様に少し質問させていただきたいのです。」
「構いませんわ。」
「では、はじめに先日見せて頂いたリオ・デ・ジャネイロのキリスト像の所で撮影された写真をもう一度お三瀬頂けますか?」
「はい、構いません。しばらくお待ちください。パソコンをたちあげますので。」と言って、政子は応接室の棚の上に置いてあったノートパソコンを取って来て応接テーブルの上に置き、パソコンを立ち上げた。
「どちらの写真に致しますか?」
「コルコバードの丘のキリスト像前で撮影された写真をお願いします。」
「これですか?」
「殺害されたアロハシャツの東洋人が写っている写真をお願いします。」
「これですね。」と言って政子は大矢伸明がアロハシャツの男と白人女性の横で写っている写真を画面に出した。
「はい。これではなくて、次の写真をお願いします。」
「これですか?」
「この後の写真をお願いします。」
「はい。」といって、政子が次の写真データをクリックした。
その写真には、死亡して倒れているアロハシャツの男を抱き起こそうとしている東洋人男性が写っている。
「ああ、これです。この男です。この男が大矢氏の車を尾行していたC国大使館の情報部員です。名前は宋子豪と云うのですが、この時はC国の駐ブラジル大使館付の武官でした。今年の2月から駐日大使館付の武官になっています。」
「この男が何故に主人を尾行したのでしょう?」
「そこです。その理由が判れば、この男が大矢氏殺害の犯人かどうかが判るのですが・・・。この時か、或いはリオのホテルなどで、何か思い当たる様な出来事はありませんでしたか?」と太郎が考えるように言った。
「特に、思い当たる様な、これと言った事はありませんでしたが・・・。」と政子が考えながら言った。
「些細な事でもいいのですが、何か思い出して下さい。」
暫らく考えていた政子が思い出した事を言った。
「そう云えば、チェックアウトする時にクラークが言った言葉があります。」
「何と言ったのですか?」
「『昨日、C国人の方が来られて、知り合いの東洋人がこのホテルに泊っているかどうかを知りたい。』と言ったそうです。クラークは私どもの名前と日本人であることを伝えたそうですが、別人だったそうです。」
「それですね。たぶん、お二人の素姓を調べに来たのでしょう。そして、宋子豪が日本に追いかけてきた。」
「でも、何故に私たちを追いかけて来たのでしょう?」
「大矢伸明氏はアロハシャツの男に声をかけた所を宋子豪は見ていたのでしょう。それで、アロハシャツの男を殺した人物と関係があると考えたのではないでしょうか?あるいは、大矢氏が殺したのではないかと考えた可能性も考えられます。」
「そんな・・・。」と政子は絶句した。
「最近、南米以外に海外旅行はされましたか?」
「はい。昨年の10月に中国の西安に行きました。」
「西安ですか。始皇帝陵墓や兵馬俑を見学されましたか?」
「はい、もちろんです。」
「その他の見学場所はありますか?」
「イスラム寺院や仏教寺院、イスラム人街などにも参りました。それから大雁塔、楊貴妃と玄宗皇帝が愛を温めた華清宮のある温泉地にも行きました。まあ、一般的な観光コースを見ただけです。」
「中国人の方とお話などをされましたか?」
「はい。主人は仏教寺院の案内人の方やイスラム寺院の管理人の方に観光ガイドの人を通訳にして何やら声をかけていました。食堂や街で出会った人からもお話を聞きました。主人は取材根性が抜けきれないみたいで、すぐに質問をしたがるものですから、観光ガイドの方も大変だったようですわ。」
「そうですか・・。」と政子の話す内容の情景を太郎は思い浮かべていた。
「ところで、大矢氏は西安旅行に関して何かお話しされたことがありましたか?」と太郎が訊いた。
「西安のことに関してですか・・・。」
「はい。何か思い出す事はありますでしょうか?」
「そうですね・・。ああ、兵馬俑を見学していた時、『始皇帝は死んでからも兵隊を使うつもりだったのかな?』とか、『生まれ変ってからも兵隊を指揮する心算だったのかな?』とか申しておりました。それから、『不老不死の薬を探しに日本へ何某かを行かせたのだよ』と私に言いました。その何某かの名前は忘れました。」
「それは『徐福』と云う人物です。徐福は和歌山県の熊野灘の地に上陸したとされています。」
「御主人がその話をされた時、輪廻転生の話はされましたか?」
「いいえ。その時は何にも。でも、西安旅行から帰って来てしばらく経ってから山田風太郎の『魔界転生』を何度も読み返していました。小説など一度読めば判ると思いますのに、参考書を読むように考えながら読んでいたようですわ。それに、県立図書館で武芸者に関する本を何冊も借りてきていました。」
「そうですか。なるほど・・・。」
咸陽の四鴻啼58;
2016年の10月11日、午後2時ころ 超林寺参道の遺体発見現場
太郎と長谷川刑事は大矢氏の殺害方法を考える為に超林寺参道の遺体発見現場に来ていた。
「現場百回。どう考えてもこの場所以外に殺害現場はない。川越インターからこの場所までの途中に大矢伸明が寄り道した形跡は発見できなかった。Mシステムの記録に残っている撮影時刻とインターを出た時刻、それに車の走行高速度などを考えて計算したが、大矢氏が寄り道したはずはない。インターを出てからこの場所に来るまでにも何処かへ寄った形跡はなかった。」と長谷川刑事が言った。
「大矢氏は鈍器によって撲打されて頭蓋骨陥没で即死だったのですよね。」と太郎が言った。
「ああ、鑑識の見解ではそうだ。出血が少なかったのは即死で心臓が停止したために血液の流れが止まった。まあ、すぐに停止しなかったとしても血圧はかなり低下していたと云う事だった。」
「撲打された位置は右後頭部、丁度右耳の後辺りを鈍器で殴られ頭蓋骨陥没していたのでしたね。」
「そうだ。ほぼ水平方向から殴られていた。」
「頭蓋骨陥没ですから、かなり強い力が働いたと思わます。しかし、素手で水平に強打しようとしても、それほど大きな力は入りません。登山用のピッケルとか、何か遠心力が働くような凶器が使われたはずです。」と太郎が言った。
「遠心力?はっはっは。忍術じゃあるまいし、鎖り鎌でも使ったとでも言うのか?」
「なるほど、鎖り鎌ですか・・。鎖り鎌に似た道具。ロ―プに鉄の重りを付けたら如何でしょうか?」
「なるほど。しかし、宋子豪にそんな道具を使いこなせる技術があったかどうかだな。離れた場所から狙った頭に命中させるには訓練が必要だ。」
「それに、重りが空気を切る裂く音に大矢氏が気付く前に命中させないといけなかった。とすると、宋子豪と大矢氏の距離は8mくらい。そして、ロ―プは半径3mくらいで素早く回転させ、ロ―プの長さは10mくらいだったのではないでしょうかね・・・。」
「東京近郊の忍者道場を調べてみる。宋子豪が入門していたかどうかだな。」と長谷川刑事が元気よく言った。
咸陽の四鴻啼59;
2016年の10月12日、 午後1時半ころ 川越市の大矢邸の応接室
C国情報部員の宋子豪による大矢伸明の殺害理由が、リオ・デ・ジャネイロでの殺人事件の時に関係すると考えるには無理があるのではないかと感じた太郎は、大矢氏夫妻が中国西安への旅行時に何かあったのではないかと思い、大矢政子を訪問していた。
「西安旅行の時のお写真を確認したいとの事でしたので、パソコンを準備しておきましたわ。」と政子が言った。」
「恐れ入ります。」
「どうぞ、ご自分で操作なさってください。」
「ありがとうございます。」
「私、リビングでテレビドラマを見ておりますから、何かご質問があればお呼び下さい。」
「はい。ありがとうございます。それでは遠慮なく拝見させていただきます。」
太郎は写真データを順番に画面に出して見て行った。
そして、一枚の写真に目が止まった。
大矢夫妻と若い女性が大雁塔を背景にして記念撮影している写真である。
「これは、確か、周夢蓮とか云ったな。それに、後で3人を見ている男。この男、宿泊したホテルのレストランで張林と食事をしている時に我々を監視していたウェイターに似ている。やはり、この男はC国の諜報部員だったのか。この男が我々を見ていた日は、張林と大雁塔に行った日だった。そして、我々も周夢蓮に出会い、話をした。大矢氏は周夢蓮と何を話したのだろう?政子さんに訊いてみるか。」と思い、太郎はリビングにいる大矢政子を呼んだ。
「この女性とどのような話をしたのか覚えていますでしょうか?」と太郎はパソコンの写真映像を見せながら政子に訊いた。
「ここは大雁塔ですね。えっと、如何でしたか・・・・。」と政子は思いだそうと考えた。
「確か、この女の子は大雁塔の中で窓の外を眺めていたのよね。主人と私も窓から外を眺めたかったのでその子の後で待っていたの。それに気が付いたのか、この女の子が申し訳なさそうに場所を譲ってくれたのよ。その後、帰り道でこの子と再び出会ったので、主人がお礼を言いたいと言って旅行ガイドさんにお願いして声をかけてもらい、記念写真を撮影したのでした。特に、深い話はしなかったわね。まあ、日本人で神霊研究をしている著述家だくらいは話していたようでした。この後は、すぐにお別れしましたわ。」
「後に写っているこの男性には気がついていましたか?」
「ああ、この人ね。このあと、私たちが日本の何処から来たのかを訊ねてきた人ですわ。弟さんが日本の九州・福岡でお仕事をなさっているとかで、福岡の事を教えてほしいと仰ったのですが、あいにく福岡の事は二人とも知りませんと答えて別れました。」
「そうですか・・。」
「この方が何か?」
「いえ、ちょっと訊いて見ただけです。特に意味はありません。」
「あと、何か質問がございますか?」と政子が訊いた。
「いえ、これだけです。また何かありましたら、お声がけいたします。」
大矢政子はリビングへ戻って行った。
「この男、C国諜報部員として、大矢氏をチェックしたな。その後、リオで情報部員が殺されたときに大矢氏を尾行していたのが宋子豪とすれば、この周夢蓮に何か意味があるとしか思えない。周夢蓮と話した大矢氏を何者だと考えたのだ・・・?周夢蓮は太白山を眺めるのが好きだと言っていたな。しかし、周夢蓮は何者なんだ、C国諜報部がマークしている理由は何だ?また、CIAのジョージに会わないといけないかな・・・。理由は張林が知っているかも知れないな。ウェイターに関しては張林とは別の諜報部員が追跡中だとジョージは言っていたな。あとで、ジョージに電話するか。」と太郎は思った。
その後で見た写真データからは何も得るものはなかった。
咸陽の四鴻啼59;
2016年の10月15日、 午前10時ころ 東京・溜池のアメリカ大使館の応接室
ジョージ・ハンコックからの呼び出しで太郎はアメリカ大使館に来ていた。
「太郎は何をどこまで知っているのですか?」とジョージ・ハンコックが訊いた。
「電話で話しましたように、張林と私が宿泊した西安のホテルのレストランで我々を見ていた男が何者だったかを張林は調べたはずです。C国諜報部員だったのかどうかを知りたいのです。」
「そうだとしたら、何が判るのかな?」
「大矢伸明氏がC国情報部の宋子豪に殺害された理由が判ります。」
「確かに、西安のホテルの男はC国防諜部門の情報員で黄博文と云う。」
「その黄博文が何故に周夢蓮と云う若い女性を尾行していたのか?」
「太郎はそこまで知っているのか、そうか・・・。周夢蓮はウィグル族の人物が経営する回民街の食堂で夜間のアルバイトをしている。このウィグル族の主人はテロ組織の一員で周夢蓮はその組織の連絡員ではないかとC国防諜部門は考えているようだ。」
「周夢蓮は連絡員なのか?」
「さあ、事実は不明だ。C国防諜部門はそのあたりを探っているだけかも知れない。」
「実は、大矢伸明氏が昨年の10月に西安旅行をした時に周夢蓮と大雁塔で記念撮影をしています。その時、大矢伸明氏と周夢蓮が話しているのを黄博文が見ていました。黄博文が大矢伸明氏をウィグル族のテロ組織の一員ではないかと疑い防諜部門の上司に報告したと考えられます。また、今年の1月にリオ・デ・ジャネイロでC国情報部員が殺された時にも大矢氏がその殺された部員に話しかけたのを、同じC国情報部員の宋子豪が目撃しています。とすれば、大矢伸明氏はウィグル族のテロ組織の人間であると判断した可能性があり、その為に宋子豪に殺された訳です。」
「なるほどね・・・。」とハンコックは納得した。
「ところで、リオ・デ・ジャネイロで殺されたC国情報部員が手にしていた白い石板に描かれていた文字は『You only live twice(君だけが2度生きる)』の英語と『泰山府君祭』だったね。」
「ああ、そうです。」とハンコックが言った。
「ブラッククロスはアンゴルモアの大王の復活を計画していると云う事で『You only live twice』。『泰山府君祭』は魂の入れ替えの許可を泰山府君に願い出る儀式。」
「と云うことは、誰と大王を入れ替えるのだ?」
「現在に生きている人物。そして、ノストラダムスによれば、1999年7番目の月に生まれた人物。7番目の月とは、中国の太陰暦の7番目であり、24節気の立秋と処暑の月。立秋は太陽暦では8月8日から始まる節気。グランドクロスは1999年8月18日に発生した。」と太郎が言った。
「だから、1999年8月18日生まれの人物をブラッククロスは西安で探している。西安で探す理由は、始皇帝の兵馬隊を指揮できる人物でなければならない、と云う事ですかね?」
「ところで、キャサリン・ヘイワードが西安に現れた理由は判ったのですか?」と太郎が訊いた。
「パレルモに潜入しているナンシーからの報告では、キャサリン・ヘイワードが日本の石舞台で白い鳥を霊視したらしい。その霊鳥が始皇帝陵墓にも現れたらしい。ただ、キャサリンが何故に西安に行ったのかは不明だ。霊鳥はたまたま見ただけで、もっと別に目的があったのだろうが、現在のところ、それは不明だ。残念だがな・・・。」とハンコックが言った。
「霊能者の出来る事と云えば、人物の背後霊を見定める事ですかね。」と太郎が言った。
「アンゴルモアの大王となるべき人物を見極めると云う事ですか?」とハンコックが訊いた。
「まあ、断言はできませんが・・・。」
咸陽の四鴻啼60;
2016年の10月15日、 午後10時ころ 東京・元麻布のC国大使館近く
C国大使館を出た宋子豪は自宅のあるマンションに向かって住宅街の通いなれた裏道を歩いている。道路上には街灯が所々にあるが、物陰には明りが届かない。
高等学校のコンクリート塀に沿った道路上に宅配便の中型貨物トラックが止まっている。
「見慣れないトラックだな。山猫宅急便か・・・。」と宋子豪はかすかな明かりに照らされている箱型ボックス荷台の後扉に描かれた文字を見ながら歩き、停車しているトラックを追い越した。
その時、トラックの影に潜んでいた黒い人影が宋子豪の背後に飛び出た。
宋子豪が「はっ!」と気配を感じたときには遅かった。
背中を右上段から袈裟掛けに斬りおろされ、返す刀で左膝の後を下から上方に向かって斬られた宋子豪は仰向けに倒れた。そして、黒装束の人影は刀剣を宋子豪の心臓に突き刺した。
宋子豪は「ぎゃあ!」と一声上げ、意識が遠のいた。
人影は倒れている人体から刀剣を引き抜き、素早くトラックの後方に移動し、開かれた後扉からトラックのボックス荷台に飛び乗り、中に入った。
そして、トラックは静かに走り去った。
咸陽の四鴻啼61;
2016年の10月16日、 午後4時ころ 東京・国会前庭の時計塔前広場
大和太郎と刑事局長補佐の半田警視長がベンチに座って話している。
「C国大使館付武官の宋子豪が昨夜、大使館近くの路上で殺されているのが発見された。」
「宋子豪が殺された?」と太郎が驚くように言った。
「帰宅途中だったようだ。宋子豪の自宅マンションから長谷川刑事から報告があったロープにつながれた鉄の錘が発見された。遺体の状態から推察すると、日本刀で背中を斬られた後、心蔵を一突きされていたそうだ。C国大使館は殺人事件にしたくないようで、遺体をただちに引き取ったそうだ。捜査協力も拒否されたそうだ。宋子豪が大矢伸明氏をロープ付き錘で殺害したかどうかは不明のまま、千葉県警の捜査本部は解散することになるだろう。」
「誰が宋子豪を殺したのでしょうね・・・。」
「朝海刑事局長が京都府警に勤務されていた頃に、同じ殺害方法の事件があったそうだ。その事件の参考人を任意聴取しようとした矢先に行方不明になったそうだ。証拠がないので指名手配も出来ていないが、殺人事件の時効は無くなっているので捜査の対象人物ではある。」
「どのような事件だったのですか?」と太郎が訊いた。
「今から19年前だったそうだ。京都の円山公園で暴走族のリーダーが宋子豪と同じように殺害されたそうだ。犯人と思われる人物、個人情報で詳しくは話せないが、忍者道場で鍛錬を積んだ人物だったようだ。長谷川刑事の調べでは宋子豪も東京青山にある忍者道場に入門していたようだ。」
「忍者道場で修行した人物が、忍者道場で鎖鎌の技術を身に付けた宋子豪を殺害したのですか・・?何か時代が昔に戻ったみたいですね。」と太郎が目を丸くして言った。
「まあ、冗談のような話だが、事実だ。」
「法による正義では無いですが、『義を果たす忍者』が居たと云う事ですか。」と太郎が言った。
「古代、ハムラビ法典では『目には目を、歯には歯を』と謂って、犯した内容と同じ罰を与えたのが法律でした。」と半田警視長が言った。
「イスラムの教えにも似た所がありますね。しかし、神霊研究家の大矢伸明氏はC国諜報部にウィグル族のテロリスト関係者と誤解されて殺されてしまい、気の毒なことでしたね。」と太郎が言った。
「こんな話があります。『ジョン・F・ケネディ大統領は死ぬべき運命にあった。しかし、ロバート・ケネディ司法長官は生きることができたはずだったのに暗殺された。』と霊能者のディーン・ディクソンは述べていました。大矢伸明氏は死ぬべき運命にあったのではないでしょうかね。」と半田警視長が言った。
「大矢伸明氏は死ぬべき運命にあったのか・・・。しかし、何のために死ぬべきだったのか・・?」と太郎は考えるように思った。
咸陽の四鴻啼62; エピローグ
2016年の10月20日、 午前5時30分ころ 鞍馬寺本殿金堂前
深夜に行なった回峰修行を終えた飛鳥光院師が鞍馬寺本殿金堂前の階段に座って、目の前に広がる金剛床とその先にある翔雲台をぼんやり眺めている。
金剛床の絵柄の中心部の円形の中にカゴメ紋が描かれている。そのカゴメ紋の正三角形が重なる部分の正六角形の中には切り出された石が敷き詰められ、更にその内側には大きい目のじゃり石が撒かれ、その砂利の中心部には正三角形の石が、頂点を本殿金堂に向けてはめ込まれている。
その正三角形の石の頂点は本殿に向いており、それは西向きである。
飛鳥光院師は絵柄を眺めながら、出口王仁三郎の亡霊の声に従い、宮城県の太白山の山頂にある貴船大神を祀る小さな祠で行なった『封禅の儀式』と『泰山府君祭』の事を思い出していた。
『まず、祀の前に横たわっている平な踏み石の上に、持ってきたロウ石でカゴメ紋を描け。石の平面いっぱいになるように描けよ。』と王仁三郎の声が聞こえた。
「はい、描きました。」と飛鳥師が言った。
『カゴメ紋の上向きの正三角形は鶴を表しておる。下向きの正三角形は亀じゃ。その鶴と亀の重なっている正六角形の中に綾部の不死山である本宮山の山土を丸く盛土せよ。この太白山のような緩やかなピラミッド型になるようにな。また、正六角形の各辺に盛土の円形が接するように山形を造れよ。』
「はい。承知いたしました。」と答えて、飛鳥師は土のう袋から手で土を取り出し、盛土を始めた。
『出来たようじゃな。』
「はい。出来ました。」
『次のように私が蔡文を言うから、その様に唱えよ。祝詞じゃ。』
「はい。」
『天津の大神、国津の大神の大いなる御心の幸い腸うを願い。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『高天原に神留座す、神魯伎神魯美の詔以て。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『天地の稔りと安らぎを封じ、恐み、恐み捧げ申す。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『泰山府君に恐み、恐み申す。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『素戔鳴の大王の御魂を。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『咸陽の王である政に。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『咸陽の王である政の御魂を。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『素戔鳴の大王に。』
飛鳥師が同じ事を言った。
『泰山府君に封禅を祝り、奏る。』
飛鳥師が同じ事を言った。
「しかし、素戔鳴の大王とは誰のこと?咸陽の王とは誰のこと? 素戔鳴尊も秦始皇帝も過去に死んでしまった人物。王仁三郎師は過去の魂を甦らせる心算なのかしら?」と飛鳥師は考えを巡らせた。
「そう云えば、あそこの翔雲台に置かれている経塚の蓋石に描かれている線画は、本殿金堂の屋根の上空から見える図柄だったわね。ここから東に見えるあの山波とその向こうにある比叡の山波、そして、その遥か東にある富士山を千里眼で視た絵柄が重ねあわされて、黒っぽい石蓋に白い線で描かれているのだったわね。綾部の本宮山は富士山の噴火石を埋めた不死山と大本の教祖様が仰っていたけれど・・・。」
咸陽の四鴻啼63; エンディング
2016年の10月20日、 午後6時ころ 東松山駅前の焼鳥屋
太郎は、東松山名物の味噌だれの焼き豚を食べながら、生ビールを飲んでいる。
「イスラム教徒は豚肉は食べられないのはきのどくだなあ・・・。焼き豚にビールは最高なのになあ・・・。ゴクリ。」
焼鳥屋の店内に有線放送の楽曲、来生えつこ作詞・来生たかお作曲の『夢の途中』が流れている。
♪ さよならは別れの言葉じゃなくて ♪
♪ 再び逢うまでの遠い約束・・・・ ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ ほんの夢の途中 ・・・・・・・・♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 君がめぐりあう愛に疲れたら・・・♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 希望と云う名の重い荷物を・・・・♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 愛した男たちを輝やきにかえて・・・♪
♪ いつの日にか僕の事を想い出すがいい♪
♪ ただ心の片隅にでも小さくメモして ♪
咸陽の四鴻啼
〜出口王仁三郎の亡霊殺人事件〜
完
(2022年5月7日 午後5時5分 脱稿)
目賀見勝利
参考文献:
アポカリプス666 ジーン・ディクソン著 高橋良典訳 自由国民社 1983年1月発行
NEW TESTAMENT(新約聖書) 国際ギデオン協会より贈呈
黙示録講解 E.スエデンボルグ゛著 柳瀬芳意訳 静思社 昭和60年9月発行
秦の始皇帝 NHK人間大学テキスト 陳舜臣講師 日本放送出版協会 平成6年一月発行
中国恐るべき暗黒の歴史 歴史の謎を探る会編 河出書房新社 2020年9月 初版発行
史記8−始皇帝− 横山光輝著 小学館 1999年3月 初版第一刷発行
史記<本紀> 吉田賢抗著 明治書院 平成15年5月 初版発行
出口王仁三郎の大降臨 武田崇元著 光文社 昭和61年2月28日 初版1刷発行
合気道開祖・植草盛平伝 植芝吉祥丸著 出版芸術社 平成11年4月 第1刷発行
NHK人間大学講座教本・秦の始皇帝 講師;陳舜臣 日本放送出版協会 平成6年1月 発行
日月神示 中矢伸一著 徳間書店 1991年5月 31日 初刷
高松塚への道 網干善教 草思社 2007年10月 第一刷発行
高松塚古墳は守れるか 毛利和雄 日本放送出版協会 2007年3月 第一刷発行
歴史読本 2015年1月号 特集・古代王権と古墳の謎 138ページ
キトラ最古の天文図の謎 NHK−BSプレミアム コズミックフロント 2015年7月22日放送
飛鳥の大宇宙 NHK−BSプレミアム プレミアムヒストリー 2016年5月18日放送
強運 深見東州 たちばな出版 平成10年11月 初版第1刷
地球の歩き方 ブラジル ダイヤモンド・ビッグ社 2014〜2015年版
陰陽師列伝 志村有弘 学習研究社 2000年9月 第一刷発行
現代に息づく陰陽五行 稲田義行 日本実業出版社 2003年3月 初版発行
陰陽師の世界(別冊宝島) 加門七海監修 宝島社 2016年4月 発行
ノストラダムス大予言原典 大乗和子訳 内田秀男監修 たま出版 昭和50年3月 初版
ノストラダムスと大黙示録 フェニックス・ノア 日新報道 昭和56年12月 初版発行
増補三鏡 出口王仁三郎聖言集 八幡書店 2010年4月 初版発行
いま忍者・初見良昭 NHK−BSプレミアム 2016年7月7日 放送
合気道開祖 植芝盛平伝 植芝吉祥丸著 出版芸術社 平成11年4月 第一刷発行
アレクサンドロス大王物語(伝カリステネス) 橋本隆夫訳 国文社 2000年7月 第1刷発行
図説アレクサンドロス大王 森谷公俊著 河出書房新社 2013年12月 初版発行
アレクサンドロス大王東征を掘る エドヴァルト・ルトヴェラゼ著 帯谷知可訳 NHK出版協会2006年5月初版
アレキサンダー大王―未完の世界帝国 ピエール・ブリアン著 桜井・福田訳 創元社1991年9月第一刷発行