佐野亜香里
「好景気の中では、ほとんどの人が何らかの分野で活躍することができます。
ややこしい時間帯にややこしい場所で潔くタクシーを止めるだけで月収50万円とか貰えたりしていた時期もありました。
しかし不景気になったとたんに手の平返しにあう。
これはおかしいと思いませんか?」
私に声をかけてアンケートを募集したその女性は、アメリカの有名大学に在籍しつつ、社会福祉の現場でアルバイトをしているという。
彼女は佐野亜香里という名前だった。
年が近く、下の名前が偶然にも同じだったので、私たちはすぐに打ち解けることができた。
「給料50万円ももらえれば、嫌な上司でも我慢できる。そうじゃないですか?
そうですよね?
ね?」
熱血的に顔を近づけてそう言われると、NOとは言えないのは私が生粋の日本人だからだろうか。
「まあ……はい……。
確かに好景気なら、多少、嫌なことがあっても働けると思います」
二段階資本主義社会を要約すると、
好景気の時は放置プレイ。
労働者には比較的に自由に経済活動をしてもらう。
しかし不景気に入ったと判断できた場合は、できるだけ多くの国民をライン型幾何学都市内部に収容し、徹底的に休息をとらせるというものだった。
不景気というものはお金という血流が悪くなっている時期なので、そのような体調不良時に動き回ったり暴れたりすることは死につながるのだと。
要するに不景気になって精神病院や刑務所や公園のテントに国民を放流するいままでのやり方の一歩手前にライン型幾何学都市というセーフティーネットを設置しましょうということだった。
「二段階ね……いい考えだと思いますけど。
みんな、賛成するんじゃないですか?」
私が考えながらそう返事をすると、佐野さんは首を横に振った。
「それが、そうでも無いんですよね。
今、世界の情勢は極端な方向に動こうとしています。
私たちの考えでは、旧市街地とライン型幾何学都市の両方を維持していくのが経済的にもベストなんですけど、主に貧しい地域の住民や発展途上国では、都市の形を全部、ライン型幾何学都市にするべきだと、そういうことを言い出す人が増えてきています。
他にもビーガンの人や熱心な宗教活動者たちも、自然破壊を行いにくいライン型幾何学都市に統一するべきだと、そういう声を徐々に上げてきています」
「……全部こうしちゃうと、雇用問題が破綻すると思うんですけど。
大工さんとか土方の人の仕事が無くなりますが?」
もっとも、掘っ立て小屋や、日干し煉瓦の家に住んでいる人から見れば、そんな雇用はいらないからライン型幾何学都市にしてくれと言い出す気持ちはわからなくもないが。
「それはスポーツ経済や読書経済を発展させることで何とかなるという、そういうスーパーコンピューターでの演算結果がもうすでに出ています」
……なんとかなるのか。
……本当かしら?
適当ぶっこいているんじゃないかしら?
「個人的にはそれは嫌いじゃないんですけど、それでも例えば、このまま旧市街を発展させることで生み出される新技術なんかもあると思うんですけど、そういうのはすべて放棄するということなんでしょうか?」
「そういう技術開発などは今までのように国民に自由にやらせるのではなく、AIを駆使して政府主導で効率的に行えばいい、という声が大多数になっています」
それは旧社会主義国陣営がさんざんやって、大失敗に終わったことがあったような気がするが……
「社会主義みたいですね」
「そうなのです。
彼らの考え方は社会主義なのです。
しかし彼らの主張にも一理あるので、厄介な問題に発展してきているのです。
たとえば、日本の過激な主張派の言い分に、このようなものがあります。
すべての街をライン型幾何学都市に変更して、余った土地で米とサツマイモを栽培すれば、大飢饉にも対抗できるうえに、バイオエタノールで石油の輸入をゼロにすることができる。
その分、日本はますます豊かになれるのだと」
……産油国との友好関係の維持による国益という観点が完全に抜けている。
それに……
「土地の所有権とか……司法書士とか不動産屋さんの雇用はどうするつもりなんでしょうか?」
「土地と国民のつながりを排除して、失業者は全員【読書経済】に流し込んで処理するそうです」
私は少しだけ吹き出してしまった。
法の隙間をかいくぐって悪質な取引を繰り返している不動産屋さんたちが、おとなしく読書だけしているだろうか?
とても不可能な気がするが……。
「でも、そういう動きがあるのは良いことじゃないですか?
みんなが同じ意見でプールの水みたいになっているよりも、海流みたいで、動きがあるのは面白い気がします」
私はそう言いつつ、今度、図書室で世界情勢について本格的に調べてみようと思った。
「アンケートにご協力いただきまして、ありがとうございました。
それと……もしよろしければ、今後も個人的に情報交換などさせていただけますと嬉しいです……」
佐野さんは最後に私をまっすぐ見つめながら、しかし多少小声でそう言った。
私は思わず笑顔になって、
「もちろん。こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って、私たちは握手を交わした。
本日の昼食は細長いレーズンパン2個だった。




