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王宮侍女アンナの日常  作者: 腹黒兎


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番外編 王宮侍女と虫取りの博士

「王宮侍女アンナの日常」2巻発売記念SS

アンナがまだ貴賓室で働いていた時のお話です。



夏の短い社交シーズン中は舞踏会や晩餐会、お茶会など様々なイベントがある。

その中でも、夏の終わり頃に開かれる褒章・叙勲を授ける式典では平民が受章することもある。ほとんどが学者だが、たまに兵士もいたりする。

その式典を目前にして、貴賓室に宿泊したのは名のある数学者だった。なんかすごい難しい問題を解いた功績で褒章を受けるらしい。

らしいというのは、リンデルさんもミレーヌさんも詳しいことは知らなかったからだ。詳しく説明されても分かる気がしないけど。

そして、なぜかというか、やっぱりというか、私が担当になった。二人に頼まれたら嫌とは言えない。

私も気難しい人は得意じゃないんですよぉ。

って言えないよね。下っ端は辛い。


数学者のカール・ヤコブ・ヤコビ・モルガン・ペクターン・アイリッシュ・ラプストという、呆れるぐらい長い名前の彼は、痩せ気味の眼光鋭い中年男性だった。

顔も体型も突出したところはなく普通だが、眉毛が太くて短い。多分、十人中九人は眉毛に目がいくと思う。普通の人の倍以上の太さがあり、眉頭が近い。なんなら産毛で繋がってるんじゃないかと思えるほどだ。長さなんて目の半分ぐらいしかない。

なんでそんなに存在感があるんだ。目の色とか顔とか頭に入らない。脳内に眉毛だけがインプットされている。


「私、アンナ・ロットマンと申します。ご用がございましたら、こちらのベルを鳴らしてお呼びください」


挨拶するも、眉毛………カール博士はジッと私を見ると「五か……」と言って椅子に座って分厚い本を読み始めてしまった。

五って、なに?

王宮侍女にあるまじき事だが、呆気に取られてしまった。


「あ、す、すみません。博士って頭はいいんですけど、一般常識は本当にポンコツでして」


ぺこぺこと頭を下げて謝るのは、弟子のライヒェンという青年だった。平民だが富裕層に生まれたカール博士の為に雇われた弟子兼使用人らしい。

確かに、あれじゃ生活力は無さそうだ。

マイペースなカール博士はそのままにして、私はライヒェンに一通り説明をして部屋を後にした。

結局「五」の意味は分からなかったが、聞いたところで理解できる気もしない。

忘れよう。うん。それがいい。


授章式は明日の予定なので、宿泊は今日だけの予定だ。早朝に準備して、呼ばれるまで控え室でずっと待つのだ。

すごい功績を残しても平民だから待たされるとか割に合わない気がする。まぁ、カール博士なら待っている間も小難しいことを考えていそうだけども。

支度や世話はライヒェンがやるから、私の出番は少ないのがありがたい。身支度とか慣れた人の方がいいもんね。

意外と楽かも?と気を抜いたのが悪かったのか、呼び出された先でライヒェンから平身低頭で拝まれた。


「すみません。ほんっとーおに、申し訳ありませんっ!」


両手で拝みながら頭を下げるという器用な真似をした彼は、今から家に戻らなきゃいけないと言う。


「博士が、明日履く靴の代わりに資料と本を入れてしまって、今から靴を取りに行ってきます」

「靴だけでしたら、借りて来ましょうか?」


デザインの違いに目を瞑れば、靴を借りるぐらいわけはない。なんせ王宮は人数はいるのだ。同じサイズの人なんて両手以上いるだろう。

私の申し出にライヒェンは困りきった顔で首を横に振った。


「うちの博士は、変に潔癖で、自分の物しか着れないんです」


部屋が汚くても頓着しないくせに。

小さく呟いた言葉はバッチリと聞こえた。

謎のマイルールとは厄介な。

ライヒェンは注意事項として、カール博士は本を読んでいたり書き物をしていると集中しすぎて周囲の音が聞こえなくなることがあると言う。用事がある時は、体に優しく触れたり少し大きな声で話かけるといいそうだ。叩いたりして書いている字が乱れたりすると、無言で怒って大層面倒なことになるらしい。

基本放置で良いので。と、雑な扱いをする弟子兼使用人を見送る。

カール博士の自宅は王都の端にあるらしい。辻馬車に乗って行くので、帰ってくるのに時間がかかる。うまく乗れたらいいけど、恐らく夜になるだろう。

受章者のカール博士なら馬車を借りられたかもしれないが、弟子だけでは少し難しい。後援してくれる貴族に連絡する手もあるが、確率的に半々かそれ以下なら時間をかけるだけ無駄になりそうだもんね。

せめて近場で確実に乗れそうな乗り場を教えておいた。あとは運と脚力だ。


基本的に放置と言われていたが、気になって様子を見に行った。博士はぶつぶつと呟きながら数式を書き殴っていた。

ちょっと狂気じみていて声をかけるのも躊躇う様子だが、グッと腹に力をいれて耐える。


「よろしければ、お茶をご用意いたしましょうか?」

「……………」

「あの、軽食もご用意できますが」

「ダメだ。ダメだ、ダメだ!美しくない。こんな数式は数学に対する冒涜だ。ゴミだ、ゴミ。…‥なんて、なんて、醜いんだ……」


突然紙を握りつぶして捨てると、泣き出した。

泣き出したよ、博士。え?どうすんの、これ。

とりあえずハンカチを差し出すが、気づかないのか頭を抱え込んで泣いている。

大の大人がぐすぐすと子供のように泣く姿に困惑しながらも、表情を取り繕ってそっと肩に触れた。


「カール博士。ハンカチをどうぞ」


目の前に差し出せば、今度は視界に入ったのか嗚咽を漏らしながら手に取ってくれた。

……あ、鼻水もですか。そうですか。いいんです、いいんです。差し上げますから。

もう一枚必要ですか、そうですか。ええ、ありますとも。

これ、経費で賄えないかなぁ。


「ぐすっ、ふぐぅ、んぐっ」


泣き声が独特だなぁと見守っていたら、小さな虫がふよふよと博士の周りを飛んでいた。

落ちたインクのシミよりも小さな虫だ。いつもなら手で叩いて潰すのだが、お客様の前でそんなことはできない。

どうしようと迷っているうちに小さな虫はカール博士の立派すぎる眉毛の森に入ってしまった。


「……………」


出てこない。

目を凝らして見守っていたが虫が飛び立っていく様は見られなかった。

……害はなさそうだし、顔を洗った時に流れていくかもしれないし、うん、まぁ、大丈夫だろう。


「どうしたのかね?」


カール博士が真っ赤な目で私の手を不思議そうに見ていた。無意識に叩き潰すポーズになっていたらしい。


「いえ、その、これは……そう、気分転換にお庭を散策されてみてはいかがでしょう。こちらの窓からもご覧になれますが、間近で季節の花々を楽しまれるのも良いかと思います」


咄嗟に手をパチンと打ちつけ、庭園が見える窓を指し示す。

誤魔化せた?誤魔化せたよね。ナイス、私。

カール博士は思いっきり鼻をかんだあとに立つと、ふらふらと窓に近づいていく。


「庭か…………」


花の盛りとはいかないが庭師が毎日手入れをしている庭は、歩けば剪定で形作られた庭木や花のアーチなどで楽しめ、上から見ればシンメトリーに描かれた模様が楽しめる。王宮自慢の庭である。

気乗りしなさそうに窓辺から庭を見ていたカール博士は、何かに気がついたのか窓に手を当ててへばりついた。

…‥何してんだ。


どうかされましたか(気は確か)?」

「すごい……すごいぞ。ゲラーの定理を応用すれば………いや、nを……して」


カール博士。おーい。……ダメだ、聞いちゃいない。

ぶつぶつと呟いていたかと思うと「そうか!」と大声をあげるので思わず飛び上がった。


「そう!そうなんだ。やはり、無理に当て嵌めたから歪だったんだ。ゲラーだ、ゲラーだったのか」


博士は大興奮で戻ってくると机にドカリと座り、何かを一心不乱に書き始めた。

たぶん、数式なのだろう。数と記号が羅列しているだけで、さっぱり分からない。

少年のように目を輝かせ、頰を紅潮させた博士にはもう何も聞こえていないようだった。

あー……うん。私ができることはないね。

様子を見てからそっと部屋を後にした。

その後、思ったよりも早めに戻ってきたライヒェンがカール博士のお世話をしていたので、担当といえど私の出る幕は本当に最低限となった。


翌日、博士を後援している伯爵と共に一張羅を着たカール博士とライヒェンを見送れば、私の仕事はほぼ終わりである。

片付けをする為に部屋に入り、リネンの交換をしていく。紙屑が大量に落ちている以外は綺麗なものだ。

剥がしたシーツをカートに入れ、ゆっくりと背伸びをする。その時、目の前の壁紙がくすんで見えた。日陰のせいかとも思ったけれど、やっぱりちょっと違う。


「……え?………はあぁぁぁあ!?」


近づいて見れば、その壁一面によく分からない数式が書かれていたのである。

え?ちょ、ちょっと待って。これ、ペンで書いてない?書いてるよね。インクじゃん。落ちないじゃん。


「なにしてくれてんの……」


眉毛。おいこら、眉毛。戻って説明しろ。

ライヒェンも戻って説明しろ。博士の後始末が仕事だろ。いや、こうならないように付き添ってるんじゃないのか。

呆気に取られた後にリンデルさんたちに相談すれば、侍女頭や侍女長に侍従長までやってくる大事にまで発展してしまった。

文官たちがやってきて、博士が発表した論文と照らし合わせたりした結果、壁に書いた数式は博士が解いた難しい問題をさらに改良したものだと分かり、一部の人が「なんて美しい数式だ」と狂喜乱舞していた。

全く意味が分からない。

私にとってはただの落書きだが、素晴らしい偉業だというのだ。……………雑巾で消そうとしなくて良かった。

その後、この部屋は、百年以上解けなかったなんたらの定理を証明したカール博士の偉業を讃える部屋として後世まで残されることとなったのである。


余談だが、カール博士について問われることが何度かあったのだが、正直、虫が飛び込んだ眉毛ぐらいしか覚えていなくて返答に大層困った。


「王宮侍女アンナの日常」2巻でP202とP204で王太子の名前がセオドアではなくオーガストになっていました。

すみません。脳内変換でよろしくお願いします。

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[良い点] 数学者はねぇ、変人の多い理系の中でもダントツに変人が多い分野と言われますし。 理系小話でもいろいろ言われています。 [気になる点] 五はこの世界でのタクシー数みたいなものなのでしょうか? …
[良い点] 数学者さんは変で困った人ですが、悪人じゃないし王宮名物を作ったんだから、まあ良し!ですね。面白かったです! [気になる点] 後書きを見て2巻を見直したところ、P209とP211でもオーガス…
[良い点] 数学者あるある? 変人が多いとされる数学者ですが、カール・ヤコブ・ヤコビ・モルガン・ペクターン・アイリッシュ・ラプスト博士は全年齢対応型の変人(非変態!)枠で逆にちょっと残念? いやここは…
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