番外編 王宮侍女と街デート
「王宮侍女アンナの日常」2巻発売記念SS
王太子の専属侍女の時も忙しかったが、殿下が国王に即位してマルグリッドさんも辞職した現在、更に忙しくなった私が街に行く機会はほぼない。たまの外出は「夜のお茶会」ぐらいで、ほぼ王宮と新居の往復で一日が終わっている。朝早く王宮に行き、夜に帰ってくる。新居なのにほぼ寝るだけと化している勿体なさ。
ルカリオも私も仕方ないと分かっている。この忙しい時期に結婚したんだから、そのへんは諦めるべきなんだろうけど、ちょっとなぁと不満があるのは仕方ない。新婚だから。
そのせいか、訳もなく街へ行きたくなってうずうずしてしまった。
買いたい物は御用達の商会に頼めるのだが、あれこれ見比べてみたり、目についた店にふらりと入ったりしてみたい。ぶらり街歩きがしたい。
まぁ、そんな暇ないんだけどね。言ってみただけさ。
多忙だけど、休みはある。結構な確率で潰れるけど、あることはある。ただ、疲れて昼まで寝てしまうと出かける気がなくなっちゃうんだよね。ルカリオとだらだら過ごすのも楽しいから、まぁいいや。
結果、特に変わり映えもなく日々は過ぎていった。
そんなある日、ルカリオと休みを合わせて街に行く機会が巡ってきた。
国王から、王妃へのサプライズプレゼントを受け取りに行くついでにふたりでデートでもしてこいと言われた。
もちろん二つ返事でお受けました。
久々の外出でやってきたのは何度もきた商会が立ち並ぶ大通り。
約半年ぶりのお出かけが楽しみで、休みなのに朝早く目が覚めてしまった。…子どもか。
だって久々のまともなデートなんだもん。
「どこに行きましょうか」
うきうきとルカリオに話しかける。頼まれた品物は持ち歩くのが怖いので、後回しにする。
とりあえず目的もなく通りを歩き始める。
建物は変わらないが、中の店舗は入れ替わったお店もあって見るだけでも楽しい。
つい最近、第三王女が帝国の第五皇子に嫁いだせいか、帝国の商品が多い。
特に帝国産の火酒は密かに人気が出ている。実はうちにも一瓶置いてある。ルカリオが気に入って買ってきたのだが、あれ度数が高いせいか飲むとすぐ酔っちゃうんだよね。飲んだ後のことをあまり覚えてないし。飲まないようにするべきか、耐性を付けるためにも飲むべきか。迷うなぁ。
帝国は美容大国なこともあり、他にも美容関係の種類も増えた。泥パックは流石にないが、化粧品や美容器具は上位貴族に大人気になっている。輸入品だからお値段も張るもんね。
美容品の力の入れ具合に外務省の面々の努力というか気概を感じる。
「あ、この色素敵」
ルカリオに似合いそうな口紅を発見。
「こちらはアンナに似合いそうですね」
「似合うかな?」
「思わずキスしたくなるぐらいには、似合うと思いますよ」
うぎゅ…。
人前で、店の中で、なにを言っちゃってくれるのかな。
「チークが要らないぐらい染まりましたね」
誰のせいだと。
嬉しそうに頰を触る手を軽く叩いて睨むと嬉しそうに微笑まれた。
ルカリオは私の泣き顔が好きだというが、怒っても拗ねても喜ぶ。もちろん笑っても喜ぶ。
彼のツボが未だに良く分からない。
ちなみに口紅はどちらも購入した。
ランチはテラス席で、軽食を頼んだ。私が頼んだのはシェフが気まぐれで作ったサラダと野菜とハムを挟んだベーグルで、ルカリオはチキンと野菜のベーグルだ。
「食欲がありませんか」
サラダをつつきながら。なかなか食べようとしない私を心配そうに見る。
「そういうわけじゃないけれど…」
お腹は空いている。空いているけど食べる気にならない。
食べ物にも変化があって、濃い味が苦手になってきた。肉は食べたい。だけど、いざ濃いソースがかかった肉の匂いを嗅ぐと胸焼けがするようになったのだ。
これが噂に聞く「年かしらね。重いものが食べられないのよ」と年配者が嘆く加齢⁉
えぇ、私、もうそんな年?うそぉ…。
「具合が悪いなら、今度医務官に診ていただきましょう」
「そうですね…」
病気かぁ。それは嫌だけど、なにかあってからじゃ遅いもんね。仕方ない。
できればネクロズ医師以外でお願いしたい。
ネクロズ医師は、腕は文句なしに良いのだが、見かけは陰鬱としていて酷い怪我や病気の時こそ活き活きとするような人だ。以前、切り傷を処置してもらった時は、なんとも言えないつまらなそうな顔をしていた。
意図せずに仲良くなった天使のような双子が、そんな医師と美少女のような奥さんの子どもだと知った時は間抜けにも口が開きっぱなしだった。
ネクロズ医師が非番の日に行こう。絶対に。
なんだか胸焼けがして、せっかくのランチを少し残してしまった。
本当にどこか悪いのかもしれない。体は健康で調子悪くもないんだけどなぁ。
アトリエ・ダラパールの店舗を遠目に見つけ、ロッティちゃんやジュディちゃんは元気かと思いを馳せる。……うん。顔を出した瞬間にダメ出しを食らいそうだから、止めておこう。
前よりもマシになったんだけど、本職からみるとまだまだらしい。厳しい。
通りを歩いていると、向かいから大柄な男性がずんずんと近づいてくる。その人は私の前で止まると、無言で見下ろしてきた。
デカい。
背も高いが、横もデカい。騎士団長ほどではないが、大柄だ。
「なにかご用ですか?」
見上げていたら、さっとルカリオが背中に庇ってくれた。
私の旦那様ったら格好いい。
「あ、いや。ちょっと知ってる奴に似ている気がして……すまんがちょっと見せてくれ」
「なんですか。不躾な方ですね。自分の妻を妙な人に会わせる訳がないでしょう」
「いや、そんなつもりじゃなくてな。あぁ、大丈夫だ。俺は妻帯者だし、妻以外に惚れることはないから」
慌てる声に聞き覚えがある。前のことだから、記憶があやしいが、この声は…
「えっと、コディアックさん…?」
ルカリオさんの後ろから顔を覗かせる。
大きな体格と逞しい腕、だが以前熊に見間違えたその顔にもじゃもじゃな髭がない。代わりに、ふたつに割れた顎や分厚い唇があった。
「毛が、ないですよ?」
抜け毛?……違う、剃ったのか。
髭の有る無しで印象がこうも変わるのか。
「やっぱり、あの時の嬢ちゃんか」
私の顔を見て、大柄な熊から人間に進化したコディアックさんが破顔した。
「知り合いですか?」
「えっと、デザイナーさんです」
さすがに、下着デザイナーとは言いづらい。しかも女性用。一応無害ですよ?と伝えると、ルカリオは体を少しずらしたが、ぴったりとくっついている。
「どうかされましたか?」
「いや、礼を言いたくてな」
「お礼は、前に頂きましたよ?」
私でインスピレーションが湧いたからと、お礼とプレゼントまで貰っている。
私の体型を見て湧いたインスピレーションが、自然体をコンセプトにしたナイトランジェリーだとしても、別に怒ったりしないさ。
「あの後、君を思い出して新しいデザインが浮かんだんだ。これが好評でな。今も納品に行ってきた帰りなんだ」
「へぇ。おめでとうございます?」
私はなにもしてないので、お礼を言われても返答に困る。
「試作品で悪いが、結婚していたのなら都合が良い。役立ててくれ」
コディアックさんは懐から茶色の紙袋を差し出してきた。ほんのりぬくいのがなんとも言えない。だがそれはルカリオがひょいっと持ってくれた。
言うだけ言って満足したのか、コディアックさんはさっさっと立ち去って行った。
熊の足は速いと聞いたけど、本当だな。
横を見ると、ルカリオが真顔で紙袋の中身を見ていた。
「それ、なんでした?」
また飴かなにかだろうか。
ルカリオは流れるような手つきで封を戻すと、手の平ほどの大きさのそれを服の内ポケットに入れてしまった。
「こんな往来じゃなんですから、帰って使いましょうね」
「あ、はい…」
使う?食べ物じゃないのか。なんだろう?
疑問に思いながらも王妃へのプレゼントを受け取りに行く時間になり、紙袋のことは忘れていた。
思い出したのは、夜にふたりでくっついてだらだらしていた時だった。
そういえば、あの紙袋は何だったのかと聞けば、ルカリオは紙袋を持ってきて私の前に置いた。取ろうとすると、なぜかルカリオが紙袋の上に手を置く。
「アンナは、人の好意を無下にはしませんよね?」
「そう、ですね」
普通、そうじゃないの?
「せっかく頂いたものですから、ちゃんと使いますよね?」
なんだろう。嫌な予感がする。
「物によりますよね?とりあえずそれを見せてください」
取ろうとすると、ルカリオがさっと取り上げる。それを奪おうとのし掛かれば、後ろに隠される。私がもらった物なのに、奪い合うこと数分。見事勝利した私は紙袋を開いた。
紙袋に入っていたのは、口に出すのも憚られる下着のセットだった。
「却下ぁ‼」
即座に拒否した私と、潤んだ目で可愛くお強請りするルカリオの攻防は夜遅くまで続いたのである。
「王宮侍女アンナの日常」2巻が発売となりました。どうぞよろしくお願いします。