番外編. 母の想い
朝食を食べている最中に、ヘレンがバタバタと足音を荒げてやってきた。
「大変ですっ。ジョン爺さんのとこの牛が逃げ出しました!」
あら、また?
口に入っていたスープを嚥下しているうちに、頼もしいカインが逃げた時間や頭数を問いかけながら歩き出す。
急いで口の中を空にして「いってらっしゃい」と声をかけた。食堂を出る寸前だったカインは、顔だけ戻して「いってきます」と返事をしてくれた。
「これで何度目かしら。ジョンも高齢なのだから、もう少し人手を入れてくれればいいのだけれど」
こだわりのあるジョンは好き嫌いが激しく、人手がいつも足りてない。
「奥さんがご存命の時はまだ良かったんですけどねぇ。あの人、気難しいから慣れなた人でないと難しいでしょうね」
「人を雇うのが無理なら、柵を新しくしたらどうかしら」
「そういうのはジョン爺さんが考えることで、若奥様の仕事じゃございませんよ」
カインの皿を片付けながら、マルムが小さく笑って釘を刺してくる。
なにもかも手を出してはいけないけれど、改善案があるなら旦那様に言ってみてはダメかしら。
お金は出せないけれど、旦那様なら率先して柵を作るお手伝いに行きそうだわ。
容易く想像できる姿に笑みが溢れる。
「王都は天気が良いかしらね」
「そうですねぇ。晴れると良いですね」
今日は王都で、アンナちゃんの結婚式が行われる。それに出席する為に旦那様はお義父様と王都に行っている。
式は午前中だと聞いているから、今は準備で大忙しでしょうね。
妊娠中の有り余る時間の中で作ったウエディングドレスはなかなかの大作となった。縁起の良い意匠を散りばめた刺繍が予想よりも多くなりその分重さも増してしまったけれど、アンナちゃんなら大丈夫よね。サイズ変更もできるように作ったし、多少重くてもなんとかなるわ。だって結婚式ですもの。
本当はこの目で見たかったけれど、乳飲み子もいるから無理だものね。残念だわ。
でも、今度帰ってくる時にこちらでも着てくれないかしら?カインだってマルムたちだって見たいはずよ。
そうと決まったらお手紙を書いておかなきゃ。
朝食を終えて二階の自室へと向かう。
部屋では愛おしい娘がくぅくぅと寝息をたてている。
飽きることなく見ていられる愛らしさに、私だけでなく皆が夢中になっている。
「……はっ。いけないわ。お手紙を書かなきゃ」
つい魅入ってしまったわ。
寝ているだけなのに、どうしてこんなにも可愛らしいのかしら。
娘を起こさないように手紙を書く準備をする。
先ずはお祝いの言葉でしょう。それからショーンやマルムたちが嬉し泣きしていたこと。こちらにくる時はウエディングドレスを着てみせて欲しいこと。
新婚生活に不安はないかしら。王宮で働いているんですもの、忙しいでしょうから少しは手を抜いても構わないと思うわ。
ああ、そうだわ。簡単にできる料理のレシピも書いておきましょう。手間暇をかけずにできるものがいいわね。でも、もしかしたらキッチンメイドを雇っているかもしれないわね。まぁ、いいわ。知っていて困ることはないものね。
そうそう。こちらに来るまでに刺繍をしてきてもらいましょう。何がいいかしら。ベッドカバーは大きすぎるかしら。ソファーカバーぐらいが適当かしらね。
そういえば、アンナちゃんはレース編みはどの程度できるのかしら?赤ちゃんが生まれたら、準備する物もたくさんあるものね。今から練習しておかなきゃ。ベビードレスは早いかしら。おくるみなら早くても困らないわね。
そうね、レースのおくるみにしましょう。
ふふふ。楽しみだわ。どんな作品を作ってきてくれるのかしら。
人に言ったからには、自分も何か作っておこうかしら。と考えた時、物が落ちる音と小さく声が聞こえた。あの声はマルム?
娘がぐずったが、声をかけながらあやすと再び寝てくれた。
丸く愛らしい頭にキスを落として部屋を出れば、荒げているようなマルムの声が聞こえた。
玄関ホールへと続く階段までやってくると、マルムが玄関ホールでどこかの女性と話をしている。
「いまさら何をしにいらしたんですかっ」
女性の声はよく聞こえないが、背格好や声から私よりも年上のようだ。
「出て行ってください。はやく!」
激昂するマルムなど初めて見たかもしれないが、呑気に見物しているわけにはいかない。
姿勢を正してマルムに声をかけた。
「お客様かしら?マルム」
マルムが慌てて振り返った時、女性の顔が見えた。そして、マルムが怒っていた理由がなんとなく理解できた。
「若、奥さま……」
困惑と怒りがないまぜになって泣きそうなマルムだが、私の視線は背後の女性に釘付けになっていた。
帽子を脱いだその顔が似ている。
カレンに。そしてカインに。
「ラムスはいないのかしら?」
当然のように義父の名を呼び捨てにする態度に、私の腹は決まった。
階段を下りてホールへ向かえば、義理の兄弟に似た女性がよく見えた。
「お義父様のお知り合いのかたでしょうか?生憎と用事で出ておりますので、言伝などがあれば私が承りますわ」
「けっこうよ。言いたいことは自分の口から伝えるわ。それで?いつ戻ってくるの?」
憤って口を開きかけたマルムを片手で制する。今にも胸倉を掴んでしまいそうな物騒な雰囲気だったのに、射殺すような視線だけで我慢してくれている。
「立ち話はなんですから、こちらへどうぞ」
「若奥様っ!?」
中に入れるのかと驚くマルムには悪いけれど、このまま玄関にいては誰に会うか分からない。女性が直ぐに帰りそうにないのなら、せめて出かけたカインと出会う可能性を低くしたい。
マルムにショーンを呼んでくるようにこっそりと頼む。
「それと、誰も近づけないでちょうだい」
主に、出かけているカインを。と言外の意味を理解してくれたのか、マルムが無言で頷いてくれた。
勧めてもいないのに慣れた様子でソファーに座る様子に内心呆れながらも向かいに座る。
周囲をぐるりと見回して「全然変わってないわね」と嫌そうに眉を顰めた。
この部屋の家具は年代物で古く見えるが、質は良いし手入れはしっかりしてある。丸みのあるフォルムやワンポイントに入っている葡萄の装飾はとても可愛いと思う。
この可愛さがわからないなんて、私とは趣味が合わなそうだわ。
嫁と姑として対峙しなかったことを喜ぶべきか悩んでいるとノックの音がし、許可をするとショーンが入ってきた。彼も女性を見て目を見開いたが、声は出さなかった。
「奥様、御用でしょうか」
「ええ。こちらのかたがお義父様を訪ねてらしたのだけれど、私は面識のないかただから貴方を呼んだのよ。ご存知?」
いつもの「若奥様」呼びから「奥様」に切り替えたのは、ショーンなりに思うところがあったのかもしれない。
ショーンはジッと女性を見た後にゆるりと首を横に振った。
「残念ながら私も覚えのないかたのようです」
「は!?何言ってるのよ」
「そうおっしゃられても、知らないものは知りません」
「………耄碌したようね、ショーン」
女性は憎々しげにショーンを一度睨みつける。腕を組んで背もたれに体を預ける様は決して客の態度ではない。
「それで?ラムスはいないの?ゲイルもカインも?」
「皆様出払っております」
「ご用向きは私がお伺いしますわ」
しれっと答えるショーンに続き、私がニコリと微笑む。いたとしても、会わせる気などさらさらないけれどね。
女性は舌打ちをすると、考え込むように組んだ腕を指でトントンと叩いている。
「男爵様はしばらくお戻りになりません」
ショーンの言葉を聞いてグッと眉間の皺が深くなる。
この方、何をしに来たのかしら。十五年も前に出て行った家に、どんな用があるというのかしら。
身なりはそんなに悪くはない。手は荒れているが、爪の状態は悪くない。窮状してお金の無心にきたというわけではなさそう。では罪悪感?里心?
「本当にいないのね」
忌々しそうに嘆息してから私をジッと見つめてくる。真偽を測っているのか分からないが、私も女性の目を見つめ返す。
「おりません。ですが、いたとしても貴女に会わせるつもりはございません」
「貴女にそんな権利があるとでも?」
「権利も義務も放り出したかたに責められる謂れはございません。私は、この家の女主人です。家族を守る責務がございます」
しばらく睨み合ったが、女性がバカにするように鼻で笑うと立ち上がった。
「いないなら、もういいわ。いつまでも待てるほど暇じゃないのよ」
「では、お互いの為にも速やかにお帰りくださいませ」
「……私が姑だったら貴女みたいな嫁はお断りだわ」
「あら。そんなお姑さんがいなくて、私とても幸運でしたわ」
娘の寝顔を思い出しながら、幸せいっぱいに微笑んでみせる。
貴女が捨てたもの、置いていったもの、全部惜しんでお帰りになればいいのに。
ふん。と鼻を鳴らして扉へと向かう。立ち上がって後を追えば、扉の前でピタリと足を止めた。
「こんな田舎、もう二度と来ないわ」
怒ったようにも悔しそうにも見える表情には既視感があった。カレンが結婚した夜に拗ねたようなアンナちゃんの顔が浮かんだ。
だからなのか、つい聞いてしまった。
「どこかに行かれるのですか?」
聞かれるとは思ってなかったのか、少し驚いた顔をして振り返る。
「海を渡るのよ。だから………こんなしみったれた田舎になんて、二度と来ないわよ」
躊躇ってからぼそりと呟いたあと、怒ったように声を荒げると応接室の扉を開けて足早に出てしまった。
海を渡るということは、西のクレール海を渡るのかしら。それとも、キノウ公国の南のニイルガナ海?
二度と来ない場所に、わざわざやって来た。その行動の意味に、言いようのない不快感が湧き起こる。
グッと唇を引き結び、女性の後を追った。玄関扉を開けようとしている女性を見て、咄嗟に声をかける。
「今日は、アンナちゃんの結婚式です。だから、みんな王都に行かれてるんです」
振り返った女性は無表情のまま私を見て、固まったように動かない。
「カレンも結婚しました。もう子供も生まれてます。カインの結婚ももうすぐです。ゲイルと私の間にも子供が生まれました。家族が増えてお義父様も幸せそうです」
そう。幸せなの。みんな。みんな。
「お義母さんがいなくても、私たちはみんな幸せなんですっ!」
女性は握りしめていた帽子を乱暴に被って玄関扉から出て行った。ほんの少しだけ嬉しそうに見えたのは私の気のせいかもしれない。
みんなの事を教えるつもりなんてなかった。
惜しんで、悔しがって欲しかった。
「奥様……」
「後で色々と聞きたいことがあるわ。教えてくれる?」
ショーンに尋ねると「後でお部屋に伺います」と告げて外へと出た。
私は自室に戻り、あんな騒動があったのにも関わらずすやすやと寝ている娘を見て気が抜けてしまった。
どうして、あの人は家族を捨てて家を出て行ってしまったのだろう。そんなにも激しい恋に落ちたというのだろうか。
自分が知る恋は穏やかで、優しくて、ほんの少し意地悪だった。
こんなに可愛い子どもを残していくなんて理解できない。
「理解なんて、したくもないわ……」
まろやかな頰に、小さな指、細い髪の毛、キラキラと光る目。泣いても、笑っても、寝ていても、どんな時も愛おしくてたまらない。
ぐずって泣き止まなかったり、原因もわからず泣いたりして困らせてくるけど、それでも愛おしい。
彼女にもそう思った時があったのかもしれない。
心の奥に残っていたから、一目だけでも会いに来たのかもしれない。もしかしたら、謝罪だったのかもしれない。
そうならば、気持ちは分からなくもない。
でも、そんなことで許したりなんてしないわ。
あの後、ジョンの放牧地の柵作りまで手伝って遅くなったカインが帰ってきて、ショーンと話せたのは夕飯も済ませた夜になってからだった。
浮気して駆け落ちしてしまった彼女は亡くなっていなかった。
ご実家の両親は、お義父様に泣いて謝罪したり、ショックで倒れたりと大変だったらしい。「勘当する」と息巻くご両親との話し合いの末に、事故死として届け出ることで決着がついたのだという。
向こうはお兄さんが後を継いでいるが、申し訳なさからかほぼ交流はない。季節の挨拶ぐらいで、それもそっけないと感じるほど簡素なものだった。
どうりで親戚付き合いが少ないと思った。
このことを知っているのは、お義父様以外はショーンとマルムしかいない。
あの人が来たことを二人には固く口止めをした。
もしかしたら、ひどいことをしたのかもしれない。
お義父様や旦那様たちは、もしかしたら会いたかったかもしれない。
でも、嫌だった。子どもを捨てていくような人に会わせたくなかった。それに、彼女の罪悪感を軽くしてやりたくもない。
悪女と言われても構わないわ。同じ母親として、どうしても、許せないんですもの。
腕の中でようやく寝てくれた娘を起こさないようにゆっくりとベビーベッドへ寝かす。
いつも娘の寝顔を見てはニヤけていた旦那様は今日はいない。
王都でもう寝ているかしら。それとも、お義父様と飲んでいるかしら。
そういえば、今日の為に作ったナイトウェアはちゃんと渡してくれたかしら?
ウエディングヴェールと同じ総レースで作ってみたけれど、ちょっと刺激的だったかもしれないわ。
今度あった時に感想を聞いてみましょう。ガルシアン卿に。
ナイトウェアはゲイルからルカリオに渡されています。
アンナに渡すと着ない可能性があるので。
ゲイルは箱の中身を知りません。




