75.王宮侍女はやり返す
足の裏は浅く切れていただけで縫うほどではなかった。軽傷とはいえ痛いものは痛い。嬉々として念入りに消毒をする医務官の顔を蹴りかけたが、ルカリオさんの腕に抱きついて我慢した。誰か褒めて。
きつく包帯を巻かれて治療は終わったが、あまり歩かないように注意され、また明日来いと言う。
どうやって移動しろと?
「大丈夫です。貴賓室を一部屋借りますから」
「……え?」
なんで貴賓室。私の部屋はグロリナス宮殿にあるよ?
「この足で仕事はできませんし、私がグロリナス宮殿を出入りするわけにもいきませんから、貴賓室が妥当ですよ。お知り合いがいるほうが気楽でしょう?」
「いやいや、貴賓室借りるとかもったいない。自分の部屋で大人しくしておきますよ」
両手を振って固辞すれば、悲しそうな表情をされた。
やめて。ジッと見ないで。断る私が悪いみたいじゃん。
「アンナ」
「は、はい…」
「貴女が心配なので、毎日会って安心させてください」
「いや、でも、それは…」
「アンナ」
やーめーてー。膝ついて見上げてこないで。
圧。静かな圧がじりじりと迫って来る。
「無茶しそうで、心配なんです。気になって何も手につきそうにありません。だから、私のためにもお願いします」
「……うぅ」
「ね?」
「…ぅ、うぅ……は、い」
圧に押されて頷いた途端にぱぁと晴れやかな笑顔になった。
この時はまぁいいかと思ったが、医務官の許可がでるまで横抱きで移動させられ、看病と称して同じ部屋に泊まることになるとは夢にも思わなかった。
イチャつくなら出てくださいと医務官に追い出された私たちは、舞踏会の会場へと向かっている。
ルカリオさんは私が戻ることにいい顔をしなかったが、気になって仕方ない私が駄々をこねたあげく泣き落とした結果、会場の端で座っていることを条件に承諾してくれた。本当に渋々だったけれど。
しかも、会場までは横抱きにされて運ばれた。
選択肢は「抱き上げる」の一択で、私に拒否権がなかった。兄のように担がれないだけマシなんだけど、これは羞恥心が半端ない。
「恥ずかしいなら私の胸で隠していてください」
そう言って私の手を首に回すように強要してくる。判断力が鈍っていた私は言われるがままに従い、会場に近づくにつれて顔を上げることさえできなくなっていた。
会場にこっそりと入ると、隅に椅子を置いてもらいそこに座らせてもらう。
うん。抱いたまま座らなくていいから。
一人で座れるから。
残念そうな顔をなるべく見ないようにして、王太子夫妻を探せばすぐに見つかった。
倒れそうだった王太子妃は幾分か顔色が良くなっていたので安心した。王太子は涼しい顔でそつなく過ごしている。
護衛はいつもよりも眼光鋭くして、ローガンや他の侍従たちもさりげなく周囲をガードしていた。
あれじゃあ何かありましたって言っているようなものじゃないかな。気持ちは分からなくもないんだけど。
「なにか飲み物を持ってきますね」
「あ、じゃあ赤ワインを…」
「ジュースにしましょうね」
「え、いえ。赤…」
「ジュースにしましょうね」
「……はい」
圧に負けた。
小さい傷だから大丈夫なのに…。
連れてきて貰っているてまえ文句が言いづらい。仕方ないので、大人しく待っている。
「まさか陛下がご病気だなんて」
「王妃様が付き添ってご看病するのでしょう。献身的ですわぁ」
「愛ですわよね」
「本当に『真実の愛』で結ばれたお二人なだけありますわ」
柱の裏にいるせいか、私の存在に気がつかないのか国王退位の話が漏れ聞こえてくる。
聞き取りやすいように上体を傾けて耳を澄ました。
昨夜、急病で倒れた国王は一命を取り留めたものの政務を行うことは難しいため退位を決意したのだとか。
王太子の話ぶりでは、退位は決まっていたみたいだけど、急病とは穏やかではない。
どこまで本当なのか。聞かされていない私に推しはかる術はないし、知ったところで私の境遇が変わるわけでもない。
周囲の話では、心臓が止まりかけたが、側にいた専属侍女がいち早く気がついたとか。
それってあれでしょ。若い侍女と楽しんでる最中に発作が起きたってやつじゃないの。うわっ、あの国王ならありえる。
十分な醜聞だから本当なら発表はできないだろうなぁ。
「真実の愛」で結ばれた王妃はショックを受けたものの、病床の国王を付き添って共に離宮で過ごすことを決意したのだとか。
え?あの王妃が?
茶会やパーティーがなにより好きな王妃が国王と共に隠居?ないなー、無い、無い。
死にかけたせいで、昔の気持ちを取り戻したとか?
まっさか。そんな可愛らしい性格じゃないでしょ。
「身を乗り出すと落ちるぞ」
「大丈夫です。こう見えてバランスは………え?」
聞こえた声の方を向くと、ベネディクト子爵が意地悪そうな顔でこちらを見ていた。
本当に…どこにでも現れるな。
「ストーか…」
「違う」
「…否定が早いと肯定の意味があるとか…」
「無い。あるわけがない」
だから早いって。本当にストーカーみたいじゃん。
子爵は苦り切った顔で私を見るとふぅと息を吐いた。
「せっかく俺に会えたんだから、もう少し嬉しそうにしたらどうなんだ」
いや、別に、嬉しくないから。
でも面倒くさいから、言われた通りにやってあげよう。
「きゃあ。ベネディクト子爵様だわ。わー、ステキ。カッコいい。お会いできて嬉しゅうございます」
「悪かった。俺が悪かったから、止めてくれ」
精一杯可愛く言ったのに、なぜか嫌そうな顔で謝られた。失敬な。無駄にした時間を返せ。
そうこうしているうちにルカリオさんが戻って来た。子爵を見て驚いていたが、にこやかに挨拶を交わしていた。
そういえば知り合いなんだっけ?
「せっかくのパーティーですから、いつものように遊びに行かれては?たくさんのご令嬢やご夫人が探していらっしゃいましたよ」
「今夜はお相手ができそうにないから、平等に全員を断ったんだけどな」
「珍しく常識的なことを仰いますね。明日の天候が心配です」
「こいつの口の悪さが移ったんじゃないのか」
「人の婚約者を指す言葉ではありませんね」
仲良いなぁ。
楽しそうに会話を弾ませるふたりをそのままに、受け取ったジュースを飲む。
ワインではないのが残念だが、まぁ、これはこれで美味い。
周囲の会話を聞きたくても、隣に立つふたりの会話がうるさい。
「すみません。少し離れるか、声を抑えてもらえますか?」
そう言うとルカリオさんはしゅんっと眉を下げ、子爵は呆れた顔をした。
いや、だって、聞こえないんだもん。
「なにか知りたいのか?」
会場にいた子爵なら知っているかもしれない。
国王の退位に対する周囲の反応を聞いてみればあっさりと教えてくれた。
「上位貴族や政務に関わる上位陣は好意的に受け入れられているな。ここ数年、国王が政務をおろそかにしていたのを知っているからな。代替わりしても文句はでないだろう。王妃様が看病するために共に離宮に行くと聞いて美談だと褒め称えちゃいるが、本人にとっては不満だろうよ」
子爵はにやりと笑う。その目に浮かぶのは嘲りだ。
珍しい。
女好きの子爵が女性の話でそんな感情を滲ませるなんて。
子爵と王妃の間になにかあったのかもしれない。だが、掘り下げて聞くような間柄でもないし、藪を突っついて蛇が出たら目も当てられない。
よし。全力スルーで。
「では、第三王女殿下は、その…ご欠席、ですよね?」
「第三王女か?」
不思議そうに返された。
まぁ、王太子と第三王女ってそんなに関わりがないもんね。専属侍女の私もリリアンぐらいしか接点ないし。
まぁ、確かにあの状態で何食わぬ顔で参加しているとは思わないけどさ。気になるじゃん。
で?実際どうよ?っと期待を込めてじっと見れば、ルカリオさんに見過ぎだと窘められ、子爵は半目を返された。
「王女様は体調不良で不参加だ。姉の大公妃が心配されていたが、人妻になったせいか憂う様子もなかなか…」
大公妃じゃなければなぁ。
なんてほざいているが、第二王女だった大公妃は年上の大公一筋なので若い子爵は全く相手にされないと思います。
一縷の望みも希望も無いと知れ。
夢見る子爵は放っておこう。
視線の向こうでは王太子がクリフォード侯爵と談笑している。
まだ短い期間だが、人畜無害そうな微笑みを浮かべる王太子が陰で努力していることをそれなりに見てきた。
ローガンほどの熱意はないかもしれないが、陰ながら支えたいという気持ちはある。
王太子が名実共に王冠を戴くのを見てみたい。
でも、戴冠式までまだまだ忙しくなるんだろうなぁ。まぁ、それも悪くないかな。
「今度は殿下ですか?私の婚約者は浮気者なんですね」
座る私の横に跪いたルカリオさんが拗ねた顔で私の手を取った。
その顔が可愛く見えて笑ってしまった。
拗ねたように見せるその顔を崩して、素の表情が見たくなる。
取られた手をくるりと持ち替えて引き寄せると、長くてすっきりとした指にキスを落とした。
「気持ちは貴方にしかありませんわ」
普段言われたことをそのまま返しただけなのだが、効果抜群だったのか、ルカリオさんは耳まで赤くした。
かわいい。
ルカリオさんの気持ちが少しだけ分かった気がした。




