74.王宮侍女は成果を披露する
「国王が退位することになった」
日付が変わってようやく初日が終わり、寝る前の身支度の最中に王太子がとんでも発言をさらっと言い放った。
驚きのあまり「ぉえっ!?」と声が出てしまい、マルグリッドさんから厳しい視線が飛ばされた。すみません。
「年が明ければ即位となる。戴冠式まで慌ただしくなるが、頼むぞ」
「おめでとうございます、殿下」
「お祝い申し上げます」
マルグリッドさんの後に慌てて続く。
危ない、危ない。急な話に驚いてぼんやりしちゃったわ。
支度を再開しながら、ムカつくぐらい上機嫌で挨拶していた国王の姿を思い出した。
無駄に元気だったのに、この数時間で何があったんだろう。
暗殺とか事故とかだったら、王太子がこうしてのんびり過ごしているはずがないし、同じ理由で急病もあり得ない。だとしたら、国王の意思による退位?でも、いまさら?
気になるのは、ローガンたち侍従もマルグリッドさんもいつも通りだった。
……もしかして、知っていた?
知っていたとして、私が知らされない理由はなんだろう。勤務年数という信用?それはもうどうしようもないよね。転属したての新人に重要事項は言えないよね。
今日の近衛騎士が体調を崩したのもなにか意味があったのかも。そうなると、ルカリオさんは知っていたことになる。
疑いだすと、キリがない。知らされない理由が信用だったらちょっと悔しいな。
「明日、国王の退位を発表する。今まで以上に忙しくなるから、頼むぞ」
「畏まりました」
ダメダメ。気持ちを切り替えよう。
今日のことは置いといて、これから信用を勝ち取ればいいってことにしよう。そうとでも思わないと凹む。
戴冠式まで忙しくなるだろうなぁ。
侍従長が中心になるのかな。いや、いや、教会が中心か。
うーん、分からん。マルグリッドさんやローガンに聞けば大丈夫だろう。
そこまで考えて重大なことに思い至った。
「殿下っ、あの、もちろん侍女の増員は……」
どう考えたって、私一人じゃ無理だよ?マルグリッドさんがまだいてくれるけど、それでも二人じゃん。せめて、あと一人は欲しい。
期待を込めて尋ねると、王太子はしばらく考える素振りを見せてにっこりと笑った。
「素晴らしい働きを期待しているよ」
現状維持確定。
なんてこった。とりあえず、朝練で体力をつけよう。いや、その時間すら惜しいかもしれない。部屋で筋トレでもするか。
悩む私に「戴冠式が終わるまではいますからね」とマルグリッドさんが労りの声をかけてくれた。
よし。それまでにもう一人、専属になれそうな人を見つけて推薦しよう。
友人たちが頭に浮かんだが、王太子だけじゃなく、王太子妃の許可もいるだろうなぁ。いや、その前にローガンという厚い壁があったわ。
うーん。…………ルカリオさん、女装してやってくれないかなぁ。
なんて、無理だよね。側近だし。……兼業とか?むり?でも、聞くだけ聞いちゃう?
湧き出た疑問になんの解決もないまま迎えた翌日は、夕方から大広間で立食形式のパーティーだった。
楽団が音楽を奏でる中、下位の貴族たちが入場していく。
二階にある王族の控室でその様子を見ていた私は、落ち着いた様子で談笑している王太子夫妻をちらりと見た。
王太子も王太子妃もいつも通りだ。王太子妃の侍女たちも。
私以外に知らない人っているのかな。もしかして、私だけ?
考えちゃダメだと分かっていても、考えちゃうな。
「どうかしたか?」
ローガンに声をかけられて、どう返事をすればいいか分からず咄嗟に別の話題を探した。
「王妃様も、王女様も遅いですね」
まだ時間はあるとはいえ、入場は始まっているのだ。
支度に時間がかかるとしても、ギリギリになるのは周囲が困る。
「あぁ。王妃様は欠席される。王女様は…」
「お兄さま!!」
ローガンの返事の途中で扉が乱暴に開いた。
そこにいたのは、白と淡いピンクのふわふわなドレスを身に纏った第三王女だった。男装の麗人のリリアン様を背後に従わせたまま乱暴な足取りで歩いてくる。
「どうした。品のない歩き方をするものではないぞ」
「どういうことですのっ。お母さまを拘束したと聞きましたわ」
「誰だ、そんなことを其方に言ったのは」
「誰でも構いませんわ。事実ですの!?」
高い声をいつもより高くして叫ぶので、地味に耳が痛い。
王妃が拘束?事実なら、国王の退位と関係あるんだろうな。
「拘束ではない。国王の療養を手伝うことになっただけだ」
「そんなもの、お父様の侍女たちにやらせればいいじゃない。彼女たちなら喜んで奉仕するわよ」
「王妃の意向だ」
「嘘よ!お母さまが今更そんなことするはずないわ」
「決定事項だ。これ以上騒ぐなら、其方には謹慎してもらうぞ」
「酷いわ。お母様がお可哀そうよ。悪いのはお父様じゃないの。あんなに愛人を侍らせて、お母様を悲しませたのよ。悪いのはお父様だわ」
睨みつける王太子と半泣きで訴える第三王女。
この場面だけを見れば、悪役は王太子だろう。
第三王女は知らないのだろう。体形が崩れだした国王を王妃が避け始めたせいで、国王が専属侍女という愛人を侍らしたことも、これ幸いと王妃が密かに愛人と密会していることも。
自分が夢中なリリアン様も王妃の愛人の一人だったことも知らないんだろう。
さすがに、王妃も自分の娘には知られたくなかったのかもしれない。
「お母様を解放して」
「人聞きの悪いこと言うな。其方も成人したのだから、落ち着いた言動をとることだ」
「なによ、お兄様もお父様の味方なのね。私の意見なんて馬鹿にしてちっとも聞いてくれないのよ。女性を見下してるんだわ。だから男の人なんて汚くて卑怯で大嫌いよ。いいわよ、私がお母様を助けるわ」
王太子の言葉も聞かずに出ていこうとする第三王女を、王太子の命令で護衛が腕を捕まえて拘束する。
「離して」ともがくが体格も違う近衛騎士にかなうはずもない。
その時、リリアン様が王太子の背後を取り、短剣を突きつけた。
「姫を離しなさい」
騒めく中、リリアン様が第三王女を捕らえている騎士を睨みつける。
ちょっ、リリアン様。ご乱心!?なにしてんの!
第三王女を助けるにしても、なんで王太子に剣を向けてんの!?アホなの?バカなの?
驚愕の事態に驚きつつ、ざっと周囲に目を配る。
「貴様、何をしているのか分かっているのか」
「殿下を離せっ!」
「リリアンっ!剣を下して」
いち早く駆け寄ろうとしたローガンは、リリアン様……いや、もうリリアンでいいや。リリアンに視線で牽制されて迂闊に動けない。
近衛騎士たちが怒声を発し、第三王女も顔を蒼白にして必死に呼びかけている。
護衛と侍女に庇われている王太子妃は真っ青で今にも倒れそうだ。
その様子を見ながら靴を脱いで、そっと気配を消して横に移動する。リリアンの注意がローガンと近衛騎士たちに向かっている。
数歩移動すればリリアンと王太子の背中が見えた。
……えっと………。確か、手首から。
手順を確認してから、足を踏み出す。
「姫を離しなさいと言っている!」
リリアンが叫んだ瞬間を狙って、背後から剣を持つ右手を捕まえて後ろへ捻る。リリアンの背中に捻り上げた腕を押し当て、手首を曲げさせると握っていた剣が落ちた。それを足で後方へ飛ばし、戻した足でリリアンの足を払って膝をつかせた。
できた。
「ちょっと早く!そんなに持ちませんからね!」
みんなが呆気に取られているなか護衛騎士に声をかける。
ただの侍女なんだから、そんなに長く押さえておけるわけないじゃん。はやく動いてよ。
大慌てで護衛騎士がリリアンを捕縛し、それを見て泣き叫ぶ第三王女を王太子妃の侍女たちが連れて行った。
リリアンは項垂れはしたものの暴れることもなく大人しくしていた。連行される彼女の横顔はどこかほっとしているようにも見えた。
後味が悪く見送っていると、名前を呼ばれたと同時に誰かに抱きつかれた。
「ありがとう。貴女は殿下の命の恩人だわ」
王太子妃はそう泣きながら私をぎゅうっと抱きしめた。
まさか習った相手に技をかけることになるとは思わなかったけど、上手くいって良かった。
ちょうどリリアン様の背後にいたことが良かった。誰も私に気がついていなかったのは、私の背が低かったわけではないと思いたい。
違うよね?
王太子にも礼を言われ、ローガンからも「よくやった」とサムズアップされ、ほっと息をつく。
「アンナ!!」
あとで合流するはずだったルカリオさんが真っ青な顔で駆け寄ってくると、素早く抱き上げられた。
「は?え?ちょっ、下してください」
「ダメです。足を怪我しているのに」
「え?」
抱えられているせいか足が見えないけど、そういわれてみれば足がズキズキするような気がする。
てか、痛いよ。痛いね。うん。切ったみたいな痛みがある。
あれか。さっき剣を蹴ったときに切ったのか。
「殿下。彼女を医務局へ連れて行きます」
「ああ。こちらは気にせず、今日はもう休むがよい」
軽くお辞儀をして、ルカリオさんは私を抱き上げたまま歩きだした。
控室を出ると足の裏がズキズキと痛みを訴え、私の手が小刻みに震え始める。震える手を止めようとした反対の手も震えてしまい、止まらない。次第に寒くもないのに歯の音が合わないほどカチカチと鳴り出した。
震えだした体を包むように強く抱きしめられた。
立ち止まったルカリオさんが泣きそうな顔で私を見て「無事でよかった」と小さく呟いた。
途端に涙が溢れて止まらなくなった。
かける言葉が見つからず、震える腕をルカリオさんの首に回して抱き着いた。
さっきよりも感じる体温と鼓動に安心した私は、医務局に着くころにはなんとか震えが止まっていた。
遅くなってすみません。
潤い(変態)が表立って出てこなくてすみません。