69.王宮侍女は振られる
ソーン騎士団は現在26名の女性騎士で構成されている。女性の王族や要人の護衛や警護に当たるので、近衛騎士に所属している。
まぁ、つまり全員貴族。団員の中には腕を買われた養女とか愛人との娘とかいたりもするが、書類上は貴族なんでなんの問題もない。
宿舎は専用があるが、練兵場や室内訓練場は共同。つまり、ズタボロに訓練される私は他の騎士にも見られているのだ。
いや、いいけどね。もう出会いを求めてないし。こ、婚約者だって、いるしぃ。
そういうのはいいんだけど、毎回叱られてる私を「使えない新人か?」って見るのやめて欲しい。
侍女だから!
でっかく「侍女」って背中に書いてやろうか。
いや、それは恥ずかしすぎる。それ以前に、マルグリッドさんが笑顔で怒られるな、絶対。
……うん、無しで。
「よそ見をしていると危ないですよ?」
手首を掴まれ、背中で捻りあげられた。
「いだっ!痛いっ、痛い、ですっ!」
「この時、手首も曲げて上げると持っていたら武器を落としますから、蹴って遠くへ飛ばしてくださいね」
痛いと言っているのに少しも緩めないどころか、手首をぐきっと曲げてくる。この悪魔め。
「ぅぎゃっ!!」
ギブ、ギブっ!折れる!おーれーるー!!
「余裕があるなら、こういう風に足をかけて跪かせると良いですね」
優しい口調で容赦なく足払いをかけられ、気がついたら床に座り込んでいた。腕を捻られたまま。
………折れてないのが不思議だ。いや、そういう風に加減してるんだ。
その気遣いを別の形で発揮して欲しい。
「ここまでは求めません。拘束だけしてくれれば、我々が駆けつけますからね」
くすっと笑いながら拘束を解いてくれたリリアン様を呆然と見上げる。
求めないなら、なぜやった。
余計じゃない?要らなくない?足払いかけられ損じゃない?
言いたいことは十分伝わってるだろうに、分かった上での微笑みが腹立つ。
「ご指導、ありがとうございました…」
釈然としないが習っている身なので、頭を下げる。
リリアン様が護衛の仕事があるので明日は他の人と代わると話してくれた。
内心拍手喝采だったが、表情筋を総動員して何事もないように了承する。
やったっ!!リリアン様以外なら気分的にまだマシだ。
汗を拭いて運動着から侍女服に着替えたら、今度は執務室で実践教育が待っている。
清めたけど不安があるので、香水も軽く着けておく。ルカリオさんとお揃いである。…女装の時の、だけど。お揃い。……ふへへ。
おっと、いかん。顔を引き締めないと。
「アンナ」
名前を呼ばれて見渡せば、ダリアが柱の影から手招いていた。
小走りで近寄るとむっとした表情で「元気なの?」と聞かれた。
ダリアは心配するとたまに顰めっ面になる。
前にふらふらだった時に会ったから心配してくれたんだろうと気がつくと、嬉しくてニヤけてしまった。
「だいぶ慣れたよ」
「変な顔しないでよ。別に、そんなに心配なんてしてないわよ。倒れたら他の人が大変なんだから。………これ、疲れたら食べなさいよ」
照れた表情でそっぽを向いたままダリアが紙袋を押し付けてきた。
甘い匂いがする紙袋を開けてみると焼き菓子が入っていた。
「作りすぎたのよ。余り物だけど、ちゃんと全部食べなさいよね」
ちょっと強めに言っているが、照れているのか顔がほんのりと赤い。
笑って「もちろん。すごく美味しそう」と伝えると、得意そうに笑って行ってしまった。
友情っていいなぁ。
誰か紹介できる人っていないものか。うーん。
「俺へのプレゼントか?」
横から伸びた手が、紙袋を持ち上げる。
私の!と反射的に取り返して、睨み上げた先にはベネディクト子爵がいた。
本当に、どこにでも出没するなこの人。
「お前……。俺に会ってそんな顔するのはお前ぐらいだぞ」
知るか。
人の物を取るような人は泥棒というんですよ?覚えとけ。
「聞いたぞ。王太子専属だって?」
「お耳の早いことで」
「そりゃあ、なんの取り柄もなさそうな男爵令嬢が、あの王太子の専属になったんだからな。あちらこちらで言われてるぞ」
だろうね。
現に、嫌味っぽいことを何度か言われたことはある。今のところ実害はないし、遠回しな嫌味で病むような繊細さなんてないので問題ない。
直接言ってくるような度胸のある人がいれば、文句は私を選んだ王太子夫妻とクリフォード侯爵にと言ってやれるんだけどなぁ。残念。
「ご忠告ありがとうございます」
「噂ぐらいで凹むような可愛げは無さそうだな」
「凹むような可愛さを持っていると思われていたんですね」
意外にも。
言外に告げると「口の減らない」と笑われた。
心配してくれたのかもしれないが、分かりにくい人だなぁ。
「ほら」と握り拳を差し出される。
ん?なに。お手?んなわけないか。
困っていると「手を出せ」と言われた。
最初からそう言えばいいものを。
言われた通りに手のひらをだすと飴がパラパラと落ちてきた。
驚く私に「やるよ」とニヤリと笑う子爵が言う。
子ども扱いされてない?いや、飴はもらうけど。
「あら、ユリウス」
手のひらの飴を見ていると、可愛らしい高めの声が聞こえた。
顔を上げると、王妃譲りのふわふわとした雰囲気の第三王女が嬉しそうに駆け寄ってくるところだった。
慌てて頭を下げる。
「お久しぶりね。最近見かけないから、私の侍女たちも残念がっていたのよ」
「それは、申し訳ありません。私も妖精のような王女様や美しい花々に会えずに残念に思っていたところです」
「本当に?では、近いうちに花園へご招待するわ」
少女のようにはしゃぐ声を聞き、子爵が第三王女の招待に応じることを懸念してしまう。この場で迂闊に発言は出来ないから私にどうしようもない。子爵も一応は立場を弁えているだろうし、手を出したりはしないだろうが、うーん。
童顔の王女が子爵の好みとも思えない。だが、ちらりと見た第三王女は童顔ながらも年相応……いや、一部発達した体をお持ちである。体だけなら…。
うん。ローガンに忠告だけしておこう。
はしゃぐ王女と子爵からそっと距離を置こうと一歩下がると誰かにぶつかった。そっと見上げると護衛中のリリアン様である。
うひゃわぅ。
咄嗟に悲鳴を飲み込んだ私、グッジョブ。
「また君ですか。………おや、それは…」
リリアン様の視線が私の手の中にある紙袋に注がれる。
え?あげないよ?ダリアの友情の証だもん。
ぎゅっと手に力を込めると、リリアン様はなぜか小さく笑った。
「困りましたね。護衛中に贈り物は貰わない主義なんですよ、私」
は?なに言ってんの、あげないよ?
取られないように紙袋をきゅっと抱きしめて見上げる。力技でこられたら勝ち目はないので、ちょっと不安。
「そんなに困った顔をしないで。気持ちだけ貰っておきますから、ね?」
ん?気持ちって、なに?
「君の指導に当たったのは失敗だったかな。私にそんなつもりは無かったのだけれど、勘違いさせるような行動があったのかもしれないね」
ん?え?なに?勘違いな行動?
関節決められたり、地べたに押さえ込まれたり、不要な足払いさせられたりしたことにどんな勘違いがあったというのか。
「ごめんね。君の気持ちは嬉しいけれど、その気持ちには応えられそうにないな。これ以上接するのは君にも酷だろうから、別の人に指導を代わってもらうことにするよ」
ん?ん?チェンジですか?それはありがたいけど、その言い方はまるで私がリリアン様に……え?
リリアン様は、混乱する私の頰を慣れた手つきで撫でると、そっと顔を近づけて囁いた。
「もう少し魅力的になったら一晩ぐらい相手をしてあげる」
ちゅっと耳元にキスされて、全身に鳥肌がたった。
話が終わった第三王女がリリアン様を呼び、二人が去っていくまで、私は固まったまま動けなかった。
「どうした?」
子爵の声に強張った体をギギっと動かし、すぐさまキスされた耳をゴシゴシと高速で拭く。
全然、鳥肌が収まらない上にこの例えようもない感情をどうすれば良いのか。
なんで、なんで……
「なんで私が振られたみたいになってんのーーー!!」
解せぬ。
なんで一片の好意もない相手に、告白もしてない同性に振られなきゃならんのだっ!
ふざけんなっ!
「よく分からないが、まぁ、元気だせ」
わけのわからない子爵は怒り狂う私に飴を追加して渡してくれたが、こんなもので治るかー!!
いや、もらうし、食べるけどっ!
特効薬はルカリオ・ガルシアン。