68.王宮侍女は割ってみたい
筋肉痛を筋肉痛で上書きし、満身創痍の有様でマルグリッドさんとローガンさんの集中講座を受ける日々が続いている。
一週間目になってようやく走り終わって地面に転がることがなくなった。室内訓練では転がされたり、引き倒されたりしているが、今のところ怪我などはない。
キツイことに変わりはなく、毎日体のどこかしこが痛い日々なのである。
私、侍女なんですけど。王太子の専属侍女なんですけどっ!
どうしてこうもズタボロなのかなぁ!
王太子専属になった事で、王宮の侍女部屋からグロリナス離宮へと引っ越すことになった。
最近荷物が増えたので引っ越しはそれなりに大変だった。増えた化粧品が割れないように個別に包装したり、予定よりも服が増えていたので処分や収納しなおしたりした。
一番大変だったのが、友人との別れだった。
エレンからは今生の別れのように泣かれたが、寝起きする場所が変わるだけで、同じ王宮で仕事するんだからどこかで会うだろう。
ルネから羨ましがられた挙句、いい男がいたら紹介してと約束させられた。出会いに貪欲な彼女らしいが、今のところ王太子に心酔した侍従ぐらいしか候補がいない。
ダリアからは妬まれた。気持ちが分からない訳じゃない。経緯がどうあれ、王族の、しかも王太子の専属なんて大出世だ。
妬まれても仕方ない。仕方ないけど、ちょっと辛いなぁ。
だが、午前の訓練終わりにズタボロな私とすれ違ったダリアは心配で駆け寄ってくれた。誰かに虐められたと思ったそうだ。
疲れた体に優しさが染み渡る。
ソーン騎士団に放り込まれた経緯を話すと彼女の目が完全に同情するものに変わっていた。
同情はいいから一日だけ代わってくれないものか。
ダメですか。そうですか…。
午後からの講義は主に王太子の生活に関する事と、王太子夫妻の好みなどを覚えることだった。侍女がどこまで手伝い、侍従がどこまで手伝うのかも教えられる。
なにせ専属侍女は私ひとりになるのだ。一般的なお世話では手が回らない。
基本的にはマルグリッドさんと同じ内容だが、乳母の彼女とは出来ることが違う。まぁ、主に距離感。
あんな風に遠慮なしに話しかけられるような信頼感はまだないんだよね。
こればっかりは時間の問題だから、ゆっくりやっていこうと思う。
「ソーン騎士団長から『貴族令嬢にしては見込みがある』とお褒めの言葉を頂いたわよ。凄いじゃないの」
茶葉の銘柄と淹れ方を教わっている最中にマルグリッドさんから褒められた。いや、褒めたのはソーン騎士団長か。
「まさか、こんなに続くなんて思わなかったから、私も驚いたわ」
え?そんな期待されてなかったんなら、止めても良かったんじゃ……。
必須なのかと思ったから真面目にやってたのにぃ。
「………あの、体力作りの訓練って、王族の専属が必ず受けるものなんじゃ……」
驚いて問いかけると、マルグリッドさんは「まさか」と笑いとばした。
「モリスが筆頭になってから始めたことなのよ。殿下付きの侍女は今まで私だけだったから、侍女では貴女が初めてね」
「………」
驚きすぎて言葉が出ない。
ぽかんと口を開けたままマルグリッドさんを凝視する。
うわぁい、初体験。って嬉しくないわっ!
「女性が受けるには厳しいのでは?と進言したのだけれど、モリスってば殿下第一だから譲らなくって…困った子よね」
「困った子よね」じゃないよ。
もうちょっと粘って。筆頭侍従に意見出来るのは、乳母の貴女しかいないんだから。
「その、マルグリッドさんは、訓練を受けたり、とか…」
「こんなおばさんが騎士団の訓練に付き合えるわけないじゃないの」
ころころと軽やかに笑うマルグリッドさんを見て、愛想笑いが引き攣る。
確かに、マルグリッドさんが走ったり、体術を習う姿なんて想像できないけど。けど!
扱いの差ぁあ!!
いや、仕方ないよ?片や信頼も実績もある王太子の乳母で、私は信頼も実際もない新人の男爵家の娘だ。
分かっちゃいるけど、分かっちゃいるけど、ローガンめ!敬称なんてつけてやるもんか。
普通、淑女は走らないんだよっ!騎士に混じって体力作りなんてしないんだよっ!覚えておきやがれっ。
お前なんて、お前なんて、扉を閉める度に指先を挟んでしまえ!
怒りに震える私の肩をそっと抱いてマルグリッドさんが慈愛に満ちた微笑みを向けてくる。
「殿下は今後、公私共に大変になります。お仕えする私達もそれは同じです。体力作りをする事は貴女の為にもなりますよ」
確かに。
以前よりも体力はついた気がする。体力がついた分、動けるし、体が引き締まったような気もする。
脳裏でローガンが歯を剥き出しにした笑顔で「筋肉は裏切らないぞ」と筋肉アピールをしてきて腹が立つ。
ムカつくが、体力ついて良かったことが多くて文句が言えない。
こうなったら、やってやろうじゃないか。
腹筋割れるまでやってやんよ。
みてろローガン!!
「マルグリッドさん、私、腹筋を割ってみせますっ!」
「ええ。その意気よ。がんばって。そうだわ、来週から朝練に混ぜて頂くようにお願いしておくわね」
まるで「いい事を思いついたわ」と言わんばかりに、マルグリッドさんは手を打ち合わせて微笑む。
朝練か……。朝練ぐらいなら、午前いっぱい使ってる今よりマシかも。走って組み手するぐらいかな。荷物背負って走るのは勘弁して欲しい。
……早まった、かな。
午前の練習を終えて、今日の午後はローガンの助手である。
書類を渡したり、王太子の伝言を伝えたりと、何かと忙しい。
私は雑用でついて回るだけなのだが、訪れる場所と人や事業を覚えろと言われた。次からはひとりで頼むこともあるからと。
量がすごいんですが。一度じゃ無理だよ。
必死で脳に叩き込む。おばちゃんたちに掃除のコツを教えてもらった時以来、久々に脳をフル回転させてる気分。
あれもスパルタだったなぁ。懐かしい。
王太子の仕事はもはや国王レベルなのでは?というぐらい多い。公共事業に外交に、軍整備の嘆願や、有識者との会談と多岐にわたる。
もちろん、王太子妃の仕事も多い。
近くに来て改めて実感する。
国王と王妃の無能ぶりが酷すぎる。
もう仕事してないじゃん。
国王はたまにふらっと現れて、さも仕事してますみたいな顔するけど、飽きるとすぐに出ていく。
王妃は友人や愛人たちとお茶会や観劇と忙しい。各施設の訪問や各機関の視察などは王太子妃に丸投げ。政務にはちょこっと出てきて、いいとこ取りして帰っていく。
側から見ていると、本当に腹立たしい。よくローガンが我慢しているもんだと感心する。
そんな仕事量を目の当たりにして、これは確かに疲れるのも納得できる。肩揉みだけで寝るのも頷ける。
少しでも楽になるなら…と、妃殿下とは別に就寝する日に、全身マッサージを申し出た。
頭や手足はいいが、背中や腰部分をするときは苦労した。まさか跨るわけにもいかないので、ベッド脇に踏み台を持ってきてそれに乗ってマッサージをした。
王太子の背中はかなりゴリゴリだったので、念入りにやってみたが一日で終わるはずもなく、数日後にまたほぐして差し上げよう。大丈夫。そんなに痛くないよ?
踏み台を持ってきた時に王太子が笑った仕返しじゃないからね。………違うよ?
マッサージ中に王太子が悲鳴をあげたせいで、側にいたローガンから殺気が飛んできたが無視する。
今度、ローガンにも体験させてあげよう。あの筋肉では私の指が死ぬので、店長に出張をしてもらおう。
念入りにと伝えておかねばなるまい。ふ、ふ、ふふふ。
グロリナス離宮とは、王宮の裏にある王族の居住宮殿です。
現在、国王と王妃、王太子夫妻と第三王女が住んでます。
たまに降嫁した第二王女や他の王族が泊まったりします。




