閑話6. 婚約者はため息を吐く
64話と65話の間のルカリオ視点です。
R15な表現がありますので、苦手な方は読まないでください。
手早く入浴を済ませたのに、誘ってきた婚約者はベッドで気持ちよさそうに寝ていた。
「なんで寝てるんですか…」
思わず恨み言が出てしまう。
周囲を見れば、棚の上にお酒が数種類準備されていた。その中のひと瓶が開栓されていて、前に置かれたグラスには底に液体が残っている。
「よりにもよって、火酒を選ぶなんて…」
果実酒やワインも置いているのに、どうしてコレを選んだろう。
水などで割って飲むお酒を原液で飲むなんて、酒豪かよほどの酒好きしかいない。無味無臭に近いので、気が付かなかった可能性も高い。選ぶ余裕もないほど緊張していたということだろうか。
色事に長けていないどころか、初々しすぎる反応を見ればそういう経験が無いのは分かっている。
だから、ゆっくりと色々教えながら進めていこうと思っていたのに。簡単に踏み込んできて、あっさりと反故にする。
酷い人だな。
ベッドに乗り上げて、寝ている彼女の上に覆い被さる。
気持ちよさそうに眠っているが、火酒を飲んだせいで肌がほんのりと赤く染まっている。薔薇色に染まった頰に片手を添えた。
私の手に擦り寄ってくる無防備な姿を見て、口の中が乾く。
身の内に、仄かに灯る熱が揺らめいた。
いっそ、このまま奪ってしまおうか。
寝ている貴女の体中に口付けをして、指を滑らして、衝動のままに揺さぶろうか。
快楽に溶けた貴女はどんな表情をするだろう。
正気に返った貴女はどんな表情をするだろう。
湧き上がった想像に腹の底がぞわりと蠢いた。
泣いて怯えるだろうか。
怒り軽蔑するだろうか。
知らず、口角が上がった。
彼女の頰に添えた手を下へと滑らす。
人差し指で細い首をなぞり鎖骨を指でなでると、くすぐったいのか、身を捩った。
「んふ…ふふ……も、むりぃ」
起きたかと思ったが、目を開けないところを見ると寝言のようだ。
どんな夢を見ているのだろう。私がいる夢ならいいのに。
「無理じゃないでしょう?」
耳元で囁きながら、指を鳩尾までゆっくりと滑らす。
「んぅ。むりぃ。……も…はいんな……おっき……」
「大丈夫ですよ、アンナ」
薄いパジャマの上から緩く上下するお腹に手の平を当てる。円を描くように撫でると小さく笑う。
ああ。もう、このまま抱いてしまおうか。
乾いた唇を舐めて、細い腰を撫でながら顔を近づけた。
「もぉお肉はむりぃぃ。んにゃ……もちかえりで、もってかえにゅのえ……」
緊張感も色気もない寝言に力が抜けた。
「肉……ふっ、くく……どれだけ好きなんですか……」
しかも、持ち帰ろうとしている。
嬉しそうに持ち帰る姿が簡単に想像できてしまう。
込み上げてくる笑いを手の甲で押さえる。
ダメだ。
一時の欲に負ければ失うものが多すぎる。それは割に合わないし、もったいない。
焦らして、焦らして、彼女が音を上げるまでドロドロに可愛がってあげる方がいい。
その時は自分の想像を裏切る反応をしてくれるかもしれない。
本当に、私の婚約者は可愛い。
「好きですよ、アンナ」
普段は編み込んでいる髪の毛が今は緩いウェーブを描いてシーツに広がっている。
覆い被さったまま片手で髪を梳くと細い首があらわになる。
吸い寄せられるように顔を近づけた。
耳の下に色づいた赤い跡を満足気に見ていると、小さく唸ってから彼女が目を開けた。
驚かせたかと少々焦ったが、ぼうっとしている様子から寝ぼけているらしい。
ほっと安堵の息をつくと、ふにゃりと気の抜けた笑顔を向けられた。
「りゅかりおさんだぁ」
酔っているせいか、舌足らずな話し方になっている。普段は猫みたいな目がとろりと和らいでいる。
いつもと違い幼な気な様子が新鮮で、目を奪われていると伸びてきた両腕が首に巻きつき、そのまま抱きしめられた。
少しだけ濡れた髪が頰に触れる。
「んふふふ。ぎゅ〜」
なにが楽しいのかくすくすと笑う息が耳をくすぐる。
抜け出そうにも、首を抑えられていて体勢が悪く上手くいかない。
ほぅと息を吐きながら「あったかぁい」とすり寄ってくるその無邪気さに奥歯を噛み締めた。
これは誘われてるんだろうか。
いや、誘われてないとしても、もう良くないだろうか。
せっかく止めたのに、煽ったのはアンナなのだから。
右手で彼女の腰をなぞり太ももを撫でるとくすぐったいのか小さく笑う。
緩んだ腕から抜け出して、額や目元にキスを落としてのけぞった首を軽く食む。悪戯心が疼いて、肩口を広げて自分では見えづらい鎖骨や肩に跡を付けた。
顔が見たくて体を起こしせば、予想に反して白い顔をした彼女は片手で口元を覆っていた。
「ぎもぢわるい……」
「え!?待ってくださいっ。少しだけ我慢してっ」
さっきまでの濃密な雰囲気は一気に霧散し、慌てふためいて介抱する夜となった。
翌朝、慌てふためく彼女が面白くて事実は誤魔化すことにした。
いつもより上機嫌の侯爵に書類を手渡す。
晩餐会は夕方からなので、ギリギリまで仕事を詰め込まれている。詰め込んだ本人は午後から用事があると言っているが、侯爵夫人とこちらに嫁いだ従姉妹夫婦とお茶会をするらしい。
私だって、婚約者が一緒に来てるんですが?と言いたいが、その婚約者は王太子夫妻に呼ばれている。
「昨晩は楽しめたか?」
読んでいる報告書から目を離さずに問われ、昨晩の出来事が頭を過ぎる。
「おかげさまで、楽しい一夜でした」
少々不貞腐れた声色になったのは、まだまだ修行が足りない。
侯爵はおかしそうに笑った。恐らく何もなかったと気がついているんだろう。
「帰ったら忙しくなるぞ」
今のうちに楽しんでおけ。という副音声が聞こえてきた。
これ以上忙しくなるのか…。未来を垣間見た気がして表情が抜け落ちそうになる。
「これも纏めておけ。昼までだ」
「畏まりました」
内密の書類だから他に任せる人がいないとはいえ、量が多すぎる。
「皇帝に渡すからそのつもりで」
「……畏まりました」
時間がない。
小言を言いたいところだが、聞き入れてくれるはずも無い。そんな事を言えばむしろ無能呼ばわりされてしまう。
やってやろうじゃないか。
負けず嫌いな気持ちに火が点く。
机に座って渡された報告書を整理していく。
我が国と帝国の一部の貴族が関わった人身売買の組織がある。主に幼い子供たちが中心らしい、悪魔のような組織だ。
帝国にとっても頭の痛い問題だったが、帝国との共同捜査により着実に証拠が集まっている。商品として集められた子ども達の救出と共に、組織の壊滅の準備も万端だ。
後は、腐り切った首謀者の貴族たちの粛清だけ。
本来なら、内務省の仕事だが帝国との連携もあるので外務省が舵を取ることとなった。
帝国への祝賀のついでに、最後の調整を片付けてしまおうという事なのだろうが人手が足りない。せめて倍は欲しい。無理だろうけれど。
忙しなく手を動かしながら、明日祭りを見にいく為に今日中になんとしてでも終わらせたい。
「ルカリオ・ガルシアン」
「はい」
名前を呼ばれ、視線を侯爵に向ける。
「安心しろ。年内に使えるように鍛えてやる」
全く安心できない宣言に顔が引き攣りそうになった。
外務大臣から教えを受けるなんて名誉な事なのだろう。だが、確実に悲鳴をあげている未来しか見えない。
お手柔らかに。などと言えば更に仕事が追加されそうだ。
故に、返答はひとつしか無かった。
「ありがとうございます」
年を越せば、外務省から出向という形で王太子の側近になることが決定している。
出世のはずなのに、どうしてだろう侯爵の手の平から抜け出した気がしないのは。
それでもいい。
自分も、彼女も、守れる力が手に入るのなら。
せいぜい使える駒になってやろう。
ギリギリかな?と思ってますがダメだったら削除します。