66.王宮侍女は報復を決行する
晩餐会は大概の予想通りチーズ料理がメインだった。前菜もチーズならスープも魚料理もチーズでメインの肉料理にもチーズソースがかかっていた。そしてデザートもチーズだった。
チーズ、チーズ、チーズ、チーズ!!
流行りにしても限度ってものがあるだろう。もはやチーズじゃないのはソルベと果物しかない。
いや、美味いよ?各種色んなチーズがこの上なく絶妙に料理されている。帝国の料理人の質の高さが窺える。
美味しいけど、チーズのフルコースってなんか違くない?
「流石ですね。これだけの人数に新鮮な魚介と乳製品を振る舞えるなんて」
向かいにいるルカリオさんが感嘆の声を上げる。
あぁ、なるほど。富の権力の誇示ってやつか。
近海から距離のある首都で、新鮮な魚介類を使った料理はかなり贅沢。たぶん、酪農地域も距離的に離れてるんだろう。
まぁ、チーズは保存きくけど、大規模な人数分を賄うとしたらかなりの量が必要なのだろう。
ふーん。へー。
別に、美味しいからいいけどね。
食後のチーズケーキをお淑やかに口に運ぶ。
いつもなら二口なんだけど、そんなわけにはいくまい。淑女ですもの。
「あの、私の分もどうですか?」
「いえ。大丈夫です。お構いなく」
そっと近づけられたデザート皿を手で制すると、残念そうな困ったような表情になる。
うぅ、そんな顔されても、私も困る。
第一、もうお腹いっぱいだ。フルコースなんて久々に食べたから、いつもの許容量を超えて食べてしまった。
美味しい料理に夢中な振りをして、ルカリオさんをあまり見ないようにしてた。
だって、どういう顔すればいいのか分からないだもん。
キスマークはいいんだよ。それは別にいいんだけど、それをみんなに見せて歩いていたっていうのが恥ずかしいんじゃん。
王太子夫妻には確実に見られてるんだよ。侍女とか侍従とか護衛とか色んな人に!
恥ずい。
だって、そういうことしたって宣伝して歩いてるようなもんじゃない。してないのに、他の人の頭の中では確定事項なんだよ。なにそれ理不尽。
やってないと弁解すればするほどあやしくなるとか、腹立つ。
記憶にもない事で、どうして私がこんなに恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだ。くっそう。
寝落ちた私が悪いんだけどね。ええ、そうですとも、睡魔に負けた私が悪いんだよ。
だからってこういう仕返しはどうかと思うのよ。しかも、つけた本人は楽しんでる感じがするし。
なぁんか、ムカつく。
怒ってるわけじゃないけど、文句は言いたい。
でも、晩餐会で話すことじゃないから、今は我慢だ。
「あら。せっかくお膳立てしてあげたのに、喧嘩でもなさったの?」
「喧嘩じゃ、ないです」
どこか楽しそうに横に座っているビードル夫人が話しかけてきた。
晩餐会は人数が多いので、会場が四つに分けられている。
王太子夫妻と侯爵夫妻は皇帝がいる会場で、私たちとは別会場となっている。
侯爵様がいたら絶対に揶揄ってきただろう。
「ちょっと、どう接したらいいか、わからなくなって…」
「んまぁ。そういうことねぇ。分かるわぁ。えぇ、照れくさいものですもの、ねぇ」
「照れるというか、恥ずかしいというか…」
「えぇ。そうでしょうとも。分かりますわ」
ビードル夫人は何度も相槌を打っておほほほと笑った。
「そういうものよ。ええ、初々しくてよろしいじゃないかしら。ねぇ」
「あ、いえ。そうではなくて、あの……」
なんだか勘違いしているビードル夫人にどう言えばいいのか頭を悩ます。
知らず知らずのうちに立ち襟の際にある赤い跡を指で触れていた。
「あらあら。まぁ。うふふふ」
目敏いビードル夫人は目を見張って驚くと、にんまりと人をくった猫のように笑った。
近づくように手で合図され、内緒話ができる距離まで近づく。
ビードル夫人は扇子をはらりと広げて、向かい側からの視線を遮った。
「女は愛される方が幸せよ?でも、時には困らせておやりなさいな。ほんの少しの塩がより甘くさせるものよ。ただし、引き際を間違えてはダメ」
「引き際を…」
「そう。痴話喧嘩なんて、得るものよりも失うもののほうが多くなるものよ」
なるほど。……って、痴話喧嘩じゃないしっ。
いや、人から見たら痴話喧嘩になるのか、これ。うそ。なんかちょっと嫌だなぁ。
過去に何度も聞かされたエレンの愚痴を思い出して、あれと同じか…と凹んだ。
他人にとっては非常に面倒で対応のしづらい、あの痴話喧嘩か…。
そう考えると、いつまでもうじうじしているの馬鹿馬鹿しい気がしてきた。
「ビードル夫人。ちょっとお願いがあるんですけれど」
内緒話をする為に寄せてくれた耳にお願い事を囁くと、ビードル夫人は目を丸くした後楽しげに笑った。
「ええ、ええ。そんな事なら、ねぇ。ええ、簡単ですとも」
「ありがとうございます」
ビードル夫人の了承を得たので、ルカリオさんをちらりと見れば心配そうにこちらを見ていた。
それに気がつかない振りをして、紅茶を飲んだ。
ちょっとの塩がご褒美になるので、塩加減が非常に難しい。
晩餐会が終わると私たちはビードル夫妻と共に大使館に戻ってきた。
今朝、王太子に連泊を勧められたが、丁寧にお断りをした。連日のマッサージは勘弁して欲しい。侍従や侍女たちが見守られながらやるのは本当に緊張するんだ。
当てがわれた部屋で着替えて寝る準備をする。
壁に耳を当ててみるが、音は聞こえなかった。
念の為、たっぷり待ってから物音を立てないように静かに部屋を出る。向かったのは隣の部屋。
取り出したのは、ビードル夫人に頼んだ合鍵。じゃじゃーん。
音鳴るなよ〜。と念じたが、カチと小さな音がした。思わず息を呑んだが、中から声は聞こえない。
音を立てないように静かに扉を開けて、滑り込むように中に入った。
周囲は暗かったが、なんとか物の形は分かる。ベッドの中が膨らんでいるので、ルカリオさんは寝ているみたい。
そおっと足音を消しながらベッドまで近づく。
ベッドの横に立ちそっと手を伸ばした瞬間、手首を掴まれ視界がぐるりと回った。
「ぅぎゃ」
「誰だ」
手首を掴まれ、左肩を押さえつけられる。
柔らかいベッドを背中に感じながら、こんな時でさえ可愛い悲鳴が出ない自分にちょっと呆れていた。
「ルカリオさん、痛い」
左肩を押さえつける腕を左手でバシバシと叩くと、「アンナ?」と狼狽えた声が聞こえた。
上に乗っていたルカリオさんが私に驚きながらも退いてくれて、ベッド横に置いていたランプを点ける。周囲が灯りに照らされてほんのりと浮かび上がった。
掴まれていた手首をさすりながらルカリオさんを見上げれば、彼は困惑した顔で私を見ていた。
「どうして、いや、それよりも鍵が…」
「ビードル夫人にお願いして合鍵を借りました」
「ああ、なるほど。いえ、そういう事ではなくて」
「うん。まぁ、座りましょう?」
私も起き上がって、ベッドの上に座ると隣をぽんぽんと叩く。
戸惑いながらも私の隣に座ってくれた。
「あの、何か用事があったのでしょうか」
「はい。寝てる時が良かったんですが、まぁ起きてても問題ないので」
首を傾げる彼をそのままに、立ち上がってルカリオさんの正面に立つ。
少し下がった目線が新鮮。私の方が高いって変な感じ。
戸惑うルカリオさんの両肩に手を置いて、顕になっている首に顔を近づける。
「えっ、ア、アンナっ!?」
両肩を押さえているせいで動きづらいルカリオさんの左耳の下に唇をぐっと押し付ける。
えっと。どれだけ押し付ければいいんだろう。
とりあえずたっぷり五つ数えてから離れた。
「アンナ……?」
ほんのりと赤く染まったルカリオさんの困り顔に胸のモヤモヤがちょっとスッキリした。
「仕返しです」
「……。え?」
肩から手を離して、ルカリオさんの横に座り直す。
気恥ずかしくて顔を見れないので、正面の床に視線を落とした。
「キスマーク……つけたの、怒ってるんですよ?こんな見えるところにつけることないじゃないですか。知らないで歩き回ってたなんて、ちょっと…恥ずかしい、じゃないですか…」
本当はちょっとじゃない。かなり恥ずかしかった。
私の気持ちも知らず「気がついた瞬間を見たかったな」とか言うんじゃない。反省しろ、反省。
「だから、仕返しです。明日、私と同じくらい恥ずかしい思いをしてください」
ビシッと言ってやったのに、なぜか笑われた。
え?もしかして、それもご褒美なの?
しまった。喜ばせてどうするよ、私。
でも、しちゃったもんは仕方ない。明日の様子次第で、別の仕返しを考えようか。
「アンナ…」
「じゃ、戻りますね」
やる事が終わったので、すくっと立ち上がる。
背後で何か動いた気がして振り向いたら、なぜか私が座っていた場所にルカリオさんが倒れこんでいた。
どうしたの?
もしかして、もう眠いのかも。夜中だもんね。
「夜中にお邪魔しました。おやすみなさい」
「ここは昨日の…続きって場面なんじゃ……。なんでこういう雰囲気に気が付かないんだろう…」
ベッドに突っ伏したままだからか、ルカリオさんの言葉が聞き取りづらい。
「ルカリオさん?」
どうしたのかと名前を呼ぶと、起き上がった顔がとても疲れていて心配になった。
だから寝ている隙にキスマーク付けて帰りたかったのに。失敗した。
「お疲れなのに、ごめんなさい。ゆっくり寝てくださいね」
「……おやすみ…?」
ルカリオさんの為にも早く退散しようと、小走りで扉に辿り着いてから再度挨拶をして部屋を出た。
もちろん、ちゃんと鍵をかけておいた。
鍵をかける手間を省いてあげるなんて、私ってば気が利いてる。
上機嫌で自分の部屋に入ってから気がついたんだが…。
せっかく起きてたんだから、あのままリベンジ突入しても良かったんじゃ…………。
まぁ……もう部屋に戻っちゃったし。引き返すのも恥ずかしいし。…………うん。仕方ない。仕方ない。
心の中で反省しつつも、この日もぐっすりと熟睡した。
翌日、キスマークひとつついていない首筋を見て「なんで!?」と驚く私を見て、「今度、付け方をおしえてあげますね」と迫力のある微笑みで告げられた。
悪寒が走ったのは気のせいだと思いたい。
これにて帝国編が終わりです。
次話は閑話にするか、変態蠢く本編にするか悩み中。
ちょっとお時間頂きます。