64.王宮侍女は誘惑してみる
舞踏会は予想通り煌びやかで華やかで規模が大きかった。
そして、案の定、化粧した男性が多かった。
いや、皇帝を見た時からそんな気はしてたんだよ。よく見れば、髭がない人が多いし、肌が艶々している人も多かった。
舞踏会という事でみんな気合い入れて来ていることがよく分かる。分かるんだが、皇帝のように上手に化粧している人もいれば、女装しかけて失敗したみたいな人もいる。
男装してるおばちゃんなのか、女装しているおっちゃんなのか、よく分からない人もいる。
髭があるのはごく一部で、主にじいちゃん世代ばかりだ。そんなじいちゃん世代にも化粧じいちゃんは存在していた。
カオス。
入場して周囲を見るだけでちょっと疲れてきた。まだ踊っても無いのに。
隣を見上げると、ちゃんと男の人らしい爽やかイケメンがいる。
「癒される」
ルカリオさんがいて良かった。
だって、侯爵だとマリアンヌさんがチラつくんだもん。
ルカリオさんは、まぁ…ほら、ルカリオさんだし。
「良く似合ってますよ。帰ったらお揃いで着ましょうね」
「姉妹みたいに?ドレスで踊りましょうか」
ドレスを着た美人のルカリオさんと踊るのか。
想像するとちょっと面白い。めっちゃ盛りメイクしよう。
「ドレスの私にも惚れてくださいね」
「私好みに作り変えてあげますね」
にやりと笑うと「楽しみです」とくすくすと笑ってくれた。
まるで睦言を囁くようこそこそと話していれば、視界の端で睨んでいるどこぞの令嬢を発見した。
はぁん?狙ってた?もしかして、ルカリオさんを狙ってたのかな?
ざーんねん。婚約済みだ。諦めろ。
他にもいるかもしれない人に向けて、エスコートで取っていた腕に体を寄せてより密着してみる。
みよ、練習の成果を。
これぐらい朝飯前だ。ちょっとだけ心臓が速いけど大丈夫。まだまだいける、はず。
余裕のフリをして歩く私の心情を知ってか知らずか、ルカリオさんは右手で私の左耳を軽く揉むと右耳に顔を近づけてきた。
「耳、あかい」
ふぎゅ!!
止めろ!触んな!叫びたくなるじゃろがいっ!
キッと睨みつけると、それはそれは蕩けるような笑顔を向けられた。
そうだった。これは喜ぶ反応だったよ。
学習しろ、私。
王太子夫妻が入場してしばらくして、皇帝と皇后が入場した。
二階の張り出し部分で程よい長さの演説をした後に「音楽を」と芝居掛かった仕草でオーケストラに指示を出し、舞踏会が始まった。
ダンス?練習しましたともさ。
すっごい頑張ったんだよ。おかげで足は踏まなくなったし、ステップはそんなに間違えなくなった。
まぁ、全部のステップ覚えられないので二、三曲に絞ったけどね。それ以外は踊れません。
全部、ルカリオさんとだけ踊るからいいもん。
私に声かけてくる人なんていないだろうと思ったけど、何人かいた。
化粧マジックすげぇ。私の技術すげぇ。
ボロが出るのも困るので、やんわりとお断りした。
「十分可愛いんですから、自覚してくださいね」
惚れた欲目の婚約者に忠告されたけど、社交辞令って言葉は知っているので大丈夫。
むしろルカリオさんの方が気をつけて欲しい。このカオスの中で爽やかイケメンなんて貴重ですから。
大きな会場なんだけど、人も多いから広く感じない。ところどころ密集地になってるけど。
二曲踊ってから、ルカリオさんと一緒に会場をそぞろ歩きしてみる。
色んな人がいて面白い。
ついつい男性の化粧とか服装に目がいきがちなんだけど、美容大国なだけあって女性の化粧やヘアスタイルが新鮮で面白い。
あちこちで聞こえてくる噂話もけっこう面白い。
どこぞの子爵は鬘を楽しむ為に髪を剃り落としたとか、眉毛を抜きすぎてなかなか生えてこない令嬢の話とか。
基本的に噂話って国が変わっても変わらないもんだよね。
人を見て楽しんでいると、会場の端で侯爵夫妻を発見した。
人が多くても、知り合いはすぐに見つけられるって本当だね。
侯爵夫妻は見知らぬ婦人と談笑していた。婦人の背後にいるのが夫だろうか。侯爵夫人がとても嬉しそうな顔をしているから、彼女が昨日言っていた親友なのかもしれない。
親友らしきご婦人は、なんだか侯爵様に似ている気がする。毒気を抜いたマリアンヌさんというか、マリアンヌさんとオリビア様の中間というか。うーん、ご親戚?
……まぁ、いいか。関係ないし。
そんなことよりも、帝国のワインを飲み比べてみようか。
ルカリオさんを誘って飲食コーナーへ行けば、ワインと並んで知らないお酒もあった。ルカリオさん情報によると火酒という種類のお酒でアルコール度数が強いらしい。お酒なのに火が点くというので、ちょっと興味があるがやんわりと止められた。
一本買って帰ろうか。……いやいや冗談です。笑顔で迫ってこないで。
帝国のワインもなかなか美味しかったです。
私の部屋にある特級ワインには及ばないがな。ふっふっふ。
楽しくも疲れた私は皇居宿泊です。
マジか。
本当に部屋を用意してやがった。
着替えが…と言いかけたら、用意させているから大丈夫と言われて折れた。
これ以上は逆らえません。
ルカリオさんと別れて案内された部屋は一人用にしてはやけに広かった。
寝るだけなのにもったいない。いや、贅沢というべきか。
でも、この広いベッドは魅力的。手足を伸ばして寝れるよ。すごっ。
帝国式の部屋を見て回っていたら、背後で扉が開く音がしたので振り返ると驚いた表情のルカリオさんがいた。
「ルカリオさん?」
何か用だろうかと声をかけたら、すごい勢いで振り返って取っ手を握った。開けようとしたようだが、ガチャガチャと音が鳴るだけ。
え?鍵掛かってる?
「ビードル夫人!ここを開けてくださいっ」
ルカリオさんが叫ぶと扉の向こうから何か声が聞こえたが、距離的によく聞こえなかった。
扉に頭を預けてため息を吐いてる背中に近づいて声をかけた。
「ルカリオさん?どうかしました?」
ちらりとこちらを見たルカリオさんの顔は、困っているような途方に暮れたように見える。
「……鍵をかけられてしまいました」
「鍵?え?でも中から開けられますよね?」
扉の取っ手付近を見たが、鍵らしき物が見当たらない。あれ?隠すタイプ?どこだ、鍵?
「この部屋は外鍵だけなんです」
「え?ってこと、は…」
「朝まで開きません」
は?
ええ!?朝までルカリオさんと二人っきり!?
はあぁぁ!?
皇居の要人用の部屋は内鍵がなく、外鍵のみの部屋があるのだとか。
もしもの時に警護の者がすぐに入れるようにだとか、その昔貴族を拘束する牢屋の代わりだったとか色々説はあるらしい。
いや、付けろよ。もしもの備えより、簡単に出入りできる部屋とか普通に嫌だわ。
ルカリオさんは、もう遅いからと侯爵様が部屋を用意してくださったと言われて、ビードル夫人に部屋まで案内されたらしい。
ビードル夫人…。あの、ババア。何してくれてやがる。
あの、何か企んでそうな笑い方はこれか!
てか、侯爵様も一枚噛んでんのか。なんなんだ。絶対に面白がってるだろっ。あの美魔女オヤジめ。
くそう。と思う反面、強制的に二人っきりってチャンスじゃないかと思わなくもない。
いや、待て。まだ準備ができてない。色々と、準備が……。
いやいや、でも、これっていい機会では?
私のことだから何かきっかけがないとうだうだ考えちゃいそうだし、タイミング的に良いんじゃない?
明かりを消したら気になるところは見えないんだし、女は度胸っていうじゃないか。
「あのっ」
意を決して顔を上げて話しかけたら、ルカリオさんは枕を長椅子に移動させていた。
え?なにしてんの。
「安心してください。私はこちらで寝ますから」
「え?いやいやいや。ダメですよ。疲れが取れませんよ。そんな所に寝るぐらいなら、ベッドで……」
寝ましょうよ。
って、誘ってる?え?私がルカリオさんをベッドに誘ったことになってる。なってるよね。
「あ、ぅえ…っと」
ちょっと、ちょっと待って。
一緒に寝ようってなんだ。誘ってんのか、誘ってんだなっ!
つまりそういうことしましょうって誘ったんだな。わたしがっ!!
女性から誘うってどうなの。いや、聞くけど。聞いたことも見たこともあるけども。
「待って。ちがっ、いや、違くなくはないのかもしれなくもないんだけれどもっ」
「アンナ。ちょっと落ち着いて」
大丈夫。落ち着いてる。
大丈夫。私は落ち着いているんだ。
いいんだよ、誘って。チャンスだって思ったじゃん。
そう、チャンスなんだ。タイミングだ。
頑張れ、私。
女は度胸だってマチルダおばちゃんが力説してたじゃないか。
「大丈夫。落ち着いてます。大丈夫なんで、一緒に……てもだいじょうぶなんですっ」
「そんな全身真っ赤にして言われると、……困ったな」
困るって何が。
人が死にそうな思いで誘ってんのに、困るってなに。
それでも婚約者か!?
「だから、大丈夫って言ってるじゃないですか。そんなに一緒が嫌なら私が椅子で寝ます」
「嫌なわけないでしょう?アンナ、一緒に寝るという事がどういう事かちゃんと分かってますか?」
分かってる。
閨教育なんてさらっとしか教わってないけど、経験上知識だけは豊富だ。なんなら現場に遭遇したことも数知れない。ほとんどが上級者向けなので、実践で活用できるかは謎だが。
「分かってます。全部分かった上で言ってるんです。それとも、嫌…ですか?」
これで嫌がられたら泣く。
身長差のせいで上目遣いになるのがあざといかな?と思ったら、正面からぎゅっと抱きしめられた。
うぎゃあ!!不意打ち禁止っ。
「そんなわけないでしょう。大事にしたいと思ってたんです。でも、アンナがいいなら我慢しません」
少し掠れた声がルカリオさんも緊張しているみたいで、私だけじゃないんだとほっとした。
心臓がドコドコと脈打つ。
女は度胸。女は度胸。
「……ぅゔ。……が、我慢しなくて、いい、です」
行き場のない手を彼の背中に回して服を掴むと、その胸に擦り寄る。
顔見て言えるわけないじゃん。こんなセリフ。
ルカリオさんは、私の後頭部と背中に手を当ててぎゅっと強く抱きしめた。ほんのりと香っていた匂いに包み込まれる。
そして、ほんの少しだけ力を緩めて私を見下ろした。
優しく甘い視線に欲を孕んだ熱が加わるだけで、いつもと違う雰囲気になる。これが色気か。
体の奥がぎゅうっと握られる感覚を覚えながらも、目が離せない。顔が、体が熱い。
見つめ合う中、知らず、喉を鳴らしたのはどちらだったのだろう。
引き寄せられるように近づいてくる彼の熱を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。