59.王宮侍女は旅に出る
王都ランドリアからシベルタ帝国との国境まで馬車で二日。そこから帝国の首都ノヴァイスルクまでおおよそ三日。合計五日の旅程となる。
帝国の首都がうちの国に近い距離にあるので、行って帰るだけで半月もかからない日程が組める。
馬車移動で、途中休憩や宿泊を含んでの日程なので、早馬を飛ばせばその半分で着いてしまうらしい。早馬というのは、例のアレだ。馬を換えて乗り継いでいく強硬手段。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、自作のクッションでお尻を守りつつ初めて見る景色に目を奪われていた。
いや〜、見渡す限りの麦畑って初めて見た。収穫後だから刈り取った跡と茶色い土しかないんだけどね。
その畑の中に茶色の半円みたいな物が点在している。小屋ぐらいの大きさがあってロープで縛られている。なにあれ?
「あれは、麦稈ハウスですよ」
「麦稈ハウス?」
向かいに座ったルカリオさんが、窓の外を見ながら教えてくれた。
小麦の収穫後の藁を集めたもので、麦稈ハウスとか麦稈ドームとか呼ぶんだとか。
集めた藁は、牛や豚たちの寝床になるんだって。知らなかった。
荷馬車にこんもりと積んでるのは見たことがあるけどね。へー、あんな風に集めるんだ。
「面白いですね」
「この辺りは穀倉地帯ですから、しばらくはこんな風景ばかりですよ。でも、もう少し先に風車がありますよ」
「風車っ。私、本でしか見たことないです」
すごい。
旅行すごい。
本や人の話では知っていても、実際に見るのは想像以上の驚きがある。
見渡す限りの麦畑を見た時は驚きすぎて言葉がでなかった。平原っていうけど、確かに平らだ。王都でも見えていたのに、山はどこいった。
無くなった山も気になるが、風車楽しみ。
まだかな?とワクワクしながら窓の外を見ていると、軽く肩を叩かれた。振り向くとルカリオさんの顔がすぐ近くで……でぇぇぇぇ!!
「んごっ!」
淑女にあるまじき声が出た。
反り返った時に後頭部を打ったから仕方ない。
ゴンって音が出た後頭部を両手で押さえて痛みに耐える。
痛い。
「大丈夫ですか?」
いつのまにか横に座っているルカリオさんがオロオロと気遣ってくれるけど、貴方のせいだからね。
くぅ。痛い。
頭撫でたからって誤魔化されないんだから。
「すみません。はしゃいでる姿が可愛くて、つい…」
ついってなんだ。
つい、でキスすんのか。毎回、毎回、似たような言い訳して。可愛い顔すれば絆されると思うなよ。
「…すみません」
しょげるルカリオさんのおでこをペチンと叩く。無言の抗議だ。くそぅ。
そんな顔しても無駄なんだから。
くっ。
ぐぬ。
無駄……うぐぐぐ。
注意事項。
動いてる馬車は大人しく乗りましょう。迂闊に動くと、頭とか歯とかぶつける羽目になり、大変危険です。
今回、なんとシベルタ帝国の首都ノヴァイルスクへ行くことになりました。
外交官として皇帝の即位二十周年を祝う記念式典に出席しろと、クリフォード侯爵からルカリオさんに辞令が下ったそうだ。
すると、なんということでしょう。婚約者として私も同伴することになったのです。
そういや、前にそんなことを言われた気がするわ。
初めての帝国。
初めての旅行。
「初めての婚前旅行ですね」
「うひゃっ。み、耳元で喋るの禁止っ」
「無理です」
爽やかに即答したぞ。
耳の近くで話されるとぞわぞわするんだよ。首とか肩まで鳥肌がたつからやめてほしい。
終始ご機嫌なルカリオさんとの旅行も三日目。もうすぐ国境を越えて、今日中に帝国領に入る予定なのです。
国境を越えるのも、帝国に行くのも初めてで、ワクワクが止まらない。
だが、似たような景色と適度な振動は次第に眠気を誘い、気がついたらルカリオさんに膝枕されていた。
どういう状況だ。
目が覚めたら横になった状態で、少し硬めの枕がなんだか温かいなぁとか、ルカリオさんはどこに行ったんだろうなんて呑気なことを考えていた。寝返りして上を向いたら、ルカリオさんの寝顔があって、驚きすぎて固まった。
奇声を上げなかった私、グッジョブ。
そろりと見上げると、ルカリオさんは熟睡しているのか起きる気配はない。馬車の揺れに合わせて前髪が揺れる。
眠っている顔は無防備で、なんだか可愛い。
なんだろう。胸がふわふわして、顔が緩んでしまう。
にやけそうな顔を両手で押さえながら、ルカリオさんが起きるまでその寝顔を堪能した。
無事に帝国領に入ったが、私の期待を裏切るように窓の外の変化は乏しいものだった。
どこまでも続くのどかな街道と草木がまばらに生えた平原。
「あんまり変わらないんですね」
「この辺りも農村が点在しているぐらいですからね。街まで行くと異国情緒がありますよ」
大人しく向かい側に座ったルカリオさんが、解説しながら教えてくれる。
その合間に、私の帝国語がおかしくないかチェックしてもらったり、注意事項なんかを教えてもらっている。
「ルカリオさんは首都まで行ったことって…」
「ルカリオ」
「はい?」
「そろそろ敬称を外して呼んでくれませんか?婚約者ですし」
……………………。
ですか。そうですか。そうですよね。
なんていうか、呼び方を変えそびれたというか、照れ臭いからそのままでいいか、なんて思っていたというか。
まさかの、ここでの変更希望。
「そ、それなら、ルカリオ…さんもそうじゃないですか」
私だけじゃないもん。
ルカリオさんだって「アンナさん」じゃん。
ほーら、そっちだって恥ずかしいんじゃん。
って余裕かましてたら、ヤバい笑顔が返ってきた。なんでだろう、姉の聖母の微笑みに似ている気がする。
思わず背筋を伸ばしたのを見計らったようにルカリオさんが口を開いた。
「アンナ」
「…ぐっ!!」
思わず胸を押さえて上体を折る。
ヤバい。
なに、これ。ヤバい。
ドッドッドッと心臓が早鐘を打つ。
「アンナ」
うぐっ!
ヤバい。心臓止まりかけた気がする。
押さえた胸を中心にしてじわじわと熱が広がっていく。全身に広がったら、熱さで倒れるんじゃないだろうか。
大きくて温かい手が私の左耳に触れる。そっと摘んだ指は優しくてくすぐったい。
耳殻をなぞって顎のラインを指が滑る。徐々に優しく力がこもった指は抗えない強さで私の顔を上げさせた。
見上げた視線の先では、優しいけれど欲をたたえた目が私を貫く。
「アンナ」
愛おしそうに名前を呼ぶその唇から目が離せない。
何かを言いたくても言葉にならず、開いたままの唇にルカリオさんの指が添えられた。
「………ぁ…」
甘やかな雰囲気が満ちる中、ゆっくりと近づいてくるルカリオさんを見ていることしかできない。
近づく熱を感じて、ゆっくりと目を閉じる。
トントントン。
「っ!!!!!!」
「えっ!うわっ!!」
「大丈夫ですか!?」
御者台からのノックにびっくりして、思わず目の前にいたルカリオさんを突き飛ばしてしまった。
反対側に倒れ込んだ際に出た派手な音に、御者が慌てて声をかけてくる。それにルカリオさんが体制を立て直しながら応えていたが、その様子を気にする余裕など無い私は、必死に呼吸を整えていた。
び、び、びっくりした。
今度は違う意味で心臓が早鐘を打つ。
バクバクする胸に両手を当てて沈めていると、ルカリオさんが苦笑気味に「到着しましたよ」と教えてくれた。
到着したのは、今夜の宿。
いつのまに街に入っていたんだろう。全く気が付かなかった。
馬車から下りようと腰を上げたら、手を掴まれて対面に座っていたルカリオさんの膝の上に乗り上げてしまった。
普段見上げる顔を見下ろすのはなかなか新鮮。
いや、そうじゃないだろ。
この体勢はなんだ。離せ、心臓が壊れる。
ガッチリと手首を掴まれ動けない私を見上げた視線は爛々と輝いて見えた。
「慣れる為にも、首都に着くまでスキンシップ多めにしますね」
「え、無理」
心臓がもたない。
「ダメです」
私の拒否を笑顔で却下したルカリオさんは、素早く耳の下にキスをして晴れ晴れと笑ったのだ。
「頑張って、アンナ」
むりむりむりーーー!!
残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ暑さが続く中、物語は秋ですがちょっと熱めです。