58.王宮侍女は土下座したい
お姉ちゃん、ピンチです。
なんでか、そんな言葉が浮かんだ。
そんな場合ではないというのに。
「アンナ。聞いているの?」
「はいっ、聞いてます」
穏やかで優しい声。のはずなのに、なぜだろう、さっきから冷や汗が止まらない。ほんの少し指先が小刻みに震えている。
姉に助けを求めたいが、その姉が私を追い込んでいる。
この矛盾した状況を作り出したのは私なので、甘んじて受けなければならない。
「私の寂しい胸の内が分かるかしら?」
片手を頰に当て、伏し目のまま吐息をもらす。
憂いの麗人というタイトルでもつきそうだが、その憂いの原因が私である。
「はっ、誠に、この度は申し訳なく…はい」
「たった一人の妹の婚約を、他人から知らされたこの悲しさ、惨めさが、分かる?」
「申し訳ございませんでしたぁぁ!!」
座ったまま深く頭を下げたせいで、テーブルに頭をぶつけた。
ゴチって音した。目の前に星が飛んだけど、そんな事はこの静かな怒りの前には些細な事だろう。
「謝らなくていいのよ。なんの相談もしてもらえない不甲斐ない姉ですもの。恋愛相談どころか、婚約した報告もしてもらえない頼りない姉なんですもの」
「や、でも、それは、色々とあっという間に決まっちゃって…」
だって、私も訳がわからないうちに進んだんだもん。
「ミレーヌから聞いた時には、あまりの衝撃にカップを落としてしまったわ」
「え!?怪我は?怪我してない?」
「怪我はしていないけれど、私の心の中は傷だらけよ」
おおぅ。なにを喋っても藪蛇になる。
どうすればいいんですか。誰か、助けてください。
………無理だ。ここは伯爵家。姉の嫁ぎ先だ。
私の味方なぞ、目の前の姉以外にいるわけがない。
「それで?」
しばらく気まずい沈黙の後、姉が微笑み魔神のまま何かを促してくる。
それで?
それで、なんだろう。これ以上の謝罪となると椅子から降りて地べたでの謝罪しかない気がする。
地べた……。いや、絨毯が敷かれてるけど、でも地べた。それは淑女としてどうよ。
「アンナ?」
姉の圧が熱風なみに襲ってくる。
これは腹を括らねばならぬ。
そっと椅子から立ち上がるとその横に座り込んだ。
「え!?ちょっと、なにしてるの、立ち上がりなさいっ」
直後に慌てた姉が椅子から立ち上がり、駆け寄ってきた。
あれ?なんか間違えたっぽい?
姉に手を取られて立ち上がる。
「もう、驚いたわ。子どもではないのだから床に座ってはダメよ?」
「そういうつもりじゃ……」
なかったんだけどなぁ。
やっぱり間違えたらしい。
「それで?今後の予定はどうなっているの?」
椅子に座り直して、場を仕切り直すように姉が聞き直してくれた。
しかし、答えを持ってない私は、あざといのを承知でこてんと首を傾げて一生懸命に愛嬌を振りまく所存。
「……………」
「……………」
「………えへ」
耐えきれずにへらっと笑ったら眉を顰めてため息を吐かれた。
地味に傷つく。
姉は扉に控えていた使用人を呼んで何かを伝えると、私を見てにっこりと微笑んだ。
「少し、おしゃべりをしましょうか」
「はい。喜んで」
「ふふ。嬉しいわ。そうね……プロポーズはどちらがしたの?」
「それは……え!?え!?」
「どちら?」
「え、えっと、ルカリオさん、から」
「まぁ。そうなの。どこで?」
「え?言うの?」
「どこで?」
「こ、公園」
「どこの?」
「どこ?えっと、たぶんアメルダ公園かな」
確認したわけじゃ無いけど、位置と特徴から考えるとアメルダ公園だと思う。
その後もおしゃべりというより質疑応答のような会話で色々と、本当に色々と聞かれた。
「じゃあ、本当の本当に、私が最後なのね……」
実家に行った話からガルシアン家に行った話まで終えて出た姉から哀愁が漂ってくる。
なんか、すみません。
でも、でも、流れるように色々あって……はい、言い訳です。ごめんなさい。
「結婚式のドレスは用意させてくれるのよね?」
「あ、それは、ニナ義姉さんが張り切ってたから…」
「そう。……ニナ義姉さんなら、仕方ないわね」
うぅ。空気が重い。
だって断れないし、断る理由がないし。
「あんなに愛情込めて育てたのに、連絡は最後だし、ドレスも用意させてくれないし。はぁ、お姉ちゃんかなしいわ」
もうしわけございません。
「あ、でも、ほら、妊婦は無理しちゃダメって言うし」
「ニナ義姉さんも同じよね?」
「……ですよねぇ」
もう何を言っても藪蛇にしかならない。
どうしたらいいんだ。
にっこりと聖母の如く微笑んでいるのに、冷や汗が止まらないのはなぜ。
伯爵帰ってこい。今なら許す。
秒で帰ってこい。そして同席を許す。
こんなにも姉の夫に会いたくなるなんて、人生ってわからないものだね。
姉を止めろとは言わない。注意をそちらにも分散してくれ。じゃないと、私の心臓がもたない。
しかし、私の願いを聞き届けたのは伯爵ではなく、ルカリオさんだった。
「お招きありがとうございます、クロイツェル伯爵夫人」
執事に案内されてやってきたのは、私の婚約者だった。
聞いてないよ。
ルカリオさんを凝視すると、淡く微笑み返されて顔が熱くなった。
不意打ち。いや、不覚。
「ようこそ、ガルシアン卿。突然お招きしてごめんなさいね」
「お伺いしたいと思っていましたので、ちょうど良かったです」
「そう言っていただけると嬉しいわ」
「伯爵へのご挨拶はまた後日伺わせていただきます」
「ええ、歓迎します」
ひととおり挨拶を終えて、ルカリオさんが私の隣に座る。
「お仕事は?」
「終わらせましたよ。あとは貴女と過ごすだけです」
うぎゃっ。
さらっと。さらっとそういうこと言う。
頰が熱い。たぶん顔が赤くなっているんだろうけど、どうしようもない。
ちらっと姉を見ると、微笑ましそうに私たちを見ていた。
くぅ。恥ずかしさが倍増なんだが。
「仲が良くて結構だわ。ルカリオ・ガルシアン卿、まず先に貴方に一言お伝えしたいことがあるの」
「はい。なんでしょうか?」
ルカリオさんの言葉に姉は他所行き全開の笑顔を浮かべた。
「アンナを蔑ろにしたら、私が全力をもって潰しますわ。重々、肝に銘じておいてくださいね」
聖母の如き微笑みで何言ってんの、お姉ちゃんっ!!潰すってなにを!?どこを!?
「もちろんです。蔑ろなんてとんでもない。嬉し泣きはさせても悲しませて泣かせることは無いように努力していくつもりです」
「……嬉し、泣き?」
ブレない。でも、その発言は今は違う。
何かツッコまれる前に姉の注意をこちらに向けようと慌てて話しかけた。
「わ、私もね、出来ること頑張っていくからっ。だから、お姉ちゃんも大変だろうけど、あの、たまにね、その……頼っても、いいかな……?」
妊娠中の姉に頼むのは気が引ける。私が結婚する頃は一児の母になっているわけだし、私に構う時間なんてあるわけ無い。
分かってるけど、たまに、ほんのちょっとだけ、相談の手紙ぐらいは許して欲しい。
図々しかったかもしれないと、後半は尻すぼみになってしまった。
「もちろんよ。遠慮しないで、たくさん頼ってちょうだい」
姉は少し驚いた後でくすりと笑った。
向けられる笑顔も、優しさも、全部、全部、私の事を思ってくれているのが分かる。
あぁ、お姉ちゃんがお姉ちゃんで良かった。
不意に泣きたいぐらいに嬉しくなった。
半分しか血が繋がっていないと思っていた時から大好きだったから。わだかまりが無くなった今ならなんの杞憂もなく言える。
「お姉ちゃん、大好き」
「まぁ。私もよ」
やった。両想いだね。
にこにこと笑い合う私の隣から「私も大好きですよ」という声が聞こえて、瞬時に赤面したのは仕方がないと思う。
お姉ちゃんその生温かい視線はさらに恥ずかしいのでやめてください。
「ドレスは義姉さんに譲るけど、貴女の花嫁支度は私がします。よろしいわね?」
これ聞いてるけど確定事項だよね。
私は「よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。隣でルカリオさんも頭を下げていた。
お姉ちゃんも、ニナ義姉さんも、お父さんもお兄ちゃんたちにも祝福されている。
嬉しい。
うれしい。
じわりと胸から溢れ出す多幸感に目頭が熱くなる。すかさず、横からハンカチで涙を拭き取られる。
「あ、ありが…」
「そんな可愛い顔見せないで」
耳元で囁かれて、スッと涙が引っ込んだ。秒で。
思わず表情が抜け落ちたわ。
ルカリオさんはやっぱりルカリオさんだった。
いや、それより姉に聞こえてないよね。
姉を盗みみれば微笑ましそうな顔で見ているから大丈夫っぽい。………いや、それはそれで恥ずかしいというか。
うぅぅ。ルカリオさんのバカ。
ジッと睨んだら何故か喜ばれた。
その後、お姉ちゃんとルカリオさんとで、結婚式や新居の話が弾み、盛り上がり、色々と決まっていった。
私?もちろん、置物のように静かに拝聴してましたよ。だって、反論する事案なんて何ひとつとして無かった。
私をよく知る姉と、私を知ろうとしてくれる婚約者の二人で話してるのだ。文句のつけようがない。
どこまで見抜かれてるんだ。
ちょっと嬉しいとか思っちゃうのはダメだろうか。
8月突入です。突入してしまいました。
次話迷い中なのと、忙しいので盆明けを予定してます。
ラストちょっと表現を変更するかもしれません。