57.王宮侍女は躾ができない
マシューさんの家はここから歩いて20分くらいらしい。意外と近い。
歩いても大丈夫かと聞かれ、私もルカリオさんも頷く。貴族の淑女らしくない脚力もってますからね。平気なんですよ。
意外だったのは、アナベルさんも歩くのに不満を言わなかったこと。
顔つきがちょっとキツめなので、見た目だけだと冷たくて神経質そうな感じがしたから余計に意外だった。
ふたりで歩く姿がとても自然で、普段から散歩とかよくしているのかもしれない。なんだか微笑ましい。
「すみません。疲れましたよね」
前を歩くふたりを眺めていたら、ルカリオさんが眉を下げて話しかけてきた。なんだか可愛い。
「でも、思っていたより大丈夫でした」
ルカリオさんから聞かされたご両親の印象は『真実の愛』の盲信者みたいだったけど、現実はベタベタのバカップルだった。
何を話しても『運命』だの『真実の愛』だのとのたまうのは、正直辟易したけれど、当初思っていたよりも嫌悪感はなかった。
なんでだろう。
私とルカリオさんも『真実の愛』で結ばれているのだと思いこむのはイラっとしたし、人の話を聞いてないところもイラっとしたけど、拒絶感はなかった。
なんでだろう?
首を捻っていると「着いたよ」とマシューさんが声をかけてくれた。
そこは三階建てのこじんまりとしたお家だった。こじんまりとした庭があり花壇と庭妖精の置物が置かれている。屋敷としては小さいが、王都の一軒家なのだからお値段は高いはず。
貿易商をやってるという話だったが、そこそこ儲かっているのかもしれない。
お祝いの品が別室にあると、アナベルさんがルカリオさんを連れて行ってしまったので、なぜかマシューさんと玄関で待つ羽目になっている。
ほぼ初対面の婚約者の兄と何を話せばいいと言うのか。
伯爵夫婦と長男夫婦との対面で、擦り切れた精神力はゼロに近い。
頭をフル回転して気の利いた話題を探していたが、運良く向こうから話しかけてくれた。
「ルカリオは末っ子だが、真面目でしっかりしていてね。両親があんな感じだったから、変に冷めてしまってね」
なんか語りだした。
伯爵夫婦も長男夫婦も自分たちの話ばっかりだったから、意外。家を出てることといい、ふたりで歩く姿といい、次男夫婦は色々と意表をついて来る。
「君といるルカリオはとても楽しそうだった。久しぶりにあんな顔を見たよ。これからも弟をよろしく頼むね」
長男も次男も父親似で、ルカリオさんは母親似だった。だけど、笑い方がよく似ている。
やっぱり兄弟なんだなぁ。
そして、ちゃんとお兄ちゃんなんだなぁ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
なんだろう。
ルカリオさんが大切にされてると思うと嬉しい。にっこり笑うと、なぜか困ったような苦笑いみたいな表情になった。
「ひとつ。お願いがあるんだけど、聞いてもらえないだろうか?」
「?私にできることでしょうか?」
「ああ。なに、簡単なことだよ。毛虫を見るような目で私を見てくれないだろうか」
「…………は?」
聞き違いだろうか。毛虫?
「いや、毛虫でなくてもいい。嫌いな虫ならなんでも…虫でなくてもいいんだ」
は?
何言ってんだ、こいつ。
思わず取り繕うことが出来ずに、半目になった私を誰が責められるというのか。
それなのに、マシューさんは嬉しそうに胸に手を当て、頬を染めて笑った。
「ああぁ。イイ。やはり、見込んだ通りだ」
キラキラした瞳を向けられても困る。
顔を紅潮されても困る。
キモい、キモい、キモい。
なんだ、どういうことだ。誰か説明してくれ。
ルカリオさん、ルカリオさーん!ヘルプです、ヘルプ!!
膝をついて悶えるマシューさんを見下ろすことしかできない。
そんなカオスな中、救世主は階段を降りてやってきた。
「あなたっ!何をしてらっしゃるのっ!!」
怒りも露わにアナベルさんが階段を駆け降りて来る。
吊り上がった目が怖い。
私何もしてないですよ。と言いたかったが、彼女の視線はずっとマシューさんに注がれている。
「あぁ、アナベル。君ほどでは無いが、彼女も素質があるよ」
「人前でやらないと約束したではありませんか。私との約束を破るおつもり?」
「違うよ。そうじゃない。ルカリオと結婚したら彼女は身内だろう?」
「まだ違います。それなのに、私との約束を破るなんて」
「アナベル。悪かった。すまない、そんなつもりじゃなかったんだ」
「お黙りなさいっ」
何が起きてるんだろう。
アナベルさんは足元にすがるマシューさんを冷たく見下ろしている。その視線が大雪の中の吹雪かというぐらい冷たい。
あんな目で見られたら心折れる。
なのに、熱い吐息を吐きながら心酔しきった表情で見上げるマシューさん。強者か。
「アンナさん。兄さんがすみません」
ルカリオさんが包装された箱を手に隣にやってきた。
さりげなく腰を引き寄せるのに慣れつつある自分に照れる。
「いえ。それより、止めなくて大丈夫ですか?」
目の前で、マシューさんがアナベルさんの足に縋りつき…あ、蹴られた。
うわぁぁ…。なんで嬉しそうなの。
「兄は……その、女性に見下されるのが好き…らしくて…」
「………は?」
「普段は隠してるのですが、アンナさんが身内になるので、その、たぶん、気が緩んだみたいですね」
「はぁ…」
なるほど。……って、いやいや。なに、そのカミングアウト。
要らないよ。
気を引き締めろよ。隠しとけよ。
アナベルさんが指で二階を指し示し何かを言うと、マシューさんは嬉しそうに二階へと向かう。その様子はどう見ても「ハウス」だ。
マシューさんは階段の途中で「ふたりともまたね」と手を振ってきたので、ついつい振り返してしまった。
理解ができない状況に開いてしまった口を慌てて戻すと、アナベルさんが申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「アンナさん、ごめんなさいね。驚いたでしょう?二度としないように厳しく言っておきますからね」
「え、あ、は、はい」
「ルカリオもごめんなさいね」
「義姉さんも大変ですね」
「私はそれも込みで結婚したからいいのよ」
ふたりで分かり合ってるみたいに笑い合う。
なにその身内感。いや身内なんだけどさ。
なんかもやっとする。
「アンナさん?」
ルカリオさんの声で、自分が彼の袖を掴んでいることを知って慌てて離す。
うわっ。なにしてるんだろう、私。
「そろそろ帰ります。お祝い、ありがとうございました」
「また来てちょうだい。歓迎するわ」
アナベルさんはさっきまでの冷酷な顔が嘘のように朗らかに見送ってくれた。
もしかして、ルカリオさん相手だから?
いやいや。いくらなんでもそれは、ない。ないよね?ないはず。
「アンナさん?」
「うわっ」
不意に目の前にルカリオさんの顔があって、驚いて二、三歩下がる。
びっくりした。
「どうしたんですか、ぼぅっとして」
心配そうな顔に「大丈夫です」って返すのが正解だと思うのに、さっきの光景がチラついて別のことを口走ってしまった。
「お義姉さんと仲がいいんですね」
不思議そうに瞬きする顔を見て、しまったと口を片手で塞ぐがもう遅い。
何言ってんの。こんなの、まるで…
「嫉妬、しました?」
言い当てられて顔が熱くなる。
恥ずかしい。
両手で顔を包むと自分でも分かるぐらい顔が熱い。
「嫉妬してくれたんですね」
「な、なんで、嬉しそうなんですかっ」
こっちは恥ずかしくて逃げ出したいのに、笑顔全開でぐいぐい近づいてくる。
くそっ。離れろ。見るなあぁ!!!
手を上から重ねられる。力を込めてないのに、その手に逆らえなくて引かれるままに両手を下ろさせられる。
「嬉しい」
ぐっ。
きらきらした目で見ないで欲しい。
こっちは羞恥で死にそうなのに。
なのに、言葉は口から出なくて唇を噛んだ。
それを咎めるようにルカリオさんの指が下唇に触れる。
あ、近いな。と思った時には唇に柔らかいものが触れて離れた。
いま、くち、くちに。
呆然としていたら、もういっかい柔らかいものが重なって離れた。
しかも…
「なめたー!」
なんで。なんで舐めるの。
唇なめる必要ある!?
「な、な、なん、なんで」
「かわいかったので、つい」
ついってなんだ。
ついで舐めるもんなのか。舐めていいのか。
ていうか、キスした。キスした。キスしたぁぁああ!!
こんなに簡単にするものなの。いや、別に場所とか夢とか希望とかないけど、ないけどー!
「嫌でしたか?」
そこでしゅんとしないで。
そんな場合じゃ無いのに可愛いなんて思う自分が馬鹿みたいだから。
「い、イヤじゃ、ないです」
なんだこの羞恥プレイは。
ぐぅぅと食いしばりながら返した返事に嬉しそうに笑った顔が近づいてきたので、両手でその口を塞いだ。
「もう無理ですっ」
これ以上は無理だ。
なんか死ぬ。何かいろいろといっぱいでもう無理よりの無理。
ルカリオさんは小さく「残念」と言って私の手を外すと、目元にキスをする。キスというか、溜まった涙を舐めた。
また、なめたーーー!!!
もう。もう。もうーーー!!
「舐めるの禁止で!!!」
「それは、無理ですね」
爽やかに笑って拒否るなー!!
ガルシアン家のぷち裏話は活動報告に掲載します。
次話は8月のどこかで。
***しつこくお知らせ***
書籍化した「王宮侍女アンナの日常」が8月5日に発売されます。