56.王宮侍女は観客と化す
ガルシアン伯爵家は遠方に領地があって、伯爵の弟が代官として治めているそうだ。
ガルシアン伯爵と嫡男のジョエルは文部省に勤めているので、基本的に王都暮らし。年に一、二回ぐらいは領地に戻るらしい。遠方だと費用がかさむもんね。つくづく、うちは近場で良かったと思う。
ルカリオさんは三男だから家督に関することからは切り離されている代わりに、何をしても自己責任らしい。本人はそれで満足しているし、私も何も文句はない。
そんなわけで、結婚したら貴族街のアパルトマンを買って暮らそうと言われている。うん。なんの文句も不満もない。
王宮へは通いになるが、結婚したら普通のことだし。
「一緒に通いましょうね」
なんて、にこやかに話す将来がむず痒くて照れ臭くて仕方ない。私、本当に結婚するんだ。って改めて思っちゃうんだよ。
最近は、将来の話に一々反応してしまい、結果なぜかルカリオさんが喜ぶという訳のわからないことになっている。
まぁ、そんな話を挟みつつ、結婚の報告に来たわけですよ。どこに?って、ルカリオさんの実家、ガルシアン家に。
小さいながらも庭付きのタウンハウスを王都に構えているのだから、裕福な部類に入るんじゃないだろうか。それでも、祖父の代に比べたら色々と縮小されてるらしい。へー。
年代物の調度品などを見ると、うちが勝ってるのは敷地面積ぐらいだなと思う。
通された部屋には品の良い年代物に混じって、派手な調度品が置かれている。ちょっとごちゃついている感がある。あの辺りはお母さんのリゼッタ夫人が揃えたものかもしれない。
お年の割に若々しく見えるのも、努力の賜物だと思う。自分が綺麗に見える術をちゃんと分かっている感じ。
すごいと感心はするけど、もう少し落ち着いた化粧でもいいんじゃないだろうか。口紅の色を変えるだけでも、気品が増すと思うんだけどなぁ。
まだ仲良くもない現時点だと余計なお世話だから言わないけど。
そんなことを思いながらご両親に挨拶をした後、兄夫婦二組も合流してのお茶会となったのである。
この時点で私の疲労度はかなりのものだった。
「ロットマン男爵領って聞いたことないわ。どの辺りかしら。田舎には縁が無くって」
「王都の北東辺りです。自然豊かでおいしいチーズが名産なんですよ」
「まあ、チーズが特産なのね。今、帝国風のチーズ料理が流行っているのよ。ご存じ?」
「そのようですね。なにぶん田舎者ですので、流行には疎くて」
「まぁ、それはいけないわ。ルカリオは外交官ですもの。結婚するなら流行には敏感でいなければダメよ。私も若い頃は旦那様のためにがんばったものよ」
「まぁ。素晴らしいですね」
返事が棒読み?疲れたから大目に見てほしい。
リゼッタ夫人は、私に話を振ってから自分の思い出話に移行していく。そんな会話を何回か繰り返したらこうなるって。
結婚の報告をルカリオさんがした時も「思い出すわ」から始まった回想が長くて、途中でルカリオさんに止められて不満そうだった。
「ルカリオとは王宮で出会ったのよね?」
「はい。クリフォード侯爵とご縁がございまして」
女装倶楽部でな。
なんて言えないけど。
「まぁまぁ、侯爵様と?ルカリオは本当に侯爵様に可愛がられているのね」
あー、うん。可愛がられているね。
ルカリオさんをちらりと見れば、何かを思い出したのか目が死んでいた。
まぁ、将来性をみてのことだし、趣味にまで引き込むんだから、けっこう可愛がられているのは間違いないと思うんだよね。
「侯爵様のおかげで出会ったのね。これは……もう運命ね。結ばれる運命だったのよ。懐かしいわ。私も旦那様と出会ったのは王宮の夜会でしたのよ」
「それは、それは、素晴らしいですね」
「ええ。そこでこの人だと運命を感じたのよ。高鳴る胸。見つめ合う瞳。そして、二人を祝福する音楽っ。全てが私たちの真実の愛を祝ってくれた夜だったわ」
「それは、素晴らしいデスネ」
ちらりと視線を投げれば、ルカリオさんが眉を下げて苦笑を返してくる。
何その顔、可愛いんですけど。
その表情は申し訳ないとか思ってるやつですね。大丈夫、スルー能力は上がってるから。
「やはり女性たるもの『真実の愛』に生きなければ幸せなんてなれないものなのよ」
「はぁ。それはとても素晴らしいですね」
スルー能力は上がっても、棒読みになるのは見逃してくれ。
意地でも笑顔は引き攣らせないから。
でも、たぶん、私の表情とか態度って気にしてない気がする。
だって、見てないし。
話を振る時はこっちを見るんだけど、すぐに伯爵を見つめながら昔話に移行するのだ。
「僕もそうだったよ。君と出会った瞬間に恋に落ちた。そして分かったんだ。これが、君への気持ちが真実の愛なのだと、ね」
「まぁぁぁ。いやですわ旦那様。恥ずかしいではございませんか」
「君への気持ちに恥じることなんて、ひとつもありはしないよ」
「私もですわ」
「リゼッタ…」
「旦那様…」
もう帰っていいですか?
結婚報告もすませたし、ほぼほぼ初対面のご両親の惚気話はきつい。もう帰りたい。
いや、初日だ。初対面なのだ。もう少し頑張れ、私。
でも挫けそう。そろそろ根性も尽きてきた。
「懐かしいわ。プロポーズの時の事を覚えてらして?」
昔話を掘り返すのはご両親だけではない。
長男夫婦もなにかのキッカケを掴んでは、昔話に花を咲かせている。頼むから今を生きろ。
「もちろん忘れるはずがないよ。君は淡いクリーム色のドレスに僕の目と同じ緑のネックレスを着けていたね」
「クリーム色?いいえ、淡いピンクだったわ」
「え?そ、そう、だったかな」
「ねぇ、どなたとお間違えなのかしら?」
「そんな間違うだなんて…、君の美しさに見惚れていてドレスの色まで覚えていなかったのさ。でも、君の可憐さは色褪せる事なく覚えているよ」
きらりんと光る鋭い視線に長男ジョエルはたじたじだ。
妻のイベットは身を乗り出して物理的にもジョエルに圧をかけている。目が怖い。
「まさか、顔しか覚えていらっしゃらないの?『君の白い肌には花のようなドレスがとてもよく似合う』とおっしゃってくださったのに」
「すまない。君自身が魅力的すぎて、ドレスまできちんと覚えていなかったようだ。もし間違ったら、今みたいに愛らしく教えてくれないか?」
………帰っていいですか?
ルカリオさんを見れば、軽く頭を抱えていた。
その様子は、これが日常なのだと物語っていて、ルカリオさんに今日何度目かの労いをかけたくなった。
大変なんですね…。
それにしても、伯爵といい、ジョエルといい、よく口が回る。まるで某子爵のようだ。
ルカリオさんは似なくて良かった。心底よかった。
……いや、たまに饒舌になるような…。でも、かなりマシなほうだと思う。
次男のマシューと妻のアナベルは我関せずといった雰囲気。
それが日常なのか、リゼッタ夫人は気にもとめていない。
「式はこちらでするのよね?だったらサン・キルグス大聖堂がいいわ。私たちもあそこで式をあげたのよ。思い出すわ、緊張した私の目の前に現れた旦那様はとてもカッコよくて…」
「それは、スバラシイデスネ」
「ねぇ、覚えていて?貴方ったら緊張で手足が同時に出ていたわ。‥‥そう言えば、あの時、妙に馴れ馴れしい令嬢に親切にしていたわね」
「誤解だよ。真実の愛を捧げた君以外に誰をみつめると言うんだい。この両目に映すのは永遠に君だけだ」
帰っていいですか?
左側で伯爵夫婦が、右側で長男夫婦が、それぞれ愛の劇場を繰り広げている。
もう疲れました。
帰っていいですか?
自分たちの結婚式の話が一段落した頃、リゼッタ夫人が私の存在を思い出したかのように話し掛けてきた。
「アンナさんはちょっと地味だから、結婚式の時のドレスは華やかなものにしましょう。…あら、でも、それだとお顔が浮いてしまうわね」
信じられる?これで悪気が無いんだぜ。
ルカリオさんが「母の言動に悪気はないんです。ただ至らないだけで」と先に言ってくれてなければ、喧嘩うってんのかこんにゃろう!って思うところだったわ。
でも、息子から「至らない」って言われる母親ってどうなの。
その息子は父親に話しかけられていて、抜けれそうにない。
テーブルの下で触れた手が謝るように優しく撫でてくる。大丈夫の言葉の代わりに、ルカリオさんの手を捕まえてキュッと握った。
「結婚式のドレスは義姉が作ると張り切ってましたので、任せたいと思っています」
「そう?お義姉様がそうおっしゃるならお任せしたほうが良いのでしょうけれど、でも王都とは流行りが違うから、あまり野暮ったくなるのもねぇ…」
殴っていいですか?
いやいや。義理の母になる人だ。我慢だ、私。
この人は素で失礼なだけ。
落ち着け、落ち着け。
表情筋を総動員させて、笑みの形を維持する。
うちのニナ義姉さんを侮るなよ?凄いんだからな。
「では、流行りのカタログを送って差し上げたらいかがですか?」
「まあ。そうね。人気店のカタログなら間違い無いわね。私の時は『マダム・フローラ』が一番人気でしたけど、最近は『シャシャ・ルー』や『クロエラ』が人気なのでしょう?」
「ではその三店からカタログを送らせておきますわ」
助け舟を出してくれたのは、次男の嫁アナベルさん。興味ありませんって冷めた表情をしてるけど、ちゃんと周囲を把握している。
なんというか、侍女に向いてる人だと思う。
反対に長男の嫁イベットはたまに口を挟むと要らんマウントをとろうとする面倒な人だ。
「『クロエラ』のイメージはちょっとそぐわないんじゃないかしら?あそこは、ほら、シックな雰囲気ですから」
はい。そうですね。私、まだ十代ですから。
って返したら反感買うんだろうなぁ。
「そうね。アンナさんはまだ十代ですものね。若々しい方がいいわね」
伯爵夫人がとてもいい笑顔で同意すると、イベットの頬が少し引き攣った。
おほほほ。うふふふ。と交わされる笑顔が怖い。
何が悲しくて嫁姑戦争を見学しなきゃならないんだろう。
頼みのルカリオさんはお父さんに話しかけられていて抜け出せそうにない。心配そうな視線を投げかけられたが、大丈夫と頷いておく。こういうのは男性が入るとややこしいのだ。
「スタンダードな物は年齢を選びませんもの。見る目を養うのも必要ですわ」
戦争の仲裁者はアナベルさんらしい。
冷たそうな表情とは裏腹に人情味のある人なのかもしれない。
そうして、表面上では穏やかにお茶会は続く。
合間に虎と獅子のじゃれあいが入るものの、表面上だけは和やかに続いていた。
あぁ、早く帰りたい。
疲れ果てた私を救ってくれたのはルカリオさんではなく、マシューさんだった。
「私達はそろそろ失礼するよ。ルカリオ、祝いの品を家に忘れてきてしまったんだ。良かったらうちに寄らないか?」
「ありがとう、兄さん。それじゃ今から伺わせてもらうよ」
辞去の挨拶を済ませて、四人で屋敷の門を出る。
マシューさんのおかげで、スムーズに屋敷からの脱出できた。
あー、かいほーかーん。
ガルシアン家一覧
父 未定 母 リゼッタ
長男 ジョエル 妻 イベット
次男 マシュー 妻 アナベル
三男 ルカリオ 婚約者 アンナ
**お知らせ**
「王宮侍女アンナの日常」が8月5日に一二三文庫さんより発売されます。