55.王宮侍女は視線を外す
ディナーまでまだ時間があるからと連れて行かれたのは、自然豊かな公園だった。
馬車で少し移動したそこは、紅葉した木と慎ましくも鮮やかな花に彩られている。水色の空に映えて絵画のような昼下がりだ。
王宮の数ある庭よりも自然に近い形で作られていて、広い遊歩道は人とすれ違うにも余裕がある。
広いせいか人が多い印象は無く、どこかのんびりとした雰囲気が漂っている。
あの芝生に敷物を敷いて横になったら絶対に寝る。
こんな良い天気なら気持ちいいだろうなぁ。
景色を楽しみながら歩いていると、前から一組の男女が歩いて来るのが見えた。
女は大胆にも男の腕に縋り付くように歩いている。近づいてくるにつれて見える女の顔は上気していて吐く息が荒い。更に目の焦点が合ってない。
似たようなのを見たことがある。
あれは、王女様と女騎士だったが。
うん。関わっちゃダメなやつだ。視線をそらしていこう。
ルカリオさんは…と見上げるとばっちり目が合った。
……なんで私を見てるんですか。前を見て歩こう?でも、今は見ない方がいいし、いいか。
視線をそっと下げると繋いだ手が見えて、ぐっと言葉が詰まる。見透かしたように繋いだ手に力を入れられ、親指で手首から指の付け根まですっと撫でられた。
やめれ。
視線で訴えたら微笑まれた。
なんでだ。なんでそんなに嬉しそうなの。
動く親指を親指で押さえ込んだらするりと抜けられて、指相撲のようになってしまった。
楽しそうに笑うルカリオさんとぶすくれた私の間にある私の親指はルカリオさんに抑えられたままという結果になった。
そんな事をしてるうちにすれ違ったが、男の顰めた声が耳に届いた。
「ほら。みんな見てるぞ。おまえが……を…てないなんて、思いもしないだろうな」
「ぁ…やめ……、お願い。…ぃわないで…」
「ふふ。……な女だな」
「やぁ……ちがぅ、の…」
………ろくでもない。
こんな公共の場で、人をダシにして、何やってんだ。
背後から蹴りつけてやろうか。
虫に刺されて痒みで寝れない夜を過ごせ。けっ。
あー、空が高い。紅葉した葉が綺麗だなぁ。
綺麗な物を見て、美味しい空気で気分を入れ替えないとやってらんない。
茂みの妙な動きや、木陰からの音なんて聞こえない、見えない。
隣を再度見上げたら、ルカリオさんと目が合った。
私はいいから景色を堪能してください。
にこっと笑うとにこりと返ってくる。
あー…、通じてないや。これ。……いや、分かっててやってるのかも。
再度指相撲が始まるのは避けたいのでスルーしておこう。
歩いてると、低木や植木の向こう側に小川を発見した。
川のせせらぎに既視感を覚える。
「いい場所でしょう?夜も綺麗なんですよ」
そういって照れ笑いをしたルカリオさんの向こう側に白い月が見える。
ふわりと駆け抜けた風がどこからか甘い花の匂いを運んできた。
「また、夜に散策しましょうね」
「そう、ですね」
気がつかなかった。
ここ、最初にプロポーズされた公園だ。
あの時は夜だったし、夏だったし、雰囲気とか全然違ったし……。
気がつかなかった事が少し悔しいのと同時に気まずくて、ルカリオさんから視線を外して俯く。
繋いだ手を指を絡ませるように繋ぎ直されて、心臓が大きく跳ねた。
ふ、不意打ち、禁止。
「さすがですっ!」
「素晴らしいです」
「うわっ!!」
急に大きな声が聞こえたせいでまたも心臓に衝撃がきた。
お、驚かすなよ。誰だよ、もぉ。
声の方へ顔を向ければ、花壇の中に立つ少年の後ろで使用人らしい二人の男がしゃがんで拍手をしていた。
なんだ、あれ。
「ふっ。僕の推理にかかればこんな謎解きなんて訳ないのであーる」
「さすがです、ぼっちゃま」
「キレキレです」
「はーはっはっは。そうだろう、そうだろう」
「ぼっちゃま、素敵です」
「ひゅーひゅー、カッコいいです」
花壇の中でふんぞり返る少年としょぼい合いの手を入れる大人。
どうでもいいが、賞賛の語彙力が少なすぎないか?それで満足なのか少年。
「よし。これで『ここ最近僕の枕元に届けられていた花の謎』は解けた。犯人は、ここに住むリスだっ」
「な、なんですってぇぇぇ」
「そんな、リスにさえ好かれるぼっちゃま素敵です」
「はー、はっはっは!!リスでさえも僕の虜だという事か。頭脳も美貌も備えた僕は最強だなっ」
「すごいです、ぼっちゃま」
「愛してます、ぼっちゃま」
いや、どう考えても使用人の誰かだろ。
子どもの寝室にこっそり入ってくるなんてヤバイ奴がいるのか。大丈夫か、あの子んち。
使用人その一はどさくさに紛れて告白してなかったか?あれ?聞き間違い?
耳をすましても「すごい」「さすが」「すばらしい」という語彙力皆無な賞賛しか聞こえてこない。…‥聞き間違えだったかな。
どんな推理したら公園の花に行き着くんだろう。あの子の頭も心配だ。
てか、花壇から出ろ。花を踏むなよ。
じっと見ていたら、頬に暖かい手が添えられてゆっくりと視線が剥がされる。
上向けられた視線の先では、ルカリオさんが私をじぃっと見つめていた。
「違う男を見つめないで」
「あ、う、え、お、お、男って、男の子ですよ」
「男ですよ」
見つめられてじわじわと顔に熱が集まっているのが分かる。
ルカリオさんって、意外と嫉妬深い。
「行きましょうか」
にこりと微笑まれ、手の甲にルカリオさんの手が添えられる。その時初めて、ルカリオさんが近い事に気がついた。
さっき驚いた時に彼の腕に抱きついてしまったらしい。
思わず離れようとした腰を引き寄せられ、そのまま歩き始めた。徐々に少年の高笑いが小さくなる。
上機嫌な様子に、離れるのも悪い気がしてそのまま散策をしたが、周りの景色を楽しむ余裕は無くなっていた。
レストランでのディナーは文句なしに美味しかった。
見た目も綺麗な前菜やメイン料理をワインと共に楽しむ。
さっき公園で見た少年が気になるが、他人が口を挟める問題じゃないのかな。いや、でも、親に忠告ぐらいはするべきかもしれない。
でも、どこの家の子かも分からないんだよね。
「どうかしました?」
「あ、いえ。公園で見た男の子が気になって…」
「アンナさんはああいった子が好みなんでしょうか」
「はぁ!?」
思わず声が大きくなった。
しゅんとしないで。なんでそうなるの!
「そんなワケないじゃないですか。どう見ても年下ですよ。範疇外ですよっ」
「それなら、良かった」
ほっとした顔は本気なのかからかっていたのか、本当に分からない。
「そうじゃなくて。あの子の寝室に自由に出入りする人がいるみたいだったので、ちょっと心配だなぁと思って」
子どもの寝室に花を置くなんてなんか気持ち悪い。
好意にせよ、悪意にせよ、気持ち悪い。無断で出入りするだけでアウトだ。
「アンナさんは優しいですね」
「え?どこがですか?」
「縁もゆかりも無い子なのに気にするんですね」
あ、貴族らしい笑顔だ。
こういうルカリオさんは久々に見るな。
別に優しくないよ。本当に優しかったら、ルカリオさんのデートの途中でも忠告に行くなり話を聞くなりするんじゃないかな。
こんなに時間開けて気にかけるなんて、偽善っぽいよね。
どうにも出来ない。けど、気になる。
喉に刺さった小骨みたいに。鼻に入った豆みいに。
所詮は、自分の為なんだよ。
「おそらく、リンツ商会の息子さんでしょうね。知り合いから公園の経緯を伝えさせましょう」
「ええ!?知ってる子だったんですか?」
それなら、そうと言ってくれればいいのに。
「御子息は知りませんよ。あの使用人の一人に見覚えがあったので。でも、もし違っていたらすみません」
「いいえ。私はどこの誰かも分からなかったので、あれこれ言う権利なんてないです」
伝えたから何が変わるかなんて分からない。
何も変わらないかもしれない。
でも、何もしないよりマシだと思う。私はやっぱり偽善者だ。
前衛アートのようなデザートをどう食べようかと首を捻っていると、ルカリオさんから名前を呼ばれた。
目を向ければちょっと緊張した面持ちでこちらを見ている。
「前に言ってた件ですが、両親の都合は大丈夫だそうです」
「そうですか。分かりました」
「当日は迎えに行きますから待っていてくださいね」
「ありがとうございます」
ルカリオさんの申し出が嬉しくて笑顔でお礼を言う。
実は、ルカリオさんの家にご挨拶に行くことになったのだ。
婚約って書類出して終わりじゃないもんね。相手側への挨拶大事。今から緊張で吐きそうだけど。
一つ言わせてもらえるなら、デザートの後にして欲しかった。
せっかくのデザートの味が半減したじゃないか。
美味しかったけど。
公園には出没しないとダメでしょう。
次回はガルシアン家訪問です。