54.王宮侍女は動悸が止まらない
本日、デートである。
………。もう一度言おう。デートだ。
「うぅぅぅ」
別にきばってない。便秘でもない。出るもんは出てる。出ないのは勇気だけだ。
この前の休み。エレンの用事に付き合わされた時に、変に盛り上がって服とかバッグとか買ってしまった。
だから、着て行く服はあるといえばある。
ただ、それがテンション上がってる時に買ったので、私らしくないというかちょっと可愛すぎるような気がして着るのを迷っている。
そんな現状。
淡いベージュと深緑のワンピースは、大きな襟と大きな飾りボタンが特徴的で、背中部分で細めのリボンを編み上げるようになっている。袖口の返しも大きめで、襟と袖に施された刺繍がシンプルながらも可愛い。
エレンみたいにふわっとした可愛い子が着れば似合うだろうけど、私だよ?顔も性格も可愛くない私だよ?
エレンに煽てられて買ったけど、失敗した気がひしひしとしてきた。
完全に服に着られてる気がする。似合わない気がする。いや、確実に似合わない。
変だとかおかしいとか……ルカリオさんは言わないだろうけど、でも、でもさぁ…引かれたらどうしよう。
やっぱ、他の服に……
「あー!まだ着替えてないっ!」
ノックも無しに部屋を覗き込んできたエレンが声を上げて入ってきた。
お前仕事はどうした。
「気になって来てみれば、やっぱりもぉ!ほら、早く着替えて」
「分かった。分かったから、引っ張らないでっ」
徐に服を脱がしにかかる手から距離をとって服を着替える。迷ってる猶予がなくなった。
着るしかないのか。
「ほらほらぁ。時間なくなっちゃう。早く座ってぇ」
今日がデートだと知ってるエレンの熱量がすごい。その半分ぐらい仕事に投下しろ。
普段の倍キビキビした動きでヘアメイクされる。唇はピンクだし、髪はくるくると巻かれて結われてしまった。
「うふふ。アンナちゃん真っ赤〜。ガルシアン卿に可愛いって言ってもらえたらいいね〜」
普段は着ない服を着て、普段はしない髪型をした自分が気恥ずかしくて居た堪れない。憎まれ口を叩く余裕もなくて、エレンに「そうだね」と返すだけで精一杯だった。
エレンの言った通り、ルカリオさんから称賛をもらったのは良かったが、顔がまともに見れない。
嬉しいのと恥ずかしいのがごちゃ混ぜになった上に照れ臭いという、感情が渋滞状態でどうしていいのか分からない。落ち着く為に、ルカリオさんと反対方向を向いてしまう。
分かってるよ、意識してるのは私だけだって。
仕方ないじゃん。
最初からちゃんとデートだって認識してるの初めてなんだから!
そう。言わば初デートなんだよ。
今までに、何度かデートはしたよ。でもさ、それは友達とのお出かけだと思ってたもん。女装用の買い出しだと思ってたし、気分的には女友達だったんだもん。
気持ちが違うじゃんっ!
なのに、婚約者とデートっていう、私の中で縁遠かった単語二つで構成されてんだよ。
「アンナさん」
不意に間にあった左手を掬い取られ、大きな手が指を絡ませて私の手を握った。
いわゆる恋人繋ぎ。……うぎゃあぅ。
「手を繋いで行きましょう」
見上げた先にはキラキラと輝く笑顔があり、なんとか「はい」と返事を絞り出した。
やばい。心臓がもたない。
暑いし、眩しいし、季節が夏に逆行したんじゃないだろうか。
まだ会ったばかりなのに、こんな調子で今日一日過ごせるのかとても不安だ。
今日は、ランチを食べてから観劇をしてディナーを食べて帰る予定。食べてばかりだな。
なんで観劇かと言えば、私が観たことがなかったからだ。
王都に来てニ年を超えたが、私はあまり遊びに出た事がない。
仕送りしていたせいもあるけど、あまり必要性を感じなかったんだよね。同僚の仕事を有料で引き受けたりする方が有益だったし。
そんな話をこの前の帰省の時に話したら、ルカリオさんが是非一緒に行きましょうと誘ってくれたのだ。
それで終われば感動したんだが「これからの初体験は全部私のものですね」なんてにこやかに言うから秒で真顔になった。
職場のせいか、倶楽部のせいか、たまに発言がおじさんくさい。
そんな訳で、今回観るのは「英雄王の帰還」という芝居である。
英雄王が敵に追われながらも苦難を乗り越えて玉座を取り戻すと言う内容だ。
その後の彼は色を好み色欲に溺れて王妃サメロンの饗宴で妾や側室たちを亡くすのだが、劇ではそこまでやらない。昼間だし、英雄に憧れる子どもたちも観るからね。そういうドロドロ愛憎劇は夜の公演でやるのが一般的だ。
他の劇場では、男爵家の娘が王子と真実の愛に落ちて、苦悩を乗り越えて結ばれる大人気ラブストーリーをやっているそうだが、私の心には何一つ響かなかった。
友人から聞いた話をまとめると、恋に落ちた主人公が「どうして」「なぜ」と嘆き「これが真実の愛なのね〜」で締め括られるらしい。
聞いただけでお腹いっぱいである。
先ずは、観劇の前に腹拵えだ。
前回はおしゃれなカフェに連れて行ってもらったが、今回はレストランだった。しかも、頼んでくれたのはステーキランチ。
肉っ!
量は控えめだが、ゴロリとした厚みから溢れる肉汁と香ばしい匂いに口の中が大洪水だ。
しかも、添え物が野菜の他にパリッとしたソーセージまで付いている。
分かる。見ただけで分かるよ。
これ、絶対に美味しいやつ。
匂いが早く食べろと急かしてくる。
一口大に切って口の中に入れれば、甘辛くも絶妙なソースに負けない肉の旨味が広がる。
「お、いしぃ〜〜」
ああ、至福。
二口目を食べ、次はソーセージにしようか贅沢な選択肢に悩んでしまう。
「気に入ってもらえて良かった」
正面のルカリオさんがにこりと笑う。
やばい。ちょっとがっつきすぎた?いや、でも今更?
いやいや、大口だけは気をつけよう。うん。
「美味しそうに食べてくれるので、連れてきた甲斐がありますね」
「ルカリオさんは…」
「はい?」
「ルカリオさんも、美味しいですか?」
私が尋ねるとルカリオさんは不思議そうに瞬きしたあと、きらきらと微笑んだ。
「ええ。とても美味しいですよ」
眩しい。
ルカリオさんのきらきら感が増してる気がする。店の窓に何か細工でもしているのか。
いや、まさか、そんな。
美味しいはずの肉料理なのに、途中から味がよく分からないままランチを終えた。
お芝居は文句なく面白かった。
大きな舞台を余すとこなく使い繰り広げられる戦闘シーン。二階のベランダからの飛び降りや、迫り上がる玉座など仕掛けも凝っていてハラハラドキドキの連続だった。
特に英雄王を演じた役者の声が良かった。とにかく渋い重低音。
女好きでだらしないイメージの英雄王が一気にイケメン渋オヤジに変身した。
他の役者さんもすごかった。
舞台からも映えるよう派手なメイクにしてるんだろうけど、全然気にならないぐらいに自然に見えるし、カッコいい。
あのアイシャドウとか、チークの付け方とか、アクセントに真似てみるのも楽しそう。
「面白かったですね。戦闘もすごかったですけど、最後の迫り上がった玉座へと登って行く英雄王がカッコよかったです。英雄王ってただのスケベオヤジじゃなかったんですね」
「ふはっ。そう、ですね。かっこよかったですね」
観劇後、興奮冷めやらぬ私が感想をつらつらと話すと、ルカリオさんは何かツボに入ったのか笑いを堪えていた。
「お芝居、楽しかったですか?」
「とても!」
今まで見なかったのがもったいないと思えるけど、お値段もそこそこするので頻繁に観るのは躊躇ってしまう。
ちなみに今回はルカリオさんの奢りである。食事から全て奢りである。何一つ払ってないので、ちょっと気が引けるけど、こ、こ、婚約者だし?甘えておこうと思う。
「妬けるぐらい夢中で観てましたね」
「だって目を離すなんてもったいないじゃないですか」
「隣に私がいたのに。もう少し意識して欲しかったです」
ぐおっ。耳元で話さないでっ!
吐息とルカリオさんの声がくすぐったくて首をすくめると、小さく笑って耳にキスされた。
左耳を手で覆って一人横に分距離を取る。
ルカリオさんは目をパチリと瞬きしてから嬉しそうに目を細めた。
「やっと意識してくれた」
「ぐっ、ぬぐ…。耳にキス禁止っ!」
「じゃあ、手は?」
一歩で距離を詰められて、掬い取られた指にキスされる。引き戻そうとした手が捕らえられ、手首に唇が近づく。触れるか触れないかギリギリと場所で甘く囁かれた。
「手首にします?それとも、もっと上?」
「〜〜〜〜か、からかうのも禁止!もうっもうっ帰るっ」
力任せに手を引き戻して、意地悪モードのルカリオさんを置いて歩き出す。
婚約してからルカリオさんは色気をたれ流して私を揶揄う事がある。その度にあたふたする自分が悔しいっ。
早足で歩いてるのにあっという間に追いつかれて、後ろから抱き込まれた。
くっ、身長差か!?足の長さか!?このイケメンがっ!
「すみません。調子に乗りました」
言いたい事は山のようにあるのに、どれひとつとして言葉にならず唇を噛む。
謝罪一つで許したくなる自分のチョロさが悔しい。
くそぅ。反省しろ。反省っ。
恋愛初心者に優しくしろ!
「次やったら、二階ボックス席おごりですからね」
「それは遠回しなお誘いですか」
「ちっがーうっ!」
お高そうなボックス席を物ともしないだと!?
男のプライドなのか、はたまた収入の差か。
お高い観覧席と引き換えにするのが私の羞恥心ぐらいなら、安いのか高いのか。うむむむむ。
「お詫びにプレゼントさせてください」
「賄賂は間に合ってます」
「愛しい婚約者へ気持ちを贈りたいだけですよ。もちろん心を込めた謝罪もさせてください」
身長差があるせいか、後ろから抱きしめられるとまるで子供が抱き締めるぬいぐるみになった気分だ。
とりあえず離して欲しい私と、却下するルカリオさんとの攻防の結果、今日の服に合うイヤリングの購入が決定した。
着けさせてと可愛くおねだりされて、耳に触れた手の感触に心臓が爆発しそうになる。早く終われと念じたのに、なんで耳たぶを揉むの!?揉まなくていい。べつに凝ってないから。
手の感触とか近づいた体温にいっぱいいっぱいで顔に熱が集まっているのが自分でも分かった。
バカップルですみません。
英雄王の歌劇は、気分的にはお子ちゃまに人気なヒーローショー。
そして、デート編続きます。